きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

短編小説 (ショートショート) 「黒と赤のコントラスト」

2011年03月19日 | 小説 (プレビュー版含む)
 彼女と出会ったのは、五月。赤い陽が背中を刺すような夕暮れ時だった。

「帰る場所がないの? それとも帰りたくないの?」

 誰もいない公園のベンチに、何をするでもなくただ座り込んでいる私の背中に、小さな声が響いた。振り向くと、黒いワンピースを着たショートカットの少女が、そこに居た。

「どっちも、かな」

 私は自嘲ぎみにそう呟いた。会社をリストラされ、どこにも行き場のなくなった私は、ここ数週間、この場所で無為に日々を過ごしていた。きっとその姿を見られていたのだろう。

「オジサン、ずっとここにいてるよね」

 少女はそう言うと、私の隣に座り、足をぷらぷらとさせた。

「この公園、いいよね。人ほとんど来ないし、静かだし」

近所の高校生だろうか。今時の学生にしては髪形も服装も地味で、どこか落ち着いた印象だった。

「こんなオジサンに声をかけても、何もいいことなんかないと思うぞ」

 私は愛想なく、少女にそう返事をした。他人と会話をするのが数日ぶりだったことを、私はその時初めて思い出していた。

「別にいいことなんて期待してないよ」

 少女は、感情を感じさせない声でそう言うと、私の目を覗き込んだ。

「オジサンだってそうでしょう? 何もいいことなんてないって顔、してる」

 心の中を言い当てられたようで、私は少女の瞳を直視することが出来なかった。

「オジサンはやめてくれ。確かにオジサンには違いないが、そう呼ばれて嬉しいもんじゃない」

 話題を逸らそうと、私は笑いながらそう言った。

「じゃあ、なんて呼んだらいい?」

「高志、でいい」

「高志オジサン?」

 少女は、からかうでもなく、真顔で私にそう応えた。

「君がどうしてもそう呼びたいなら、それでもいい」

 少し不機嫌な声になっていただろうか。自分がオジサンと呼ばれて当然の年齢だとは自覚していても、どこかそれを受け入れられない。

「怒らないでよ。高志さんって呼べばいいんですよね。私は美弥子。ミヤでもいいよ」

 からかうような口調で、少女は初めて私に笑顔を見せた。

 それから、私とミヤは、他愛もない話を何十分か続けた。音楽の話や映画の話、こんな話題を話す事すら、私はもうずっとしていなかった。

 話し続けるうちに陽が落ち、公園の向かいのマンションに灯りが灯り始めた。ミヤは、ふと会話を止めると、何の前触れもなく、私にこう言った。

「ところで、高志さんは、人を殺した事がありますか」

ミヤの黒いワンピースが揺れた。その袖口に、乾いた黒い血が染み付いている事に、私は今になって気付いた。言葉を失い、息を飲む私に、ミヤは表情のない顔を向けた。氷のような瞳が、私を見つめていた。

「もうお会いする事もないと思います。サヨナラ」

 ミヤはそう言うと、ベンチから立ち上がり、暗い闇の中に身を翻した。血の汚れを纏った黒いワンピースが、夜の公園に溶け込んでゆっくりと消えていった。


短編小説 (ショートショート)「星の丘で」

2011年03月06日 | 小説 (プレビュー版含む)
 人という種が、大地を覆いつくしていた時代があった。

 今のように、地表のごく一部に張り付くように生きるのではなく、この星の覇者として陸と空と海を行き交い、全てを手にしていた時代。それはもう、何千年も前の事だ。
 
 ニイナは、星を見つめながら、本当にそんな時代があったのだろうか、と一人考えていた。人が、他の生物に命を脅かされる事も、空から降り注ぐ黒い灰に怯える事もない時代。彼女には、とても想像のつかない情景だった。

 今、人は、正常な環境を僅かに残した土地に集落を作り、死に向かう命を継ぎ足すように生き延びていた。ニイナが生まれた頃、既に集落は数百人の単位まで人口を減らし、滅びを待つだけになっていた。他の集落と行き来する手段は既に失われ、消え去った技術を復興させる手立ても存在しなかった。

 ニイナは、生まれてからずっと大人達の絶望と共に育ってきた。種の絶滅に立ち会う事になった、最後の世代。それが彼女の唯一の存在意義だった。

「こんなところにいたのか。もう夜だ。灰が降る前に戻らないと」

 丘の上に佇むニイナに、遠くから少年がそう呼びかけた。集落で、彼女に一番年の近いウルベだ。背の高い彼の姿は、離れていてもはっきりとわかった。

「でも夜にならないと星は見えないわ」

 ニイナはウルベに告げ、不満そうに顔を曇らせた。

「灰の毒で身体を痛めてはどうしようもないだろう」

 ウルベはニイナの手を取り、彼女に戻るように促した。

 本当はもうすこしここに居て、灰の降る星空を見てみたいのに。そう思いつつも、流石にそれを口に出すことはニイナには出来なかった。ウルベが本気で心配してくれている事がわかっているからだ。

 ウルベはいつも優しい。だから、絶望を口に出すことは出来ない。
 
 丘を降り、もう一度振り返り、ニイナは空を見上げた。かつてはこの土地にも、何千何万という人間が溢れ、数え切れないほどの足跡を残し、生きていた。気の遠くなるほどの時間を掛け、少しづつ滅びの道を辿っていった人々。彼らは何を思い、生まれ、死んでいったのだろう。そして、自分たちが最後に生き残った意味は何なのだろう。もはや未来など存在しないと分かっていて、それでも生きる理由はなんなのだろう。

 集落の灯を見つめながら、ニイナは心の中で何度も繰り返したその疑問を、また自分自身に問い掛けていた。その答えが決して見つかることがない事を知りながら。