中心付近の風速が毎秒17.2メートル以上の熱帯低気圧
インターネットも含まれるマス媒体にとっては、「エチゼンクラゲ」のように
扱われます。「時間旅行」を告げるために、熱帯からやって来て上陸し、列島を縦断して
いったのだろうか。お金も何もかもすべては、所詮、 時間旅行 でしかないのであれば、
20世紀の日本が、戦前は、「破壊的構造国家」だったのであり、戦後は、「構造的破壊国家」
だったことは、そのような一時期があったことは、とても残念に思われてならないのです。後の世の
人々の将来を傷つける使われ方をした Time is money の一時期が二度もあったことは残念なのです。
物事は、大日本帝国憲法と国家神道として認識された第一期、物事は、平和憲法と高度経済成長期と
認識された第二期。本来の日本の国家像は、十七条憲法と妙法蓮華経という物事として国民に認識
され続けてきたのであり、国家間の平和と互恵関係を構築する「生産的戦略国家」であるのです。これは
A.D.Chandler,Jr の Strategy and Structure(1962) 「構造は戦略に従う」実態を示すと言えます。日本
国憲法という名のアメリカの対日占領戦略に構造としての敗戦国日本が従属させられたということであり、
無理から発生する没道義が多く発生し、21世紀に至っても発生し続けて人類の生存を脅かしている。
1946年11月3日公布、1947年5月3日施行の日本国憲法は、大日本帝国憲法の改正という形式を
取りつつも、基本的人権の尊重や国民主権、平和主義を前面に押し出した画期的な憲法と高く評価されて
来たのでありますが、大日本帝国憲法について、「世界を破滅の淵へと追いやった憲法と戦争」とする
憲法観と戦争観が欠けていたために、人権を蹂躙する構造上の欠陥をそのまま引き継いでしまったのです。
たとえ止む無く敗戦国の憂き目に会うとも、その国の憲法はその国の人間の手に依らなければならない。
大日本帝国憲法というのは、西洋文明の「物まね憲法」であり、この憲法を原因として、第二次世界大戦
敗戦国に至り、昭和天皇を清廉潔白白蓮華とする戦後の平和憲法により、全世界は全破壊されたのです。
戦争の原因は全く解明できませんでした。菊池寛の小説を発行禁止処分にした程度だったが戦勝国の希望
を憲法として建てることは出来た。二度と再び、パールハーバーやアジア、オセアニアを侵略出来ない
ように、防衛力について、在日米軍の指揮監督下に置くこと等が国の形を形成しました。西暦606年
推古14年、聖徳太子による妙法蓮華経の講義は好評を得たと伝えられています。日蓮大聖人は、聖徳太子
を「南岳大師の後身なり 救世観音の垂迹なり」と述べて、聖徳太子を高く評価し、後の世に伝えました。
日本国についての「考え方」と「在り方」は重要であり絶対に間違えたりしなかった聖徳太子と日蓮大聖人。
自然環境に対して、深刻な脅威ともなる人間の在り方も、文明的なあり方であるとはいえないと思われ
ます。文明的な在り方とは、存在者としての人間が自然環境と共生するために取る戦略的なあり方です。
人間が劣化し自然に対して牙をむくこともある人間の特性を自己修正出来なくなってしまいました。人は
尊いことに救国のために生まれ来て幸せに生き働いて後この世の中に別れを告げる。人生に目的はある。
国のカタチとして、「天皇陛下に仕え奉るのが日本国民」というのもありましたが、悲惨な国民として
終わらなかったためしがない。国のカタチとして「不聞三宝名(三宝の御名を聞かず)」ということでは
困る限りであるので、三宝を篤く尊敬する日本国民の真・善・美のカタチが未来日本人にはふさわしい。
かつて、人間は、幸せに生きるために生まれて来た。人間到る所、青山あり。今は、時間空間に異常が生じ
人生のグレードが下落し、生まれた所で育ち、働き、老いて死んで行く。人間至る所青山有りではない。
しかし、「正しくない国の形」に固執し続けると「やつら悪魔の子」とみなされて、友好国を失ってしまう。
成仏出来る憲法と成仏出来ない憲法の違いを認識し決済することは日本人の重要な責務の一つであると言える
21世紀の日本国は過去の(思想犯罪・戦争犯罪・政治犯罪)を引きずる世界で最も複雑な構造造国家である。
大日本帝国憲法という名の侮辱は、日本人310万人、アジアの人2000万人という犠牲者を出させて終わった。
大日本帝国憲法は日本映画の脚本が如くの憲法だった。1946年11月3日公布の現憲法は100%米国製の憲法で、
世界はハリウッド映画の状態だ。推古12年の十七条憲法は純正な日本国憲法であり、今も多くの支持がある。
今日のように、憲法以外は全てがアップデートを繰り返し、絶えず「最新の状態」を保っている状況下では、
チャンドラー命題の逆命題を主張したHarry Igol Ansoff の Strategic Management 1979 の「戦略は組織(構造
に従う」が選ばれるべきかも知れない。つまり、過去幾たびも、考え方があって、在り方がある。戦略があって
組織や構造がある。この基本の設定を失敗してきたために、組織・構造・あり方などが先行して、それから、
戦略や考え方が立ち上がるというものである。チャンドラー命題の逆命題で日本は悪憲法を捨てるべきだ。
1946年(昭和21年)公布の憲法について、大規模なメンテナンスによって、国家特別基本法に仕上げるか。
どんなコインにも紙幣にも表面と裏面があります。悪憲法には、その配慮がなく、国民を絶望の淵に追いやる。