東野英治郎さんは水戸黄門でお茶の間の人気俳優さんとして親しまれてきました。
私も映画やTVでおみかけすることは多かったけれど 東野さん=水戸黄門であることは間違いないです。
WIKIで見るとやはりオールドファンのみが知りえる俳優さんで生まれが1902年だからもし生きておられれば115歳!!86歳で1994年にご逝去なさったのでした。
活動期間は1934年書いてありますから32歳ぐらいからが人生のテイクオフだったのでしょう。その間は戦時中でしたので激動の人生を歩んでこられたわけです。
劇団は当時はいわゆるプロレタリア=左翼(ていっていのか・・)で活躍される人が多く東野さんもそのおひとりだったと思えます。左翼と言っても今のような変な左翼でなく当時の世相を反映した純粋な抗議活動であったと思えるので味噌も〇も左翼はいけないということではないと理解しています。
若くして色々な役柄をこなしておられたようでみると「人斬り以蔵」の役もされていたなどは見てみたかったですね。しかし、戦時中の「新劇弾圧で治安維持法違反で検挙され、8月23日に劇団は強制解散される」とありますから劇の活動とはうらはらに当時のご苦労はいかばかりかと察します。
しかしその後情熱はさめやらず、「俳優座」 を設立し活動されたことから日本の俳優さんの「父」ともいえるべき偉大な人物であったと伺えます。
きっと俳優であることの誇りや気概もさることながら苦労、ノウハウを身に着け哲学的のようなものもお持ちであった故、思い出すのは・・工藤堅太郎先生を映画界に強く推薦されたのはその眼力で工藤先生の力量を見抜いておられたのだと痛感します。
主役というより脇役でがんばっておられたところを見ると脇役の重要さ、そして少し陽が当たらないつらさなども良く感じておられたので脇役俳優さんにもおそらく優しかったのではと想像します。
水戸黄門の黄門様の役は14年続いたというのはこれまたすごい。381回というのは快挙です。やや老齢になられて主役というのも考えようですが、あの味わいのある笑いで人々に強烈な印象を与えて黄門様=東野英治郎さんという金字塔を打ち立てられたのは見事です。
そういえば 1975年:紫綬褒章 1982年:勲四等旭日小綬章などの勲章も受勲されたのはその偉大な功績への最大のプレゼントでしょう。もうすでに亡くなられたのは自然の摂理であり致し方ないですが、作品はいまでも見ることができるのは我々にとって幸せと思います。
きっと天界でいまでも高らかに「カッカッカッ!!!」と笑っておられると思います。
※写真はお借りしております。ありがとうございました。