きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

「今日は一日ガンダム三味Z」 榊原良子さんのメッセージ

2020年05月06日 | 小説 (プレビュー版含む)

 

最初に 今回の記事はNHKFM様の番組「今日は一日ガンダム三味Z」の放送内容からの引用があります。もし著作権等の関係で問題があり、削除依頼がありましたら、すぐに削除を行う旨を明記いたします。また、番組内での声優の榊原良子様の「緊急事態宣言下での、今の日本での暮らしについての皆さんに向けたメッセージ」をそのままの内容で記載しております(書き起こしに関してはツイッターにて燕子花様にご協力を頂きました)。

 

 

ばるたんです。5月6に日に放送されたNHK-FMの番組「今日は一日ガンダム三味Z」をほぼ丸一日、リアルタイムで聞きました。

 

 

8時間半という長時間の放送があっという間に感じられた素晴らしい内容の番組でした。司会の里アナウンサーの進行もお見事で、アシスタントの星アナウンサーの初々しいガンダム初心者ぶりも聴いていて微笑ましかったです。ゲストの方々も多彩かつ濃いお話ばかりで大満足でした!

 

 

さて、この番組のラスト15分に声優の榊原良子さんがゲストで登場されました。私は榊原さんの長年のファンで(好きになったきっかけはZガンダムに登場したハマーン様の演技です)このサプライズに非常にテンションが上がったのですが、榊原さんはハマーンという役とZガンダムという作品について、こう話されていました。

「両親から戦争の悲惨さを直接聞いていたので、自分の出演作について、戦争や争いが格好いいという作品やキャラクターにしたくないという思いがあった。ハマーンを演じている間はよく落ち込んでいた。ゼータの終盤にハマーンが格好いいという評判を聞いて演技を失敗したと思った」(要約)

自分がこれまでにZガンダムという作品を見てきて、まったく想像も出来なかった心境でした。私の知識不足かもしれませんが、榊原さんはこんなに繊細な方だったのかという驚きがありました。

この後、榊原さんは「その後はハマーンという存在に(もっと肩の力を抜いて?)と思うようになった。自分自身が肩の力を抜いて役と向き合うという姿勢を身に付けて行く過程に重なっていたとも思う」と話されていて、なんだか自分としてはホッとしたような気持ちになりました。

 

 

榊原さんはガンダムについてのお話をされたあと、司会の里アナウンサーの「ガンダムファンに向けて、今の大変な時代にどう向き合うかといったメッセージをいただけませんでしょうか」という投げかけに「用意をしてきたものを読みます」と応えられてから、下記のように話されました(以下は放送内容の書き起こしです)。

 

 

「つまんないなぁ…って思ったって良いじゃない。いつまで続くんだよ…って腹立てたって良いじゃない。自分がこれからどうなるんだろう…って不安になっても良いじゃない。あれがしたいこれがしたい…なのにできないって地団太踏んでも良いじゃない。

 

自分は我慢が足りないのかな?って自分を責めてても良いじゃない。他の人は楽しそうなのになんで自分だけ?って不満たらたらしたって良いじゃない。そんな自分が恥ずかしいって落ち込んだって良いじゃない。人間なんだもの。人間なんだから、そうなったって良いじゃない。

 

だって、それでも今何をしなければならないかを皆きちんとわかっているんだもの。そう。自分を守ることが人を命を守るのだって、あなたも君も皆わかっている。そのわかっているっていうことが一番大切。一番価値あること。誰かが言っていた。明けない夜はない、と。

 

そして私は言いたい。やがて陽は必ず昇る。 皆で一緒に陽が昇るのをしっかりと見よう。 きっと今までに一度も見たことがない、素晴らしい日の出だよ。その時、皆が皆、同じ最高の達成感をわかちあえる。これって凄い。そうじゃない? はい…皆頑張って!大丈夫だよ!」

 

 

榊原さんはとても穏やかな声で、Zガンダム最終回ラストシーンで使われたBGМが流れる中、このように話されました。自分の感想等は、ここには敢えて書かないでおきます。ただ、この榊原良子さんのメッセージがより多くの方に伝わってゆく事を切に望みます。

