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アシジの聖フランシスの生き方を考える。

2011年09月07日 06時08分20秒 | アシジの聖フランシス

またからだを殺しても魂を殺すことのできないものどもを恐れるな。むしろからだも魂も地獄で滅ぼす力のある方を恐れなさい。・・・マタイ10;19

 またシロアムの塔が倒れたために押し殺されたあの18人は、エルサレムの他の全住民以上に罪の負債があったと思うか。あなたがたに言うがそうではない。あなた方も悔い改めなければみな同じように滅びるであろう。・・・ルカ13;4

 いつの時代でも人々が安定した生活を営み始めるとともに、精神的には堕落が始まる。物が溢れ、刹那的な喜びを追い求め、自分を中心にした損得勘定の中で生きるようになりがちだからである。
 
現実社会においては、既成の宗教が大衆におもねるものになり、さらに信仰とは名ばかりのさまざまな新興宗教が幅を利かす。またそれに類似した社会事業が行われる。
 日本では、昨年の猛暑の中、ずっと以前に亡くなった親の遺骸を隠したままにして、その年金をずっと受取り続けていたという前代未聞の事件が多発した。独居老人の孤独死や、あらゆる世代の自殺や自殺未遂は依然として後を絶たず、日本社会はマスコミが描き出す華やかさとは裏腹に、現代は誰の目から見ても、戦前までの古き善き日本とは断絶した、末期的な様相を呈しつつある。
 
いっぽう、私たちがその中に住む大自然は、時として猛威を振るい、人為的に作り上げた全てのものを破壊し尽くしてしまうことがある。このことをどう受け止めるべきだろうか?
 
私は思う、この度の東日本大震災は東北地方の人々だけの災害として受け止めるべきではない。日本人ひとりひとりが、また地球に生まれてきたすべての人びとが、このことに思いを馳せるべき時なのだ。
 
近年に起きた地震を見ても、直前のニュージーランド、クライストチャーチで、ハイチやスマトラで、そして中東などで、ほぼ地球の全域にわたって大地震はたびたび起きている。特に後進国では甚大な被害が出ている。
 そんな中マスコミを通して、被災地の悲惨な有様を目にし、遺族の方たち、被災された方たちのことを思うと、胸が詰まり涙があふれてしまう。一日も早い復旧を願い、以前のように復興することを期待するのは私も同様である。
 
しかし復旧、復興と言って、以前と同じような物質的豊かな社会に戻ることが、果たしてこの国の今後進むべき道だろうか?世界を見回してみると、一日を1ドル以下で暮らす貧困層や、飢餓に苦しむ人々が地球上の人口の大半を占めている。日本はほんとうにこのままでいいのだろうか。
 
とかく私たちは目の前の経済的復興だけに囚われがちである。しかし、日本の現状を見廻したとき、政治的にはいよいよ低迷し、人々の価値観も表面的な豊かさに憧れている現代にあって、この時を契機として、今こそ日本民族の底流に流れている精神的な力を振るい起こすべく目覚める時ではないだろうか。私は感ずる、まさに歴史の審判者である神は、そして世界の人々は、そこに注目している。

今から800年前だが、ここにかつて一人の目覚めた人がいた。アシジのフランシスコと呼ばれている人物だ。さまざまな尾ひれが付いた資料の中から私なりに彼の本質を探ってみた。

<フランシスコの生い立ちと回心>
 彼は1181年ごろスペインの片田舎、アシジの裕福な織物商の一人息子として生まれた。青年時代は友人たちと語らって、放埓な日々を送っていたが、その頃の彼の願いは、騎士になって戦うことだった。
 それである時十字軍の遠征に参加した。そこで捕らえられて1年間の捕虜生活を送った。その後重い病に罹り、ほうほうの態で故郷に逃げ帰り、数年の療養生活を送った。
 この時の体験を通して、神は彼を真の幸福へと徐々に目覚めさせたのである。

