きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

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2073年11月18日 | 小説 (プレビュー版含む)

インターネット辺境の地、当ブログまで、ようこそおいで下さいました。当ブログでは、私、岡本光(おかもとこう)の書いた、いくつかの短編小説およびショートショート小説を掲載しております。


☆おかげさまで、当ブログは2020年4月現在で閲覧数70,000PV、訪問者数45,000IPを記録致しました。また諸事情により本文以外のコメント等は全て公開停止しております。


岡本は現在、執筆活動をほんの少しづつ再開しております。色々と思うところもあって、新たな小説も書き出していますが更新はものすごく不定期です。また、過去の作品に手を入れてアップし直すという作業もごくたまに行っているので、過去作が現在に近い日付に再更新されてアップされている場合もあります。

いつか素敵な長編小説を書けるよう、頑張ります。過去作を読んでいただけると、とても嬉しいです!


※当ブログのイラストを御寄稿下さったのは、絵師の熊岡さんです。イラストの著作権等は熊岡さんに帰属します。 


短編小説 『ハード・ボイルド(仮)EP1 身辺調査』

2023年11月29日 | 小説 (プレビュー版含む)

私の髪の色と同じくどこか色褪せた印象の居酒屋のカウンター席で、彼はひとり日本酒を片手に煮魚を箸でつついていた。

「久しぶりだな。二十年ぶりくらいか?」

「声を聞くのは十九年ぶりだな。顔を合わせるのは二十一年と二カ月ぶりだ」

ほとんど老いを感じさせない声で、伊庭哲は私にそう答えた。細かな事にこだわる性格は大学時代から変わっていない。

「伊庭の会社も軌道に乗ったようでなによりだ。社長業は大変そうだが若い頃からの夢を叶えられたんだ。大願成就で充実の日々、といった所か」

多少の皮肉を込めた声と表情で私は伊庭にそう告げ、彼の隣の席に腰を下ろした。

「そうは言うがな。夢も叶えてみると味気ないものだよ。人材派遣業界の風雲児、遅咲きの新星ともてはやされていても、やっていることは金策と顔繋ぎばかりさ」

「従業員数約七十人。大手人材派遣会社とのパイプも太く、取引件数も年々うなぎ登り。味気ないというには少々派手過ぎる活躍だと思うがな」

私は女店主にノンアルコールビールと揚げ物を注文しつつ伊庭の横顔を眺めた。彼の横顔は昔通りだ。四十代前半になってもエネルギッシュな雰囲気は大学生時代と変わらない。いや、むしろ精力を増したというべきか。

「やけに詳しいな。そういえばお前は今はどこで働いてるんだ? かなり前に地方新聞社の契約記者を辞めたとは人づてに聞いていたが」

伊庭が私に顔を向けそう問いかける。

「ああ、今は大坂の大須で探偵事務所を開いている。私立探偵だ」

ノンアルビールおまち、の女店主の声とともにテーブルに差し出された瓶を手にとりグラスに中身を注ぎ味わう。悪くない苦さだ。

「探偵!? お前が?」

「色々と縁があってな。これでも評判は悪くない」

私の返事に伊庭は苦虫をかみつぶしたような顔でああ、そうかと呟く。

「それでその探偵さんがわざわざ東京までなんの用事だ? まさか大学以来の親友と旧知の仲を温めに来ただけという訳ではないだろう?」

「それなんだがな、単刀直入に言う。お前はこの娘の事を知っているか?」

スーツの上着から1枚の写真を取り出す。制服姿の女子高校生徒の写真だ。

「なぜ俺にその質問を?」

伊庭は眉ひとつ動かさず私に視線を向け問いかける。写真を見たのは数秒といったところか。

「質問に答えたところでお前に何の利益もないことは分かっている。だが、これは俺の親切心だ。旧知の仲だからこそ、わざわざ伊庭を訪ねてきた」

「探偵らしいものの言い方だな。いや、お前らしいと言うべきか」

伊庭は日本酒を一口あおり、ふっと息をついた。

「あらかたの調査はもう終わっているんだ。お前が俺の問いにどう答えようがその調査結果に変わりはない。だがな」

私はゆっくりとした口調でそう続けた。伊庭は決して頭の悪い男ではない。私の質問の意図はもう充分に理解したはずだ。

「……私が失うものの大きさを考えての事なんだろう?」

狭い居酒屋の店内は他に客もなく、女店主は黙々と青魚をさばいている。この店での待ち合わせを指定してきたという事は、伊庭にとって、この店が最も秘密を守れる会合の場なのだろう。