 

今回、この番組を聴けて本当に良かったです。放送をメールで教えてくれたり、ツイートで教えてくれたりした友人の皆さんに感謝します! また、書き起こしにご協力いただいた燕子花様に、改めて最大級の感謝と敬意をお伝え致します。

 

(了)


鉄と病原菌と田舎の暮らし 後編  (未完、連載中)

2020年05月05日 | 小説 (プレビュー版含む)

 

 

雑貨屋のおばちゃん…歩の母親でもあった人が息を引き取ってから二週間が過ぎた。

 

おばちゃんは感染症の発症から十日後、高熱で苦しんだ末に最後は極度の脱水と窒息に近い状態で亡くなった。もう私たちの村に医療従事者は一人も居ていなかったから、おばちゃんが肺炎や他の症状を起こしていたかどうかは、最後の時まで私たちには分からなかった。

 

もはやお葬式やお通夜を行う余裕は村にはなく、私たちは自作の防護服で全身を完全に覆い、おばちゃんを火葬した。その時にはもう不思議と悲しさはなく、どこか脱力感に似た感覚が私の心に漂っていた。

 

「雑貨屋を続けるなら、一人やったら厳しいやろ」

 

歩が、おばちゃんを見送り終わってしばらくしたある日、私の家に立ち寄って薄いコーヒーを飲みながら言った。

 

歩とは別に一緒に住んでる訳ではないが、おばちゃんの一件があってからは、頻繁に私の家に立ち寄ってあれやこれやと話をするようになった。歩の家は感染の危険があるので、今までと同じように続けて住むことは出来なくなっていたが、彼は持ち前の要領の良さで村の隅にある空き家をただ同然で借り上げ、さっさと一人暮らしを始めていた。

 

「一人じゃなくても厳しいわよ。私今まで接客業も流通業もやった事ないんだから」

 

話し相手がいるというのは、やはりありがたい事だった。世の中がこんな状況であれば余計のこと、どうしても独りでいると悲観的な考え方になってしまうから。

 

「そやからワイが手伝う言うとるやろ?」

 

「君が手伝うじゃなくて引き継ぐでしょ? 貴方のお母様のやってたお仕事なんだし」

 

「オカンが仕事引き継げ言うたんは、おーちゃんにやろ?」

 

「……そのおーちゃんっていうのやめて?小学生のあだ名とか」

 

若干険悪な空気になりつつも、私と歩はそれなりにうまくやっていた。幼なじみとも言えない只の小学生時代の同級生だが、疫病の蔓延するこの時代では、そんな些細な人との繋がりですら、互いに信頼を寄せる根拠になっている。

 

「でも、どのみち商売を再開するしか手はないわね」

 

私はおばちゃんの書いてくれたノートを広げ、もう何度目を通したか分からないその内容をまた読み返した。

 

疫病の蔓延により、電話や郵便などの通信インフラは日本では既に壊滅していた。インターネットがまだ使用できるのは有志によるサーバー管理が草の根状態で継続されているためで、ネットというものが国営でなかった事が結果的に幸いしたのだ。

 

電話が出来ないという事は、ネットを使った経験のないお年寄りや子供が社会から分断されるという事でもある。村で畑で野菜を作っているのは、そうしたネット使用経験のないお年寄りがほとんどだった。今まで、そうした人たちの情報源はおばちゃんとの世間話がほぼ全てだった。村の人たちの安否確認の意味においても、おばちゃんの商売の取引は有効に働いていたのだ。

 

「順番に廻ったら三日くらい?」

 

「急いだら二日。全力で丸一日やな」

 

私と同じくノートの内容を既に丸暗記している歩が答える。彼は本当にこうした部分で要領がいい。小学生時代も、テスト勉強をあっさり終わらせ自分だけさっさと遊びに行くような嫌な奴だったな、と私はもう何十年も前の事を思い返した。

 

「明日からお仕事スタートしますかね」

 

