「お久しぶりの診察ですね。例のテロ騒動の外出禁止令、いろいろと大変でしたけど、お薬は足りていましたか? 貴方みたいな若くて綺麗な方には、色々と気をつけていただかないと…」
私の目の前に、きつい顔だちの女医が座っている。もう二年目の付き合いになるだろうか。一体どちらが美人なつもりなのだろう。それにしても彼女は老けないな、と私は女医の容姿に嫉妬心を抱きながら
「いえ、私は普段からあまり薬を飲まないので特には。なんなら今日も電話診療にしていただいても良かったくらいです」
と刺々しさに満ちた返事をした。つい皮肉を言いたくなるのは、この美しい女医である赤木ナオコ女氏が嫌いだからではない。私が精神科医という人種全部を嫌いなだけだ。
「ごめんなさいね。電話診療は先週で終わったのよ。でも診察は手短に済ますから、安心して下さいね」
赤木女史はペースを崩さない。私よりはるかにやっかいな患者を週に何人も相手にしているのだから、当然だろう。
「いえ、実は今日は少し長めにお話をしたいんです。カウンセリング料金なら保険でお支払いが出来ると思います」
女史の先手を打って、料金の話をしながら私は相談を切り出す。こうして先読みをしないと5分で話を切られるのが精神科診療というものだと、私は経験で学んだ。
「そうですか…いったいどんなお話でしょう?」
女史の眉毛がピクリと動く。そういえば待合室は満員だったなと私は心の中で呟く。知った事か。
「先月のテロ騒動で、私が悟った事をお話したいんです。よろしいでしょうか」
「もちろん、お話くださいね」
精神科医は職務に誠実であればあるほど、患者の提案や意見を否定せず傾聴する。そういうものだ。
「社会の常識なんて、紙きれ一枚ほどのあてにもならない、という事を、私は悟ったんです」
私はわざと、芝居がかった口調でいった。この診察室で赤城女史に自分の思いを語ったところで、現状の何が変わる訳でもない。ただ、壁に話すよりはマシな形で自分の考えを整理出来る。
「常識ですか?」
「ええ、だって、たかがテロで細菌兵器がバラまかれただけで、国をあげての大騒動。仕事に行くな、遊びにも行くな。あげくの果てには引きこもりを実行しろ!ですよ? 異常だと思いませんか?」
「まぁ世の中とはそういうものだから…」
女史が困惑しているのが手に取るように分かる。私自身、自分がどこまで正常なのか疑問ではあるのだが、カウンセリングを続けるには私が言葉を吐き出すしかないのだ。
「それなら、世の中の常識は何かが起これば一変するという解釈が出来ますよね?」
「それは確かにそうね」
「場合によって一変する常識ってなんですか? それって常識の定義である【社会における普遍的な価値観】に当てはまらないですよね?」
たたみかけるように私は女医にそう告げる。ディベートではないのだから、タイミングや口調は意識しないくても良い。この会話は勝ち負けではないのだから、と私は自分に言い聞かせる。
「そこは…理屈じゃなくて柔軟に対応しても良いかもしれませんね」
赤木女史は感情を抑えた静かな口調でそう答えた。まったくこの人は、医師としては優秀だ。無難とも言えるけれど。
「私はもう、そんなあやふやな【社会の常識】に心底嫌気がさしたんです」
私は、赤木女史をまねて極力感情を抑えた口調で言った。完全に演技をしている状態。しかし、そもそも社会生活における会話なんて全て演技のようなものだ。
「そうですか。では、嫌気がさしたからどうしようと考えられたんですか?」
赤城女史が実に慎重な様子で尋ねる。まるで爆発寸前の爆弾の導火線をゆっくりと触るかのように。
「いっそ、テロでも起こそうかと思いまして」
私は、自分なりの精一杯の素敵な笑顔を作ってそう言った。
「冗談でも、笑えない話ですね」
