

皇后美智子さまも83歳になられるんですね。私は、完璧にその務めを果たされたように感じます。
私が11歳の時(1959年4月)に、時の皇太子とご成婚され、それはそれは想像も絶せられるストレスの中での皇室生活であったかと思います。現皇太子殿下はそのような皇后のお姿をずっと見てこられたので、すばらしいバトンを両陛下からもう、受け取られていると信じます。
いよいよ平成の世もカウントダウンの段階に入るわけですが、両陛下には感謝の念しか浮かびません。何回となくテレビで拝見した自然災害の被災地でのご様子や、沖縄をはじめ多くの先の大戦の地での祈りには、多くのことを学ばせていただきました。
<初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子どもらに戦(いくさ)あらすな>
この句の意味をしっかり胸に刻んで、今後の人生も歩みたく思います。

余禄 中村汀女は良妻賢母の俳人といわれた…
毎日新聞 2018年5月1日 東京朝刊

▲58年前こんな歌を作った母がいた。<含む乳(ち)の真白きにごり溢(あふ)れいづ子の紅(くれない)の唇生きて>。皇后美智子さまである。幼子は成長し、来年のきょう、今の天皇陛下に代わって即位される
▲美智子さまは即位10年に際しての記者会見でこう述べた。「皇室の私どもには行政に求められるものに比べ、より精神的な支援としての献身が求められているように感じます」。国民に対しても、わが子へ無償の愛情を注ぐ母のように、献身的に接しようと思われたのではないか
▲そのお気持ちが強く表れたのは災害の現場だった。1993年、北海道南西沖地震による津波で甚大な被害を受けた奥尻島。美智子さまは遺族から遺影を受け取り、抱きしめた。どれほど悲しみを癒やしたことだろう

▲東日本大震災の遺族への思いも同じだった。母親を津波にさらわれた4歳の女の子が母親にあてて手紙を書きながら、うつぶして寝ている。その写真を見て詠んだ歌だ。<「生きてるといいねママお元気ですか」文(ふみ)に項傾(うなかぶ)し幼な児眠る>。まさに母の視線だ
▲植樹祭で詠んだ歌がある。<初夏(はつなつ)の光の中に苗木植うるこの子どもらに戦(いくさ)あらすな>。初夏が近づく頃、新天皇即位を見届けて皇后としての長いお務めが終わる。母の日も近い。
今日日本人のお友達とその話題になったんですよ。
昨日あれから娘が帰って来て、この歌が頭から離れないのって言って「ダンシングクイーン」をスマホで聴き出したんですよ!!
小父さんに言わなくちゃ!!って。
日清?の社長のお嬢さんですよね
皇族でない事からのご苦労もあった事と想像します。
本当にご苦労様でした。
賢くお強い方、、そんな印象を持ちます。
元号と西暦の併用は確かに面倒です。
昭和の時代が終わった時、コーヒー専門店のカウンターに座って「もう西暦1本にしたらいい!」と私が言ったら
店主の奥さんが、変な顔して私を見ていたのを思い出します。
今は、これが日本の文化かな?と思っています。
官庁でも元号、西暦を並べて書くとか書かないとか議論されているようですね。
「ダンシングクイーン」私もこのところ耳に残っています(笑)
そうですね。
ご成婚当初はミッチーブームとかで、生まれて来る女児に美智子と名付けた親がとても多かったです。
>日清?の社長のお嬢さんですよね
実父は製粉業界最大手の日清製粉の社長、会長です。
>皇族でない事からのご苦労もあった事と想像します。
なんとなく、そんな情報も聴いてはいました。
ところが皇后美智子さまをググると、はるかに大変なことが著るされていました。
香淳皇后(昭和天皇の皇后)との価値観の違いなどを想像していましたが、そんな簡単なものではなかったことをちょっとうかがい知りました。
今上天皇とともに、平成の世をお務めになったことを感謝しています。