戦争前の昭和時代に日本に存在した社会大衆党と名称は同じですが、沖縄社会大衆党は、
これとは何の関係もありません。1950年10月31日、当時の沖縄の政府代表者を中心に
して結成されました。大衆党の「衆」という字は面白い字です。漢字辞典によりますと、
日(太陽)+人が三人(おおくの人)から成立し、太陽のもとで、おおくの人が集団労働して
いるさま。上部は、のち誤って、血と書かれたとあります。誤用が後、正規の字として使われる
に至ったということですから、「血の雨を降らす」が如くの歴史があって、誤用が生まれたのか
も知れない等と想像出来ます。言語も誤用が後、正規の言葉として使われるようになったという
例は多くあると考えられます。また、これとは異なり、時の権力者の意向により、正規の字が廃止
された例もあります。万里の長城の大増築、焚書坑儒、法治主義等で、その名を後世に伝える
秦の始皇帝(前259~前210)の時代、もともとは自(はな)+辛(鋭いナイフ)で削ぎ落とす
刑を受けた人の意味である字を、その字は皇帝の「皇」という字と似ているからという理由で、
これを廃止し、罪(法の網)+非(悪い行い)で、犯罪のために法の網にかかった人を意味する字に
改められたのです。中華民国台湾以外の中文圏は今は「衆」という字は使わず、あみがしらを冠する
「眾」という字を使います。理由はやはり血のかんむりを嫌悪したということでしょう。因みに、
企業統治の企という字は、人+止(趾)。人が足先でつま先立ちをする意味をあらわす会意文字で、
会意文字とは二つ以上の漢字を組み合わせて独立した文字とするもの。例えば、木が三つで森。等