完全雇用国民所得水準における総需要の超過分を、インフレ・ギャップと言う
のですが、総需要管理政策には、インフレ・ギャップ対策、デフレ・ギャップ対策など
があります。天高く馬肥ゆる秋、ともなれば賜杯・杯・賞など、目白押しです。
50年~60年の長期自民党政治は、何の危機意識もなく、このような政治をやっていました。
その結果、お嫁にいくこともなく自殺してしまう若い女のひとが多数である、あやふやで、
のんべんだらりとしていて、暗く、恐ろしい国に、いつの間にか、作り変えられてしまいました。
この辺りは、悪い企業文化を育んでしまって、地域社会から排斥を被るに至った企業と似ています。
敗戦国に至った結果、大型のサメやクジラの腹部にくっついて生きる小判ザメのような国になった。
厚生労働省の調査では、10歳から39歳までの死因の第一位はもう長い間、自殺であるのです。
狐につままれたような世の中であるので、いつでも騙したり騙されたりで、客だねが悪くなります。
客だねが悪くなると、集客力が弱くなり、デフレ・ギャップに陥ることになります。
官僚制組織は、形式合理主義を特徴の一つとしますので、実質的価値倫理は失われ
ることになります 憲法は法律ではありません。あくまでも、”法”であるのです。日本の
国が、カスカスにされてしまったのは、官僚制組織を色濃く継承し、人間観が欠落している現行
憲法が主たる原因であるのです。このような理由により、「速度の経済」と言われる21世紀は、
国と国民のために及び世界の平和のために、日本は憲法を更新する必要があります
目標転移とは、目標を実現するための手段が、目標と置き換わってしまうことを言いますが、
国及び国民の存続と繁栄のために憲法は立法されるのであり、その目的のための手段であるのですが、
これがいつの間にか、憲法の存続と繁栄のために、国はある、国民はいる、ということになったのでは、
大変に困るということなのです。例えば、昨今の風潮である、他人(ひと)はいつでも殺されているが
自分には関係ないのであるが、その自分だっていつ殺されるか、ひき逃げされてしまうかわかった
ものではない不安社会は、上述、手段、手法の目標転移が原因である可能性が高いと言えます。
目標について、手段について、絶えず更新する必要があると考えられます。「憲法のおかげで、
貴様は、平和を享受出来ているではないか。だから憲法に感謝して、憲法を護持し続けなさい」
何とか、昭和天皇陛下を無罪にできないものか。
昭和天皇は無罪潔白だったとして、後の世の人々が責任を受けるということか。何とも理不尽な思惑だ。
意識こそは危機意識に他ならない。不確かな条文が手段であれば、その国の本来の目標や目的は何か
を言い当てることは出来なくなってしまう。「悲惨な地位を占めることになる」と元帥は語ったのです。
歴史の汚いシミはシミとして、都合が悪いので放置してしまう。「百年河清を俟(ま)つ」
このような態度では、歴史に良く耕された新機軸・新憲法策定作業は難航すると考えられます。
教育を利用し、児童を利用し、女の人を利用し、外部不経済を利用し、政治を利用し、カルトを利用し、
その他、あらゆる手段を講じて利用して国を滅ぼす、世の中を滅ぼす勢力に対して、何の批判もしない
自由放任主義であり続けようとする国・国民に明るい未来など期待出来るわけがないと考えられます。
戦略の中枢である大本営の目的は明確だった。日本軍は、大本営の手段として、手足のように動いた。
この点において、目標転移などはなかった。国民は嘘の情報をつかまされ騙されていた。以上は、事実
であり、何の反論もない。これらの事実は一体、何を意味しているかが重要であると考えられるのです。
大本営とは、戦時に設置され天皇に直属する最高統帥機関で、1893年に制定され、太平洋戦争後廃
止された。嘘の情報をつかまされていたのは、「日本民族としての国」だったのであり、大本営とは、「国
家統治権力としての国」だった。歴史は繰り返すのであり、再び、騙しが行われているので、「日本民族
