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代表的日本人-二宮尊徳-内村鑑三 私訳(3)

2009年08月31日 09時01分19秒 | 代表的日本人/内村鑑三
 彼が、「終わりそうもない飢饉をやわらげる方法」としてその有名な説話を述べたのはこの機会だった。
 彼の主な聞き手は、藩主によってその地方官庁の長官として任命されていたその家老だった。
 私はここにその説話のいくつかの断片を掲げる。何故ならこれはそれを述べた人の特徴をよく表しているからである。

 「国に飢饉があって、穀物蔵は空の状態で、人々に食べるものが何もないのは、領主その人以外に誰の責任だろうか!
 彼は天からその民を委ねられているのではないだろうか、そして彼らを悪から遠ざけ、善へと導いて、彼らが平安の中に生きることができるようにするのが、その使命ではないだろうか?
 彼に期待されているこの職分のために、彼は豊かに支払いを受け、家族を養い、彼らは安泰なのである。
 しかし今、人々は飢えに陥っており、それが自分の責任だと思わないとは、各々方、私はこれほど嘆かわしいことを天の下に知らない。
 この時、彼が何らかの救済の方法をこうじることに成功すればよろしい、しかしもしそうでなければ、家老たるものは天にその罪を詫び、そして彼自ら断食して死ぬべきである!
 次には郡奉行、その次には代官が彼に続き、そしてそれから村役人たちが、同じように食を断ち、死ぬべきである。なぜなら彼らもまた義務を怠ることによって人々の上に死と苦しみをもたらしたからである。
 このような犠牲の、飢えた人々に及ぼす道徳的な影響は、すぐにも明らかになるであろう。
 彼らは今やお互いに言うであろう、「家老や役人たちが、彼ら自身は何一つ実際には責められるべきではないのに、我々の上に降りかかっている災害の責任をとっている。
 飢餓は我々の上にある、我々自身が節約しなかったこと、贅沢、そして豊かな時に浪費したからである。
 我々は我々の尊敬する役人たちの嘆かわしい最期について責任がある。そして我々が今飢えて死ぬべきなのはまったく当然のことだ。」
 こうして飢餓の恐れは去り、それと共に死の恐れもまた去って行く。
 彼らの心は今や平安である。
 恐れが立ち去るや、豊かな食料の供給は彼らの手の届くところにある。
 富める者たちはその持ち物を貧しい人たちと分かち合い、あるいは山に登って葉や根を食料とするであろう。
 一年の飢饉は国のすべての米やキビ、アワなどを使い果たすことはできない。そして丘や山々はその青物を供給するのである。
 国民が飢餓に瀕するのは人々の心に怖れが支配的になって、彼らから食物を求めようとする気力を奪ってしまうからであり、それが死の原因となるのである。
 空砲が臆病な鳥を落とすように、人間が食糧難の時代に飢饉の音に驚き、死ぬようなものである。
 これゆえに、人々の指導者がまず自発的に飢え死にするがよい。そうして飢餓の怖れは人々の心から消え去り、彼らはすべて勇気を奮い起こされ、救われるだろう。
 目的としている結果に気付くまでに、奉行や代官たちの犠牲を待つ必要があるとは、私は思わない。
 この目的のためには家老ただ一人の犠牲で十分であると私は信ずる。
 これが、各々方、飢えている人々を安んずるために何も与えるものが残っていない時に、彼らを救うひとつの道である。」
 説話は終わった。
 家老は恥ずかしさと狼狽の中で、長い沈黙の後こう言った「あなたの議論に異を唱えることはできないと言わざるを得ない」。
 もちろん、この皮肉を込めたたとえ話は、まじめに語られてはいるが、実行に移されるためのものではなかった。
 彼の救済策は他の全ての仕事が特徴づけているように、同じ単純さでもってその効果を表した。すなわち、敏速に、熱意と、苦しんでいる人への極めて強い同情心をもって、さらに<自然>とその有益な法則に対する信頼をもってなされたのである。