「分かっているなら話は早い。この少女の事を、お前は知っているか?」

伊庭の眼を射抜くように見つめ、私は再度そう問いかけた。この男にはこれ以上、嘘はつけない。私はそう確信していた。

「……知っているさ。いや、本当の彼女の事は何も知らないがな」

遠くを見つめるように視線を泳がせ、伊庭は表情を変えた。懐かしむような、悔いるような、それでいてどこか残酷さを感じさせるような、昔のまま変わらぬ笑顔。この男はやはり変わってはいない。

「伊庭、お前は昔から脇が甘すぎる」

鳥の唐揚げがカウンターに無言で置かれ、揚げたての衣の香ばしい香りが私の鼻腔をくすぐる。

「で、お前はどうやって俺の情報を洗い出した? ハッキングか何かか?」

伊庭は大学時代とまるで変わらぬそっけない口調で言った。言葉も声も落ち着いているが、細い目だけが動揺をかすかに表している。

「未成年者の保護者は被保護者の全ての通話記録の開示を通信会社に要求できる権利がある。非通知発信だろうが基地局のエリアを変えようが、その気になれば通話データは丸見えだ。飛ばしの無名義スマホでも使うか、公衆電話からの発信のみに限定でもしない限り、連絡を取った相手は全て分かる」

「…確かに俺は脇が甘いな。だが、そこまでの事か?たかが…」

「たかが? お前は子供を持つ親の気持ちを甘く見過ぎている。受験を控えた娘の様子がおかしいというだけで探偵事務所の扉を叩くような親も世の中にはいるという事だ」

「それで、一体何が望みだ? 慰謝料か? それとも謝罪文の二、三枚でも書くのか?」

吐き捨てるように伊庭が言う。

「やはりお前は娘を持つ親の気持ちを甘く見過ぎている。条件はそんな事じゃあない」

私の胸ポケットの中の超小型レコーダーのスイッチは入ったままだ。

「依頼人はただ、伊庭社長に対して、今後自分の娘と一切接触を断つと約束させてくれと。そしてその約束を反故にした時は」

「言うな。分かるよ。俺だって自分のしたことは分かっている」

伊庭の胸中には妻や会社の従業員たちの姿が浮かんでいるのか、それともこれまでに築き上げた地位と名誉が浮かんでいるのか。いずれにせよ、この写真の少女に対する想いではないのだろう。

「その条件を守ると約束できるというのならば、俺はここで引き上げる。一筆書いてもらう必要もない。ただし」

私は一枚の振込用紙を取り出し、カウンターの上に置いた。

「この金額を名古屋の地銀のこの口座に振り込んでくれ。お前の立場なら決して出せない金額ではないはずだ」

「……親友を強請るのか? お前は!!」

「正確には元親友だな。それと、マナさんの子供は先月無事生まれたよ。元気な男の子だそうだ。つまり生む選択を彼女はしたという事だ」

絶句し目を伏せた伊庭に私は

「悪いな伊庭社長。探偵事務所の維持費も馬鹿にならないんだ。もし必要なら領収書を後日に会社宛に郵送させていただくよ」

と告げ、グラスに残ったわずかなノンアルコールビールを飲み干してから席を立った。

「……最低な職業だな、探偵ってやつは」

伊庭が呻くように私に向かって呟いた。

「俺もそう思うよ。じゃあな社長」

私はそう応えると、かつての親友、伊庭をカウンター席に残したまま、東京の路地裏の奥、古ぼけた狭い居酒屋の暖簾をくぐった。月だけが私の背中を照らしていた。

(了)


短編小説 『流星の尻尾』 

2022年05月23日 | 小説 (プレビュー版含む)

『流星の尻尾』

 

私がまだ子をもつ親になる前、ずっと昔の事だ。

 

母が幼い茶色の柴犬をパート先の知人から貰ってきた。

 

その子犬は見た目は柴犬だけど本当は雑種で、ずっと引き取り手の現れないのを見かねた母が我が家に連れて帰ったのだ。

 

母はその犬にチロさんという名前をつけ、せっせと世話をやき、時間を作っては予防注射の申し込み方法や健康的な食事のあげかたなどを調べたりしていた。

 

私は一人っ子で、その時はまだ中学生になったばかりだった。ある日、突然我が家にやってきたその子犬に最初は少し嫉妬をしたのを私は今でも覚えている。なんで母は私にではなくてそんな犬にばかり構うんだ。私の悩みごとの話なんてろくに聞いてもくれないのに、と。

 

