一年前のある日、新月師匠から電話をいただいた。
「隼人君、俺は文楽劇場の大ホールで浪曲大会をやるんや、若手からベテランまで11人や。きょうびちょっとなかった企画や。出てくれるか?」
「俺はやるんだ!」と熱に満ちあふれた電話に本当に驚くばかりで…「勿論です!」と二つ返事でお受けさせていただいた浪曲大会が終わりました。
文楽劇場の大ホールは以前一回だけ浪曲名人会で出演させていただいた事があり…見事玉砕したほろ苦い経験をした会場であり、大好きな人形浄瑠璃文楽を観る会場でもあり…また何より初代真山一郎最後の舞台でもあり、思い出深き会場であります。
↑真山一郎引退公演より、一節勤められて降りてこられた時の浪曲人生を全うされたやりきってホッとされてるお顔が忘れられない。
当日9時入りで楽屋に入って驚いたのが、今から十数年前まさに引退の日に入られてた楽屋じゃないですか。これも何かの縁か。
そして持ってきてたテーブル掛けも師•真山誠太郎からいただいた、初代真山一郎「刃傷松の廊下」の「刃」を染め抜いたもの。
別の物を持ってきたつもりが入れ間違えてこれになっていた。西村権四郎をやろうと思っていたのになぁ…。
しかしそうこうするうちに前の出演者が相撲ネタをやるという事がわかり…。なんとなくネタが被るのでは?他のに変えよう、では何にしようと思った時に、十数年前の懐かしい気持ちに襲われ…。
ここまで状況が整っているなら「刃傷松の廊下」をやろうと。
先生最大のヒット作「刃傷松の廊下」、歌でも浪曲でも莫大なヒットを飛ばした作品ですが、こちらも大事に思うが故なかなか舞台で演ることが少ないのですが、お稽古だけは常にしている一席。
先生には遠く及ばないものの…先生の愛した文楽劇場の舞台で先生のテーブル掛け、着物、袴で勤められ本当に感慨深いものがありました。
本当にいい機会をいただき新月師匠に感謝しながら、半分ダブルブッキングに近い中之島文楽へ急ぐのでした。最後までいるべきを本当にスミマセン。
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