 彼にまつわるいくつかのエピソードの中のひとつはこう記している。
 ある日、道で一人のライ病人に出会った。彼は、この汚いライ病人が道をよけてくれないかと一瞬、心に思った。しかし、すぐに、このもっとも小さい兄弟をも愛するようにとのキリストの教えを思い起こした。そして彼は大胆にも、それまでの嫌悪感と、感染するのではないかとの恐怖を追い払って、その病人に接吻した。
 この時から彼の中に、言葉では言い表せない神の愛が沸き起こり始めた。そしてそれから毎日のように不潔なライ病院を訪ねた。彼らを看病し、傷口を洗い、包帯をしてやったり、慰めたりした。こうして彼は次第に自分のことを顧みなくなり、それまでの遊興的な生活とはまったく違った人生を歩み始めたのである。
 またもうひとつのエピソードでは次のように語られている。
 療養中のある日、目覚めると一羽の小鳥が目の前に飛び跳ねていた。彼はそれをつかまえようとしてベランダを降りて屋根に上った。小鳥は一時彼の手中に捕らえられた。しかしすぐに抜け出して大空へと飛び立って行ってしまった。
 このことから、彼は自分も小鳥のように自由に大空を羽ばたきたいと願うようになった。「何が自分を地上につなぎ留めているのだろうか?」と思いめぐらしていると、キリストの言葉が次々と彼に迫って来た。

 以下「Brother Sun Sister Moon」という彼の生涯を綴った映画のセリフの一部から、例によって私訳を紹介します。画像をクリックすると、「Donovan」が英語で歌っているyoutubeが開きます。最小化して訳詞を読みながらご鑑賞下さい。
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<大自然への賛美>
 鳥たちは甘く低い声でさえずっている。
 あのゆるやかに伸びつつある梢の間から
 柔らかく心地よい風が吹いて来る。
 この心地よい日
 私は牧場へと向かう
 蝶のようにあちこち飛び交いながら。
 花々は何と私の目を楽しませてくれることだろうか!
 この心地よい日
 いつまでもそうであるようにと私は祈る。
 そんな日には生きることは実に心安らぐ!
 誰の上にもこの安らぎがあるようにと私は願う。
 この心地よい日に
 ラーラーラリーララ、ラーラーラリーララ、ラーラーラリーララ
 この心地よい日に
 
 誰の上にもこの安らぎがあるように。
 この心地よい日に

<太陽と月を仰いで>
兄さんの太陽よ、そして姉さんの月よ
私はめったにあなたを見上げることもないし、
めったにその調べに耳を傾けることもない。
自分の惨めさに囚われて、心がいっぱいなのだ。

兄さんの風よ、そして姉さんの大気よ!
どうか私の眼を開いて下さい。
貴神の美と
私の周りを囲む(貴神の)栄光を、
何のわだかまりもなく清らかに、私が見ることができますように。

私は神に創られたもの、その一部だ!
(貴神の)愛が私の心に湧き上がるのを私は感ずる。

兄さんの太陽よ、そして姉さんの月よ!
今こそ私は、貴神を見たてまつり、御声を聞くことができる、
見渡すものすべてに溢れる貴神の愛に包まれて。

私は神に創られたもの、その一部だ!
(貴神の)愛が私の心に湧き上がるのを私は感ずる。

兄さんの太陽よ、そして姉さんの月よ!
今こそ私は、貴神を見たてまつり、御声を聞くことができる、
見渡すものすべてに溢れる貴神の愛に包まれて。

<肉の父への語りかけ>
 お父さん、お父さん、私はあなたと喜びを分かち合いたいのです。
 私たちの宝はここ地上にではなく天にあります。
 お父さん、こんなものの奴隷になってはいけません。
 すべてを投げ捨てて下さい。私がしているようになさって下さい。
 それはとても簡単なことです。
 そうして、自由になってください、お父さん!

<祭司への告白>
 ある者は光を求めつつも、暗闇の中にずっとおります。
 かつて私も、暗闇の中におりました。
 でも(ある時)兄弟である太陽が私の魂を照らして下さいました。
 そして今私は、はっきりと(この世界を)見ることができます。
 ちょうど神が太陽を創造され、聖なる衣をまとわれておられるように、
 ああ、私もそうありたい、・・・幸せでありたい!
 空の鳥のように生きたい。
 彼らが体験している自由と清らかさを、私も体験したい。
 ほかのことは私にとって無用だ。
 何の益もない。
 どうか信じて下さい。
 もし人生の目的が日々のこの愛のない労苦にあるならば、
 それは私のためではない、もっと良いものがあるはずだ。
 ・・・なければならない。
 人間は・・・ひとつの霊だ。
 私には魂がある。
 それを私はもう一度捕らえたい、私の魂よ!
 (ほんとうの意味で)私は生きたい。
 (そうだ)私は野で生きたい。
 丘の上を闊歩し、木に登り、川で泳ぎ回りたい。
 靴を履かず、足の下に大地の固さを感じたい。
 何も所有することなく、私たちが召使と呼ぶそれらの影なしに(生きたい)。
 私は乞食になりたい。
 そうだ、そうだ、乞食だ!
 キリストは乞食だった。そして彼の使徒たちも乞食だった。
 彼らが自由に生きたように、私も生きたい。
 
 「肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。」

 私は今もう一度生まれたのだ!

