喫茶 シンドバッド

思いつくままに興味のある事を書いてます。

二級陸上特殊を受験

2024年09月29日 | 日記
本日、池袋にて第二級陸上特殊無線技士の資格試験を
受験してきました。
今年の二月に高田馬場で本来は受験する予定だったのが
運悪く、病院に入院中だった為に断念せざるを得なかった。
雪辱を期する意味もあってようやくこの日を迎えた。
CBT方式のため、会場に着いて免許証を提示すると、所定の
用紙に記入が済むと直ちに受験開始だ。
三週間、試験勉強をしてきた成果があったのでスラスラ
と画面の問題をクリックした。
無線工学と法規それぞれ6問の計12問。
60分も待つことなく、試験終了のアイコンをクリックした。
結果は12問中11問正解。
ようやく合格!
三週間後にメールで試験結果が通知され、総務省の無線従事者
免許申請書を記入して写真を貼って、1750円分の収入印紙もだ。
関東通信局に郵送してさらに一個月後には免許証が届くのを
待つのみである。


危険物乙4類_勉強中!!_PART2

2019年11月12日 | 日記
毎朝5時にめざしを鳴らして、30分ほどe-ラーニングで見ている。

試験内容を理解するのに非常に有効である。

しかも90日間見放題でもある。

ようやく全部見終わったので、これからは過去問に挑戦しながら

わからない所が出てきたら、e-ラーニングの動画を繰り返す。

テキストで購入した本も、巻末の問題に取り組んでいる。

試験日まで1ヶ月と少し、5回は繰り返して読んで丸暗記といきたいが

いかんせん、物理と化学がまだまだである。

理解する前に、口に出して覚えている。

会社近くのベローチェでも1時間ほど、勉強漬けの日々である。

中々どうして、習慣化するといいものである。

タバコを吸うだけでヒマ潰しするより遥かに、いいものである。

危険物乙4類_勉強中!!

2019年11月03日 | 日記
毎日、通勤前と夜寝る前に1時間づつ参考書とにらめっこの日々。

<10日で受かる>乙種第4類 危険物取扱者 本山健次郎著(オーム社)

この本を使って、コーヒーハウスでひたすら、ノートにポイントを書き写している。

用語がまず分からないので、ななめ読みしながら今日は5ページ。

なんて言いながら1週間が過ぎた。

とりあえず、12月の試験の申込はネットで済ませ、コンビニで受験料も払い込みしたので

テキストをとにかく最低、6回ぐらい丸暗記のつもりで読んでいる。

基礎物理は苦手中のニガテであるから余計、パターン化しようが覚えるのみである。

それと夜は、ユーチューブでe-ラーニングサイトがあったので、90日間見放題の

2500円で勉強している。

テキストに書いてある用語や法令のニュアンスがピンとこないのでここも非常に参考になる。

先生がポイント的に、ダイジェストでなく乙4類に特化した説明が細かくしてくれるので

自分には合っているカンジだ。

11月いっぱい、テキストとユーチューブを繰り返しながら、過去問にトライである。

よく言われるように1冊を何度も何度もひたすら読みこなす。ただそれだけである。

危険物取扱者乙種4類を目指す

2019年10月24日 | 日記
久々の投稿です。

前回まで、自営目指していろいろ研究してみたけれど、

やっぱり踏ん切りがつけられなかった。

それじゃ、タイトルにある危険物の資格を目指すのはなぜ?

実は、去年会社を退職した先輩がいて、ビル管理の仕事に着きたいので、

職業訓練学校に通っているんだと、いっしょに飲んだ時に聞かされた。

仕事の出来る人なんで、電気工事士やボイラー免許も6ヶ月の受講期間で

資格を取り捲るんだと言っていた。

その中に、危険物の資格もあったのを思い出し、俺も一念発起しようと考えた。

早速、会社の帰りに参考書を購入し、パラパラめくってみた。

法令や化学知識に消化方法など、まあチンプンカンプン。

それでも諦めの悪いのが性分。

明日から、ベローチェでコーヒー飲みながら朝のひと時を使い、勉強を始めることとする。

以外にネットで学習方法やYouTUBEでも解説が詳しくあるので、過去問解きながら

丸暗記の世界に浸ろうと思う。

もうすぐセミナー終了!

2018年06月18日 | 日記
4月から始めた、早稲田のエクステンション講座が今週で終わりになる。
受講生の年齢層は以外にも高い。
60代の先輩方が目立つ。
自分はクラスでも最年少に該当する。。
実践をリタイアしても、学びの心は尽きないのだろう。
まだまだ人生に対し、前向きな考えの持ち主と見受けられる。
先生が、毎回お題を出して、それを600字原稿にまとめるのだ。
文章を書くに当たっての素養が、まったく無い自分には打ってつけの講座であった。
句読点のつけ方や、表現が重ならないように気をつけること等。
推敲の仕方も段々、掴めてきた。
書いた直後はすぐに行わず、しばらく寝かせてからじっくり、読み返す。
ここが一番肝心である。
半分自分に酔っているので、客観的に文章を読み返す。
ただ、やみくもに書けば何とかなるというやり方には無理がある事を、この講座で学ぶ。
プロットの重要性と、取材メモとして、書きたいことを、まず書きだしてみる。
全部書こうとするのでなく、字数制限の中で、本当に書きたいポイントを徐々に煮詰めていく作業。
要は文章を削って削りまくる。読み手を意識すれば自ずと見えてくる。
今回で講座は終了するが、次は公募ガイドに載っている歴史・時代小説の添削講座をやってみようと
案内書の請求をしている。
作品の背景をつくる上での取材方法や資料の集め方、整理の仕方等。
最終的に、幕末の庄内について何か、話を書ければと。

三級アマ無線、不合格!

