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奇跡の人の奇跡の言葉/高橋和夫・鳥井恵 共訳

2016年12月03日 11時26分52秒 | 紹介します

「奇跡の人の奇跡の言葉」/高橋和夫、鳥田恵 共訳

・・・ヘレン・ケラーの魂を生涯に亘って導いたもの

私がこの世に来たのはさばくためである。すなわち見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようになるためである。・・・あなた方が盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなた方が「見える」と言い張るところにあなたがたの罪がある。

ヨハネ9;39

“But what am I?

An infant crying in the night;

An infant crying for the light;

And no language but a cry.”

然らば我は何なるか、

夜暗くして泣く赤児

光欲しさに泣く赤児

泣くよりほかに言語なし。・・・求安録より

内村鑑三

 

 本書は1927年に発刊された、ヘレン・ケラーのMy Religeonの全訳で、日本語のタイトルは「奇跡の人の奇跡の言葉」となっています。その中から引用すると、

p164

 私も決して傲慢な気持からではなく、闇の中での私の生活経験を有効に使うための能力を身に着けたいと願っています。神の愛やその被造物たる人間の愛は、私を完全な孤立状態から引き離してくれますが、そうした愛の持つ力を記録し続け、私の不運をほかの人たちへの援助や善意の媒介として役立てることができれば、私にとってこれに勝る喜びはありません。・・・

p186

 神はあらゆる地域に何らかの宗教を提供してこられたのですから、各人が理想とする正しい生き方に忠実でありさえすれば、誰がどんな人種や信条に属していようとも全く問題はないのです。・・・宗教とは(神を信ずるということ)その教義に従って生きることではなく、また単にそれを信ずれば良いというものではありません。

 ムハマッドが偶像崇拝を打破するために立ち上がったのも、神の摂理からでした。この偉大な予言者は東洋人特有の気質に適した形で宗教を説いたのですが、このことは、この信仰が何故多くの国々で人を善に向わせるのに大きな影響力を発揮できたのかを説明しています。

 

p217訳者後書きより

 ・・・ヘレン・ケラーは熱病のために2歳になる前に失明し、耳と口の機能も失いました。・・・(電話の発明で有名な)グレアム・ベル博士がケラー家に紹介したのが、パーキンス盲学校を卒業したばかりのサリヴァン先生でした。彼女はこの時、20歳、以後50年もヘレンに影のように寄り添います。

 ベル博士との交流はその後もずっと続き、ヘレンがサリヴァンに次ぐ「第2の恩人」と書いたジョン・ヒッツへとつながります。・・・ヒッツはスェーデンボルグボルグ派のキリスト教徒で、12歳のヘレンと出会った時は、すでにかなりの高齢でした。その交流はヘレンの20代後半まで続きました。この人こそ、ヘレンが生涯に亘って信奉した「宗教」を教えた恩人なのです。・・・ヘレン・ケラーの人生は、彼女を取り巻いた多くの人々の愛と善意に支えられていたのです。・・・

 暗闇と沈黙の世界に生き、飢えれば食物を本能的に求めるだけの少女が、「三重苦の聖女」、「奇跡の人」「光の天使」などと呼ばれるまでに変身した経緯は、私たちに教育の力をまざまざと見せつけます。サリヴァン先生自身も、パーキンス盲学校に入るまでは、孤児同然であり、視力も失いかけていました。・・・ヘレン・ケラーが「私の幸福はサリヴァン先生の不幸の上に成り立っていた」と語らせるほど、悲劇的な献身の生涯だったように思います。

 その驚異的な努力によって、ヘレンは読み書きを覚え、話せるようになり、ハーバード大学の女子部を優秀な成績で卒業しました。その後88歳で世を去るまでどんな働きをしたかは周知のとおりです。・・・

 本書はヘレン・ケラーが自らの内面を率直かつ真摯に吐露した重要な著作であるにも関わらず、日本ではほとんど知られていません。・・・その理由は・・・サリヴァン先生でさえ、スウェーデンボルグを誤解し、狂人扱いしたままであったと伝えられています。

 しかし、私は、本書を読まないでは・・・ヘレンの内面のほんとうの姿は決して知りえないと思います。確かにサリヴァン先生の尋常でない努力のおかげで、・・・感覚や理解力の発達という知性的な側面の成長は奇跡的だったと言えるでしょう。

 けれども、彼女の霊性という側面、つまり心の奥深い領域における自覚の深まりとか、魂の成長はどうだったのでしょうか。

 ・・・ヘレンには自然への関心以上の、存在の根源すなわち神へのもっと深い宗教的な問いがありました。それは誰もが抱く宗教的な懐疑や苦悩に関するもろもろの問いです。これらに対して納得のゆく答えが見出されない限り、彼女の魂に真の安らぎは訪れませんでした。

 ・・・無類の読書家だったヘレンは、・・・自分の生活を豊かにしてくれたどうしても挙げずにおれない書物として、第一に聖書を、そして次にスェーデンボルグの「神の愛と知恵」を挙げています。ヘレンはヒッツが点字にして送ってくれたスェーデンボルグの著作を手引きにして、点字の自分の聖書を、その点字が磨滅してしまうまで幾度となく読んだと言っています。こうして彼女は神の愛に触れ、ほんとうの信仰を得ることができました。これは彼女の霊性の開顕であり、暗黒と沈黙の世界は光と歓喜の世界へと変貌したのです。そしてここから、泉から水が湧きだすように、ヘレンの社会事業家、講演者、著述家・・・等々としてのあの力強い活動の原動力が生まれたのです。・・・

 英文で書かれた原書はインターネットで無料で閲覧できるので、英語を理解する方々はぜひお読みください。

 ただ、訳者あとがきにあるように、ヘレン・ケラーの生涯を貫いた信仰についてはあまり多くは知られていないのが実情です。それは信仰というものは知性によって体得されるではなく、一人一人が地上の人生で霊性を発芽させ、成長することによってのみ会得できるものだからであろうと私は思っています。
 想像してみて下さい。目を閉じて、さらに何も聞こえない状態にある自分を。おそらく私たち人間が死ぬ直前、そのような状況になるのではないかと私は思います。何も見えない、何も聞こえない。そんな時あなたの心は何を頼りにしますか?
 彼女が信奉したスェーデンボルグの言葉は、いわゆる正統派キリスト教からは異端視されています。そして歴史を通して、多くの偉大な魂は一方では異端視されながらも、ありありとした来世を垣間見つつその希望に生きて、逝きました。(ある者は焼き殺されつつも)

以下ヘレン・ケラー 輝ける魂」から抜粋します。またぜひこれをご覧ください!