小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

土記  /  目白御殿焼失=伊藤智永 / 毎日新聞

2024年01月13日 | オピニオン
田中角栄邸の敷地の建物(下)が燃えた現場=東京都文京区で2014年1月8日午後4時16分、本社ヘリから尾籠彰裕撮影

毎日新聞 2024/1/13 東京朝刊 有料記事

<do-ki>

 東京・目白の田中角栄元首相邸が焼失した。線香の失火が疑われているという。気の毒な災難にお見舞いの同情を禁じ得ない。

 それにしても自民党が政治資金パーティー裏金事件に窮する折も折、よりによって金権政治の牙城だった歴史的建造物が灰じんに帰するとは、できすぎた暗合ではないか。あくまで虫の知らせの類いだが、これはマツリゴトの神様が、何か大事なサインを送っているのではあるまいか……。

 為政者は、居宅の地名で呼ばれてひとかどの権力者となる。竹下登元首相が東京・代沢の旧佐藤栄作邸に住み続けたのは、師と仰ぐ大宰相の名跡を継いだ証しのためだった。首相辞任後の岸信介元首相が静岡県御殿場市に邸宅を新築したのは、隠居後も神奈川県大磯町に君臨した政敵・吉田茂元首相が死去した直後だった。

 さらに、居宅が御殿と呼ばれた例となると、戦後は吉田の「大磯御殿」鳩山一郎・由紀夫両元首相の東京「音羽御殿」田中の「目白御殿」だけである。

 もっとも大磯と音羽の豪華さに比べ、目白は収容人数こそ多かったものの、内観や調度は至って庶民的な住宅仕様だった。閨閥(けいばつ)の富豪がスポンサーだった吉田と鳩山に対し、徒手空拳で成り上がった田中の屋敷は、
(写真はテレ朝news)から
機能本位の陳情処理場に他ならなかった。最盛期は競り市のような熱気にあふれただろうが、「御殿」という呼び名には虚勢の響きが漂う。

 大磯御殿も一度失火で焼けた。くしくも吉田の孫の麻生太郎氏が首相在任中のこと。半年後、麻生氏は総選挙に敗れ、自民党は下野した。科学的な因果関係はないが、あれもマツリゴトの神様のサインだったのだろうか。

 もっとも8年後、主な邸宅は大磯町が国や県の援助を得て再建し(時に麻生氏は安倍晋三政権の副総理兼財務相)、一般公開されている。歴史的・建築的意義が認められればこそだろう。

 しかるに目白御殿は、そうした評価を得られまい。「闇将軍」による「田中支配」の居城であり、晩年は政敵や世間に固く門を閉ざして籠城(ろうじょう)した負の記憶が強すぎる。もし再建されても一般公開される場所でもない。目白は田中の生前から、「大衆政治の聖地」ではなくなっていた。

 裏金事件は使途が未解明だが、地方議員・支持者固めに多くが使われたのだろう。金権体質の根深さは派閥解消でも治らない業病だが、自民党はなお煮え切らない。議論を始める矢先、金権の総本山だった館が煙と化した。幻想と決別する時である。(専門編集委員)

 なるほどね~、閨閥の富豪がスポンサーだった吉田元総理に鳩山一郎元総理。どうやって財を成したか知らないが田中元総理。そして度重なる政治資金規正法の改正の網を潜り抜けてきた「政治資金パーティー裏金事件」。我が国では、ず~っと金権政治が支配してきたわけか!

 清き一票を投じるのも疲れてきたね!でも他にするすべを知らないから死ぬまでは投票所には通うとするか。国民の義務だものね。
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