2018年05月14日 | 日記
日本無線協会の方から、試験の結果通知が郵送されてきた。
四級は”合格”と書いてあったが、三級の方は残念ながら
”不合格”となった。
問題を自宅で確認してみた。
工学の結果が惨憺たるもので、次の試験に向けて勉強するのみである。
そうは言いつつも、四級の免許申請をしておこうと区の出張所へ住民票を
取りに行き、証明写真を取りに行ったりと忙しい日曜であった。
1か月ぐらいで免許が届くようなので、今から楽しみである。
さあ次は、6月に陸上特殊三級が控えている。
こちらがメインである。
過去問をひたすら解くのみである。

第四級アマ無線 無事合格!

2018年05月09日 | 日記
仕事を休んで晴海に行ってきた。
大江戸線の勝どきで下車。
アマチュア無線の国家試験を受験してきたのだ。
前回のブログで書いたとおりで、1年越しの計画である。
せっかくなので、四級と三級の両方を受験。
まずは四級が11時からスタートで、何とかマークシートを塗りつぶす。
最低30分は退出出来ないが、時間たっぷり使い何度も問題を見直す。
制限時間を有効に活用する。
昼食後、次の三級が13時からなので、必死に問題集をながめる。
ついつい連休中にサボったのが効いてきた。
なかなか解が出てこない。
それでもマークシートだけは塗っておこう。
半分あきらめが入ってくる。
なんとか終わる。
雨が降りそうだったので、四級だけ結果が出ていたので
壁に張り出されてある合格者の一覧を眺めてみた。
「ラッキー!」
運よく、自分の受験番号が書いてあった。
ちょいと肩の荷が下りた感が出る。
あと1時間ぐらい我慢すれば三級の結果も分かるが、
そそくさと試験会場を離れる。
帰りの電車の中で次の陸上特殊が6月にあるので
ようし頑張るぞと気合が入るのを覚えた。

アマチュア無線技士試験をめざす

2018年03月05日 | 日記
去年の春に、ドローンを飛ばしてみたいなあと漠然と思った。
それで色々と飛ばすのに何が必要かと調べてみた。
まずは陸上特殊無線の資格をとる必要がわかった。
それでネットで過去問を探して毎日勉強し1か月くらい頑張ってみた。
結構、無線工学とか電波法規などやってみると面白いではないか。
今まで聞きかじり程度の用語が徐々に深みのある知識に変わって
いくのが垣間見えてきた矢先に、足のケガを負ってしまい2か月
ほど病院に入院する羽目となり、7月の試験を受験できなくなって
しまった。
ああもったいないと悔やみつつ、諦めたくないのが性分なので
再チャレンジを期す。
まずは、手始めとしてアマチュア無線の3、4級を受験を決めた。
3月に入ったので郵便局に行って受験料の払込をしてきた。
もうやめられないと自分にプレッシャーをかけて5月の試験を
目指す。

珈琲倶楽部もひと夏過ぎました。

2016年09月25日 | 日記
4月に始めた珈琲倶楽部も9月も過ぎて早、半年が立った。
2か月に千円という格安の会費で日に三杯をモットーにメンバーから
好評をいただき運営もメドが見えた。
夏の課題として、アイスを飲みたいという要望もありネットで検索するが
氷の確保が一番の問題となり、あの手この手を考えたが徒労に終わる。
ただ一縷の望みとしてネスカフェのアイスコーヒーメーカーを見つけるが
豆会員にならずにサーバーだけをゲットする方がと思っているので
いずれはネットオークョンに出るのをひたすら待つのみと結論に至った。

母の日に思う

2015年05月07日 | 日記
もうすぐ5月10日は母の日である。
今年は祝ってあげる母がもういない。
去年の11月に亡くなったからである。
9月に検査入院するからと兄貴に教えられて、たいしたこと無いと
思っていた矢先の事であった。
2週間程度が突然の危篤状態になり、その間東京と田舎の往復を
何度か繰り返していた。
夜中に携帯が鳴り、兄貴から「もう今日明日がヤマ場の状態だから
お前の顔を見ておきたいからとお袋が言っている。」
急いで病床に駆けつけた。
ICUに入った母親の顔が今でも忘れられない。
必死に痛みに耐えていた。
「アタマが割れるように痛い。吐き気が止まらない」
抗がん剤を投与していたせいである。
それでも必死に言葉を交わそうとして
「お前を産んで良かった」と肩を震わせながら。
思わず手を握り締めていた。自分の生気をを分けられるのなら
いくらでもあげようと心の中で念じながら。
涙が止まらなかった。
いつも家に入るのが当たり前でもうとっくにはやらない店を気にかけて
「近所の婆さん連中が行く場所がないから」
と毎日店を開けていた。
たまにかかってくる電話で地元の近況報告や親戚のハナシなど
いつも長々と1時間以上話していた。
そして季節ごとにさくらんぼや山菜、柿や餅などを毎年送ってくれていた。
その中に広告の裏紙にビッシリと書かれた手紙を読むのも楽しみで
あった。
田舎の同級生と会合があって日帰りで遊んできたとか、毎年母の日に
カミさんが選んで送った洋服を着てめかし込んで得意げに自慢に
していたり。酉の市で買った熊手を送ると毎年店に飾ってくれていた。
そんな事がいつまでも続くのかと思っていた。
今はもう、電話もかかってこない。
季節の便りも届かない。
あるのは今まで書いてくれた母からの手紙だけである。