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ドン・キホーテは生きている

2009年10月02日 23時15分21秒 | 紹介します。


ドン・キホーテの像(マドリッド、スペイン広場にて)

 数ヶ月前のこと、<IMPOSSIBLE DREAM>という、歌に接した。曲も歌詞も格調高い。「ラ・マンチャの男」というミュージカルのテーマソングということだった。
 そのあとピーター・オトゥール主演でソフィア・ローレンがアルドンザ役の「ラ・マンチャの男」という映画のビデオを見た。私にとってはベン・ハー以来の感動的な映画だった。
 とある宿屋の下女であり、淫売婦のアルドンザがドン・キホーテに出会って、最後には生まれ変わるというストーリーだった。
 <ドン・キホーテ>は、言うまでもなくスペインの作家セルバンテスの代表的作品であるが、何冊かの本に目を通してみると、奇妙なことに、ドン・キホーテがおどけ者、狂人として描かれ、支離滅裂な娯楽物語になっているではないか。友人に聞いても、ドン・キホーテという名前からは、おどけ者という印象しかないということがわかった。
 私は思った。この「ラ・マンチャの男」の主人公と、セルバンテスの<ドン・キホーテ>は果たして同一人物なのだろうか?作家セルバンテスの真意はどこにあったのだろうか?
 映画の表題を注意して見てみると、そこには原作者セルバンテスの名は記されていない。代わりにDale Wassermanという劇作家の名前がある。
 そして「ラ・マンチャの男」はアメリカのブロードウェイでも、かなりヒットしたミュージカルとして、日本でも松本幸四郎さんが熱演して来たことがわかった。 
 また松本紀保さんによる<名セリフ集>も出されていることを知った。
 映画での字幕は字数が限られているので、熟読には向かない。そこで僭越ながら、重要と思われるシーンのやり取りを英語原文から私なりに直訳してみた。
 独断と偏見が多いかもしれませんが、どうぞお許しください。
  二○○九年十月二日(金)イグアスにて
 
以下映画のシーンからの私訳

 <囚人たちに向かってセルバンテスが自分の書いた劇を説明し始める・・・・>
 私は一人の男を演じる。彼の名前は・・・アロンソ・キハナ。田舎の紳士、もう若くはない。隠居して本を読む時間が一杯ある。彼はそれらを朝から晩まで、時には夜中から明け方まで。そうして彼が読むものがすべて彼を押しつぶそうとする。・・・彼を義憤で溢れさせる。・・・人間の人間に対するきちがいじみたやりかたについて。
 彼は問題について思いめぐらす。どうやったらもっと良い世界を作ることができるのだろうか・・・この世界は悪が得をし、善はまったくそれに与らない。そこには詐欺とペテンと悪意があって、真実と誠実とが入り混じっている。彼は考えて、考えて、考えて、考えて、そして考えてそして最後に彼の脳みそは干上がってしまった。
 そこで彼は正気という憂鬱な重荷を降ろして・・・そしてこれまでにない奇妙な計画を思い立った。すなわち、諸国遍歴の騎士となり、そしてうって出ることだ。・・・冒険を捜し求めて世界を放浪し・・・すべてのあやまちを糾し、聖なる戦いに挑み・・・弱き者と困窮している人々を助け起こす。
 彼は隣人の田舎者で正直な男であるサンチョ・パンサを説き伏せる・・・もし貧乏人が正直者と呼ばれるなら・・・そして彼はほんとうに貧しいのだから、彼の従者になるようにと。
 彼はロシナンテと呼ぶ馬車馬を彼の乗る馬として選ぶ・・・そして主人を守る盾となるように。
 これらの準備が出来た時、彼は槍を手にとって・・・
 彼はもはや凡人のアロンソ・キハナではない。・・・不屈の騎士である。・・・ラ・マンチャのドン・キホーテとして知られる!

