浪曲師 真山隼人のブログ

浪曲師 真山隼人です。よろしくお願いします。鈴鹿市シティセールス特命大使

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十年②

2020年02月27日 | 浪曲
どうも、真山隼人です。

前回この浪曲生活十年を振り返ると題して、いろいろと思い出を忘れないうちに振り返ろうとしたのですが、生い立ちから書いてしまい思いのほか長引いたためまだ十年までたどり着きません。今回もどうなるかわかりませんが、いろいろ思い出しながら書きたいと思います。

暇なときにお読みください。



声帯模写を駆使してうまいこと学校をだました隼人少年は心を押し沈め愛知県金山の浪曲大会へと向かった。

いやーびっくりしました。会場中おじいさんおばあさんの山!しかも80歳超えのような方ばかりの会場。
平日の昼間だというのに、6割くらい埋まってるんですもの。

あちらこちらで飴をなめながら話してる老人たちの声がこだましてるのを聴きながら席に着いた。

いやーさすがに小学生はいないなあと。
小学生はおろか、僕より上の方で一番近いのが40代くらいの男性だったのでは…。
これはとんでもないところに来てしまったと思いましたね。落語会でもここまで年齢層高くなかったのに。

席でぼーっとしてると、あちらこちらで浪曲の話が

「辰造さんはよかったわねー。」とか「雲月さんは熱演だったわねー」とか。

その当時はそこまで詳しくなかったので、ああおばあさん楽しそうとしか思わなかったけれども、今もしあの方々がいたら、辰造先生の魅力を話したかったなあと。五時間ぐらい。

辰造マニアになったら終わりなんですよ。もうあのディープな世界から抜け出せないのです。
僕は25年間生きてきて辰造マニアをやめた人の話をきいたことがないくらい、好きになったら抜け出せないんですよ浪花家辰造沼は。
あの渋い声、飄々とした風格、姉妹が奏でる二丁三味線、また読み物も洗われてて面白いし、なによりかっこいい。ぜひ一度みなさん聞いてみてください、浪花家辰造師匠。凄いから。 あと中村冨士夫師匠もよくて、この方は…

おっと、客席のおばあさんみたいに話がそれてしまったので元に。


そんな会話に耳を傾けながら待ってると何人かのおばあさんが寄ってきた。

婆「ぼく、おばあちゃんのつきそいで来たの?偉いわねえ。」
隼「いえ、僕が好きで来てるんです。」
婆「まあ、偉いわねえ。じゃあ将来は勿論浪曲師ね!」
隼「いや…そういうわけじゃ…」
婆「じゃあ〇〇さんとか××さんとかどうかしら?あっ△△さんとかはどう?」

いきなり進路相談が始まるわけですよ。どこに入るか(笑)
有名大学のごとく師匠方の名前がでるんですよ、誰も入るって言ってないのに。

「でもね●●さんとこはやめときなさいよ、評判悪いから。」とか。この●●さんって誰やったかなあ。

「喉にいいから飴ちゃん、あげるね。」と

人の話を一切聞かないおばあさん一同から次々に渡される飴の山。有難かったけど持って帰ったらバレるから全部舐めましたよ。
もう口の中いろんな味!梅やらハッカやら黒飴やら…。


暫く待てばチョンと柝が入って開演。
この会のすごいのが、前座が出ない(新人推薦枠で出る時もあったけど。というか出たかった!)。
いきなりベテラン。ずーっとベテラン。
しかもラジオやテレビで見聞きしていた方々が目の前にいらっしゃるではないか!
この、生の迫力のスゴイ事!大恩美声!拍手喝采!色とりどりのテーブルかけ!
中京のファンもこの日をずーっと待ってたんだろなあ。

えっ、一人一人のレポはないのか?って? したいけどいつもお世話になってる方が結構いらっしゃるしなあ…。
怒られるといやだから割愛して総合的な感想として書いておこう…。

やっぱり舞台は生ものですね。ラジオやテレビと全然違うんだなあと思いました。
だいたい放送は本編のみですが、実演になるとマクラ(口上?)があるのに驚きましたね、
落語みたいに面白いマクラじゃなくて、襲名披露みたいな言い方で世間話してるんですもの…。

この、マクラから本編に移った時の変わりよう!人が変わったように顔まで変わるという。
そしてこんなにストレートに、「ズン!」と響いてくるんだなあと。
また、三味線の音も澄んでて綺麗! もうちょっと音量あってもいいのになあとも。
しばらくすれば、あちらこちらからすすり泣く声。 熱い浪曲ファンに支えられて一体化する舞台。
浪曲師曲師互いに舞台を高めあったところでチョンと一丁柝が入って幕。


あの熱意に感動したからこそ、僕も今浪曲をやってるのかもしれません。


そんな熱狂の浪曲大会にも一つ欠点がありました(平日開催やし、いくつか言いたいことはあった)


トリまで見てたら学校をサボったのがバレる!!!!!