今にして思えば、母は当時反抗期真っ只中だった私と厳格で家庭を顧みない夫との間で板挟みになり、ペットを飼って少しでも自分の気持ちや立場を楽にしたかったように思っていたのだと思う。元々責任感は人一倍強い人だったから、犬を飼う以上はしっかりと準備を整えておこうという気持ちもあったのだろう。決して私をないがしろにしていた訳ではないことは、自分自身が大人になってからやっと分かった事だ。

 

ともかく、そうしてチロさんは私たち家族の一員となり、毎日家の誰かが彼女(チロさんはメスだった)を散歩に連れてゆき、そしてリビングでじゃれて遊んだりするようになった。当時の我が家はかなり険悪な雰囲気でギスギスとしていたがチロさんが尻尾を振ってまとわりついてくる時だけは父も母も私も笑顔だったように思う。古紙回収や焼き芋屋さんの車が家の近所に来るたびにチロさんが大きな遠吠えの声を上げるのには、困ったなという顔をみんなしていたけれど。

 

 

そうしていくらかの時間が経ち、元来がずぼらな性格の私はだんだんとチロさんの散歩を母に任せがちになっていった。父は仕事が休みの日には必ずチロさんと散歩に行っていたから、もしかしたらそれまでにチロさんと散歩に行った回数は私が一番少なかったかもしれない。

 

「日曜日の昼間にゴロゴロしてるんだったら、あんた、たまには運動がてらにチロさんと散歩に行って来たら? 」

 

我が家ではチロさんは敬意と愛情を込めて「さん付け」で呼ばれていた。

 

「えー、めんどくさい。トイレの世話とかあるし」

 

「それくらいはやりなさい。ほら、これ持って」

 

母はさっさと行けと言わんばかりに、お散歩用のひもとビニール袋とスコップを私の手に強引に押し付けた。私はしぶしぶ立ち上がると、よっこらせと言いながらチロさんが待つ玄関へと向かった。

 

玄関では、チロさんが黒茶色のきれいな尻尾を振り、くるくるとその場を廻りながら私のことを待っていた。普段そんなに世話をしてないのにいつも私の事を期待に満ちた目で見つめてくる可愛い奴なのだ。

 

「よし。行くよ、チロさん。今日はちょっと遠出をしよう!」

 

まるで冒険に出るように、私はチロさんにそう声をかけ、散歩ひもを首輪に付けると、玄関の扉を開けた。

 

チロさんはまるでバレーボールが弾むみたいな勢いで玄関を飛び出し、散歩ひもを握る私の手をグイグイと引っ張りながら前へ前へと進んでいった。

 

行き先はチロさんにおまかせだが、冒険をしたいという私の意図は伝わっているらしく、彼女はご近所のお散歩周回コースを外れた道を堂々とした足取りで進んでいく。

 

「こっちは確か裏山に入る道だよね?」

 

返事のかわりに散歩ひもがグイッっと引っ張られ、チロさんの進むペースがひときわ速くなった。

 

「水筒とか持ってくればよかった。自販機どこかにないかな」

 

そうやって30分は歩いただろうか。私は息をきらしつつ、周囲を見渡した。自販機どころか民家すらまばらである。このあたりには今まで一度も来たことがなかったなと思いつつ、手に握った散歩ひもに身体を引かれるように前へと進んでいく。

 

「アンッ!」

 

吠えるというには少々可愛すぎる声でチロさんが私を促す。目を上にやると、木々の間に小さな小道があった。

 

「えっと、ここに入れってことでしょうか?」

 

思わず敬語でチロさんにそう尋ねる。明らかに私が今まで一度も入った事のない、付け加えると今後も入ってみたいとは思わないであろう薄暗い山道である。幸い今は真昼間だが、もし夕方の日暮れ時だったら絶対に回れ右して帰っていたところだ。

 

「アンアン!!」

 

当然行きますよという調子でチロさんが鳴き声をあげる。

 

「しょうがないにゃあ」

 

この時間ならまだまだ暗くなることもないし、今日はお天気も快晴。そう心配することもないだろうと私はチロさんと一緒に山道に足を進めた。

 

道は進むごとにどんどん狭くなり山道というよりはケモノ道と言ったほうがいいありさまだ。チロさんは普段こんなところにまで散歩に来ているのだろうか。それになんだが視界も心なし悪いような。

 

おっかなびっくり足を前に出しもう何百メートル進んだのだろうか。チロさんはためらう事なく狭い道をグイグイと上へ上へと進んでいく。

 

「チロさん、さすがにこれはそろそろ引き返したほうが……」

 

そう言いかけたその時、ふいに私の視界がばっとひらいた。山道を抜け足を踏み出したその先には、緑の絨毯を一面に敷きつめたようなだだっ広い大草原が広がっていた。

 

