きっと忘れない

岡本光(おかもとこう)のブログです。オリジナル短編小説等を掲載しています。

模型製作(ガンプラ)とネット上における言葉の意味について

2020年04月25日 | Weblog

えーと、今回は模型、ガンプラについて詳しくなければさっぱり通じない内容だと思います。

そして、筆者は今回、非常に感情的になっています。もっと言えばむかついています。なので、穏やかな記事を読みたい方はお気を付けて。

なんなら、ブラウザをそっと閉じちゃってください。それくらい感情的な内容です。

 

さて、先日、ツイッター上でこんなタグを見かけました。

 

#アニメをみてなければ作ってはいけない

 

このタグを見た瞬間、もう一瞬で自分の脳の血管はブチ切れていました。ふざけるな! と。理由はあとで書きます。

ともかくもどんな人間がこのタグを作ったのかと検索を進めてみると

 

発案者で~す笑  (作品を)見てないけど作った機体を皆でたくさん上げて、これを(自分に)言った御仁に思い知らせてやろうやないか、っていう主旨ですからね! ※( )内は分かりやすいように私が追記しました。

 

と書いてます。こいつふざけてるのか? と。(笑)じゃねーだろと。そしてこの人のプロフには「私は私の道を行く」と書いてありました。

 

 

コトバというのは一人歩きします。極端な例ですが、誰かが「○○って芸能人キモいねー」と言うと、その言葉は冗談であっても、人づてに伝わっていきます。そのコトバは拡散されるうちに本気として扱われる事もあります。こういう事があるので、私は日常、ネットでもできるだけ否定的な言葉を使わないようにしています。それから「お前~だろ!」みたいな攻撃的な言葉も個人的に嫌いです。ネット上でも他人に対して最低限の礼儀を持ちましょうよ、と私は思うのです。

 

で、先ほどのタグに関して、発案者はそれなりに反省してると後日書いていました。が、このタグは既に相当数使われていて、ツイッター上の模型界隈にちょっとした騒ぎを起こしています。そして、この発案者、どうやらそれを楽しんでるフシがあるんですよね …あと政治絡みのツイも多かった…

この発案者は現在、自らガンダムマーク2祭りと称して、自分でレギュレーションを決めて#MK2祭 で参加者を募っています。(特に参加商品などはなし。タグを使用するというだけの企画です)で、この人のMK2の作例を見たんですが…何も言いますまい。このリアクションで察して下さい。

私はこのMK2祭のタグを使い、渾身の出来の自作のRGマーク2をアップしました。ガンプラワールドカップに出すか迷っていた子です。とくに反論コメは書きませんでした。書いても思いが伝わるとも思えないので。作品の出来で黙らせようと思いました。

で、私は思います・・・こんな奴に、私の大好きなマーク2が利用されるのは可哀想です!!!! カミーユが、エマさんが、エルが可哀想です!

ただ自分がツイッターで目立ちたいだけで妙な事や炎上するような事をわざとしてフォロワーを増やし、増えたフォロワー数を見て自分がインフルエンサーとなって影響力を増やした気になって喜んでいる輩。

そういう連中を見てると吐き気がします。これはガンプラ界隈の話だけではないですが。

「モデラ―を名乗るなら言いたい事は完成した作品で表現すればいいやん! 否定も肯定も自分の作品でやりゃいいんじゃないの? 口より手を動かせばええねん!!!」

ほんとこう叫びたいです。

ガンダムビルドファイターズの作中で、主人公イオリセイは、ヒロインであるチナの助言から 「ガンプラはどんな自由な発想で作ってもいい」 という結論に辿り着きます。この言葉もまた、ネット上で批判している人もいるのですが、それはまぁ別にいいです。個人の価値観なので。でも、私はこのお作品とエピソードが大好きです。

 

最後に、大声で言います。

 

ごたごたとネット上で屁理屈を並べて、他人の作った機体に文句をいって、ニッパーも持たず箱もあけないような輩は黙れ。

そして、ネット上で言葉を使うなら、その影響力を最初に考えろ。リアルで目の前で言えないような言葉で他人を傷つけるな。

 

この2つはどうしても、誰かに言いたかった。ので、ここに書きました。あーちょっとすっきりした。

 

ほんとうもう、朝から血圧があがって大変です。お味噌汁が食べたい。。。

 

ではまた。ごきげんよう。次はなんか小説書きます。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 


エッセイ 登山家「加藤文太郎」について

2020年04月24日 | Weblog




小説「孤高の人」「単独行者 アラインゲンガー」 及び漫画「孤高の人」のモデルとなった登山家、加藤文太郎。

 加藤文太郎

彼についての資料をネットで閲覧しながら、色々と想いを巡らせている。いつか彼を題材にした小説を書いてみたいと、そう思う。



複数人での登山が常識であった(現在でも本来そうあるべきなのだが)昭和初期の時代に、単独行で当時の登山記録を次々に塗り替えた男。

天才とはいえ、彼もまた雪山で遭難し、極寒の中でテントをはり吹雪をしのぐ経験もしている。

『やまない吹雪はない。いつか吹雪は青空になる』

彼は、孤独な雪山の吹雪の中で一人ビバークを張り待機しなければならなかった時、そんな風に思っていたのだろうか。それとも。

『何も考えるな。ただ雪山と孤独を楽しもう』

そう思っていたのだろうか。

今となっては、彼の想いを知る術はない。だが、私はそれを知りたいと思う。