<ドン・キホーテがサンチョとともに出発する場面・・・・>
 今こそ、われに聞け!お前、荒涼とした耐えがたき世界よ、お前はなるべくして卑しく、放蕩に身を持ち崩した。そして騎士が勇気の旗を振りかざしてお前に挑戦する。
 我こそは、ドン・キホーテ、ラ・マンチャの領主。
 運命が私を呼んでいる、そして私は行こう。運命の嵐が吹きすさぶところどこへでも、私を運んで行く。どこへでも吹きすさぶところへ、栄光に向かって私は行こう。

 ―おいらはサンチョ、そう、おいらはサンチョ、おいらは主人の後に最後までついて行く。おいらは誇り高く全世界に向かって言うだろう。おいらは彼の従者、彼の友人

<ドン・キホーテの宣言・・・・>
 野蛮人よ、魔術師たちよ、聞け、そして罪の蛇たちよ、お前の卑劣な行いは過ぎ去った。何故なら、聖なる試みが今や始まろうとしている。そして徳が最後には勝利するだろう。
 我こそはドン・キホーテ
 -おいらはサンチョ
 ラ・マンチャの領主
 -そう、おいらはサンチョ
 私の運命が私を呼んでいる。そして私は行こう-最後まで主人について行く

<風車と遭遇したときのドン・キホーテとサンチョ・・・・>
 しかし中でも一番危険な奴がいる。・・・大魔術師だ。彼の思いは冷たく、彼の魂はしなびている。彼の目は小さな機械のようだ・・・そして彼が歩くところ、地は枯れる。私はいつか彼と顔と顔をあわせるだろう。
 お前はあいつが見えるか?・・・悪名高き巨大な怪物!私が遭遇しようとしていた敵
 -あれは風車です。
 巨人だ。
 -風車では?
 巨人だ!・・・
 お前は見えないのか?四つの巨大な腕が彼の背後で回っているではないか?

<アルドンザの言葉>
 私はこのことを学んだ、明かりが消えると、誰も特別の炎を上げて燃え上がらない。夜が明ける前にあんたがたはみんな同じだということを証明する。
・・・だからわたしに愛について語らないで欲しい。・・・
 私が死んでも、誰も悲しまない。何故って人生はきちがいじみた不潔なゲーム。だからあんたは私を呪うことも、接吻することもできる。・・・みんな同じ。・・・
 私は私が生きている人生が嫌い。でも、私は私、私はアルドンザ・・・

<アルドンザに出会ったドン・キホーテ・・・・>
 おお、神よ、彼女だ。高貴な淑女・・・美しい処女・・・私はあなたのお顔をまともに見ることはできません、あなたの美しさが私めくらにしてしまったかのようです。
 私の貴婦人よ、私に仕えるべきではありません。どうぞお願いします。御名を教えて下さい。
 -アルドンザよ。
 私の貴婦人よ、冗談でしょう。アルドンザは台所の下働きの女か、貴女の召使です。・・・
 貴女は私を試そうとしているのですか?
 ああ、いと高き、私の心をとりこにしたお方・・・
 どうして貴女を見まちがうことがありましょうか、私は貴女を知ってずっと以前から貴女を夢見ていました。一度も会ったことがなく、一度も触れたことがなくとも、私は貴女を私の心のすべてで知っていました。祈りの中で、賛美の歌の中で貴女はいつも私と共におりました。
 私たちは離れていても、いつも
 ダルシネア、ダルシネア、あなたを見るとき私は天国を見るのです。
 ダルシネア、ダルシネア、そしてあなたの名前は天使が囁く祈りのようです。
 ダルシネア、ダルシネア、もし貴女に私が手を差し出すとき、どうか震えないで下さい、恐縮しないで下さい。
 あなたの髪の毛に触れて私の指がただ、貴女の温かみと命を感ずることができますように。
 そして幻が空中に消えていかないように、
 ダルシネア、ダルシネア、
 今こそ私はあなたを見出しました。そして世界は貴女の栄光を知るでしょう。

