これは、あるチャネラーに伝えられた、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と呼ばれる方のメッセージです。これを読むと、ヤマトタケルノミコトが、決して架空の神話的存在ではなく、霊界に実在する指導者のお一人であることが分かります。また、今回のアセンションに対する霊界、日本神界、ひいては地球霊団の取り組みが伝わって来る内容になっています。このメッセージが受けられたのは、今から十数年前ですから、その後、世界情勢も少し変わりました。その点ご留意下さい。少し長いですが一挙に掲載します。一部、編集してあります。
(ここから)
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)からのメッセージ
我が使命は、我が愛する、この大和の国土をまとめ上げ、この神の国、この大和の国、日本より、世界に向け、神の御意思を伝え、地球全てを神の国にすること(であり)、その為に、我が使命はあり我が日本神道の使命もある、と理解しております。
そなた達は、この大和の地に生を受け、そして、このような神々の偉大なる使命を帯びた、力ある方々と見受けられる。
この世の立て直しの時に、そなた達が、力を込めて、この今の日本を救い、この世界を救っていく。その、そなた達の使命ありてこそ、我らが使命があるということ、そのことを、つくづく心に落とされ、今の使命を果たされよ。
我が使命は、この国を魔より護り、神の御意思の法のもと、神の和する心の中で、神の御力をこの地上に具現化せしめること。時により、魔の妨害があり魔による混乱があり、常に、その中で、人間界は撹乱されて来た。
だが、我は、その魔との戦いの中で、政治的にこの国土の安全を守ることで、天照大神、天之御中主といわれる方々が預かる法というものを、この国土に具現化せしめ実現させていくこと、表現していくこと、神の光を、ただひたすらにこの地上に現しめること、それをもって我が使命となしている。
法が説かれる時、きれい事だけでは済まされぬ。常に魔よりの、我々の足をすくわんがための様々な罠が仕掛けられる。だが、その時に、そなた達は怯んではならない。我にも、かつて、そのようなことがあった。その時にこそ、国土を護り、この国土を、この大和の地を、神の法、光一元にしていく為に、光のもとに照らしめる為に、我はその使命を果たした。
きれい事ばかりではない。魔との戦いの中で、時には魔と刃を刺し違え、人々を時には打ち倒しながら進まねばならぬ時もある。常に平和の中に、人々を害することなく、と我も願うけれども、時には人々を殺め人々を倒しながら進まねばならぬこともある。そのような悲しさを胸に秘め、我はこの国土をまとめ上げて行った。その、我の悲しさ、我はその神の使命の中で果たさねばならぬ役割の中で、そなた達が今闘っている姿を見るにつけ、熱い思いで、そなた達を見ている。
きれい事ばかりでは済まされぬ。時には、我らが裏神道、我らの守護警備をする者達の力を借りてでも法を守らねばならぬ時がある。そして、神の光を、この世に具現化せしめんがために、人々には、魔との戦いによってこの道を切り開かねばならぬ時もある。その様なことを思い、そなた達は戦うことをためらうな。時には、剣を抜くことをためらうな、ということを、我が言葉として伝えたい。
人々を傷つけることを恐れるがあまり、魔の為すがままになって、神の光を伝えることを恐れてはいけない。妥協してはならぬ。神の法というものは、神の正義というものは、決して妥協の産物ではない。妥協してはならぬ。ただただ神の光を信じ、その光を現しむることに、命をかけて進んで頂きたい。
そなた達が、この大和の地に、日本人としてその生を受けたのならば、この大和の意気込み、神の光こそ全てであり、信仰こそ、全てであり、魔などというものは、光のもとには影のようなものであり、光こそ全てであり、神の法こそ全てである、という強い信念を持ち、そなた達が、この地上で、それを具現化させる為に命をかけねばならぬ。
たとえ光とて(光であったとしても)、この地上で、そなた達の活動ありてこそ我々の言葉も形をもつ。光というものは、ただ光だけで存在するものではなく、光が地上に照射され、映し出され、その映し出された形をもって、この地上に、神の御姿として人々に示される。そのことをもって、そなた達、光の使徒の仕事があるのだと思いなさい。
地上において何をなせたか。神の為に何をなせたか。この日本の地で、世界に向けて何をなせたかということ、そのことだけをもって、そなた達が、天上界に帰って来られるのだということ。そのことを、心に、肝に銘じ、そなた達は仕事をしなさい。
それ以外の仕事は、ただ地上の糧であったり、個人個人の修行の希望であったり、その職業を通してそなた達の個性を発現するものであるが、今、神々の興された計画の中における、この、神理の光を地上に映し出すという仕事以上の仕事が、今の日本の、この今の時に、あり得るであろうか。そのことを、よくよく考えなさい。個人個人の修行も大切である。おろそかにしてはならない。しかし、この地上の修行以上に、今、神の使徒として、神の手足として、神の道具として、そなた達が、今、やれることがあるのである。