「こんな場所あったんだ!?」

 

「キュン!!」

 

チロさんは嬉しそうに声を上げると全力で草原を走り出した。私はバランスを崩して豪快に草むらに転げた。

 

「あれ? 全然痛くないや」

 

緑の草のカーペットは柔らかく、倒れこむのが心地良いくらいだった。陽の光に照らされて、きらきらと地面が輝く。

 

「ワンワン!!」

 

チロさんはご機嫌でさんぽひもを地面に引きずりながら忙しく駆け回っている。元々首輪を抜けてひとりでこっそり散歩ができるくらい賢い子だ。ここならひもを外して好きに遊ばせても大丈夫だろう。そう思い、私はチロさんの身体からさんぽひもを取り外し

 

「好きなだけ運動してもいいよ! いっぱい遊んだら帰ろう!」

 

と声をかけた。チロさんは私の声に反応して顔の眉毛をクイッと上に動かし、尻尾をパタパタと元気に動かした。

 

大きな草原を駆け回るチロさんの姿は本当にきれいで、緑のキャンバスを走る金色の流星のようだった。美しく広いその場所には他に誰もいなくて、私とチロさんだけがその風景をふたりじめしていた。風はやさしくて太陽は暖かかった。私とチロさんと二人でずっとずっとここに居ていたいと思えるようなそんな場所だった。

 

その日から、チロさんとの散歩はわたしの日課になった。お天気やわたしの体調によって行き先は変わったが、わたしたちは親友のように色々な話をしながら散歩をした。緑色の草原は季節によって色を変え、でもどの季節も素敵なままで私達を迎えてくれた。

 

やがて私は高校生になり、そしてその三年後に都会の大学に合格した。遠い街への引っ越しが決まりバタバタと一人暮らしの準備をし、両親とチロさんに見送られ、大きな荷物を肩に背負い、私は生まれた街を初めて離れ一人暮らしを始めた。チロさんは状況をわかっているのかいないのか、尻尾をぶんぶんと振り回し私の出発を見送ってくれた。

 

 それから数年後、私は大学を中退し保険会社の営業として働くシングルペアレントになった。どうしてそうなったのかとかいう言い訳は書かないが、結果として私は娘を一人で育て、彼女を保育園に預けながら忙しく働き、懸命に毎日仕事と子育てをしていた。両親は娘と一度も会おうとせず、私も両親に娘を会わせようとはしなかった。たまに電話で母とだけは連絡を取っていたが、両親は何一つ事情を説明せずに勝手に大学を中退しそのまま一人きりで働く事を独断で決めた私のことをずっと許してはいないようだった。

 

 そうして娘が三歳半になったころ、母親から私たちのアパートに手紙が届いた。インクジェットプリンターで手作りされた絵葉書にはチロさんの写真と短い文面があり「元気にしていますか。チロもすっかりおばあさんです。先日、動物病院でもうそろそろ長くはないだろうと獣医の先生が仰られていました。どうか様子を見に来てあげてください」と書かれていた。

 

 私はチロさんのことを忘れていたわけではなかった。ただ私にとって都会の街での暮らしはあまりにも目まぐるしく、そして次々と身の回りで起こり続ける出来事に毎日翻弄され過ぎていた。チロさんと一緒に散歩をしていた14才の私の穏やかな日々はまるで遠い夢のようで、それが自分の現実だったとは思えないほどに私は疲れた大人になってしまっていた。

 

 母からの手紙が来てから数週間後、年末年始の長期休暇を利用し、私は小さな娘の手を引いて新幹線に乗り、初めての里帰りをした。実家は玄関も屋根の色も庭の飾りも全部、17才の春の旅立ちの日の時と変わらずにそのままで私と娘を迎えてくれた。

 

 実家のドアを開けると玄関の奥で、チロさんが毛布の上に小さくうずくまり眠るように息をしていた。私と娘を見て、チロさんはゆらりと尻尾を動かす。もう立ち上がる元気はほとんど残っていない様子だ。それでも、私たちの姿を見ると、よろよろと立ち上がり、ゆっくりと尻尾を上げて近寄ってきてくれた。私はチロさんを両手で抱き抱えた。

 

「ごめんね。ごめんねチロさん。ずっと会えなくてごめんね。歳をとって苦しい時に傍にいてあげられなくてごめんね。お散歩ずっと行ってあげられなくてごめんね。一緒に病院に行けなくてごめんね」

 

私はチロさんの身体をそっと抱き締めて、静かに涙を流した。チロさんは安心したかのように手足の力を抜き、尻尾を下ろして私に抱かれるままになっていた。彼女の身体からは、懐かしい暖かいおひさまの匂いがした。

