おはようございます。
四連休三日目の朝。もう三日も消費しましたか……、
今日は渋谷まで眼医者に行こうかと思ってますが、遠いし、天気も悪いし、足も気も重い……。
昨日、うちの猫の額ほどの庭の草むしりを妻と二人でやったんですが、
猫の額ほどのくせに、雑草の量が半端ない! いつの間にこんなに伸びたのか?
それを妻が一人でやるというから、
そういう力仕事は男の私が、手伝おう!と
二人でやる事になりました。
曇天の下で、久々に土と草の匂いを嗅ぎましたさ。
まあ、子供の頃は当たり前にかいでいた匂いが、殊更懐かしくもないが、久々で妙によそよそしく、
何か恥ずかしい事でも思い出すようで、気が付けば妻も私も無言のまま、草をむしっていましたよ。
突然、家を壊されて、怒り半分慌てまくるアリの群れとか、
強情なタンポポや、弱弱しく切れてしまうが、根っこは図太い名も知らぬしたたかな雑草たちと、
気が付くと会話をしている。草によってウィークポイントがあるんですね。
一本で引っ張ると切れてしまうけど、ほかの草と一緒に引っ張るとなんとなく抜けてしまうヤツや、
真っ直ぐ引っ張ると切れてしまうけど、斜めに引っ張ると、あっさりと抜けてしまうヤツや、
これはもう、雑草とのコミュニケーションですわ。
いい運動になりました。ありがとう、雑草。
気まぐれインクスケープに振り回されてなかなか首尾よく進まない店作り。
『どうぶつの森』って知ってます?
私はやったことないんですが、今話題のゲームソフトで、超大人気らしいですね。
自分の島があって、そこを自分の好きなようにアレンジできる。住み心地がいいと、
誰かがやってきて、そこに住民として住んでくれる。
私なら音楽スタジオを作って、
バンドマンから金取って、自分は他の誰かの住み心地の良さそうな島でゆっくり暮らす。
そんな事も、出来るんでしょうか。とにかく、
これは絵であっても、実際に誰かが自分を投影した絵であって、
文字だけの書き込みよりもみんな自己を投影している分、ちゃんと遠慮も配慮もあって、
血も流れていれば、表情も喜怒哀楽もあって、
立派なコミュニケーションとして成立している様に見えます。つまり、
コミュニケーションの形そのものが変わりつつある。これはもうバーチャルじゃないね。
息子のフォートナイトにしても、見ているとあれはもう、完全に現実の一部ですよ。
まったく、どこまで行ってどうなってしまうのか。
オンラインゲームの進歩にはついていけませんね。
でね、
私の店も、なんだか『どうぶつの森』みたいだなぁ、と思ったんです。
『店』なんて言いながら、実際はデジタルデータを公開しているにすぎないのに、
こうしていろんな人に見てもらえて、
たまに、『いいね』とか『応援』なんて押してもらって、
それで実際に一喜一憂している、これで何か売れたら、
そのお金で缶ビールの一本も買ったらもう完全に、
バーチャルじゃないですよね。
ゲームの画像の技術は、現実に肉薄する方向で進歩する一方で、
人間の感性は、現実からバーチャルに近づいて行ってる気がします。
その接触点は意外と近いところにあるのかも……、なんてね、思ったりしてね、
そしてそこに到達した時に、
あ! って、今まで気づかなかったいろんな事に忽然と気付くような気がして、
コロナショックで、常識の軸がずれたか、あるいは修正されて、今まで疑いもしなかった事を
疑わざるを得なくなった今、
玉石混交でも、今まで気づかずにいた事が身の回りにはいっぱいあるような気がして、なんだか気持ちかウロウロしますよ。
まるで初めて祭りの宵宮に友達と行った時みたいに、
露店の明かりや発電機の音やイカ焼きの匂いが、
これまでと違って突然手持ちの小遣いに直接響くように感じられて、
これまでは買ってもらってたリンゴ飴を、自分で『買う』という、
新鮮な感覚がバーチャルの世界からポケットの中に忍び込む……。
草をむしって気付いた雑草の癖や弱点やしたたかさ、
その下で勤勉に暮らしていたアリの災難。
ガラス片のドラマ。
ダンゴムシの憂鬱。
あるいはもうずっと前に、現実とバーチャルは接触していたのかもしれませんね。
東京都が発表するコロナ感染者数も、完全にバーチャルだし、
通帳に記載されるだけの貧弱な数字は完全に現実だし。
今日は眼医者に行くのはやめました。雨だし、またデザイン考えたり、
SEOの勉強したり、寝たり、夕方には早々に風呂に入って晩酌始めたりします。
今日も仕事の皆様、雨の中、ご苦労様です。
今日も怪我も病気もなく、やりがいのある一日になりますように、
では、今日も一日頑張って!御安全に!
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