<肉の父との訣別>
 お父さん、私はあなたに属するものすべてをお返しします。
 あなたの衣服、あなたの持ち物。あなたの名前も・・・。
 もう(私には)父はない。
 (私はあなたの)子ではない。

 「誰でも天の父のために、家、兄弟、姉妹、父を、あるいは母、子ども達、畑を捨てた者は、来るべき世では百倍以上を受ける」。・・・

<勧めの祈り>
 もしあなたの夢が叶うようにと願うならば
 それをゆっくりと確実にやりなさい。
 小さな始まりはより大きな結末に
 心を込めた働き(の種)は清らかに成長していく。
 もしあなたが自由に生命を生きたいなら
 あなたの時間がゆっくりと進むようにしなさい。
 少しのことをして、でも、それらを丁寧にやりなさい。
 単純な喜びは清らかだ。
 日ごとに石を積み重ね
 あなたの秘密(の種)をゆっくりと育てなさい。
 (そうすれば)日ごとにあなたも成長するだろう。
 (そうして)あなたは天の栄光を見るだろう。

 もしあなたの夢が叶うようにと願うならば
 それをゆっくりと確実にやりなさい。
 小さな始まりはより大きな結末に、
 心を込めた働き(の種)は清らかに成長していく。
 もしあなたが自由に生命を生きたいなら、
 あなたの時間がゆっくりと進むようにしなさい。

<兄弟ベルナルドとの会話>



 _フランシスコ、君は大丈夫かい?

  私はすごく元気だ、ベルナルド。それで君は?
_私の言うことをほんの少しだけ聞いてくれ。私は君を助けたいんだ。
・・・言葉だ。
 言葉だよ、ベルナルド。
 かつては私も言葉を信じた時があった。

 _牢獄にいた間いつも、我々は君のことを話していた。君は死んだにちがいないと思っていた。解放された時、私は十字軍のところに行こうと決めた。そしてエルサレムで、君が生きていると聞いた。だが(それから)、私は驚いた。君がかつてあんなにも愛していた生活を捨てて、新たな目的を、新しい意味を探していると人々が言うので・・・
 _もちろん、君は正しい。私もそれをやってみようとした。だが、私の場合は、それに失敗した。そうだ、私の感ずるこの・・・失望感、この虚しさ、この不満足・・・
・・・そのために、十字軍を責めるのはあまりにも簡単だ。戦争の恐怖、私たちの理想の崩壊がその一部だ。でもそのほかに何かがあると私は感じている。
 _私は息が詰まりそうだ、私の過去を思い、生い立ちを思うと。・・・それらはもはや私には何の意味もない。
 _そして君は、フランシスコ、君はほかの誰よりも私が理想なしには、何か信ずるものなしには生きられないということを知っているはずだ。
 _多分私は間違っている、多分人はもっとひねくれていて、理想を忘れるべきなのかも知れない。私には分からない。それでここへ来て君と話そうと思ったのだ。
・・・どうしたのだ?

 あそこにある、あの石は使える。首(かしら)の石にできそうな、固くてしっかりしている石だ。
 ベルナルド、君はあれをどこで手に入れた?この近くの石切り場からかね?
 _そうだ、そう遠いところではない。もし良ければ君をそこに連れて行ってあげるよ。
 ありがとう。
 
 ああ、来たまえ、そして君自身が霊なる神の宮の、生きた石になるのだ!

<信仰の賛美>
 許してやれ、そうすれば君は許してもらえるだろう、そして素朴に生きて行こう。
 何て祝福されていることだろうか、憐れみを示す人たちは!
 憐れみが彼らに示されるだろう。
 何て祝福されていることだろうか、平和を作り出す人たちは!
 神は彼らを自分の息子、娘たちと呼んで下さるだろう。

<平和への祈り>
 ああ、主よ!
 私を平和の道具として下さい。
 憎しみのあるところに、愛を種蒔かせて下さい。
 傷みのあるところに、許しを、
 疑いのあるところに、信仰を種蒔かせて下さい。
 与えることで、与えられ、
 許すことで、許される。
 死ぬことで、新しく生まれる。
 すなわち、永遠の生命へと生まれかわる。