 穀物と金銭が、苦しんでいる農民たちに、五年以内に農作物によって分割して払い戻されるように貸し与えられた。そしてこのようにして助けられた素朴な農民たちと、信じて援助を提供した側の栄光のためにも述べられるべきは、その約束は忠実に、また喜んで守られ、四万三九〇人のそのようにして助けられた被害者のうち一人も、取り決め期間までに、負債を払えない者はなかったということである。
 <自然>と組んでいる者は、急がない。また現在のためだけに働こうとはしない。
 言ってみれば、彼は<自然>の流れの中に身を置いて、それを助け、高め、それによって自分自身が助けられ、前進させられるのである。
 宇宙を背後にして、その働きの大きさは彼を驚かすことはない。
 「すべてのことには<自然>のなりゆきがある。」尊徳はよく言っていた。「我々は<自然>の道を追い求め、それに我々自身を合わせるべきである。
 こうすることによって、山々は平らにされ、海の水は排かれ、そして地そのものが我らの目的に役立つように作られるのである。
 かつて彼は利根川下流の大きな沼(手賀沼と印旛沼)の水を引くための何らかの可能な計画を立案して報告するように、幕府から命ぜられたことがある。
 もし完成すれば、そのような事業は計り知れないほどの公の利益をもたらす一石三鳥の目的を達したであろう。すなわちそれは、浅瀬と悪臭の漂う沼地から何千町歩の肥えた土地を回復したであろう、また洪水の時には氾濫する水を排水してこれらの地域の年ごとの災害を未然に防止したであろう、さらに利根川と江戸湾との間に新しい短距離の水路を提供したであろう。
 開鑿されるべき距離は、沼地と湾との間の10マイル、沼地の二つの主要部分の間の5マイル、合わせて15マイルの、泥土、高台、砂地を掘り割るのである。
 試みは一度以上行われていたが、ただ絶望のうちに放棄されていた。そしてその事業は、それを完成させる、日本の「レセップス」のような達人を今なお、待ち望みつつあるのである。
 尊徳のこの巨大な企てに対する報告は、むしろ(役人たちにとっては)不可解であった。しかし、多くのそのような規模の企てが挫折した急所を突いたものだった。
 「できる、しかしできないかも知れない」とその報告書は述べている。
 「もし自然な、そして可能なコースが取られ従われるならば、できる。しかし人間の性質として一般的にそのようなコースに従うことを非常に嫌うからできない。
 私はそこを通って堤防を掘られることになっている地方の道徳的退廃を知っている。そしてその仕事にとりかかる前に絶対に必要なこととして、<愛の業>によって、まずそれが正されなければならない。
 このような人々に費やされた金は、彼らに悪影響を及ぼすばかりか、それによって成就される実際の仕事の量に対しては言うに及ばない。
 しかし調査の対象となっている事業の性格は、資金をもってしても、権威をもってしても、少ししか期待することができないものである。
 ただ強い感謝の心に駆り立てられ、一致団結した人々だけがそれを成し遂げることができる。
 幕府はそれだから彼らに<愛の業>を施し、その寡婦を慰め、孤児をかくまい、現在の道徳的に退廃した人々を徳の高い人々にするようにせよ。
 こうして彼らの誠を呼び覚ませば、山を崩し、岩を砕くのも、思いのままであろう。
 この方法は遠回りのように見えるかも知れない、しかし実は最も短く、最も効果的な方法なのである。
 植物の根はその花と実のもとをことごとく包含しているではないか?
 道徳が第一であって、事業は二の次である。事業を道徳の前に置くことはできない。
 今日の大多数の読者のみなさんは、このようなあまりにも空想的な計画を斥けたその政府に、同情を寄せられるかも知れない。しかし、パナマ運河スキャンダルを目撃して、あの大事業の失敗した主な原因は道徳的なものであって、財政的なものでなかったことを理解し損ねる者が誰かいるだろうか?