 騎士はそれぞれ淑女を持つことが不可欠だ。淑女を持たない騎士は魂のない体のようだ。誰に対して彼はその征服したものを捧げるのだ。

<ドン・キホーテとアルドンザの問答・・・・>
 私は鉄の世界の中に入ってきた・・・世界を黄金にするために。
 -この世は肥溜めよ・・・そして私たちはその上を這い回る蛆虫。
 いや、そうじゃない。貴女はその心の中ではもっとよく知っているはずだ。
 -私の心の中にあるものは私をもう、半分地獄へ連れて行こうとしているわ。そしてドン・キホーテさん、あなたの頭はあなたの首とは無縁なものとなって終わるのよ。
 それは構わない。
 -じゃあ、何が?
 ただ、私がクェスト(使命)に従うかどうかということだ。
 -あなたのクェストって、クェストって何を意味するの?
 それは本物の騎士の使命であり、義務だ・・・いや、それは特権だ。
 
 不可能な夢を夢み
 倒すことのできそうもない敵と戦い
 耐えられそうもない悲しみに耐え
 勇者も敢えて行こうとしないところへ突進する
 糾すことのできない悪を糾し
 純粋で清いものを遠くから愛する
 腕が疲れ果てたときにもなおも試み
 届きそうもない星に手を伸ばす
 これが私のクェストだ。
 その星に従うこと
 どんなに望みがなくとも、どんなに遠くとも構わない、正義のために戦う、疑うこともなく、立ち止まることもなく。
 天の使命のためには喜んで地獄へも進んで行く。
 そして私は知っている。もし私がこの栄光あるクェストに真実であるならば、私の心は平安に満ちて、穏やかに横たわるだろう。やがて私が永遠の休息へと導かれる時に。
 そして世界はこのために良くなるだろう。一人の男が嘲られつつも、傷まみれとなっても、その最後の勇気の一滴をふりしぼって、及びがたき星に到達しようと奮闘したことで。


<検事役の男との問答・・・・>
 -だが、セルバンテスよ、現実と幻想の間には違いがある。・・・そしてこいつら牢獄人と気が狂った人間との間には違いがある。
 私はむしろその人の幻想は非常に現実的だと言おう。
 -結局のところ同じことじゃないか?
 -どうして詩人はきちがいに魅せられるのかね?
 それは共通しているところがいっぱいあるからさ。
 -お前たちはどちらも人生に背を向けているんじゃないか?
 我々はどちらも人生から選び取ったのさ。
 -人間は人生をあるがままに受け入れなければならない。・・・
 あるがままの人生・・・私は40年以上を生きて来て、そして見た。・・・あるがままの人生を-痛み、苦しみ、信じがたい残酷さを。
 私は神が創られたもっとも高貴なものたちの、すべての声を聞いた。それは街角のゴミの塊の中から呻いている。私は戦士であり、奴隷だった。私は仲間たちが戦いで死んで行くのを見た。・・・あるいはもっとゆっくりとアフリカの打ちたたくような風の下で死んで行くのを。
 私は彼らをその最期の瞬間に抱きしめた。彼らは人生をありのままに受け入れていた者もいた。だが、彼らは絶望しつつ死んだ。
 栄光もなく、最期の勇敢な言葉もなく、ただ彼らの目は途惑いに満ちていた。どうして?と問いかけながら。
 私は彼らがどうして死んで行くのかと訊ねているとは思わない。・・・いや、どうして彼らは生まれてきてこの地上の生を生きたのか。
 人生そのものが常軌を逸しているように思われる時、どこに狂気が横たわっているかを誰が知るだろうか?
 たぶん、あまりにも現実的であるということは、狂気なのだ。夢をあきらめること、これが狂気なのだ。
 ただゴミしかないところで宝物を探す・・・あまりにも正気であるということは狂気であるかもしれない。
 そしてすべての中でもっとも狂気なのは・・・人生をありのままに見て、あるべき姿を見ないことだ。

<サンチョとの問答・・・・>
 -分からない。
 わが友よ、何が分からないのかね?
 -あなたがどうしてそんなに元気いっぱいなのか。あなたは最初貴婦人を見出した、それからそれを失った。
 決して失ってはいないよ。確かに彼女はあのラバ追い達と行ってしまった。疑いなくある気高い目的のためにな。
 -あの下品な奴らと一緒に?気高い目的のために?
 サンチョよ、お前の目はいつも良きものよりも悪いものを見る。私の目はこの世界を作ったのではない。それはただ見るだけだ。
・・・
 -何ですって?それでは悪が栄えるのを許すのですか?
 私は気づいたのだが、悪は結構厚い鎧を被っているようだ。
 -で、そのためにあなたは私に戦うことを止めよと言われるのですか?
 いや、そうではない。何千回でも打ちのめされよう。しかし、我々は立ち上が 
らなければならない。戦うのだ、そうだ!


