きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

『世界の破壊者』 を破壊する者 (仮面ライダーディケイドについての雑記)

2020年06月24日 | コラム・論評

 

ごぶさたしております。岡本です。ようやく少し文章を書く時間と体力の余裕がでてきました。とはいえ、小説書きやガンプラ製作に本格的に取り組むにはまだ余裕が全然ありません。なので、今回は自分が好きな特撮作品語りをしたいと思います。主観的意見とネタバレ全開ですが、お付き合い頂けると幸いです。

さて、令和ライダー1号であるゼロワンもいよいよラスボスが登場し山場を迎えている訳ですが、今回わたしが語る作品は、2009年に放送された平成ライダー10周年記念作品「仮面ライダーディケイド」です。

 

 

この仮面ライダーディケイド・門矢士ですが、かなり特殊な立ち位置にいるキャラクターでして『(万全な状態なら)歴代ライダーの平行世界へ物理法則を無視して転移できる』『(その気になれば)各ライダーの世界を破壊できる』『(転移の結果として)本来繋がりの無い各ライダーの平行世界同士を繋ぐ事も出来る』という特性を持っています。ディケイドはその特性を存分に生かし、それまでの平成ライダーを破壊し、繋げ、再構築(リ・イマジネーション)しました。

『世界の破壊者』である仮面ライダーディケイド・門矢士は8カ月(他のライダーより放送期間が短いのです)のTV放送と完結編である劇場版の上映を終え、その役目と旅を無事終えた……はずでした。ところが、ディケイドは演者である井上正大氏の積極的な出演もあり、その後の平成ライダー作品に頻繁に登場する、平成1期ライダー達の顔役とも言えるキャラクターとなっていったのです。

そして平成最後の年、平成ライダー20周年記念作品である「仮面ライダージオウ」において、ディケイド・門矢士はメインキャラの一人として平成ライダーの世界に帰還しました。その立ち位置は以前と変わらぬ「世界の破壊者」であり、ジオウの作品世界におけるラスボスはこともあろうに「アナザーディケイド」というディケイドのネガ的な存在でした。

平成ライダーの王となるべく生まれた「仮面ライダージオウ」という存在に対し、ディケイドは『そのジオウの世界すら破壊できる存在』として作中で活躍しました。主人公である王すらも倒せる者、メアリー・スーと化したディケイドは最後までその立ち位置を崩すことなく、最終回ではアナザーディケイドはジオウによって倒され、ジオウの世界と新世界とを繋げたディケイドは、また別の世界へと旅立って行きました(オーマジオウの力についての解釈はまたちょっと別の話とします。能力がややこしいので)。

ディケイドに対して思い入れの強い私は、このラストシーンに対して(一体彼はいつまで放浪させられるのだろう)という複雑な思いを抱きました。10年もの終わりのない旅を続け、そしてまた旅に出る彼の心情を思うと、何かすっきりとしない気持ちにさせられるのです。そういった意味で『仮面ライダーディケイドの物語』を製作スタッフが、ディケイド誕生から10年経ってもその物語を完結出来なかった(させなかった)事は、本当にそれで良かったのか? と個人的に思っています(仮面ライダージオウという作品の完結としての内容には全く文句はありません。むしろ平成を締めくくる見事なラストだと思いました)。

ディケイドの演者である井上正大氏は仮面ライダージオウ最終話への出演に対するコメントとして「門矢司・ディケイドを演じる旅はこれで一区切りにしたい」とネット上で話されていました。私は井上氏のファンでもあり、このコメントには深く頷くとともにお疲れ様という気持ちになりました。確かに、もう門矢司は旅を終えても良い頃だと思います。そのうえで、ここまでライダーファンに付き合ってくれた井上氏に尊敬と感謝の気持ちを持ちつつ、また彼に10年後ふらっと里帰りしてたら嬉しいなと仮面ライダーファンの一人として思っている次第です。

 

 

 

 

 

さて、ここからは仮面ライダーの本筋のお話とは違い、役者・井上正大氏についてのお話になります。お時間がありましたら、もう少しだけお付き合い下さい。

仮面ライダーディケイド役・井上正大氏についてですが、奥様との離婚報告が五月にツイッター上であり、一部の週刊誌で「不倫による破局」を報じられました。しかしながらその後すぐ井上氏の仕事上の関係者から「報道記事の写真はガセネタであり、その事を証明することも出来る」とのツイートがあり、実際にその証明の内容は説得力のあるものでした。