赤城女史が私と同じ素敵な笑顔で返事をする。
「すいません、笑えないジョークでしたね。訂正します」
爆弾の火を消すように、私は表情を変える。
「よかったです、冗談で」
赤木女史がホッと息をつく。医師としての安心感なのか、個人としてトラブルに巻き込まれなかった事への安心感なのか、彼女はどちらを感じているのだろう。
「真面目な話をすると、私は【心の壁】を研究しようと思うんです。自分なりに」
「心の壁?ですか?」
赤木女史が初めて、人間らしい表情を私に見せる。どうやら興味を引く事に成功したようだ。
「ええ、私は今の病気にかかって以来、いえ、それよりずっと前から、心に何万本ものナイフを刺され続けてきました。私を虐待する父。その父の言いなりになる母。私を性的な目でしか見ない教師たち…。それをからかって遊びで苛めを行うクラスメイトたち…」
もはや、どこまでが本当の記憶かも定かでなくなった過去を手繰りながら、私は会話を続ける。こんな事は本質ではなく些末な事ではあるけど、同時に私をかたちづくる大切な要素でもある。
「大変でしたね。つらかったでしょう」
赤木女史は精神科医やカウンセラーの常套句を言い、うわべの同情を演じる。それはそれで別にかまわない。そうするのが彼女達の仕事なのだから。
「ええ、辛かったです。だから、心の壁を作る方法を研究しようと決めたんです。今までは社会の常識に縛られて、そんな発想は出来ませんでしたが…」
「でもきっと、心の壁なんて誰でも持っているものよ?」
赤木女史が、年齢より幼く見える表情でぽつりと言った。彼女も案外、孤独な人なのかもしれないなと私は思いながら
「いいえ、他の人が持っている心の壁より、何万倍も強固な心の壁です。私は、それを作りたいんです。いえ、作れるまで研究を続けます」
と淡々と告げた。私は正常なのだろうか。それとも異常なのだろうか。赤木女史ならばきっと、それを明確にしてくれる。そう信じて、私は今日この診察室に来たのだ。この会話を通して、自分の正常さと異常さに明確な線引きをするために。
「あなたが…惣流・キョウコ・ツェッペリンさんがそう思われるなら、ご自由に研究をされたらいいと思います。誰に迷惑が掛かる事でもないですし…」
赤木女史が私をなだめるような口調でそう告げる。
「ええ、私は自分の娘や息子が…もし生まれた時、私と同じように他人に心をナイフで抉られる、その未来にどうしても耐えられない。そうなる位ならいっそ全て…」
恐ろしい考えが私の心を過ぎる。いや、違う。そうならないために心の壁を、ATフィールドを研究するのだ。
「それで、その心の壁が完成したら…貴方や他の人は一体どうなるの?」
赤木女史が、医師ではなく一人の女性の顔を作り、私にそう言った。私は彼女の瞳を真っ直ぐに覗き込んで
「ATフィールドが完成すれば、他人の感情に犯されず、自分の感情に傷つかず、論理と生物学的な反射だけの世界で生きていけます。それはきっと幸せな事です。いえ、絶対に幸せです!」
とはっきりとした抑揚のある声で答えた。赤木女史は理解してくれただろうか。
そう。他人に心を犯されなければ、私が十四歳のときに経験したあの屈辱的な思い出も只の事象でしかなくなる。それが強固な心の壁、ATフィールドが私に必要な、本当の理由…。
「惣流さん、落ち着いて? 少しお薬を増やさないと…」
赤木女史はすぐに女の顔から医師の顔に戻り、私にそう告げた。どうやらカウンセリングの時間はこれで終わりのようだ。
「ええ、先生。ありがとうございました」
私は素直に席を立つ。きっと明日には、病院への入院が決まるのだろう。仕方のない事だと思いながら、私は席を立ち、診察室を後にした。
「はい、冬月教授…お伝えしたい事が…」