歩のコーヒーカップを引き受け、自分の分と並べて手早く流し台に置く。洗い物は後回しだ。

 

「ほな、明日の朝にまた来るわ」

 

歩がそう答え、ヘルメットを左手に持って椅子から立ち上がる。もうすっかりお馴染みになったやり取りだ。

 

「気をつけて。手袋は絶対外さないでね」

 

「手袋はバイク乗りの基本やがな。当たり前や」

 

感染症の危険がどこにあるのか分からない今となっては、どれだけ自分たちの肌を覆えるかが生死を分けると言ってもいい。マスクや手袋は、夏場であっても生活をしていく上での必須の衣服となっていた。

 

「じゃあ、おやすみなさい」

 

泊まっていけ、とは言わない。彼もまたそういった事は一度も言い出さない。暗黙の了解のような空気が私たちにはあった。

 

「ほな、さいなら。また明日な」

 

優しげな声で歩が言い、ヘルメットを被ってバイクのエンジンを点けた。バイクのテールランプの赤い光が灯り、その光は田舎道の闇の向こうへと、ゆっくりと流れていった。

 

(続きます)

 


小説 少年の孤独 あとがき付き

2020年04月29日 | 小説 (プレビュー版含む)

 

ショートショート小説 「少年の孤独」

その茶色の瞳の小柄な少年は、拗ねた表情を浮かべていた。

街角の公園で一人スケートボードを転がせ、ヘッドフォンでお気に入りのアニメソングを聴きながら、彼は孤独を持て余していた。

その街は、人同士の関心の薄い街だった。他人は他人と言わんばかりに大人たちは足早に通り過ぎ、子供たちは自分のテリトリー外の見知らぬ小さなものを、虐めるか無視するか、蔑もうとするばかりだった。

カッ、という音をたてて、スケートボートがアスファルトをこする。この公園は狭く、遊具も少ないが、スケボーを好きなだけ楽しめるところが数少ない利点ではあった。

「・・・吹きすさぶ・・・メロディが・・・思いだして・・・」

ヘッドフォンから音楽が漏れ出している。

自分の価値とはなんだろう。この遊びの意味はなんだろう。いつになればここから抜け出せるのだろう。

「カットバック! ドロップ!」

傾斜のついた壁を利用し、スケートボートを浮かせ、ジャンプを決める。彼がスマートフォンで観たスケボーの大技の再現だ。

「ターン!」

ズドン、と音をたて、彼は壁に叩きつけれるように落下し、尻もちをついた。

「・・・失敗」

膝小僧を擦りむいた少年は、特に動揺する様子もなく、ぱっと傷を手で払った。少しだけ、傷口が痛んだ。

あぁ、神様がいるならどんなに良かっただろう。ここから連れ出し、好きなだけ楽しい事を一緒に出来る仲間がいたらどんなに幸せだっただろう。

傷を見つめて、彼は一瞬、そう思った。身体の痛みではなく、心の痛みに、彼は少しだけ涙を流しそうになった。

「神様、かぁ」

半笑いの表情で空を見上げる。いつもと変わらない曇り空。

「神様、どうか僕に」

「友達を、ください」

一瞬だけ、空に虹が浮かんだ気がした。

ああ虹だ。と少年は思った。そして、背後に人の気配を感じて、振り向いた。

「迎えにきたよ、リンくん」

ずっと昔に出会ったことのある、自分より少し背の高い少女が、そこにいた。

大昔にこの公園で言葉を交わした記憶は確かにあるが、それはもうリンにとっては思い出で、本当の出来事だったかすら定かですらない。

でも、あの時、自分は確かに少女と約束を交わした。すっかり忘れていたけれど。そう、あの時も自分は神様に祈ったのだ。友達を下さいと。

「迎えにきたよ、リン君。さあ、次の世界に行こう」

少女は彼の手を取り、微笑んで頬にキスをした。

リンは小さく頷くと、片手にスケートボードを持ち、もう片方の手で少女の手を、強く、強く握った。

空には虹がかかり、公園の出口には、淡い光がまるで扉のように満ち溢れていた。

 

