小父さんから

ミーハー小父さんの落書き帳

読む写真 Photo 励まし、励まされ / 毎日新聞

2024年02月03日 | 報道写真
自主避難所に設置された段ボールの仕切りに思いを書く瀬戸三代さん=石川県七尾市で2024年1月20日、大西岳彦撮影

毎日新聞 2024/2/3 東京夕刊 有料記事

 「クソ‼地震め‼」「負けない心でのり越えよう」。能登半島地震で石川県七尾市の市立石崎小学校の自主避難所に設置された段ボールの仕切りに、避難者らが自ら寄せ書きをした。その後避難者の大半は自宅へと戻り、自主避難所は1月末に閉鎖された。被災者らは寄せ書きに思いをぶつけることで、地震からの1カ月を乗り切った。

 体育館が自主避難所となり、多い時で約100人が身を寄せ、段ボールで仕切られた区画やテントで寝泊まりしていた。避難者は地震当初、毛布にくるまって夜を明かした。1月10日ごろには仕切りが届き、ある程度プライバシーは確保されたが、ストレスから口論になったり、「帰りたい」と泣く子どもがいたりした。また新型コロナウイルスに感染する人も出てきた。

 悪化する状況を見て、自主避難所で責任者を務めた住民で防災士の石崎悦子さん(68)が寄せ書きを発案。子どもから大人まで、思い思いの気持ちを書きつづった。元日から避難した瀬戸三代(みのり)さん(68)は「負けるな石崎魂」と書き、「余震と断水が多くのことを阻んでいる。でも、書くことで心が解き放たれた」と話した。石崎さんは「笑顔が出て避難所の雰囲気が変わった」と当時を振り返る。

 地震発生から1カ月が過ぎた。段ボールの仕切りは、自主避難所が閉鎖される数日前に撤去された。避難者が減ったこともあるが、石崎さんは「いつまでも地震を恨んでばかりいられない。皆さん被災した家の片付け、仕事もある。前を向く時期が来た」と話す。寄せ書きの言葉は、今も被災者を奮い立たせている。【写真・文 大西岳彦】
 


自主避難所に設置された段ボールの仕切りに避難者らが書いた寄せ書き=石川県七尾市で、大西岳彦撮影

















 能登半島地震の被災状況は、いままで知らなかった状況が日ごとに増えてニュースに映し出されるたびに、とくに家族に犠牲者がでた方の話などは胸が締め付けられる思いです。私も阪神淡路大震災時は、神戸の隣町に住んでいましたが、避難所のことを山のように見聞きしたことも思い出します。

 写真の避難所の寄せ書きだけで、すべてが解決するわけではないでしょうが、自主避難所の責任者である石崎悦子さんのアイデアは避難所の方たちの気持ちを共有することになったでしょうね。

 これからの震災復興の道程はとても長いと思いますが、少しづつでも平穏な毎日がおとづれんことをお祈り申しあげます。
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