<陵辱されたアルドンザとの再会>
 -嘘、嘘、嘘、狂気と嘘よ!嘘、嘘、嘘、狂気と嘘よ!
 この罪を犯した者は罰せられるだろう。
 -罪? すべての中で最悪の罪は何かを知っている?生まれたということよ。 
 -そのために人はその人の人生すべてで罰を受けるのよ。
 ダルシネア
 -その名前は聞き飽きた!きちがい病院に行ってしまえ! 誰も聞こえないところで高貴さについて褒めちぎるがいい。
 私の貴婦人よ。
 -私はあなたの貴婦人なんかじゃない!私はどんな種類の貴婦人でもないわ。
 -だって貴婦人は控えめで慎み深い雰囲気をもっているもの。
 -そしてめくらの男だってそれらの美徳が私に欠けているのが分かるわ。
 -それは身につけるのは難しいの。
 -これらの慎み深い雰囲気は
 -馬小屋で仰向けに寝かされて(男のなぐさみものになっている私には)。
 -あなたは私を見ようとはしないの?私を見て、神かけて、私を見て下さらない?
 -調理場のふしだらな女を見て。
 -汗臭くて
 -糞の山の上で生まれ
 -糞の山の上で死ぬの。
 -男たちは私を売春婦として扱い、そして忘れる。
 -もしあなたが私を分かっていると思うなら
 -私の処女の下着にではなく
 -私の手の平に硬貨を握らせておくれ。
 -そうすれば私は喜んで残りを見せてあげる。
 決してあなたは自分がダルシネアだということを否定してはいけません。
 あなたの目からかすみを取り去り、私を私がほんとうに私であるように自分を見て下さい。
 -あなたは私に空を見せてくれたわ。
 -でもあの空に何のいいものがあるの、這いつくばることしか決してしない生き物に?
 -無慈悲なろくでなしどもが寄ってたかって私を苦しめ傷めつくしたけれど、あなたはみんなの中で一番残酷な人よ。
 -あなたの優しい異常な精神が私に何をしたかが分からないの?
 -私から怒りを奪い、そして私を絶望させたの。
 -殴られたり、虐待されるのは平気、そうすればお返ししてやれる。優しさには私は耐えられない。だからあなたの素敵なダルシネアという名前でこれ以上私を苦しめないで。
 -私は誰でもない。私は何者でもない。私はただ淫売女のアルドンザよ。
 今もそして永遠にあなたは私の貴婦人ダルシネアです。
 -いいえ、違うわ!

