我が母のことは、・・・ 私にとって平たくは
誰のせいでもなければ、
・・・私のせいでもある。
こんな世になってしまうとは思ってもみなくて、6or7歳のときの私は
母に過酷な質問をしてしまった。
もうしわけないけれど、ここではそれを伏せさせていただく。
ぼんやり、自分だったらどうなのかなと答えを出せないまま
母にも聞いてみようなんて、安易な気持ちできいてしまうと
母は少し考えて、「・・・。どっちとも言えない、わからない」と答えてくれた。
それから30年、40年とたってくると、私ってなんてことを母に投げかけてしまったのだろうと、後悔しきりである。
自分尺度で言い訳をすると、子どもというのは回復や習得に時間がかからないが、自己の生命へのこだわりはそんなに無かった一面があるように思う。
先日、直前に至るまでの自分における不手際(夜中悪天候でも自転車を走らせればよかった)はもちろん、
どうしてもはずせないのが、過去の私のその安易な質問である。
日常を回すのに要るとは思えぬ、でもけして軽微にはならないこういうことを、
うやむやにしてきて、
いつまでもあると思うな、親と話す機会 に、なってしまった。
自分を責めるに、十分だ。
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