彼女と出会ったのは、五月。赤い陽が背中を刺すような夕暮れ時だった。
「帰る場所がないの? それとも帰りたくないの?」
誰もいない公園のベンチに、何をするでもなくただ座り込んでいる私の背中に、小さな声が響いた。振り向くと、黒いワンピースを着たショートカットの少女が、そこに居た。
「どっちも、かな」
私は自嘲ぎみにそう呟いた。会社をリストラされ、どこにも行き場のなくなった私は、ここ数週間、この場所で無為に日々を過ごしていた。きっとその姿を見られていたのだろう。
「オジサン、ずっとここにいてるよね」
少女はそう言うと、私の隣に座り、足をぷらぷらとさせた。
「この公園、いいよね。人ほとんど来ないし、静かだし」
近所の高校生だろうか。今時の学生にしては髪形も服装も地味で、どこか落ち着いた印象だった。
「こんなオジサンに声をかけても、何もいいことなんかないと思うぞ」
私は愛想なく、少女にそう返事をした。他人と会話をするのが数日ぶりだったことを、私はその時初めて思い出していた。
「別にいいことなんて期待してないよ」
少女は、感情を感じさせない声でそう言うと、私の目を覗き込んだ。
「オジサンだってそうでしょう? 何もいいことなんてないって顔、してる」
心の中を言い当てられたようで、私は少女の瞳を直視することが出来なかった。
「オジサンはやめてくれ。確かにオジサンには違いないが、そう呼ばれて嬉しいもんじゃない」
話題を逸らそうと、私は笑いながらそう言った。
「じゃあ、なんて呼んだらいい?」
「高志、でいい」
「高志オジサン?」
少女は、からかうでもなく、真顔で私にそう応えた。
「君がどうしてもそう呼びたいなら、それでもいい」
少し不機嫌な声になっていただろうか。自分がオジサンと呼ばれて当然の年齢だとは自覚していても、どこかそれを受け入れられない。
「怒らないでよ。高志さんって呼べばいいんですよね。私は美弥子。ミヤでもいいよ」
からかうような口調で、少女は初めて私に笑顔を見せた。
それから、私とミヤは、他愛もない話を何十分か続けた。音楽の話や映画の話、こんな話題を話す事すら、私はもうずっとしていなかった。
話し続けるうちに陽が落ち、公園の向かいのマンションに灯りが灯り始めた。ミヤは、ふと会話を止めると、何の前触れもなく、私にこう言った。
「ところで、高志さんは、人を殺した事がありますか」
ミヤの黒いワンピースが揺れた。その袖口に、乾いた黒い血が染み付いている事に、私は今になって気付いた。言葉を失い、息を飲む私に、ミヤは表情のない顔を向けた。氷のような瞳が、私を見つめていた。
「もうお会いする事もないと思います。サヨナラ」
ミヤはそう言うと、ベンチから立ち上がり、暗い闇の中に身を翻した。血の汚れを纏った黒いワンピースが、夜の公園に溶け込んでゆっくりと消えていった。
「帰る場所がないの? それとも帰りたくないの?」
誰もいない公園のベンチに、何をするでもなくただ座り込んでいる私の背中に、小さな声が響いた。振り向くと、黒いワンピースを着たショートカットの少女が、そこに居た。
「どっちも、かな」
私は自嘲ぎみにそう呟いた。会社をリストラされ、どこにも行き場のなくなった私は、ここ数週間、この場所で無為に日々を過ごしていた。きっとその姿を見られていたのだろう。
「オジサン、ずっとここにいてるよね」
少女はそう言うと、私の隣に座り、足をぷらぷらとさせた。
「この公園、いいよね。人ほとんど来ないし、静かだし」
近所の高校生だろうか。今時の学生にしては髪形も服装も地味で、どこか落ち着いた印象だった。
「こんなオジサンに声をかけても、何もいいことなんかないと思うぞ」
私は愛想なく、少女にそう返事をした。他人と会話をするのが数日ぶりだったことを、私はその時初めて思い出していた。
「別にいいことなんて期待してないよ」
少女は、感情を感じさせない声でそう言うと、私の目を覗き込んだ。
「オジサンだってそうでしょう? 何もいいことなんてないって顔、してる」
心の中を言い当てられたようで、私は少女の瞳を直視することが出来なかった。
「オジサンはやめてくれ。確かにオジサンには違いないが、そう呼ばれて嬉しいもんじゃない」
話題を逸らそうと、私は笑いながらそう言った。
「じゃあ、なんて呼んだらいい?」
「高志、でいい」
「高志オジサン?」
少女は、からかうでもなく、真顔で私にそう応えた。
「君がどうしてもそう呼びたいなら、それでもいい」
少し不機嫌な声になっていただろうか。自分がオジサンと呼ばれて当然の年齢だとは自覚していても、どこかそれを受け入れられない。
「怒らないでよ。高志さんって呼べばいいんですよね。私は美弥子。ミヤでもいいよ」
からかうような口調で、少女は初めて私に笑顔を見せた。
それから、私とミヤは、他愛もない話を何十分か続けた。音楽の話や映画の話、こんな話題を話す事すら、私はもうずっとしていなかった。
話し続けるうちに陽が落ち、公園の向かいのマンションに灯りが灯り始めた。ミヤは、ふと会話を止めると、何の前触れもなく、私にこう言った。
「ところで、高志さんは、人を殺した事がありますか」
ミヤの黒いワンピースが揺れた。その袖口に、乾いた黒い血が染み付いている事に、私は今になって気付いた。言葉を失い、息を飲む私に、ミヤは表情のない顔を向けた。氷のような瞳が、私を見つめていた。
「もうお会いする事もないと思います。サヨナラ」
ミヤはそう言うと、ベンチから立ち上がり、暗い闇の中に身を翻した。血の汚れを纏った黒いワンピースが、夜の公園に溶け込んでゆっくりと消えていった。