そうなんです、浪曲の感動で忘れかけてましたが、サボってきてるんです。大会に。
浪曲も見たいけど…バレるのももっと怖い。モタレの方が終わると泣く泣く帰りの電車に飛び乗らなければならなかったのです…。

で、このトリというのが、何を隠そう「真山一郎」!大師匠です。

実はこれに味を占めて何回かサボって浪曲大会を見に行ったのですが(2回くらいかな、追求しないで!終わったことだから!)
どの会をみてもトリが、真山一郎。 僕にとって真山一郎という人は嘘をついて見に来てるために見られない人と化していたのです。

もちろん刃傷松の廊下のcdは持ってましたが、まさか同一人物だとはわからず(だってCDジャケットが若すぎたから…)
同じ人だと分かったのは恥ずかしながら入門してからなんです。ごめんなさい。

テレビの浪曲特選でもだいたい4回に1回はあった真山一郎出演回だけ全て見逃すという…。


僕の中では完全に名前は知ってるけど見たことのない師匠となってたのです。

これには随分とショックを受けました。

うあああああああああああああ勿体ないことをしたぞ!
目先の恐怖に気を取られ、一生にかかわる大事なものを見ることができなかった。ぎゃああああああああああああああ。

あとであの時の真山一郎=大師匠と分かった時、布団のうえで暴れましたね。

というか、いまだに暴れる時があります。4日にいっぺんくらい風呂でぎゃーってなります。
この25年の人生で一番後悔してるのは「名古屋で真山一郎を見なかった」ことでしょう。
(この真山一郎の凄さについてはまた改めて書きたいと思います。)

そんなずっと後悔することになるとは露知らず、急いで家へと帰るところで


またも時間となりました。このまた続きはまた後日

全然進まなかった。






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十年

2020年02月26日 | 浪曲
どうも、真山隼人です。

こまめにブログを更新するといったやつはどこのどいつだといいたくなる今日この頃
ゆるやかにやっていきたいなとのんびり考えてます。

サボってしまいごめんなさい… これからは気が向いたときに書きたいと思います。


ブログについて考えていた際にふと、ああもうすぐ浪曲生活丸十年だなあとしみじみ思いました。
この十年いろんなことがありました。嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと…。
とても濃い十年だったなと思いますが、20歳を過ぎてから調子に乗って酒を飲みすぎたせいか、ちょっとずつアホになってきています。
ご馳走していただく美酒はすばらしく記憶も明朗で上品なものですが、一人で飲む粗悪酒がいけなかったのでしょう。
ちょっとずつ節制しなければと思うふりだけして賢くなったように自分に言い聞かせながら浮世を楽しんでます。
もともとのアホにプラスしてさらにアホになってしまい救いようがないかもしれません。
この記憶のあるうちに、覚書としてこの十年を振り返ってみたいなあと思い、何回かに分けてここに書くことにしました。
興味のある方は暇なときにお読みください。 


さて、生い立ちから…

平成7年に三重県鈴鹿市白子町という海しかない町で生まれた隼人は、親の育て方がよかったのかすくすくと育っていき、小学~中学~高校~大学と難なく進学し、順調にし大手企業に就職、結婚。一男一女に恵まれる。

なんて、人生だったらつまらなかっただろうなあ…。


平成7年に三重県鈴鹿市白子という何もない街でうまれた隼人は、幼少の頃より伊賀流忍者を志し、親を困らせる正真正銘の変わり者だった。

↑そうそうこれこれ、これが本当です。
一つ違うとすればいまだに忍者にはなりたいと思っておりますが…この体型じゃあねえ…(笑)

そんなこんなで変わり者とレッテルを貼られながらも特にいじめられることもなくのほほんと暮らしていた小学生時代、放課後は英会話、空手、水泳、英語と習わせられており、まるで金持ちのお嬢様のような生活を送っておりました。
今考えるとこの習い事で役立っているのは水泳だけだなあと。いまだにすいすいと1キロぐらいは泳げると思います。
ただ、この頃からでしょうか…三味線か箏をやりたいと思い始めるようになったのは…。そんなよくわからない願いが聞き入れてもらえるはずもなく、学校に習い事にとハードな生活における一つの癒しの時間は風呂上がりのラジオでした。

風呂上がりにラジオを聴くっていうのもどんな生活だって話ですが、特に好きだった番組が「ラジオ深夜便」「新話の泉」「日曜名作座」「上方演芸会」「真打競演」「ラジオ名人寄席」という…。
いやNHKばっかじゃん。というか全部NHKじゃん。