(あとがき)

 

こちらでは岡本イチです。さて、あとがきとして、このショートショート小説の解説をしていきたいと思います。

この作品に登場する少年リン君は、見出し画像としてアップしたイラストレーターの見崎晴さんのキャラクターデザインに着想を得ています。

自分の中では、リンは10代前半の少年で背は周りの同級生より低いです。髪はイラストの通り。下の服はデニムジーンズ、靴はスニーカーですね。

こうした描写はショートショートのお話では必要ないと思い、あえて省きました。あと、声は声変わり前です。ここは譲れません(笑)

次に、後半で登場する少女ですが、この子は実は深い由来がありまして・・・

実はこの少女は、このブログのトップページに登場する少女フィア本人です。 https://blog.goo.ne.jp/gois6

フィアというキャラクターは、私が約八年前に、初めてイラストを付けてもらったキャラでした。その時の絵師さんとはもう連絡が取れない状況です。

作者の頭の中では、フィアはこの八年間、ネットの情報の海の中をさ迷っていました。いわゆる、ネット空間の漂流というやつです。

何故、彼女がそんな目に合う事になったのかは、私の作品のひとつである 「窓の中、蒼い世界」

https://blog.goo.ne.jp/gois6/e/c95f5326f6b4d0e108777a08fa3c5ccd

のストーリーと繋がりがあります。ざっくり言うと、フィアは小説作中のネットゲームのキャラクターとして生まれた子でした。

作者である私の中で、リン(のイラスト)はフィアと同じようにネット空間に閉じ込められていました。公園は、その閉じたネット空間です。

フィアはかつて、リンと過去に一度だけ、ネット空間で偶然出会っています。その時のお話はとりあえずおいておきますが、リン少年だけでなく

フィアにとっても、その出会いはとても貴重なものでした。

フィアはネット空間をさ迷い続けるうちに、半ばデータ上の天使となっており、現在では閉じたネット空間を開けるための鍵(パスワード)を知る力を獲得しています。これは「窓の中、蒼い世界」では「魔法」と呼ばれた力であり、師匠から学んだことの一つでもあります。

小説のラストの光は、広大なネットの世界であり、そこには新たな出会いが広がっています。レンだけでなく、フィアの物語も、また動き出しています。

ちなみにフィアの外見は、「窓の中、蒼い世界」の時とほぼ変わらず、年齢も同じです。彼女が天使である所以ですね!

という訳であとがきでした。今回のコラボレーションはとっても楽しいので、またこうした内容を展開すると思います!

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小説 すこし不思議ものがたり 『まるで夢のような時間』 その1

2020年04月29日 | 小説 (プレビュー版含む)

繁華街の片隅で、小さな青い「貴方の夢を叶えます」と書いた看板を見たとき、私は無意識にその看板の横にある小さな店の扉をノックしていた。

休日出勤の連続で疲れ果てて判断力が落ちていたのと、二か月前の失恋から未だに立ち直れていなかった事もあり、今の私はどうしようもないくらい「夢」という言葉に弱かった。

(叶えられるもんなら叶えてよ今すぐに夢全部さぁ)

ヤケ気味にそう思いながら、私は店の扉をガンダンとグーで叩き続けた。

しばらくして入り口から出てきたのは、上品そうな黒い服を着た女性だった。

受付の担当者が自分と同じ年頃の女性だった事で、私は少し安心した。そして

「あの、このお店はどんな事をするお店なんですか?」

と遠慮がちに尋ねてみた。もしこの店が何かいかがわしいような事をするお店だったら、すぐにでも立ち去るつもりだった。

「ご説明いたしますね。千円で十分間、あなたに素敵な夢をご提供します。ただし、叶える夢は、あなたの『過去』か『未来』に『経験した』ことのある『まるで夢のような時間』限定です」

私には、受付の女性が何を話しているのか、ほとんど理解できなかった。

「もちろん、あやしい催眠術や霊感商法ではないのでご安心を。リアルな3D映画のようなものとお考え下さい。ただし、上映できるのはあなたの頭と心の中だけ、ということで」