<クララの回心>
 _私はこの気持ちをあなたに話さずにはいられません。
 たとえ、全世界がそれを聞いて(笑って)もかまいません。
 これからはずっと、私はあなたが生きているように生きたいのです。
 私が少ししか力のない、かよわい女だからと言って、どうか追い返さないで下さい。
 もう私は自分が理解されようとは願いません。
 私は理解したいのです。
 私は自分が愛されることを求めません。
 私は愛したいのです。
 悲しみのあるところに、喜びを発見することができますように。
 どうか、どうか、私を助けて下さい。

<愛の賛美>
 天地のすべての父よ
 母なる光の世界よ!
 私たちの窮状をなだめ、心をやわらげて下さい。
 憐れみの中で楽しませ、キリストの中で喜ばせて下さい。
 この戦いに私たちが勝つように、助けて下さい。
 大空は私を招いています。
 吹きすさぶ風の中で、私を呼んでいる声が、
 (神の)栄光を讃える歌が聞こえて来ます。
 地には私を挫こうとする痛みが、悲しみの町にはため息が満ち、
 暗黒の影が広がりつつあります。
 (しかし)すべての人への愛があの御方の中にあります。
 友の友であるあの御方が(私の中に)目覚めつつあるのです。
 熱狂的な喜びが爆発しようとしています。
 (その御方は)私たちのところにやって来つつあります。

 すべてのものの父よ
 光の母よ
 私たちの窮状をなだめ、心をやわらげて下さい。
 憐れみの中で楽しませ、イエス・キリストの中で喜ばせて下さい。
 この戦いに私たちが勝つように、お助け下さい。


<教皇との会話>
 どうしてですか?何故ですか?
 空の鳥を見て下さい。
 彼らは蒔くことも、刈り取ることも、倉に蓄えることもしない。
 それなのに天の父は彼らを養って下さる。
 あなた方の間で誰か、心配をしてその寿命を1秒でも加えることができるでしょうか、あるいはその背の高さに1フィートを加えることができるでしょうか?
 どうしてあなた方は、富に心を囚われるのですか?
 野のゆりがどんなふうに育っているかを考えてみて下さい。
 それらは働くことも紡ぐこともしない。それなのにソロモンも、彼のすべての輝きを以ってしても、これらのひとつほどにもめかし立てられてはいなかった。
 あなた方の信仰は何と小さいことでしょう。
 あなた方は尋ねます。「私たちは何を食べようか?何を飲もうか?何を着ようか?」と。
 これらすべてのものは、異邦人が追い求めるものです。
 あなたの心を神に向けて下さい。そして何にもまして御心がなるようにと祈って下さい!
 そうすれば他のすべてのものはみなあなたのところにやって来るでしょう。

 あなたがたはその宝を、この地上に蓄えて来ました。そこではしみが付き、蛾がそれを食い荒らします。そこでは盗人たちが入り込んで、それを盗みます。
 しかし、あなたの宝を天に蓄えなさい。そこではしみも付かず、蛾もいないし、盗もうとする泥棒もいない。
 何故ならあなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。 
 あなたがたは何と小さな信仰を持っていることでしょう!
 誰も二人に主人に仕えることはできません。なぜなら彼は一人を憎み他の一人を愛するからです。一方に献身し、一方を疎んじるからです。あなたがたは神と金銭の両方に仕えることはできません。

 
 私はよく私の家の周りの原っぱでひばりを見ました。彼らはあまりにも、遜った、つつましい生き物で、ほんのひと口の水と木の実を、生きるために、そして天に舞い上がるために、必要としています。
 ある日、私は、私たちもそのひばりのように、少しのもので満足しているなら、幸せでいられるのではないだろうかと考えました。
 もし私が、彼らが生きているように生きることができるなら、歌いながら私たちを創って下さった主に感謝しながら生きることができるならば、・・・と。
 そしてあなたの助言をいただくために、私たちはローマに来たのです。

 _うむ、どんな助言を私は君にしてあげられるだろうか?私の若い兄弟よ。神は君に最も素晴らしい賜物をお授けになった。彼の愛する、その被造物を通して彼に近づく恵みを。
 あなたはそれ以上に何を望むのか?