 コロンとパナマをまったくの盗賊の巣窟とした黄金は、(今では)ガラクタのように、そこに埋もれている。そしてまったくの実際的な目的である、二つの大洋は、その地峡から最初のシャベルの泥が取り除かれた時と同じように、互いに遠く隔たっているのである。
 (今日アメリカの金によって、我らの予言に反してそれは完成された。マモニズム(拝金主義)は偉大なり!)
 あの偉大なフランスの事業家(レセップス)に、すこしでも日本人であるこの農夫の道徳的先見があったならばどうだっただろうか。そして六億の金をその事業すべてに浪費する代わりに、その一部分を<愛の業>によって人間の魂に投資したならばどうだっただろうか。-そうすれば、一方の不名誉な失敗、(パナマ運河)が他方の輝かしい成功(スエズ運河)を覆うことなく、二つの運河はレセップスの白髪に冠されただろうことを誰が疑うだろうか?
 金銭は多くのことをすることができる。しかし徳はそれよりも多くのことをすることができるのである。そして彼の運河建設計画を立てる時に道徳面を計算に入れる者は、結局のところ最も非実際的な人では決してないのである。
 尊徳のその生涯における実際の地理的業績はそれほど大きくはなかった。しかし厳格な階級差別の時代において、彼の社会的地位の人間としては、注目すべきものだった。
 全ての彼の偉業の内でもっとも注目に値すべきなのは、現在のいわき、相馬地方復興だった。-それぞれ二三〇のみすぼらしい村ではなく、今では全国で最も裕福な、また最も栄えている地方の一つである。
 どんな大規模な事業においても、彼が努めた方法はまったく単純だった。
 彼はまず、その全精力をひとつの典型的な村-普通その地方の最も貧しい村-に集中し、そしてそれに全面的に勤勉努力を打ち込むことによって彼のやりかたに回心させるのだった。
 これが通常、全部の仕事のうちもっとも困難な部分であった。
 その最初に救われた一つの村を、彼は全ての地域の回心を起こさせるための基地とした。
 彼は常に伝道的精神のようなものを、その回心した農民の中に注ぎ込んだ。彼らは自分たち自身が師に助けられたように、彼らの近隣の村々を助けるように求められた。
 衝撃的な実例をその目に提示され、そして新たな感激と共に、惜しげなく提供された援助によって、すべての地域に同じ方法が導入され、改革は単純な伝播の法則によって効果を発揮したのである。
 「ひとつの村を救う方法はすべての国を救うことができる。原理はまったく同じだ。」と彼はいつもその尋ねる人たちに言うのだった。
 我々は自分自身を一心にこの一片の仕事に打ち込み適合させよう;その模範が全国を時が来たるべき時に役立つだろう。」と彼はいつか日光地区の荒れ果てた村々を再興する計画を立てようとしていたとき、その弟子たちに述べた。
 この人は自分が宇宙の永遠の法則を所有していることを意識していた。そしてどんな仕事も彼にとって試みるにに難しすぎるものはなかったし、彼の心魂を傾けての献身を要求するにはやさし過ぎるものもなかった。
 当然ながら彼はその生涯をいよいよ閉じる時まで激しい活動の人だった。
彼はまた、遠い将来のためにも計画を立てて働いたので、彼の諸々の働きとその影響は今なお我々とともに生きている。
 彼自身が再建した多くの喜びに満ちた村々は、彼の智恵とその計画の永続性とを証ししている。同時に国内各地に散在して、この人の名と教えとによって結ばれた農民の団体があり、意気消沈した労働者らに彼が伝えた精神を不朽なものとしている。

<尊徳の作った歌>
音もなく香もなく常に天地は 書かざる経をくり返しつつ
山々のつゆあつまりし谷川の 流れ尽きせぬ音ぞ楽しき

<推薦します>
子供の伝記全集・29
二宮金次郎
松山市造 著
株式会社 ポプラ社

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