阪神淡路大震災の犠牲で亡くなられた多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。
発生から今日で15年が過ぎたのか。夕べはテレビで“神戸新聞の7日間”という新聞社を通しての大震災を描いていた。震災発生前から時間きざみで作られた映像に当時の情景がダブっていろんなことを思い出していた。2日後の19日、九州のお袋が亡くなったので1週間里に帰っていて神戸の街の様子は戻ってからしか見ていない。
テレビの方は神戸の中心街三宮駅前にある神戸新聞の社屋が直撃を受け、京都新聞の協力を得て京都での編集、神戸の印刷工場での出版の模様が出ていたが、小父さんの勤務していた建設会社とこれまた重なる部分も多く人ごととは思えなく感じた。物を運ぶこと道路を走ることが著しく制限されたのを思い出す。座屈して窓が破れた神戸新聞ビルもよく知っているし、たくさん挿入されているる震災の映像が当時の記憶をよみがえらせる。ただ、みんな必死に生きていたな。ジャニーズ・の嵐の櫻井翔とやらをまた覚えた(笑)
彼女のブログでしりました
ネットで見られるようなので
明日にでも のぞいてみようとおもいます
私、当時は滋賀県に住んでいて、飛び起きて
タンスを押さえてた記憶があります。
翌年、静岡県へ引っ越しましたが、あの時以上の
地震には遭遇していません。
新潟などでは震災に遭われた方もありましたのに
東海地方は不思議と・・・。
いずれにしろ、数々の震災で亡くなられた方の
ご冥福をお祈りするだけです・・・。
驚きです。
ゆうべの9時~11時10分に放送されたものが、
スイスでご覧になりアリゾナのba-chamaがもうご存知
だとは、時差がどのようになっているのか知りません
が、地球は狭くなりましたね。
はじめまして。
滋賀県でも、そんな大きな揺れがありましたか。
私は明石市に住んでおりますので被害は少なかった
ですが、たくさんの被災者や被災状況に遭遇しました。
今からも東海沖地震も予想されますし、いつ
どこで地震が起こっても不思議じゃないという
ことを実感させられました。
常に備えておきたいものです。
この社宅に引っ越した翌朝の震災だったので
よく覚えています。。。
息子3歳、父が引越しの手伝いに来てくれていて・・・
数日後に、阪神方面出張だった旦那様が飛行機の中からみたものは
ブルーシートだらけだったと・・・
確か連休でしたね。
ブルーシートは雨漏り防止だけのお話ですよ。
多数の人が亡くなり、ビル、住宅が倒壊し、大きな火災も生じました。
たくさんの学者が全く予期してなかったことが突然やってきたわけです。
今の日本、どこでこのような地震が起きても不思議じゃありません。
特に関東を襲ったら想像もつかない被害がでると思います。
当時私は千葉県に住んでいました。
TVをつけて、その光景に唖然とした事を思い出しました。
高速道路が倒れていたのです。
これは日本なの?何が起こったの?
慣れ親しんだ街がある日突然あのような姿になってしまう。
本当に天災は恐ろしいと思いました。
一昨年ルミナリエを見に行った神戸は
15年前にあんな事が起こった何て想像も尽かないほど
素敵な街並みでした。
ドラマご覧になりましたか?
ドラマというよりドキュメンタリーに近いですけどね。
私も当日と翌日神戸北区でテレビ映像で見ました。北区のガソリンスタンドは翌日給油の車が並びました。
私は、指示を受けポリタンクを山のように買い込み
水を入れて神戸の激震地に水を送り込む手配をしました。
街に入ったのは月末の手形を集金した日にリュックを担いで支店に行った日です。
まるで戒厳令がひかれている戦場みたいでした。
ルミナリエも私たちが復興工事をやっている真横で
開催のスタートが切られましたね。
いろいろな思いが残っています。