<ドン・キホーテことアロンソ・キハナ氏の臨終の床でアルドンザとの問答・・・・>
 彼女を居させなさい。私の家では礼儀があってしかるべきだ。近くに来なさい。 
 女よ。あなたが望んでいるのは何かね?
 -あなたは私を知らないのですか?
 知っているはずだと言うのか?
 -私はアルドンザです。
 申し訳ない、(貴婦人よ)私はその名前の人を思い出せないのだが。
 -ああ、どうか、私のご主人様。
 どうして私を「私のご主人様」と言うのかね?
 -あなたは私のご主人様、ドン・キホーテです。
 ドン・キホーテ?
 許してくれ、私は暗闇に惑乱させられているようだ。私はあなたを昔知っていたかもしれないが思い出せない。 
 -どうか、思い出そうとして下さい。
 それはそんなに大事なことなのかね?
 -ありとあらゆることです。私の全生涯です。あなたは私に語りかけられました。そしてあらゆることが・・・変わってしまいました。
 私があなたに話したと?
 -そしてあなたは私を見て・・・別の名前で私を呼びました。ダルシネア、ダルシネアと。
 -あなたはかつて一人の女を見出しました。そして彼女をダルシネアと呼びました。
 -あなたがその名前を呼ぶとき
 -天使が囁くようでした。ダルシネア、ダルシネアと。
では、たぶんあれは夢ではなかったのだ。
 -あなたは夢について語られました。・・・そしてクェストについて。
クェスト?
 -あなたはどのようにして戦わなければならないのか?そして勝とうが負けようが問題ではない・・・ただそのクェストに従うならばと。
 私はあなたに何を言ったのかね?その言葉を言ってくれ。
 -夢見ること・・・叶わぬ夢を。でもこれらはあなたご自身の言葉です。
 -戦うこと・・・打ち負かすことのできない敵と。思い出しませんか?
 -耐えること・・・耐え難い悲しみに。あなたは思い出さなければなりません。
 -向かって行くこと・・・勇者が敢えて行かないところへ。
 糾すこと・・・糾し得ぬ悪を。
 -そうです。
 愛すること・・・純粋さと清らかさを遠くから。
 -そうです。
 あなたの腕が疲れ果てたときにも、やってみようとすること。届き得ない星に手を伸ばそうと。
 -ありがとうございます、ご主人様。
 私の貴婦人よ、これは礼儀にかなったことではない。あなたが私にひれ伏すのですか?
 -でも、ご主人様、あなたは(お体が)良くありません。
 良くない?放浪の騎士の体にとって病気が何だ?怪我が何だ?彼は倒れるたびに、・・・彼はもう一度立ち上がる。・・・悪を呪う!
 サンチョ! 私の兜、私の剣!
 更なる思いもかけない災難がやってきた!
 冒険だ、昔からの友よ!
 ああ、栄光のトランペットが
 今、私に起ちあがれと呼んでいる
 そうだ、トランペットが私を呼んでいる。
 そして私が行くところどこでも、私のそばにはいつも忠実な者、私の従者とそして私の貴婦人がいる。
 私こそ、ドン・キホーテ、ラ・マンチャの領主


<ドン・キホーテを葬って後のサンチョとアルドンザの会話・・・・>
 彼は死んだ。私の主人は死んでしまった。
 -あの人は死んだわ。いい人だった。・・・でも私は彼を知らなかった。
 でも、あなたは彼に出会った。
 -ドン・キホーテは死んではいないわ。信じるのよ、サンチョ、信じるのよ。
 アルドンザ・・・
 -ダルシネアよ。
 ダルシネア。

<牢名主が別れ際にセルバンテスに語りかける・・・・>
 -セルバンテス?ドン・キホーテはセルバンテスの兄弟だと思うが。
 神が我らを助けられる。我々は両方ともラ・マンチャの男さ。
 私のためだけにドン・キホーテは生まれ・・・そして私は彼のために(生まれたのだ)
 私は彼をあなた方に進ぜよう。昔からの友よ、用意はいいかね?勇気を出そう。・・・

<牢獄の者たち一同の合唱>
 叶わぬ夢を夢み・・・
 打ち負かすことのできない敵と戦い
 耐えがたき悲しみに耐え
 勇者も敢えて行かぬところへ向かって行く。
 ゴールがどこまでも永遠に遠くとも
 旅に疲れ果ててもなおも挑戦しようとする、
 及びがたき星に手を伸ばそうと、
 及びがたき星に手を伸ばそうと、
 それが不可能なほどに高いところにあることを知っていても、
 心では上を目指して生きる。
 遠くへ
 及びがたき
 星を(目指して)

Youtube による 動画紹介(英語)
http://www.youtube.com/watch?v=RfHnzYEHAow
Youtube による 動画紹介(スペイン語)
http://www.youtube.com/watch?v=72WRdem_EBQ
スクリプト全文紹介
http://www.script-o-rama.com/movie_scripts/m/man-of-la-mancha-script-transcript.html

追記:
 2012年8月23日、帝国劇場での松本幸四郎さん主演の「ラ・マンチャの男」を見た。途中涙なみだで、目の周りがびしょ濡れになった。ドン・キホーテと、彼によって救われることになったアルドンザの姿に、現代ではほとんど見ることができなくなった真実を求め続ける人間の尊さを感じてならなかった。