井上氏はディケイド以外にも偽悪的なワルっぽい雰囲気のある役を演じられる事も多く、その点で今回の報道でイメージ的に損をされた部分もあるかと思います。今回の週刊誌のいいかげんな記事で、彼自身にマイナスのイメージがついた事は非常に残念であり、また悪質な報道をする一部マスコミにはファンとして怒りすら覚えます。とはいえ、井上氏はその後もYouTube等で変わらぬ活動を続けられており、まずは一安心という思いもあります。今後も役者として、また演劇人として無理なく頑張って頂きたいと切に思う次第です。

 

というわけで、仮面ライダーディケイドと井上正大氏に関する私個人としてのモヤモヤとした気持ちをまとめるため、ここまで雑多に書き綴りました。非常に自己満足な内容ではありますが、つまりは「井上正大君は不倫なんかしてないぞ!!そっちに関しては破壊者じゃないからな!!」「あと東映のスタッフは仮面ライダーディケイドの話をちゃんと完結してくれよ!!」とファンとして声を大にして言いたかった訳なのです。

 

ではまた次の更新で。ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

 


エッセイ 1990年代の洋楽についてのお話

2020年05月14日 | コラム・論評

自分は最近の音楽は分からんけど、少し前の音楽の事ならちょっとは分かるで!ということで唐突ではありますが1990年代洋楽の話を書きます。

 

下記は、個人的に1900年代後半を代表すると考えている洋楽3曲です。

 

他にも山のように有名な洋楽の楽曲はあるけど、その中でも特にギネス級に超有名なのを選んでみました。

 

 



ビートルズ 「イエスタデイ」 1965年

https://www.youtube.com/watch?time_continue=46&v=fCV9oqtwyVA&feature=emb_logo

弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードをビートルズ名義で初めて発売した曲でビートルズの中でも人気の高い作品であり「世界で最も多くの歌手にカヴァーされたギネス認定曲」でもある。



「ウィーアーザワールド」 1985年

https://www.youtube.com/watch?v=wXTcV0F4Dm0

マイケルジャクソンやスティービーワンダー他世界的に有名な歌手約40人と多くの音楽関係者がアフリカの飢餓と貧困層を解消する事を目標に有志で集い制作した。ほとんどの参加アーティストは現在でも著名な歌手として聞かれている人ばかり。また同規模の洋楽セッションは現在まで他に存在しない。



セリーヌ・ディオン「My Heart Will Go On」 1997年

https://www.youtube.com/watch?v=ea2kr3yTpFw

映画「タイタニック」主題歌。2007年の映画「アバター」登場までの十年間「世界で最もヒットした映画」であったタイタニックの主題歌として有名。曲単体でも素晴らしいが映画と合わせてこそ真価を発揮する曲。



 

才能のある若い世代に向けて、たとえ回顧趣味や昔ばなしであっても、こんな素晴らしい楽曲が昔あったよと自分が伝える事に少しは意味はがあるのかもなと思い、今回この文章を書きました。HPリンクは切れたりすることもあるかもしれませんが、その場合は曲名から動画などを検索すれば問題無いかと思います。

 

(了)


エッセイ 令和二年 五月七日現在の状況

2020年05月07日 | コラム・論評

自分のエッセイの冒頭の定型文を書く。自分はこのブログに関しては、客席に誰も居ない劇場で大声で叫ぶ喜劇役者の演技のようなものだと思っている。

もしくは、辻説法を行う得体の知れない虚無僧といった所か。人の居ないサーカス小屋で踊るピエロか。なんでもいい。

とにかく、すきな事をすきなようにやらせてもらうし、それを変える気もない。

 

さて、世界を混乱の渦に巻き込んだコロナウイルスの蔓延だが、どうやらマスコミの報道を見ると、中国ではほぼ終息状態にあり、中国国民は普通に遠方への旅行を楽しんだりしているようだ(あくまでテレビのニュース上の情報だが)。

 

一方、アメリカではコロナウイルス感染による死亡者は7万人を超え、未だその犠牲者は増える傾向にある。感染そのものは減少傾向にあるが、治療が追い付いていない様子だ。

 

ヨーロッパ各国は、ニュースを見ていてもケースバイケースなようで、自分は正直なところ把握しきれていない。

 

アジアでは、台湾および香港はウイルスの封じ込めにほぼ成功。韓国は減少・収束傾向。インドの状況は報道が少なくよく分からない。北朝鮮は一時期は生死不明とまで報道された金正恩主席が公の場に再び元気な姿を現し、健在をアピールした。国民の状況は不明だ。

 

アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによると、世界のコロナウイルスの死者数は日本時間の7日午前3時の時点で、二十五万9796人。死者数の多い国順で