赤木ナオコは、診察を終えた部屋で一人、電話回線を繋いでいた。公的には明かされていない機関。精神科医ではなくその特務機関の一員として、ナオコは今、上司である冬月教授に診察内容の報告を行っている。
「ATフィールド…一般に知られているはずの無い呼称です。惣流という女性患者が今日…」
机の上にあるメモ帳に乱雑にメモを取りながら、ナオコは報告を続ける。
「はい、惣流は病院に収容後、機関の実験対象として…」
特務機関ネルフで赤木リツコと惣流・アスカ・ラングレーが出会うのは、この診察からずっとのちの時代の出来事である。ファーストチルドレン、セカンドチルドレン、サードチルドレンが生まれるより遥か以前。この時代にセカンドインパクトは起る予兆すら無く、世界の数十億の人々のほとんどは、使徒とエヴァの気配に気付かずに平和な日々を過ごしている。やがて来る破滅の未来を知らぬままに。
(了)
僕が新任提督としてこの大湊司令部に配置されてから、気がつけばもう二年の月日が流れていた。まだ十代の僕にとって、最高司令官というのは何年経ってもやはり荷が重い仕事だ。
着任当初は小規模の敵を撃破する為の指示をするだけでも苦労をしていたけれど、日向さんや赤城さん達をはじめとした頼りになる艦娘(海戦戦闘能力の極めて高い女の子達)の皆さんの力を借りて、最近はようやく戦果を上げることが出来るようになってきた。それは良いのだが…
「よう、ショタ提督! 元気でやってっかー!」
「その呼び方はやめてって言ったよね、朝霜ちゃん」
「でも食堂じゃ日向さんたちもショタ提督って呼んでるぜ? にひっ」
朝霜ちゃんは一年前にこの司令部に着任した艦娘だが、何かというとこんなふうに僕をからかっては変な笑い声をあげる変わった子だ。裏で色々言われるよりは全然いいけど、やっぱりショタ提督なんて事を直接女の子から言われてしまうと、僕だって楽しい気分にはなれない。
「ところで執務室に何の用事? 朝霜ちゃんの任務はもう少し先だったと思うけど?」
「用事がなくてもショタ提督の顔を見たいから、じゃダメ?」
「えっ、別にダメじゃないけど…」
「なーんてな! 赤くなってんじゃねーよ! ぎゃはは」
「酷いよ朝霜ちゃん!」
僕は慌てて帽子を目深に被り、朝霜ちゃんから顔を逸らした。
「まーな。たまには他の艦娘のいねー所でゆっくり休憩したいって思ってよ」
そう言うと朝霜ちゃんは執務室の畳敷きの床にドカッ、っと腰を下ろした。僕が何か言う間も無く、一瞬のうちに靴を脱いでタイツを着たままの足をプラプラをさせている。朝霜ちゃんは、たまにはと言いながら、月に何度かこうやって執務室に用事もないのに訪ねてくる。
「朝霜ちゃん、一応女の子なんだからもう少し恥じらいとか…」
そう言いながら、僕はお茶を飲もうと朝霜ちゃんの座る畳の横に移動し、ちゃぶ台においてある急須に手を伸ばした。和室の執務室は赤城さんのリクエストによる特注のつくりで、僕にとって常にとても落ち着いて仕事の出来る場所だった。
「…あーん? いま一応って言ったよな? 一応女の子ってなんだよっ!? 一応って!」
「ご、ごめん朝霧ちゃん!」
「司令官がそんなふうにあたいのことを言うなら、ちゃんと可愛い女の子だってことを証明しねーとな!」
僕が止める間もなく、朝霧ちゃんはタイツを脱ぎ、白い足を僕の目の前に投げ出した。
「どーよ! この生足! うりうりー」
タイツを脱いだ朝霜ちゃんの白い足が僕の太ももをツンツンとつつき、女の子特有の甘酸っぱい匂いが和室の執務室の中に広がって行った。
「朝霜ちゃん、ダメだってば。誰か来たら誤解されちゃうよ!」
「そんときはショタ提督にセクハラされたーって言いふらしてやんよ?」
「朝霜ちゃん、本気なの?」