 

娘はそんな私とチロさんを不思議そうに見て

 

「おおきなわんわん、かわいいね。さわってもいい?」

 

と、おそるおそるチロさんのしっぽに触れていた。

 

母親はそんな私たちに「今日はもう遅いから二人でお風呂に入って、早くお布団で寝なさいな」と言った。父は難しい顔をしたまま「よく帰ってきたな。遠いし疲れただろう」とぼそっと告げ、私と娘とチロさんの顔を交互に見るようにして屈み込んでいた。父はすっかり老け込み、なんだか一回り身体も小さくなったように見えた。

 

一度も聞いた事もないような両親の柔らかい声に戸惑いを感じながら、私はチロさんを玄関に敷かれたシーツの上に戻し、娘とお風呂に入る準備をした。それからすぐにチロさんは目を閉じて、くてっと身体を倒すと、すうすうとシーツの上で寝息を立てていた。

 

■■■

 

それから数日後、チロさんは静かに息を引き取った。

 

その何日かあと、私と娘は山道を抜けたあの草原を歩いて訪ねてみた。草原は整地され、緑はすっかり無くなって小ぎれいでありふれた児童公園になっていた。

 

「おかあさん、チロさんはどこに行ったの?」 

 

娘が公園のベンチに座りながらあどけない声で私にたずねた。

 

「うーん。どこだろうね?」

 

天国に行ったのだと言うのは、わたしにとっては何か違う気がした。

 

そのまま黙って娘と一緒に夕暮れの空を見上げていた私は、そこに一すじの流星を見つけた。生まれて初めて、私は本物の流星を見た。

 

その流星は光る尾を描いて輝きながら遠くの街に流れ落ちていった。あの日の緑色の草原を駆け回るチロさんの尻尾みたいに、きらきらと輝きながら。

 

私は娘の顔を覗き込み

 

「そうだ! きっとチロさんはお空にいったんだよ。お空からずっと見ててくれてるよ!」

 

と笑顔で言った。

 

娘は少し不思議そうな顔で、「お空? そっか」とだけ返事をした。

 

この子にとってはチロさんも私の父も母も、初めて会った知らない誰か。母親である私の複雑な気持ちの流れに戸惑うのも無理もない。それに、この子はまだ三歳。大切な何かを失う悲しさや、死の意味さえもぼんやりとしか分かっていない。今はまだそれでいいのだと私は思った。ゆっくりと、すべてはこれからだ。

 

でも私は、いつか君に読んでもらえるように、チロさんの物語を書こう。嬉しかったことも、悲しかったことも、切なかったことも、なるべく君に伝えられるように。そう考えながら、私は整地された広い公園の上に広がる大きな空を胸を張って見上げた。

 

そして、チロさんが緑色の草原を跳ね回る姿を、流星みたいに綺麗なしっぽを上向きに立てて14歳の私の目の前を駆け抜ける姿を、いつか文章にして君に伝えよう。私がどれだけチロさんを好きだったか、二人がどれだけ仲良しだったか、君にも分かるように。

 

私は夜空に流れて消えていった流星に向かって「チロさんがお空の草原で幸せに暮らせていますように」と小さく声に出して願った。

 

そして、しばらくしてから、「そろそろお家に帰ろうね」と、娘の小さな右手を撫でて言った。

 

娘は子供の頃の私とよく似た声で「うん!」と大きな声で返事をして私の手を強くぎゅっと握った。

 

空には流星がまたひとつ流れて、その向こうには私たちを見守るように星々が輝いていた。

 

(了)

 

 


艦これ2次創作短編小説 『狭霧と僕と朝の光と』

2021年12月06日 | 小説 (プレビュー版含む)

 

「静かな海ですね。こんな日がずっと続くといいのに」

朝の陽射しが輝く鎮守府指令部前の海辺を歩きながら、狭霧は僕にそう言って静かに微笑んだ。

今日、リンガ鎮守府提督である僕が限られた朝の時間をやりくりして狭霧と散歩に出かけたのは、気楽な息抜きのひととき、という訳ではない。ここしばらく様子のおかしかった狭霧を他の艦娘の皆が心配していて、彼女にそれとなく具合を聞いてくるようにと、大淀さんが特別に取り計らってくれたのだ。

「ここのところ本国からの指示は哨戒任務ばかりだからね。もしかしてもう終戦が近いのかも…なんてね」

鎮守府最高司令官とはいえ、所詮は僕は中央から派遣されただけの身だ。全体の戦況の真実など知りようもない。でも、艦娘たちの戦いは決して無駄ではなく、戦いはいつかは終わるはずだと、そう信じるほかはない。

