ここでは、新約聖書について、採り掲げます。私は、聖書をあまり詳しく読んだことがありませんが、二次的な資料の情報による、よく知られた内容についての考え方ですので、予めご了承下さい。
聖書の内容は、弟子によるキリストの言行録である文書(後の聖書の元になったもの)に基く信仰が、ローマ帝国によって国教にされた時に、大きく改ざんされたと言われています。
キリストが存命した時に、キリスト教などという宗教は存在しなかったわけですから、キリスト教という宗旨での教会を作った時に、ローマの司祭たちが、自分たちを正統化し権威付けるために、宗旨文書に色んな改ざんをしたであろうことは想像がつきます。
ですが、それにも関わらず、実際のキリストが言われたことや行ないが、記述に多く残されていることも、また事実なのでしょう。
キリストは霊界の指導者であり、今で言うチャネラーでしたから、霊界からの指導により、当時の民衆にいろんなことを伝えたわけですが、その当時の人々に小難しいことを言っても分からないということで、簡単な例を出して説明していることは、キリストが実際に語ったことである可能性が高いと思います。
その内容を見てみますと、キリストは明らかにアセンションについて語っていた、と思われることが色々とあるわけです。例えば、毒麦の例えであるとか、山羊と羊の例えなどですね。
毒麦の例え( マタイによる福音書13:36–43)についてですが、そこに出て来る「世の終わり」というのが、このアセンションの事だということなんです。
それでは、毒麦というのは何でしょうか、人で言えばどういう人なのでしょうか。
これは、アセンションによるエネルギーレベルの上昇について行けない人、ということになるのではないでしょうか。つまり、怒り、妬み、などのネガティブな感情や、物や金銭に対する欲、あるいは社会的な地位や名誉など現世的な物事にとらわれている人、あるいは不正直、不誠実、不親切、冷淡などの性格から、波動が上昇して行かないような人ですね。
この場合の、良い麦の例については、すでに度々ご説明して来ました。
このことは、山羊と羊の例えやほかの例えの場合にも、当てはまると思われます。
霊界では、すでにそんな頃から、今のアセンションのことも視野に入れて指導をして来られた、ということなんです。
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