「ウソに決まってんだろ! ほりゃ、電気アンマ!」
「朝霧ちゃん、もうやめてってば! 」
僕は朝霜ちゃんの攻撃に動揺して半分泣きそうになりながら、必死に身体をよじらせていた。
「ギブアップ! ギブアップだよ朝霜ちゃん!」
「そんなだからショタ提督って言われんだよ。でもまぁ、許してやんよ」
いつの間にか畳の床の上で抱き合うような姿勢になった僕と朝霜ちゃんは、しばらくの間、しお互いに身体全体を押し付け合うようにしていた。朝霜ちゃんの匂いと息遣いが間近に感じられて、僕は緊張で気が遠くなりそうになっていた。何分くらい抱き合っていただろうか。ふいに朝霜ちゃんが僕の口にチュッ、とキスをして、真っ赤な顔をして言った。
「司令官、あたいはショタ提督っていつも言ってるけど…別にそれが嫌とかじゃねーんだよ…逆に可愛いし」
「朝霜ちゃん、ダメだよそんな事言っちゃ…それにキス…」
「んだよー。あたいに言われたら嫌なのかよ!」
「嫌じゃないけど…僕は司令官なんだから、もっとしっかりしないと」
朝霜ちゃんは一瞬ムスっとした表情になると
「バカ司令官! ! そんならあたいがもっとキスしてやんよ!」
そう言って唇を重ねて、僕に大人のキスをした。朝霜ちゃんの舌は蜜柑の味がした。
「朝霜ちゃん、なんでこんなこと…」
「司令官のばーか! 好きだからに決まってんだろ!!」
朝霜ちゃんが小さくて可愛い三角の眼で僕を睨みつける。
「あたいだって…恋する女の子なんだよっ! いいかげんに気づけよバカ司令官!」
ああ、僕は馬鹿だ。朝霜ちゃんの言う通りのバカ司令官だ。
「ごめんね、朝霜ちゃん。僕も…」
言いかけた僕の口を、朝霜ちゃんが今度は軽いキスで塞いだ。
「ショタ提督は、これからも鎮守府の艦娘みんなのショタ提督だよ。あたいだけのものにはなったりなんかはしない。でも、あたいは今日のことを絶対に忘れたりしない。たとえどんな戦いに挑むことになっても、あたいだけのお守りにして持っていくんだ」
「朝霜ちゃん…」
「ほら、立ってシャキッとしろよ司令官! じゃないと蹴っ飛ばすぜ」
そう言ってギザギザの歯を見せて笑う朝霜ちゃんはまるで普段と変わらない様子で、その事は僕も普段通りのショタ提督に戻れそうだ、と思えるには充分な材料だった。
けれど、僕も決して、今日の朝霜ちゃんとの思い出を忘れたりはしないだろう。いつか戦いの日々が終わったとしても。
「ありがとう、朝霜ちゃん」
僕は立ち上がって帽子を被り直し、シャツのボタンを確かめるとネクタイを締め直した。
「それでこそあたいたちの司令官だな! にひっ」
朝霧ちゃんはそう言って、最高の笑顔で僕に笑いかけてくれた。その笑顔はまるで夏のヒマワリのようで、僕は執務室が夏の日差しに包まれたような気がして、少しの間だけ目を細めていた。
(了)
自分は最近の音楽は分からんけど、少し前の音楽の事ならちょっとは分かるで!ということで唐突ではありますが1990年代洋楽の話を書きます。
下記は、個人的に1900年代後半を代表すると考えている洋楽3曲です。
他にも山のように有名な洋楽の楽曲はあるけど、その中でも特にギネス級に超有名なのを選んでみました。
ビートルズ 「イエスタデイ」 1965年
https://www.youtube.com/watch?time_continue=46&v=fCV9oqtwyVA&feature=emb_logo
弦楽四重奏をバックにしたアコースティック・バラードをビートルズ名義で初めて発売した曲でビートルズの中でも人気の高い作品であり「世界で最も多くの歌手にカヴァーされたギネス認定曲」でもある。
「ウィーアーザワールド」 1985年
https://www.youtube.com/watch?v=wXTcV0F4Dm0
