おばさん自閉日記

憑依体質、自閉症と軽い知的問題を抱えるIQ82のおばさんアロマセラピーアドバイザーです。

酉の市

2015-11-05 | 日記
 今月はいつが新月だっけ?って確認しようと思ってカレンダーみたら、今日は酉の市なんだ!旧暦9月24日の乙酉です。ちなみに12日が新月で旧暦10月1日。

 ということで急に酉の市に出かけることにしたよ。今月は一日にお参りできずにいたから、来れてよかった。おみくじひいたら(吉)が出た!でもご神託はちょっと厳しいものだった。

「時期を考えてはやくあらため進がよい。人と人と互いに力をあわせてすればよきみちあり。けれどわるいみちと知りつつ進めばわるし。注意せよ」

 これは、まるっきり私が今おかれてる状況そのものをいってるみたいだ。もう終ろうとしてるもの、終ったもの、古いやりかた、自分の居場所じゃもうなくなってるところに、長居せず、さっさと終りにして次に進まなきゃならないんだ。慣れない不安があったとしても、新しい選択をしろってことだ。新しい自分を確立すべく前進しなきゃ。

あなたを遠く感じるとき

2015-11-05 | メンタル日記
 「あなた」は人にかぎらない。PTSDに苦しんでいた自分が、人生をサバイバルするために必要としてきた、アディクションだったり、身近な人だったり、お医者さんだったり、趣味だったり、そのほかの何かでも、それが遠く感じられたとき、またひとつ成長の時が来たことを知らせているんだと思う。

 そうなったらもう元には戻れない。元の場所に安住を求めても違和感があって、退行することはできない。否応なくそれは進んでいく。流れを止めることはできず、流れに沿っていくしかない。それが自然で、心理的に束縛され、停滞した状況から自由になれる道だ。チャンスがやってきたのだから歩みを止めない。後悔しないために、一歩踏み出すんだ。

相手にしないことの大切さ

2015-11-05 | メンタル日記
 「相手にしない」ということが、どういうことかわかってきた。「気にしない」ということにも通じるかも。わかってきたところで、それが今までわからなかった、ということもわかってきた。相手にしなきゃいい相手に、真面目に相手をして、ドツボにハマってってことばかりやっていたんだってことが見えてきた。

 もう自分のバカさ加減というか足りなさに驚く。ふつうならそれ寝小便するような年頃に身につくようなことだよ、多分定型発達の子どもだったらそうだろう。自分は大人になっても出来ない、わからないで、オバサンになるまできたんだ。発達障害の全ての人がそうかはわからないけど、「相手にしない」が出来ないって案外いそうな気がする。

 干渉してくるひと、イジメにくるひと、「かまって欲しくてやってくるんだから、相手にしなきゃいいんだ」といわれてて、相手にしないってことがどういうことか、その本当のところが理解できてなかったと思う。どういう意味なのかその中身がわからなかった。それは言葉で説明できにくいことなんだろうね。

 今までの理解と行動は自分は相手にしてないつもりでも、していたんだ。「相手にしないということで相手にしていた」んだ。今は「相手の望みに自分が合わせないことで、相手にしない」という感じ。たとえば、かまって欲しい人がチョッカイを出してくる、それに反応するかたちで拒否ると、相手の希望に合わせてることになる。

 「相手の望み(目的)にあわせない、相手の願望を叶えない」ということで相手にしないってことが相手にしないことなんだ。相手の目的や願望がどこにあるかを知らないと(気づかないと)それができない。「発達障害は人の気持ちがわからない」なんていわれるけど、それはこの部分なんじゃないだろうか。

 私がわからないのは、いつも言葉では説明できないことばかりで、それが世の中の平均的な人々にとっては、普通であたりまえで、説明しなくてもいいようなことばかりだ。(そこがわからないから、わざとやってると思われたりする)それは、気持ちが分からないというのとは、何か微妙に違うのかもしれない。意識の層みたいなものが異なるのかも。