どう考えても怪しい説明にもかかわらず、私は、その店の受付カウンターから離れる事がどうしても出来なかった。そして、気がつくと財布の中にある5千円札を取り出し

「これで、五十分間、素敵な夢を見させてください」

そう呟いていた。受付の女性はやさしく微笑んで

「途中でキャンセル等できませんが、初回五十分コースでよろしいですか? それと、夢の内容はお客様自身では選べませんのでご了承下さい」

と私に確認してきた。

「かまいません。お願いします」

私は五千円札を受付カウンターに置き、そう答えた。

「では、こちらに」

女性の声に導かれて、私は店の奥へと進んで行った。店の通路は暗くて狭く、どこまでも続いているようだった。

その奥には、柔らかそうなソファーと、テレビ番組やネットで時々見かけるVRゴーグルがあった。なんだ、ただのVR体験型ゲームか…とがっかりしながらも、私はどこか安心して、

「このVRで素敵な映像が見れるとか、そういう感じですか?」

と店員に尋ねた。

「素敵な映像とは少し違いますね。お客様の脳内の記憶中枢にごくわずかな刺激を与え、記憶を映像化するシステムです」

「なるほど」

まったく理解は出来ないが、ともかくも試してみる事にする。

「ソファーに座って、ゴーグルをしっかりとつけて下さい。装着が完了した時点で、自動的に開始となります」

私はゴーグルを装着しソファに深々と身を沈めた。

ゴーグル内の視野は広く、その内側にはデジタルな模様がゆっくりと形を変えながら動いていた。

(まるで万華鏡みたいだな)

と子供のように思っていると、次第にその模様が形を変えて、何かの風景を具現化させていった。

 

 

 

「・・・ゆき、どうしたの? ゆき?」

耳元で聞き覚えのある声が聴こえる。ああ、この声は

「ゆき、今日は早起きだな。いつもと大違いだ」

今度は、少し聞きなれない声

「しょうがないわよ。今日はゆきの大事なお誕生日ですもの」

そうか、この声は若い頃の母の声だ。今よりずっと明るい声。

「ん? そうか。俺、夜勤明けで日にちの感覚が…」

こっちはずっと前に亡くなった父の声。そうか、確かこんな声してたっけ。

「もぉ、ゆきのおたんじょうび、わすれないでよ!」

記憶の中の幼い無邪気な5歳の私が言う。

「すまんすまん。でもプレゼントはもう買ってあるからな!」

父が申し訳なさそうに言う。

「でも朝からケーキっていうのもねぇ」

母が、私と父の顔を交互に見て困ったように言う。

「お父さんは全然困らないけど、ゆきはどうだ?」

屈み込んだ父は、私の頭を撫でてこう言った。

「ゆき、あさからケーキたべる!!」

母がやれやれという表情をして、私に問いかける。

「じゃあプレゼントはどうするの?」

「プレゼントもあさもらう!」

元気いっぱいに答えた私を、父も母も優し気に見つめている。

父は、いつの間に持ってきたのか、手に小さな包みを持ち

「本当は夜に渡すつもりだったんだけどな」

と照れくさそうに言った。

「いまあけていい?」

私がそう言うと父と母は満面の笑みで

「もちろん! ゆき、お誕生日、おめでとう」

と言って、そして父は小さな包みを私に手渡して。

 

 

そして私の視界は、ゆっくりと真っ黒になっていった。

 

 

一時間後、店を出た私は、繁華街の路上で声を上げて泣いていた。足早に通り過ぎる忙しそうな街の人達の目も気にせず、ただひたすら、ずっと涙を流し続けていた。私の手には小さなUSBメモリが握られていた。

店内で映像が終わった時、店員さんはVRゴーグルを外した私に

「初回サービスとしてご利用された記録をUSBメモリに保管できます。必要でしたらお手続きしますが」

と無表情に言った。

私はぐちゃぐちゃになった自分の顔を隠す事もなく、お願いしますとだけ答えてメモリを貰って店を出た。

幸せな記憶。大切な記憶。私にはそれがある。ずっと記憶の底に放置したまま忘れていた事であっても、それは生きている限り、私の中に残っていた。

化粧がすっかりおちた酷い顔で家に帰った私は、あの店で店員さんが言っていた言葉をふと思い出した。

 