 素朴な人たちは私たちのことを解かってくれます。でもほかの人たちが・・・たぶん私たちは何か間違いをしているのです。これが私たちの知りたいことです。聖なる父よ、私たちの主の教えに従って生きることはできないのでしょうか?あるいは私たちは思い込みから罪を犯してしまっているのでしょうか?もしそうであるなら、あなたに私たちの間違いを教えていただきたいのです。

 _最愛の子よ、間違いは許されるであろう。我々は原罪に執着して、ともすれば原始の無邪気さを忘れてしまうものだが・・・、あなたにはそれが起こらないようにと願う。
 愛する子よ、あなたは私に大いなる喜びと、そして少しの悲しみをもたらした。私も、また、私の仕事を、・・・ああずっと前だが、あなたと同じように始めたものだ。だが、時と共に、そのすべての熱心が過ぎ去ってしまい、そしてあなたが見るように、教会政治の責務が私をとらえてしまった。
 だが、あなたたちの後に来る人々には何が起こるだろうか?あなたはそれらについて考えたことがあるか?

 しかし、それが私たちにとって真実なら、どうしてそれが彼らにとって真実でないことがあり得るでしょうか?
 _私たちは富と権力の厚い皮で覆われてしまっている。(そして)あなたたちは、その貧しさを通して、私たちに恥ずかしい思いをさせる。
 ああ、フランシスコ、フランシスコ、私たちの主、イエス・キリストの名の中で進み行きなさい。すべての人に真実を語りなさい。あなたの弟子たちが何千倍にも増え、やしの木のように繁茂するように。主が、あなたと共にあるように。あなたの手に、そしてあなたの足に・・・(教皇がフランシスコの足に接吻する)

<太陽の賛歌>
 善き主よ、いと高く全能であられる御方よ
賛美と栄光と誉とすべての祝福は貴神にこそあれ!
 御名を呼ぶにふさわしい者は、この地上にはひとりもいない。
 ほむべきかな主よ、あなたが創られたすべての被造物によりて、
特に兄弟である太陽のゆえに
太陽は昼をつかさどり、地上を照らす。
それは美しく光輝き、いと高き貴神のみ姿を宿す・・
 (以下略)

<フランシスコの最期>

 こうして彼の教団は増え広がって行った。しかし彼は決して組織の上に立とうとはしなかった。彼が死に面してとった態度は、彼の信仰を如実に表している。すなわち彼は自分の体を裸にして、地面の上に横たわらせ、臨終を迎えた。
 彼は裸で生まれ、裸でキリストのもとへと帰って行ったのである。

<以下口語訳聖書よりの引用>
 それだからあなた方に言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の生命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。生命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。
 空の鳥を見るがよい。蒔くことも刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。 
野の花がどうして育っているか、考えてみるがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかしあなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。・・・マタイ6:25-34


 「あなたのすることがまだひとつ残っている。持っているものをみな売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そうすれば天に宝を持つようになろう。そして私に従って来なさい。・・・ルカ18;22


 誰でも、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。・・・ヨハネ3;5

 イエスはその人に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらするところがない。」・・・
 またほかの人が言った、「主よ、従ってまいりますが、まず家の者に別れを言いに行かせてください。」イエスは言われた、手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである。・・・ルカ9;58-62


 だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の生命までも捨てて、私のもとに来るのでなければ、私の弟子となることはできない。自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。・・・ルカ14;26-27

 自分の持ち物を売って施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。あなた方の宝のあるところには、心もあるからである。・・・ルカ12:33-34

 心の貧しい人たちは幸いである。天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう。柔和な人たちは幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう。義に飢え渇いている人たちは幸いである。彼らは飽き足りるようになるであろう。憐れみ深い人たちは幸いである。彼らは憐れみを受けるであろう。心の清い人たちは幸いである。彼らは神を見るであろう。平和を作り出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されて来た人たちは幸いである。天国は彼らのものである。・・・マタイ5:3-10

 誰も二人の主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは一方に親しんで他方を疎んじるからである。あなた方は、神と富とに兼ね仕えることはできない。・・・マタイ6:24

ダビデが洞穴にいたときによんだマスキールの歌、祈

 わたしは声を出して主に呼ばわり、声に出して主に願い求めます。わたしは御前にわが嘆きを注ぎ出し、御前にわが悩みをあらわします。
 我が霊の我が内に消え失せようとする時も、あなたは我が道を知られます。彼らはわたしを捕らえようとわたしの行く道にわなを隠しました。わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません。
 主よ、わたしはあなたに呼ばわります。わたしは言います。「あなたはわが避け所、生けるものの地でわたしの受くべき分です。どうか、わが叫びに御心をとめてください。
 わたしははなはだしく低くされています。わたしを責める者から助けだしてください。彼らはわたしにまさって強いのです。わたしを獄屋から出し、御名に感謝させてください。あなたが豊かにわたしをあしらわれるので、正しい人々はわたしのまわりに集まるでしょう。・・・ 詩編142篇


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