「終戦…素敵な響きですね」

僕と狭霧は同世代だ。もし戦争がなかったら、いまごろ僕たちは机を並べて中学校で授業を受けていたのかもしれないな。

そんな冗談を言おうとして、僕は慌てて口をつぐんだ。「もし戦争がなかったら」なんて、艦娘である彼女たちには到底言えた事じゃない。生まれた時から戦場に出る事を宿命付けられていた彼女たち。そして、そんな彼女達に出撃を命じている司令官。僕にはそんなことを言う資格はない。

「狭霧ちゃん、あのさ…」

少しの沈黙のあと、僕はためらいがちに口を開いた。

「はい、提督。分かってます。みんな心配してるんですよね?」

僕が何かを尋ねるまでもなく、狭霧は僕の目をみてそう答えた。

「何かあるんなら言ってくれたら…僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど。他の誰かにだっていい。なんだっていいから話してみてよ」

少しの沈黙と戸惑いのあと、狭霧は小さく呟いた。

「…提督。私、艦娘を引退しようと思うんです」

「狭霧ちゃん…引退って…そもそも君たちは…そんなこと出来るはずが…」

艦娘が鎮守府から去る方法は2つしかない。撃沈か、解体か。その2つだけだ。つまり狭霧は…

「私は、なんのために艦娘として生まれたんだろう。なんのためにずっと戦ってるんだろう。最近そう考えるようになってしまったんです。こんなの艦娘失格ですよね。だからもう、私…この鎮守府に居ても…」

寂しそうに狭霧が水面を見つめる。僕は振り絞るように彼女に言い返した。

「なんのためって、平和を勝ち取るための戦いだよ! 砂霧ちゃん、諦めちゃだめだ!!」

「じゃあ一体どうしたら平和になるんですか? 深海棲艦はずっと無限に沸いて出てくるのに」

「………」

狭霧ちゃんの悲痛な問いかけに、僕は何も言い返す事が出来なかった。

「提督、今まで一体何人の艦娘がこの鎮守府で…解体…されたか覚えていますか?」

そうだ。僕は数えきれない程の艦娘に対し、解体の指示を与えてきた。他には選択肢はないという言い訳を心の奥で思い浮かべながら、感情を押し殺して。

「でも、君を、狭霧ちゃんを解体するなんて…僕は、嫌だ」

「じゃあ誰ならいいんですか? 新規建造艦ならいくら解体しても平気なんですか?」

「そういう事じゃないんだよ! 狭霧ちゃん、僕は」

たった一機の艦娘に対して、僕はこんなにも感情を乱している。提督失格だ。僕は。

「提督、次の大規模作戦が展開されたら、私を最終海域に投入してください。ただ解体されるよりは、最後に鎮守府の皆さんのお役にたって立派に死にたいと思います」

狭霧ちゃんの白い髪が暖かい日差しを受けて輝く。もしも全ての戦いが終わったら…その時は…彼女たちは普通の女の子として生きられるのだろうか。

「次の大規模作戦の最終海域…それまでは君を引退はさせない。その条件でなら僕は…了承するよ」

やっとの思いで僕はそう告げた。時間稼ぎにしかならないかもしれないけど、次の大規模作戦の開始までになんとか説得する余地はあるはずだ。

「…ありがとうございます」

寂しげな、そして儚げな微笑みを浮かべて、砂霧ちゃんは僕の言葉に頷いた。

「………」

僕たちはしばらくの間、ただ何も言わず静かな海を眺めながら佇んでいた。

「そろそろ室内に戻ろうか?」

そうやって二人で海辺の暖かな陽射しを浴びたあと、僕は狭霧ちゃんの手を取り、鎮守府指令部に戻ろうとした。

その時、大淀さんが僕たちを呼ぶ大きな声が鎮守府司令部の窓の向こうから響いた。

「提督!! 大変です!! 本国より緊急入電!!」

ただならぬ事態であることは直ぐに分かった。

「こんな…まさかそんな!! 提督、至急来てください…こんな入電ありえません!!」

いつも冷静な大淀さんの声が、こころなしか震えているように思えた。

僕の手をそっと握っていた狭霧は、その大淀さんの声に何かを察したのか、涙を目に浮かべながら、僕に静かに微笑んだ。

僕はその儚い笑顔を見て、心の底から美しいと思った。

(狭霧…君は…)

僕はただ、彼女の手を強く強く、握り返していた。

(了)

 
 
 
 