「ただし、叶える夢は、あなたの『過去』か『未来』に『経験した』ことのある『まるで夢のような時間』限定です」

 

未来? 私はようやくその言葉の意味に気付き、心から思った。あの時、未来の記憶が再生されなくて本当に良かった、と。

今はまだ分からないけど、私の未来には確かに、あの頃と同じような「まるで夢のような時間」が存在している。それは確かなのだ。私は部屋の洗面台で顔を洗い、鏡の中の自分にこう言った。

「色々あったけど、生まれてきて、生きてきて、よかったよね。ゆき。きっとこれからも」

鏡の前で、幼い頃の面影が少しだけ残っている私が、あの頃より大人びた顔でにっこりと笑っていた。

(了)


エッセイ 令和二年 四月二十八日現在の状況

2020年04月28日 | コラム・論評

前にも少し書いたのだが、自分はこのブログに関しては、客席に誰も居ない劇場で大声で叫ぶ喜劇役者の演技のようなものだと思っている。

もしくは、辻説法を行う得体の知れない虚無僧といった所か。人の居ないサーカス小屋で踊るピエロか。なんでもいい。

とにかく、すきな事をすきなようにやらせてもらうし、それを変える気もない。

 

さて、少し前に世界におけるコロナウイルスの蔓延状況の経過を時系列で書いたと思うが、それから数日が経過した。

テレビ等の報道では、東京都で新規感染者が大幅減少との報告が報じられ、GW前に若干の楽観論が報じられる傾向も見られるように思う。

 

本当にそれでいいのか? ほんの数日前まで散々と視聴者の不安を煽り、少しのデータだけでまったく逆の楽観論を提示する。

 

こんな事を続ければ、多くの人の精神が不安定になって当たり前だ。そしてその一方で、求人倍率が一気に1・3倍まで減少したとの報道もある。

2月までの求人倍率もデータ上の見せかけの多さではあったが、それでも2倍前後を推移していた。もはや、とりつくろう事も出来ないという事だ。

 

個人的な見解を述べる。報道は淡々と数字とデータ、諸外国の状況を伝えるだけでいい。あとは再放送等、娯楽の提供を優先するべきだ。

ステイホームを提唱しながら、家でうんざりするコロナ関連のワイドショー番組を見続ける事を強いられる身にもなって欲しい(自分の親がそうだ)。

 

そして、あくまで冷静に、この未知のウイルスに市井の人々が冷静に対応できるよう、官民が一体となって、せめて今この時だけでも自らの利益を捨てて行動して欲しい。その事が、後々のもっと大きな利益にも繋がるのだ。それくらいの先の見通しは持って欲しい。

 

官民という部分で、またひとつ個人的な話をする。自分には持病があり、月1回の通院を電車で行っているのだが、病院に問い合わせたところ「原則として電話診療は行っていない」との返答があった。自分が高齢の両親と同居していること、移動に電車を使う事を説明したうえで、それでも無理なのかと強く主張したところ「検討する」との返答があった。これだけ政府がステイホームを主張する中で、医療の現場がこれである。頭おかしいんじゃないの?

 

ここまで官民の足並みがバラバラな状態で、庶民はそれでも、よく自らを律していると思う。ほとんどの人はコンビニやスーパーでもきっちりと離れて列を作るし、先の日曜日の新幹線の乗車率は10%以下だ。でも、これは上の位置にいる官僚や富裕層の働きではない。確かに呼び掛けたのは上の人間であるが、庶民が日本という国の村社会でお互いを(もう相当前にそんな文化は消えつつあったが)慮った結果だ。ゆずりあいの心である。

 

日本という国にはかつて「お互いさま」という考え方、文化があった。この文化は令和になって消えかけていたが、今回の疫病蔓延によってそれがどう変わり、広がるのかは注視していきたいと思う。