いろんな雑学やら知識やらは「ラジオ深夜便」を聴いて身につけたといっても過言ではないくらいのヘビーリスナーだった。
ほぼ、寝不足。いやもう毎日寝不足ですよ、深夜便のおかげで。これだけNHKとともに生きた小学生も珍しいんじゃないかな…。

もうそうなってくると話芸にハマる日々。特にお気に入りだったのが六代目三遊亭圓生師匠!あのカッコよさにあこがれて4年生ぐらいでしょうかズッとマネしてたのは。中でも「御神酒徳利」「おかふい」「火事息子」「札所の霊験」がお気に入りでヘビーローテーションの日々。
圓生師匠が生きていらっしゃったら弟子入り願いに行ってたんじゃないかと考えた事も…(すぐ破門されたでしょうけどね)

ラジオを聞かなきゃ眠られないと、生活の一部になっていったある日。例のごとくNHKを聴いていると…

「浪曲はいわば大人の子守歌、心のふるさととでももうしましょう…」

落語じゃないのか…浪曲か、消そう  と思っていたところを消さずになんとなく聞いてみるなれば。


なんだこれは!語りだけじゃなく節まで入って三味線にあわせるのか!!!
おもしろいじゃないかーーーーーーーーーーー!!!!!


もう一発で感動しました。あんな感動未だにないですよ。
あの感情が直接伝わってくる(BY町田康さん)感じ。じわーッと感動しまして、すっかり虜になってしまいました。


いままで浪曲って単語では聞いたことあったけど、浪曲自身は聞いたことがなかったんですね、一体どんな演芸なのか!

早速調べて驚きました
↓↓↓


何なんだ!このセットは!

この布は何なんだ!何でこんなにところ狭しと並べるんだ! こんな机どうやって調達するんだ!
というか座ってやらないんだと(笑)

やってるネタも面白いものに混じって、ヤクザ物とか戦争物とか今こんなのやっていいの?と子供ながらに思うものもあったりと

全てが未知の領域で調べていけばいくほど、この浮世離れした浪曲(界?)が好きに。


さあ、そうなってくると今度は「生で見たい!」
三重県在住の田舎者ですので、そうそう大阪へは行けない。近場でやってないかと調べていると。



近くのスーパーで宣伝してるじゃないですか!

↑その時のチラシ。今思えば初めて入手した浪曲グッズかも。

なんと一挙に東西の名人が7人も見られる!しかも自宅から1時間チョイの名古屋で!
これは夢の祭典じゃありませんか。こんな祭典滅多に無いことだ(実際この時期ここだけだった)

早速つれていってもらおうと、親に交渉してみると

「平日だからだめ!!」と。

「そういわねえでさあ、あと十年したらこのメンバーは見られないよ、今しかないんだ」←今思えば結構不謹慎だなあ。

「だめ!!!」


見事に玉砕しました…。
だいぶ長いこと恨んでました、なんでこのメンバーのすごさが分からないかなあというのと、なんで平日開催やねん!と。

五月一朗と真山一郎のそろい踏みなんてそうそう見られるもんじゃないですよ。というか今でもかなうなら生で見たい。


それから毎年春になるとスーパーに浪曲大会(浪曲における大会はだいかいと読みます。)のチラシが置かれ、直談判、玉砕の流れ。


もうこうなったら仕方がない。11歳のときにあることを決意するのでした。

「そうだ…学校をサボって観に行こう。」

これしかないと。これしかなかったんです。ごめんなさいサボっちゃって。もう時効ですよね?深く追求しないで!


小学生が親の許可なく学校をサボることは、義経が安宅関所を弁慶にぶたれずに通る以上に難関です。
約一か月念入りにあーでもないこーでもないと考え…。


いよいよ決戦当日!

震える心を押し沈め、駅近くの公衆電話より

「隼人の母ですが、体調不良のため今日は休ませていただきます。折り返しの電話は結構でございましてよ、ほほほほ。」

声色を使って、ごまかしたのだ!!!


これはさすがに嘘だろと思われるかもしれないですが、当時母親あてにかかってきた化粧品セールス相手に声色で話すという
楽しい遊びをずっとしていたため、難なくごまかせたのだ(と思う)

どうだまいったかとニヤニヤしながら、汗でびちょびちょの手をハンカチで拭い、駅のロッカーにランドセルをぶち込み愛知県へと急ぐところで


丁度時間となりました。このまた続きはまた後日~。


いやあ全然十年前にたどり着かないぞ。

コメント (2)
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鈴鹿市シティセールス特命大使(鈴鹿と・き・め・きドリーム大使)


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