あとがき  実生活のほうで忙しくなったこともあり、創作スイッチがオフになった状態がずっと続いていたのですが、艦これ2021秋イベントの開始時にこのお話が頭の中にぱっと出てきたので久しぶりに艦これSSを書いてみました。最後のシーンの本国からの入電は、良い知らせと悪い知らせのどちらなのかは筆者の中では決めてません。それにしても狭霧ちゃんは艦これでも屈指の性格の良い子ですよね。
 

エヴァンゲリヲン2次創作小説 『赤木博士 午後三時、診察室にて」

2020年05月25日 | 小説 (プレビュー版含む)

「お久しぶりの診察ですね。例のテロ騒動の外出禁止令、いろいろと大変でしたけど、お薬は足りていましたか? 貴方みたいな若くて綺麗な方には、色々と気をつけていただかないと…」

私の目の前に、きつい顔だちの女医が座っている。もう二年目の付き合いになるだろうか。一体どちらが美人なつもりなのだろう。それにしても彼女は老けないな、と私は女医の容姿に嫉妬心を抱きながら

「いえ、私は普段からあまり薬を飲まないので特には。なんなら今日も電話診療にしていただいても良かったくらいです」

と刺々しさに満ちた返事をした。つい皮肉を言いたくなるのは、この美しい女医である赤木ナオコ女氏が嫌いだからではない。私が精神科医という人種全部を嫌いなだけだ。

「ごめんなさいね。電話診療は先週で終わったのよ。でも診察は手短に済ますから、安心して下さいね」

赤木女史はペースを崩さない。私よりはるかにやっかいな患者を週に何人も相手にしているのだから、当然だろう。

「いえ、実は今日は少し長めにお話をしたいんです。カウンセリング料金なら保険でお支払いが出来ると思います」

女史の先手を打って、料金の話をしながら私は相談を切り出す。こうして先読みをしないと5分で話を切られるのが精神科診療というものだと、私は経験で学んだ。

「そうですか…いったいどんなお話でしょう?」

女史の眉毛がピクリと動く。そういえば待合室は満員だったなと私は心の中で呟く。知った事か。

「先月のテロ騒動で、私が悟った事をお話したいんです。よろしいでしょうか」

「もちろん、お話くださいね」

精神科医は職務に誠実であればあるほど、患者の提案や意見を否定せず傾聴する。そういうものだ。

「社会の常識なんて、紙きれ一枚ほどのあてにもならない、という事を、私は悟ったんです」

私はわざと、芝居がかった口調でいった。この診察室で赤城女史に自分の思いを語ったところで、現状の何が変わる訳でもない。ただ、壁に話すよりはマシな形で自分の考えを整理出来る。

「常識ですか?」

「ええ、だって、たかがテロで細菌兵器がバラまかれただけで、国をあげての大騒動。仕事に行くな、遊びにも行くな。あげくの果てには引きこもりを実行しろ!ですよ? 異常だと思いませんか?」

「まぁ世の中とはそういうものだから…」

女史が困惑しているのが手に取るように分かる。私自身、自分がどこまで正常なのか疑問ではあるのだが、カウンセリングを続けるには私が言葉を吐き出すしかないのだ。

「それなら、世の中の常識は何かが起これば一変するという解釈が出来ますよね?」

「それは確かにそうね」

「場合によって一変する常識ってなんですか? それって常識の定義である【社会における普遍的な価値観】に当てはまらないですよね?」

たたみかけるように私は女医にそう告げる。ディベートではないのだから、タイミングや口調は意識しないくても良い。この会話は勝ち負けではないのだから、と私は自分に言い聞かせる。

