報告ときどきピアノ

開始日、経緯・前後関係と復旧無理な改竄があり、常にも仕上げ原文どおりでご覧にないかも;何とか照準合わせようと奮闘中

不毛な争い の前おき

2024-11-12 22:25:22 | 日記

    また、中身から外見から厭みに変えられてます😭😨

もう無理だと、毎回思わされる。。。
こういう酷いことがあると想像もしない人は、恵まれているには違いないけど、やられてるほうには酷であります。

気を取り直して?

   前の記事では、争いは、失うことばかり
再起不能のダメージは際限がないので、
基本的に日本国憲法で禁止している

ってことにつながること、申しました。 

習ったのを思い出せば、競う と争うは、似て非なるものです。

よって、競うことを禁じているわけではありません。

自由競争の、競争も、競うのほうですね。

競って高めあう利点をとった自由市場、

資本主義経済は採用されていますが、これにそぐわない市場があります。

いろんな意味で大規模であったり、一律性が必要だったり

これをになうのが国営など公共事業なのです。

そんな趣旨の公共、国営と民間企業が協力せねばならないときは、両方の性質が混じったり、得手不得手や情報交換があって当然なのですが、悪の介在、いちゃもんは、どこにでも起き、臨機応変な経済に支障をだしてきます。

昔の日本は、国レベルでしか管理を考えられない大規模、統一的な安全対策が必要な事業には必ず国が責任をもって関わっていたのです。

憲法に沿っていれば、たいして税金を気にすることもなく、いわば、裸一貫から仕事に就くことがもっと可能にしてあったし、人命に必要な物はかなり安く手に入ったので、ご飯を何倍もおかわりしても好意的に見られていたくらい。

憲法が元気なら、通信の品質安定や万人が可能な価格水準も、国が責任を持ってくれていたことでしょう。

昔に比べ、より良く生きていくことが、こんなに困難になって、それだけでも
いったいいつまでもつのだろうと、不思議なくらいです。
いえ、老若男女、声を上げられない、身を隠したい生活困難者が、ごまんといておかしくないし、見かけました💧💧

反憲法、悪の支配は、追えない犯罪によって作り上げられてしまったんです。

それじゃいけない! と国民が声をそろえられなかったのは、

改ざん事など、真実を知らされていないことが多かったことと、

犯罪に起因するが真相を誤解しての一辺倒な風潮や注意そらしと、

気にする必要もなかった、争いの構図

などです。


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争いは極力、御法度(禁止)

2024-11-12 03:20:26 | 日記

役に立たない理論というのは、じつは無い。


今の世が昔々と違って めんどくさい のは、
理の通っていないのを理論と称していないか とか、
正しい理論を理解する人がいないのではないか とか、

昔、一定の教育を受けてきたような一般の人々には無かった
苦労が、もはや 懸念されるけど、

それらはいったん置いといて、理(り)がある論の話。

誰一人、どの理論も、役に立たない事はない


逆に、


不毛な   と言えば、

(もちろん毛が無いことではなく、
疲弊するだけで進展が無い の意味で 

次にくる言葉は、

争い  しかこない。(悪が関わることを除いて)


論争という言葉はあるけど、これは理解していくのが前提で

不毛な は、つかない。

正しい学や実態を知っていては当然で、
最先端のようなところで行われるようなものをいうから。

でも、争いの言葉があるのは、
やはり相殺(そうさい)方法に至っている状況で、なげかわしいわけ。

正しい論を積み上げる状態にはまず、ならないからな。


昭和50年台半ば頃までは、教育関係の元知識といえば
正しさが
太鼓判(太古から繋がって検証しつくされ万人が認めた状態)。
それが保証されるシステムが職員会議に至るまでありました。
(私の中高にかけて次第に職員会議が長引いて深刻な面持ちになっていた教師が多かったのは、後になってこういう事だったのかと頷けます。)

理論も整備できている
各種 嘘ごと(大間違い)など出てきていない状態であったので、

論争を許されているといえば、残すところ
邪馬台国が近畿か北九州か

に、限られていたようなものでした。

どちらであったとて、実態に影響力に殆どかかわらないからでもあります。


そもそも論争は、(すべて理にかなっていることを前提に)
決着がつけられないから起こるのです。

昭和中盤までには、情報も安定していて、
そういう非効率な方法、もしくは遊びを、もう、
邪馬台国の場所論争 以外でとる必要は、まったく無かったんです。


しかし現在、

       証拠改ざん物をはじめとした 嘘 という濁流

がこの日本に氾濫🌀した、

情報災害まっただなか、さらに進み切った状態にあるのです。



;   次には、不毛な争い のことを記事にするつもりです。


   * * * 


 指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
  


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