マイケルジャクソンやスティービーワンダー他世界的に有名な歌手約40人と多くの音楽関係者がアフリカの飢餓と貧困層を解消する事を目標に有志で集い制作した。ほとんどの参加アーティストは現在でも著名な歌手として聞かれている人ばかり。また同規模の洋楽セッションは現在まで他に存在しない。
セリーヌ・ディオン「My Heart Will Go On」 1997年
https://www.youtube.com/watch?v=ea2kr3yTpFw
映画「タイタニック」主題歌。2007年の映画「アバター」登場までの十年間「世界で最もヒットした映画」であったタイタニックの主題歌として有名。曲単体でも素晴らしいが映画と合わせてこそ真価を発揮する曲。
才能のある若い世代に向けて、たとえ回顧趣味や昔ばなしであっても、こんな素晴らしい楽曲が昔あったよと自分が伝える事に少しは意味はがあるのかもなと思い、今回この文章を書きました。HPリンクは切れたりすることもあるかもしれませんが、その場合は曲名から動画などを検索すれば問題無いかと思います。
(了)
自分はこのブログのエッセイの執筆内容に関しては、誰も居ない場所で叫ぶ孤独な哲学者の声のようなものだと思っている。だから、好きにやらせてもらう。
さて、通称新型コロナウイルスという感染症の流行について、自分が把握している事のみを資料無しで列記してみる。
2020年初頭、中国武漢で新型コロナウイルスというインフルエンザの新型ウイルスが流行と報道される。
この時点では自分は、他国で起こる災害のような感覚でニュースを見ていた。
三月ごろ、豪華客船ダイヤモンドプリンセス号が横浜に入港。船内でコロナウイルスが蔓延していると報道される。
同時期、武漢は都市閉鎖(ロックダウン)され中国の他の都市との交通が完全に遮断されたと報道される。
この時点でも、日本国内で武漢と同じような都市が発生するとは考えていなかった。
三月上旬ごろ、コロナウイルス対策で全国の小中高校が早めの春休みに入る。
自分の認識としては多少大げさな対応かなと捉えていた。
四月ごろ、緊急事態宣言が日本政府により一部大都市に発令される。このことによって、指定都市の映画館やライブハウス、カラオケ店が軒並み休業する。また、マスクやアルコールスプレーが品薄になり、日本国民全体に買占め傾向が見られると報道されるようになる。インターネットを活用した「テレワーク」やコロナ対策のための「自宅待機」が政府より要請され、対応出来る企業はそれを行うようになる。
四月半ば、緊急事態宣言が全国に拡大される。ゴールデンウィークを前に百貨店やショッピングモール、レストランチェーン、小規模の個人経営の飲食店などが国からの要請に対応する形での「自粛休業」に入る。
この頃からテレビ報道が異様な空気を見せ始める。何か戦争や大災害が起こっているかのような論調で、主にワイドショーでコロナの恐ろしさが毎日訴えられ、またそれに影響された人たちのヒステリックな様子も同時に報道されるようになる。「自粛警察」というインターネットミーム(造語)が生まれる。
ゴールデンウイークに入ると、テレビCMや新聞などで「ステイホーム」のスローガンが声高に叫ばれ、外に出るのが悪という風潮が生まれる。中国ではコロナ蔓延が収束、アメリカではコロナによる死者数7万人の報道がある。日本での死者数は約550人。
ゴールデンウイーク明け。多くの企業がテレワークを解除しはじめる。東京、大阪、愛知、北海道は未だコロナ警戒を続けている様子だが、他府県では一斉にこれまでの自粛を解除し、人の動きが活発化しようとしてる。
以上の出来事を考え、自分に対する影響は何があったのかを整理してみる。・・・何かおかしくないか?