「そこは…理屈じゃなくて柔軟に対応しても良いかもしれませんね」

赤木女史は感情を抑えた静かな口調でそう答えた。まったくこの人は、医師としては優秀だ。無難とも言えるけれど。

「私はもう、そんなあやふやな【社会の常識】に心底嫌気がさしたんです」

私は、赤木女史をまねて極力感情を抑えた口調で言った。完全に演技をしている状態。しかし、そもそも社会生活における会話なんて全て演技のようなものだ。

「そうですか。では、嫌気がさしたからどうしようと考えられたんですか?」

赤城女史が実に慎重な様子で尋ねる。まるで爆発寸前の爆弾の導火線をゆっくりと触るかのように。

「いっそ、テロでも起こそうかと思いまして」

私は、自分なりの精一杯の素敵な笑顔を作ってそう言った。

「冗談でも、笑えない話ですね」

赤城女史が私と同じ素敵な笑顔で返事をする。

「すいません、笑えないジョークでしたね。訂正します」

爆弾の火を消すように、私は表情を変える。

「よかったです、冗談で」

赤木女史がホッと息をつく。医師としての安心感なのか、個人としてトラブルに巻き込まれなかった事への安心感なのか、彼女はどちらを感じているのだろう。

「真面目な話をすると、私は【心の壁】を研究しようと思うんです。自分なりに」

「心の壁?ですか?」

赤木女史が初めて、人間らしい表情を私に見せる。どうやら興味を引く事に成功したようだ。

「ええ、私は今の病気にかかって以来、いえ、それよりずっと前から、心に何万本ものナイフを刺され続けてきました。私を虐待する父。その父の言いなりになる母。私を性的な目でしか見ない教師たち…。それをからかって遊びで苛めを行うクラスメイトたち…」

もはや、どこまでが本当の記憶かも定かでなくなった過去を手繰りながら、私は会話を続ける。こんな事は本質ではなく些末な事ではあるけど、同時に私をかたちづくる大切な要素でもある。

「大変でしたね。つらかったでしょう」

赤木女史は精神科医やカウンセラーの常套句を言い、うわべの同情を演じる。それはそれで別にかまわない。そうするのが彼女達の仕事なのだから。

「ええ、辛かったです。だから、心の壁を作る方法を研究しようと決めたんです。今までは社会の常識に縛られて、そんな発想は出来ませんでしたが…」

「でもきっと、心の壁なんて誰でも持っているものよ?」

赤木女史が、年齢より幼く見える表情でぽつりと言った。彼女も案外、孤独な人なのかもしれないなと私は思いながら

「いいえ、他の人が持っている心の壁より、何万倍も強固な心の壁です。私は、それを作りたいんです。いえ、作れるまで研究を続けます」

と淡々と告げた。私は正常なのだろうか。それとも異常なのだろうか。赤木女史ならばきっと、それを明確にしてくれる。そう信じて、私は今日この診察室に来たのだ。この会話を通して、自分の正常さと異常さに明確な線引きをするために。

「あなたが…惣流・キョウコ・ツェッペリンさんがそう思われるなら、ご自由に研究をされたらいいと思います。誰に迷惑が掛かる事でもないですし…」

赤木女史が私をなだめるような口調でそう告げる。

「ええ、私は自分の娘や息子が…もし生まれた時、私と同じように他人に心をナイフで抉られる、その未来にどうしても耐えられない。そうなる位ならいっそ全て…」

恐ろしい考えが私の心を過ぎる。いや、違う。そうならないために心の壁を、ATフィールドを研究するのだ。

「それで、その心の壁が完成したら…貴方や他の人は一体どうなるの?」

赤木女史が、医師ではなく一人の女性の顔を作り、私にそう言った。私は彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んで

「ATフィールドが完成すれば、他人の感情に犯されず、自分の感情に傷つかず、論理と生物学的な反射だけの世界で生きていけます。それはきっと幸せな事です。いえ、絶対に幸せです!」

とはっきりとした抑揚のある声で答えた。赤木女史は理解してくれただろうか。

そう。他人に心を犯されなければ、私が十四歳のときに経験したあの屈辱的な思い出も只の事象でしかなくなる。それが強固な心の壁、ATフィールドが私に必要な、本当の理由…。

「惣流さん、落ち着いて? 少しお薬を増やさないと…」

赤木女史はすぐに女の顔から医師の顔に戻り、私にそう告げた。どうやらカウンセリングの時間はこれで終わりのようだ。

「ええ、先生。ありがとうございました」

私は素直に席を立つ。きっと明日には、病院への入院が決まるのだろう。仕方のない事だと思いながら、私は席を立ち、診察室を後にした。





「はい、冬月教授…お伝えしたい事が…」

赤木ナオコは、診察を終えた部屋で一人、電話回線を繋いでいた。公的には明かされていない機関。精神科医ではなくその特務機関の一員として、ナオコは今、上司である冬月教授に診察内容の報告を行っている。

「ATフィールド…一般に知られているはずの無い呼称です。惣流という女性患者が今日…」

机の上にあるメモ帳に乱雑にメモを取りながら、ナオコは報告を続ける。

「はい、惣流は病院に収容後、機関の実験対象として…」



特務機関ネルフで赤木リツコと惣流・アスカ・ラングレーが出会うのは、この診察からずっとのちの時代の出来事である。ファーストチルドレン、セカンドチルドレン、サードチルドレンが生まれるより遥か以前。この時代にセカンドインパクトは起る予兆すら無く、世界の数十億の人々のほとんどは、使徒とエヴァの気配に気付かずに平和な日々を過ごしている。やがて来る破滅の未来を知らぬままに。

(了)