銀杏は比較的低いところが元気なようだ。
山からの帰り道、村落が始まる広場に銀杏の葉が黄色だった。
空気の良い村では夜空も満天の星で飾られるんだろう。
こんなところに棲んで見たいと思うのは・・・
町に暮らす人間の良いとこどりな思惑であると恥じ入る。
厳しい寒さに耐え、必需の品物さえ、求めるのが容易ではない村。
それでも住めば都と折り合いをつけた人だけが住むことを許される。
椿さえ、人目をはばかるように咲いていた。
そんな村を幾つか通り過ぎて
ふと、古い建物に紅葉が映えるのがマブタに飛び込んできた。
建物は地元でお神楽などが舞われた一種の小舞台のようなものだった。
軒には釣鐘が下がり
かつては、村の民に情報を伝達する手段として重宝されたものに違いない。
鐘にうがたれた穴が歴史を物語るのを聞きたくなるような静けさがあった。
10畳ほどの空間に
今では冬の陽射しが斜めに差し込み
その向こうに紅葉も静かだ。
過疎の村・・・
だからといって何が悪いのか?
本来の自然に寄り添って生きることがそんなに不都合なことなのか?
地方創生だなんて・・・地方がどういう形になれば良いのか
総合的でバランスの取れた姿も描き出して見せることも出来ない政治家が
軽々しく口にすべき言葉ではない。
彼等が言うのは所詮、地方創生=経済的に恵まれる状態にする。
その程度のことであるに違いない。
そんなことを平気で言う人間なんて信ずるに値しないような気もする。
だって・・・お金がすべてと信じ、国民も皆そうであるに違いないと思ってるんだろうから。
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お堂から数十キロ走って
だいぶ町らしくなってきた辺りでも・・・
やはり古い神社には大きな銀杏の木があって
写真を撮りに大勢の人がいたが
もう、遥か以前に口を閉ざしてしまった民家も
少なくないのである。
これを写真に撮って・・・
一体、オイラは何を言いたいんだろう?
自分にも心の中で解決できないものが
固くシコっているように思えた。
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