▽アメリカが7万1463人
▽イギリスが3万150人
▽イタリアが2万9684人
▽スペインが2万5613人
▽フランスが2万5538人

となっている。四月時点で(日本からダイヤモンドプリンセス号の米国人乗客が母国に帰った位の時期に)は、ほとんどコロナウイルスと無縁と思われていたアメリカ合衆国が、現状で最も多大なダメージを受けている。この死者数は、ベトナム戦争ににおけるアメリカ人の累計戦死者数よりも多いとのことだ。

 

一方、日本国内のコロナウイルスの被害の状況は現状で

  • 累計感染者数1万5,463人
  • 死亡者数551人
  • 退院者数4,918人

この数が多いのか少ないのかは自分には分からないが、少なくともアメリカ並みの被害は、現状ではまだ受けてはいないと言える。


エッセイ 令和二年 四月二十八日現在の状況

2020年04月28日 | コラム・論評

前にも少し書いたのだが、自分はこのブログに関しては、客席に誰も居ない劇場で大声で叫ぶ喜劇役者の演技のようなものだと思っている。

もしくは、辻説法を行う得体の知れない虚無僧といった所か。人の居ないサーカス小屋で踊るピエロか。なんでもいい。

とにかく、すきな事をすきなようにやらせてもらうし、それを変える気もない。

 

さて、少し前に世界におけるコロナウイルスの蔓延状況の経過を時系列で書いたと思うが、それから数日が経過した。

テレビ等の報道では、東京都で新規感染者が大幅減少との報告が報じられ、GW前に若干の楽観論が報じられる傾向も見られるように思う。

 

本当にそれでいいのか? ほんの数日前まで散々と視聴者の不安を煽り、少しのデータだけでまったく逆の楽観論を提示する。

 

こんな事を続ければ、多くの人の精神が不安定になって当たり前だ。そしてその一方で、求人倍率が一気に1・3倍まで減少したとの報道もある。

2月までの求人倍率もデータ上の見せかけの多さではあったが、それでも2倍前後を推移していた。もはや、とりつくろう事も出来ないという事だ。

 

個人的な見解を述べる。報道は淡々と数字とデータ、諸外国の状況を伝えるだけでいい。あとは再放送等、娯楽の提供を優先するべきだ。

ステイホームを提唱しながら、家でうんざりするコロナ関連のワイドショー番組を見続ける事を強いられる身にもなって欲しい(自分の親がそうだ)。

 

そして、あくまで冷静に、この未知のウイルスに市井の人々が冷静に対応できるよう、官民が一体となって、せめて今この時だけでも自らの利益を捨てて行動して欲しい。その事が、後々のもっと大きな利益にも繋がるのだ。それくらいの先の見通しは持って欲しい。

 

官民という部分で、またひとつ個人的な話をする。自分には持病があり、月1回の通院を電車で行っているのだが、病院に問い合わせたところ「原則として電話診療は行っていない」との返答があった。自分が高齢の両親と同居していること、移動に電車を使う事を説明したうえで、それでも無理なのかと強く主張したところ「検討する」との返答があった。これだけ政府がステイホームを主張する中で、医療の現場がこれである。頭おかしいんじゃないの?

 

ここまで官民の足並みがバラバラな状態で、庶民はそれでも、よく自らを律していると思う。ほとんどの人はコンビニやスーパーでもきっちりと離れて列を作るし、先の日曜日の新幹線の乗車率は10%以下だ。でも、これは上の位置にいる官僚や富裕層の働きではない。確かに呼び掛けたのは上の人間であるが、庶民が日本という国の村社会でお互いを(もう相当前にそんな文化は消えつつあったが)慮った結果だ。ゆずりあいの心である。

 

日本という国にはかつて「お互いさま」という考え方、文化があった。この文化は令和になって消えかけていたが、今回の疫病蔓延によってそれがどう変わり、広がるのかは注視していきたいと思う。

 

 


街の空気と市況についての雑感

2018年01月31日 | コラム・論評

※小説まだあまり書けないので、短文コラムをアップします。

最近、極端な田舎街の状況は分からないが、それなりの規模の地方都市や、ましてや都会では、人々に慌しさが増しているように思える。

慌しいのだが、しかし、活気というか、精気というものに満ち溢れている感じではない。

今この文章を書いている時点での株式市場は盛況で、日経平均株価は2万3千円を超えている。好景気と言っていいだろう。

にも拘らず、ただ慌しく、余裕が無く、精気が無い街の印象というのは一体どういう事なのだろう。不思議に思う今日このごろ。