としての国」の不満・不信・不安は絶望的な観を呈している。21世紀の日本人は怒らなければならない。
この間の、KDDI、auの通信障害問題。私はこの会社の携帯(ガラケー)ユーザーですが、緊急の用事がなかったので何の損得もありませんが、先日決まった、たった200円の賠償金では、あの時命の危機にあった人はたまったもんじゃないと思いました。
あの時、auショップに怒鳴り込みに行った方々がいたと聞き、代理店には罪はないのでは、と心が痛みましたが、逆に、そこまで行動する、怒りを表す事の出来る人たちの方が、外国では普通であり、私は正直で飾らず、(まあ迷惑ではあるんだけれども)、善良で真っ直ぐな人なんじゃないか、今の日本国に必要な人なんじゃないか、と思ったりもしました。
こちらのブログでは、現日本国憲法が悪い影響を今の日本に与えていると、警告なされている。
私は、それももっともな意見だ、と傾聴しますが、しかし、日本国憲法以上に、良い憲法が果たして現代日本国民の手で作れるのか、甚だ疑問もあります。
自民党草案等も見ましても、基本的人権がすっぽり抜け落ちてたり、加憲にしても、9条に新たに軍隊の保持の条文を書き加えても、元々の条文に齟齬を生じるのみで、私は、
そんなことをしなくて、今の拡大解釈のみでいいんじゃないか、
又、新たに憲法を作るにしても、今の国会議員達には、それが思い上がった、甚だ力量不足、無理なんじゃないか、危惧しています。
今の自民党も、統一教会等と様々な関係性、問題があり、最近の世論調査で、自民党の支持率が低下したのは当然で、逆に、未だに何で無為無策の岸田政権がこんなに依然と支持率高いんだろう?と謎で一杯であります。
確かに基本的人権について保証していますが、字面だけのような気もします。
最後のほうの、国会議員、公務員等の、この憲法を守る義務規定が、後回しになり、国民が守るべき義務であると、第一項に来ていて、本来は憲法とは、国民が守るべきではなく、国の役職についている方々が守るべき、と言う日本国憲法、世界の国々とも違った違和感を感じました。
その他、条文も細々としていて、格式も何もなく、現時において憲法作成作業をするとしたなら、難航を極めるだろうな、と言う感慨を抱きました。
ある医師との出会いを境に、私の宗教の思想信条は日蓮正宗で全く代わりませんでしたが、政治思想、支持政党が長年愛着のあり、恩義のあった自民党から、野党に代わってしまいました。
今回、私は多量の書籍を病院に持ち込み、入院の憂き目となり、その中で、まあ、宗教の本が多数占めましたが、その中の「何の兵法より法華経の兵法を用ひ給うべし」(御書、日蓮大聖人様御金言)の箇所を何度も読み直し、心に刻み、これ、この文章だけじゃなく、他にも多くの大聖人様、猊下様、御住職様が御説法でお使いになった御住職様の御指導の言葉、当時の御本の私によるその時の指導教師先生、つまり御住職の言葉の走り書きのメモ等々、それはそれは、誠に多くの文献と睨めっこ、というより、黙って黙読の毎日を過ごし、日蓮正宗の御出版の御本は、うちから持って行った御本、ほぼ、読破致しました。
それを、何冊も思索を重ねて、ノートに何冊もペンで書き殴り、そのノートは計二冊、メモ帳一冊、ボールペンは約4~5本はインクを空にし、又売店で買いました。
とにかく、頭を最大限に使った印象です。そのお陰で、頭も薄くなった気がします。
髪の毛を大事にするなら(したいなら)余り根詰めて、考えすぎない事、これが今の私の教訓?です。
以上、私の入院生活一か月弱の、お話でした。
追伸、肝心なことを言い忘れていました。私は、思想信条は、又、野党から、今回の入院を機に、「自由民主党」に私の支持政党は代わり、これからも、不動の地位、自民党が存続する限りに於いて、不変である(絶対に、自民党を御守りし、護持してゆく気概が、わたくしには、この矜持、プライドを掛けて、絶対に日本の伝統文化と共に永遠に自民党を命にも掛けて、御守りしてゆく事を、ここにお誓いする)。