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昔、松下幸之助さんが言っていた。
製品というものは色んな部品から成り立っている。
モノも古くなると・・・
この部品もくたびれ
あの部品も動きが悪くなって・・・
やがてモノとして機能しなくなる。
そのときにモノの中にある特定の部品だけがピン、ピンしてるのは
品質管理が上手く出来ていないからだと。
な~るほど!
仰るとおりだ。
しかしそれは理想論であって現実的ではない。
全ての部品のライフが一律にそろうなんてことはあり得ないからだ。
でも、製造者の心構えとしては一聴に値する。
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人間も神様が作り賜うた製品と見れば・・・
体のあちこちが痛んで
子供も作れなくなり
お酒も呑めなくなり
肺やら消化器などにも異常が起きて
人間というモノが機能しなくなって
やがてこの世とおさらばの時に至るのだ。
それでも死に至っても機能が衰えてない器官もあるだろうから
なかなか、あらゆる器官が同じライフを辿ることにはなっていない。
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桜が咲き始めた。
今年の気温はこれでも温暖化が進んでいるのか?と
思われるような低温に見舞われた。
しかし、桜は本当に寒い時期からツボミを整えて
今日に至ったのである。
低温だから高温だからと言って
1週間もずれれば上等だと言える律儀さで花を開かせる。
まるで鉄道の時刻表の上を歩むが如しである。
植物は動物とはちょっと違う生存メカニズムを持っているようだ。
死に至るとなれば全体が衰えて行って
木が枯れたのに根が生きてるとか
葉が生き残ってるなんてことはなく
全体として優雅に後退していって死ぬ。
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いずれにしても
死というものは恐れるに足らない。
人間が観念的に恐ろしい、厭だと思ってるに過ぎない。
死を恐れるのは人間だけであって
他の生物は恐れてなんかいない。
この猫たちが死ぬことを考えたことは無いだろう。
それだけで死が観念的な恐怖であることが判ろうというもの。
死とは生を完結するものである。
あまり生き過ぎて老醜を晒したくないものだ。
チューブだらけの生なんて
意味がないんだもん。
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サボってたらエイプリルでした。
m(_ _)m!!
そうですね、機械の部品はある期間でそれぞれ壊れますね。メカは部品交換ができていいですね。人間は(一部を除いて)基本的には部品交換うまくいきませんよね。この写真の猫ちゃんはどちらの猫ちゃんですか?かわいい猫ですね。でも猫って死を感じる時はあるみたいです。保健所に収容された猫は独特の表情をします。
そうですか・・・猫でも表情が変わるのか・・・
でも、猫や犬にそんな表情させる人間の心が
悲しいですね。
なんとも言えない諦めを感じてるんでしょうね。
いやだ、いやだ。