喫茶 シンドバッド

思いつくままに興味のある事を書いてます。

「庄内藩幕末秘話」を読んで

2017年10月09日 | 歴史
ネットで「庄内藩幕末秘話」をようやく購入。もちろんアマゾンである。
1868年(慶応4年)1月に戊辰戦争(鳥羽・伏見の戦い)以降、
1869年(明治2年)5月に函館戦争(五稜郭開城)が終結する間の
奥羽列藩同盟結成に庄内藩がなぜ関わらざるを得なかったのか?
まして歴代藩主として名高い酒井家がなぜ、朝敵としての道を進んで
しまったのか?
この2つの点に関しての地元では全くと言っていいほど語られることは
なかった。
多分、私の住んでいた地域が庄内地方でも郷土意識が強い方ではなく、
いまさら過ぎた事を振り返ったところでなんの得があるのだろうという
諦めが半分というところと感じた。
気質的にあっさりしすぎるのもなんだが、そういえば先祖代々の本懐を
遂げねばという話はとんと聞かないのだ。
ただこれだけは言いたい。
明治維新以降、東北地方は政治的に不遇の時代という感じを子供ながら
感じてはいた。
ただなぜそのように思うのかは深く考えたこともなかった。
ところがこの作品を読んでみて、少しづつであるが合点のいく内容が
書いてあるのだ。
当時、江戸市中見回り役を幕府から命じられ、江戸の治安を乱し
乱暴狼藉を繰り返すテロリスト集団を擁護する薩摩に対して江戸の民衆
になり変わり取締りを実行しただけであった。
幕府から命令された役目に従っただけであり、会津藩と違い朝敵でもなく
当時の江戸の庶民から拍手喝采を浴びていたとも書いてある。
藩主である酒井忠篤が語る、次の言葉に深く感動した。
一部抜粋
「戦をはじめた余は大馬鹿者だ。しかし、余はこの庄内を、そして人の
道を守らなければならない。そのために、戦わなければならない。
意気地無し、人間の価値がないそのような名を後世に残すことは
できない。馬鹿者と言われながら、多くの人に恨まれ、薩長には仇敵
と狙われ、そして、負ければ腹を切らねばならぬ。しかし、そうで
あっても人の道を曲げること、庄内が人の道を曲げるような土地柄
であることを後世に残すことはできない。余は、庄内の人のために、
そして人の道のために、馬鹿にもなるし、命も捨てる。」
これである。
人の道。
なんて素晴らしい人物であろう。
鶴岡にある藩校到道館の精神をこの言葉が物語っていると言えよう。

江戸を造った男(河村瑞賢)・伊東潤

2016年10月30日 | 歴史
週末の金曜の帰りに書店に入る。
会社の近くにあるが、歴史好きの自分には結構品揃えと
言うのか、タイムリーにいい作品を並べてくれているのだ。
まだ表紙を眺める程度で読み始めていないが、主人公については
少しばかり興味を持っていた。
自分の郷里でもある山形に関わりのある人物である。
かなり昔のはなしである。
江戸時代に海運輸送が未だ発達していない頃に幕府の命を受けて
回船のための航路を切り開いた人物として地元では馴染みがあった。
ただ子供の頃の記憶で川村瑞賢と名前だけである。
彼がなぜ航路を開拓するに至ったのか?
酒田を中継の港として選んでくれたのか?
地元に帰郷した際に日和山公園で石碑や文献を資料館で読んだ時に
素朴にそう思った。
市の図書館にも郷土コーナーがあっていろいろな文献資料があり
読んでいたからこそ、思わず手に取っていた。

幕末期の庄内藩について

2015年09月27日 | 歴史
大河ドラマを好きでよく見るが、幕末モノはあまり好きな
ジャンルではなかった。
坂本竜馬や吉田松陰に代表される日本の夜明けについて
語らせたらいつまでもと言う人は確かに多く、熱く語りたい
と思う人がいるのもわかる。
ただ、ワタシの生まれ育った東北地方はこの時期を境に日本の
表舞台から遠ざかる運命を余儀なくされる。
勝てば官軍、負ければ賊軍。
この言葉が意味するように、最後まで幕府方に着いた東北諸藩は
正にその憂き目をたどる歴史でもある。
学校で習った近代史でも薩長連合がそのまま今の日本政治の
中心メンバーを輩出し今に至る。
ところが最近、ある小説を読んでから幕末期の東北諸藩についての
変遷について興味を持ち始めた。
奥羽列藩同盟についてである。
以外にも自分がアイデンティーと思っていた東北人気質とは逆の
面が当時の人達に多く見受けられていたことにである。