親類にあたる子供たちが休校になったが、一緒に住んでいる訳ではないので自分に影響はない。仕事に関しては元々派遣契約なので、派遣の仕事の無い時期と今の状態は、何ら変わらない。新たな派遣先探しが出来なくなったが、それは体調が悪い時も同様で出来ていなかった事だ。
世間的な風潮で気軽な外出が出来なくなった。これは大きな影響といえる。だが、元々ほとんど外出しないような時期もあるのが自分の生活だ。これも何も変わらない。
経済面。コロナの影響で特に収入が減ってはいない。コロナのため大きな支出をする事も今のところない。逆に増えてもいない。
結局、なんとなくの「気分」以外、何も実質的に変わっていないし、影響を受けていない。
コロナ禍以前と同じものを食べ、同じもので遊び、同じ交友関係の中にいる。社会的立場も変わらない。
敢えて言えば、こまめな手洗いとマスク着用をするようになった事と、ネットでの交流が増えた。変化はそれくらいだ。
単純化すれば、こういう事だ。生活の外から入ってくる情報が違うだけで、何も変わらない。
ここまで整理しないとそれに気付けない自分に腹もたつし、呆れる気分もある。
客観視とはこういう事だし、そうした視点を持ち己を顧みる事を、自分は時折するべきなのだろう。
それはそれとして、世界情勢とコロナの流行に関する動きは色々とキナ臭いし、今後の世界情勢に間違いなく影響を与えるのだろう。しかし、それを考えた所で自分はその流れを変える事は出来ない。だから考えない。
今は考えないが、観察する事と意識を配る事は忘れずに行い、いつか答えを導き出すための情報は必要だし、それは集めるという事だ。それをしない事は思考放棄だ。聴衆はいなくとも、哲学者は哲学者なのだ。思考は放棄しないし、それをした時には、自らの哲学は死ぬという事だ。
最後に、ただ漠然と思っている事を書いて終わる。おそらく自分の哲学の根幹は「悪意なき弱者の立場の確立と、その弱さに対する社会的救済」の追求だ。その事をずっと考え続けている。強者になれという事ではない。弱者が弱者のままで引け目を感じずに生きるための手段と哲学を、自分はずっと探しているし、それを論理として解き明かしてシステムに名前を付けたいのだろう。
(了)
自分のエッセイの冒頭の定型文を書く。自分はこのブログに関しては、客席に誰も居ない劇場で大声で叫ぶ喜劇役者の演技のようなものだと思っている。
もしくは、辻説法を行う得体の知れない虚無僧といった所か。人の居ないサーカス小屋で踊るピエロか。なんでもいい。
とにかく、すきな事をすきなようにやらせてもらうし、それを変える気もない。
さて、世界を混乱の渦に巻き込んだコロナウイルスの蔓延だが、どうやらマスコミの報道を見ると、中国ではほぼ終息状態にあり、中国国民は普通に遠方への旅行を楽しんだりしているようだ(あくまでテレビのニュース上の情報だが)。
一方、アメリカではコロナウイルス感染による死亡者は7万人を超え、未だその犠牲者は増える傾向にある。感染そのものは減少傾向にあるが、治療が追い付いていない様子だ。
ヨーロッパ各国は、ニュースを見ていてもケースバイケースなようで、自分は正直なところ把握しきれていない。
アジアでは、台湾および香港はウイルスの封じ込めにほぼ成功。韓国は減少・収束傾向。インドの状況は報道が少なくよく分からない。北朝鮮は一時期は生死不明とまで報道された金正恩主席が公の場に再び元気な姿を現し、健在をアピールした。国民の状況は不明だ。
アメリカのジョンズ・ホプキンス大学のまとめによると、世界のコロナウイルスの死者数は日本時間の7日午前3時の時点で、二十五万9796人。死者数の多い国順で
▽アメリカが7万1463人
▽イギリスが3万150人
▽イタリアが2万9684人
▽スペインが2万5613人
▽フランスが2万5538人
となっている。四月時点で(日本からダイヤモンドプリンセス号の米国人乗客が母国に帰った位の時期に)は、ほとんどコロナウイルスと無縁と思われていたアメリカ合衆国が、現状で最も多大なダメージを受けている。この死者数は、ベトナム戦争ににおけるアメリカ人の累計戦死者数よりも多いとのことだ。
一方、日本国内のコロナウイルスの被害の状況は現状で
- 累計感染者数1万5,463人
- 死亡者数551人
- 退院者数4,918人
この数が多いのか少ないのかは自分には分からないが、少なくともアメリカ並みの被害は、現状ではまだ受けてはいないと言える。