雨降って地固まる
とか、
人生万事塞翁が馬
だから
と、
何かあっても明日に期待してやっていこう
と教わったのも 小6。
しかしその後、それがどうにも各場面通用しなくなることになってきました。
少なくとも我が身に。
苦労が生きるどころか、きつい苦労ほど結果が強烈に痛い。
努力と苦労というのも、似て非なるもので、
努力ができるくらいなら、苦労しない。。。
れ?
なんでこんな話から入ったんでしょう?(←ヤバイゾ)
あ、
雨降って地固まる
の雨降りで私がイメージしたのは 人間関係
争いを持ち込まれてしまい 落ちこむような事
だったから、争いのことをたどろうとしていたのでした。
喧嘩は争いの一種であって、話し合いではない状態です。
口論は、
できているうちは喧嘩(争い)としなくてもいいと思います。
水かけ論って言葉が好きな人が複数いましたが、まだ話を出し合っている途中で持ち出してくる場合、きまってそんな状態ではなく、単に言わせないようにしようとしているに過ぎません。
まあ逆に水かけ論しかできない人は、話し合う気がないので、そんなこと言われれば、むしろ歓迎するのかも。
話をやや、ややこしくしてしまいましたが、
離反や
争いをしたくなるケースの背後には、
話し合いをしようとしていない
という、相関関係が成り立つはずです。
たどれば、
争わせよう、戦争に持ちこもうとする悪
の仕向けの存在が、ほぼ確実に認められます。
はあ。。。すみません。
また前置きどまりですが、こっちのほうが今は重要かも。
私としては、おそらく憲法的にも、
心身をけがしてくる虐めは、争いより悪い状況です。
五分五分じゃないからです。
どうザツであっても、喧嘩両成敗
にとどめてもらわないと、
善人にとっての途轍もない残酷苦痛状態と、
虐める側の卑怯な心の醜悪ばかりがはびこる
違憲(超重罪)社会 まっしぐらです。
こういうことに言及すれば、真をついているほど、
少なくともいったん表舞台からはずされたり、
立場を弱められる傾向は、昔から強いのにも 気付いています。
けっきょく、テレビですら だったのでしょう。
でも言う。
悪の策にはめられている以外、虐めに正当性や理なる人格は皆無。
心底 虐めをやっている側は、何から何まで醜悪です。
虐めという特殊な残酷状態を肯定するような社会や人に、多数決はさせられません。
アチャ やられるか。。。。
* * *
造語 "裏金"の真相説明記事 そういうことか
指摘してきた改竄(原子移動的なもの)や催眠術(脳操作)は、
隠されてきた特殊方法で完全犯罪が可能とされた主要技術をいいます。
被害者側の立場で、真実を求めるたゆまぬ責任によって 実態と情報を見極め、
証明したものです。
提唱記事 そうだった 記事一覧 【 日記 気持ちばかりの芸術 】