おはようございます。
なんでも今日、火曜日は午後に天気が崩れるという予報のため、
昨日、急遽、庭ンピングを実行しました。
まずは、ガレージにテントを張り、
中に敷物を敷いて、
ちゃぶ台を持ち込んで、
ランタン代わりに懐中電灯をぶら下げて、
ボードゲームとトランプを持ち込んで、
お菓子をたらふく持ち込んで、
お酒もたらふく持ち込んで、
携帯のアプリ、『ラジコ』でラジオを聴きながら、
ピザ買ってきて、
妻が作った野菜系のおかずを持ち込んで、
(元プロの私も何か作ろうかと思ったんですが、
『急に言われても材料がない!』と却下……。)
そしてゴロンと、横になったわけです。
まだ明るくて、しかも自宅のガレージ、
臨場感はいかほどかと思っていたのですが……、
麗しのテントパワー!
テントに寝っ転がるだけで、
あっさりと日常から脱することが出来る事に気付き驚きました。
息子もゴロンと横になって、
あぁ、いいね……。なんて呟きます。
普段は気が付かない虫の声とか、鳥の声が聞こえて、風が柔らかに吹いてきます。
これがもし、本当のキャンプ場で、このままここで夜を明かすには、
何が足りない? なんて話をします。
息子は間髪入れず、switch! と言います。
いや、それは、どうでもいいだろ……。
うちの猫も、不思議そうにしてます。
テントに、入りたいような、怖いような……。
だんだん暗くなってきて……、
懐中電灯の光がゆらゆらします。
目を閉じると、考えることが極端に少ないことに驚きます。
仕事も何も考えない。これはきっと、ダメな状態なんだな……。
非日常……。
妻子があって、住む家があって、概ね健康で……。
日常になんの不安も不満もない。そう思っていたけど、
非日常がこんなに開放感があるのはそれだけ、
日常に縛りがあったという事だろう。
単純に、
朝早く出勤して、
危険の中、荷物を積んでトラックを動かして、
他業種よりも、おそらくは長時間の勤務する。
これを縛りと言ってしまえば、生活のルールすべては縛りになってしまうしなぁ……、
なんだろう?
不安や不満を安心や満足で、絶えず補完している。
日常って、単なる比較の事かもしれないなぁ……。
ふと思った。これがもし……。
何かの災害で非難したのだったら……。
電気もガスもなく、懐中電灯とラジオだけ。小さなテントに、身を寄せ合って寝る。
悲劇以外のナニモノでもないじゃないか!
聞いたことがある。戦争中。
大空襲に見舞われた町で、防空壕に避難して難を逃れた人がいて、
ようやく空襲が終わり、防空壕から出てきた時、
生まれ育った町が跡形もなく焼き尽くされて、
知人や親戚の安否も定かでない。
そんな中、
その人がまず思ったこと。それは
夜空に出た月を見て、
あぁ、なんて綺麗な月なんだろう。
そう思ったそうです。
その心理は、あるいは限界を超えた心理だったのかもしれませんね。
ただ、月を綺麗だと思った事は、真実。
月が綺麗だったことも、真実。
真実。
どんな状況でも、真実は常に本当の事だけを我々に教えてくれている。
ちゃんと理解できれば、常に幸せなのかもしれない。
そんなこと言って、家族は養えるのか!
飯はどうやって食う!
寝言は寝て言え!
でしょうかね。
生きていればこそ、その真実を理解すればこそ、
全ては、目の前にあるんじゃないですかね。
息子は、背中が痛ぇ! と言って、結局いつも通り家で寝ました。
そう、素敵だ。素敵な判断だ。そうやって、真実を真実のままに解釈し続ければ、
概ね、上手くいく。
親父は君より少しバカで強情だから、
せっかくのテントだから、ここで夜を明かすことにする。
おやすみ。
G.W. 残り二日。