2007年9月に京都で起きた、未成年の少女が父親を斧で殺害した事件の影響で、数本の
アニメ番組の放送が中止されている。
昔からアニメやマンガといったジャンルは放送中止や封印という処置が多い。
非現実的な描写が多い分、ドラマやバラエティーなどに比べ、事件との類似性
が際立つ場合が多いのだろう。
過去の封印作品は、その多くが外部からのクレームなどにより公開を差し止め
られている。こうした経験からか、制作側も次第に、自主的に描写に制限を加えるようになっていった。
近年は、事件が起きるとあらかじめクレームの発生などを防ぐため、提供側が自主的に公開を差し止める場合がほとんどだ。
多くの場合、こうした未公開作はDVD等により視聴可能とされるのだが…。
そうした処置すらも巧妙な営業戦略に思えるのは穿ち過ぎだろうか。
ともかく、放送にせよ出版にせよ、営利を目的としスポンサーの資金提供の
もと作品を提供している以上、ある程度の制限はやむを得ない。
だが、規制のギリギリのラインで制作された作品は、面白いものが多いのも事実だ。
こうした封印作品だが、ネットの普及による情報の共有化やDVD等による
再メディア化により、その多くが公的に、また非公式に陽の目を見ている。
特撮作品における「スペル星人」や「狂気人間」といったマニアには有名な封印作品は、多少気合を入れて
ネットで検索をかければ、今なら誰でも視聴が出来るだろう。
さて、自分が非常に気になっている封印作品がある。
「夕映えに明日は消えた」(1973東宝)という映画である。
完成はしているが一切公開もソフト化もされていないというこの映画、
内容云々より、絶対に視聴出来ないという事実が「見たい」という気にさせられる。