我は、この地上に出て、常に、戦いながら、神の御意思というものを地上に打ち建てる為に、具現化させる為に、その使命に命をかけて生きて来たものである。今(そなた達が)そう思うのならば、そなた達は我と同じこと。命がけで、魔との戦いの中で、そなた達の仕事を、命をかけて果たされよ。その使命を果たされよ。それを神々から任されたということを、無上の幸せとして、そなた達の魂に刻まれよ。神の仕事を授かっているということ。使命の一端を担っていることが、自らの人生、自らの転生、永遠の命の中で、いかに幸せであるかということ。その感覚と、その感謝というもの、そのことをくれぐれも忘れないように。我はそなたたちに言い置いておく。
我が国土、この大和の地で、光を世界に向けて発信していくという、灯台なり、松明(たいまつ)のような国土となって来るということ。その御約束が上位の神々よりなされ、その為に、我らはこの地を預かり、和をもって、この国を神の国にする為に、長年、努力して来た。
しかし、その使命を今や果たすべき時が来た。この地で、神の言霊を、神の法の全てを、この国より、松明のごとく発信していく、そのような使命が、この大和の国、日本にはあるのだということ。その為に、そのことで、これから、日本が世界をリードしていく国土になる為に、全てが神の計画の中にあったということなのである。
あなた方が、これからどのような立場になるのか。日本が、これから世界をリードして行く為には、それは、もう単なる政治機構とか経済ということでは終わったはずであろう。経済がと言うのならば、もう十分、先進諸国の仲間入りをしたのである。(だが)経済だけで人の幸せが買えると思うな。金だけで人々の幸せが買えると思うな。そのようなものだけでは人々の幸せはない。
ただただ、幸せとは神の子であるということ。神の国土の一員として、神の子として、いかに愛深き人生を送ることが出来るか。その為に、いかに、神の為に、神の子としての使命を果たして、この国土を光の場として、光の磁場と為さんがために自らを光り輝かせ、人生を終えて行くことが出来るか。それをもって幸せという。それをもって「我が人生、幸せであり、成功した」と言えるのである。
その、神の子としての自覚、それは、決して経済や政治体制だけではない。政治体制や経済が貧困であれば、人々の幸せはないかも知れないし、抑圧されるかも知れない。だが、どんなに経済的に満たされない国に生きている者達でも、明るく天真爛漫、幸せに生きている国の者達がいるのではないであろうか。それに比べて今日の日本はどうであろうか。
先進諸国の仲間入りをし、世界をリードする国の仲間入りをし、経済的にも物質的にも恵まれ高等教育を受けたにも関わらず、人々の間には、多くの不幸な出来事が、多々、発生しているのではないだろうか。そのことを思った時に、人々よ、幸せは何であるかということの原点を考えねばならぬ。
人間というものは、神の子であるということ。永遠の転生の中に、命を持っているということ。そして、神の子である、神に近き愛深き者こそ、真に素晴らしい人生を全う出来る真の価値観を持った者であるということに、もう気づかねばならぬ。
神の子とは、この地球を彩る、全ての自然界、動物界、植物界、一切のものをいう。
(人々が)その者たちと相和し、人々のそれぞれが、尊重し合い、自らの人生を、神に造られたという感謝の念を持ち、自らの命を光らしめた時に、人々の幸せを祈った時に、自らの人生は、自らの光は最大限に光を発し、人々を幸せにしながら、お互いに喜び合いながら、この地球を光の根源とし、渦とし、(神は)この地球を愛の星として、光の中に包みたもう。
そのことをもって、我らが、光一元という神の、愛の星として、我らが神の子としてあるのならば、全て一切のものが神の子であるのならば、光しかないであろう。闇などは、悪などは、光に対抗するものではないのである。ただ、道を行こうとする時に足を引っかけ邪魔をする輩に過ぎぬということ。その者達ですら神の子であるということ。
そのことを思うのならば、人々が、本来、神の子であるということに立ち返って行くことをもって、この地球を、この大和の地を、光の磁場とし、光の星として行くことが、叶って来るのである。
あなた達にも伝えておく。どうか、この、今、天上界から降りている神々の言葉を、光の言葉を、多くの人々に伝えてあげてほしい。
いかに、経済的な機構、憲法や、多くのシステムを変えてみたところで、他の霊人方もおっしゃられているであろうが、自らが神の子であるということ、愛の化身であるということを理解しなくては、いかなる体制を持っても、いかなる富を持って来ても、いかなる権力を持って来ても、人は幸せにはなれぬ。
幸せになってこそ、人々は真の価値観を見い出し、そして、互いに自らを認め合い、自らの神性を悟り、そして、互いに愛し合う原点に立ち返るのである。その時にこそ、本当の相和するという和というものが生まれ、人々が平和に仲良く暮らして行ける、そういう国が誕生するのである。
我らは、それを願い、光の国になる為に、この国を神の国とする為に、長いこと指導して来た。そのことをもって、天照大神も天之御中主之大神も、皆んな、日本神道の者達は、そのもとに一致団結し、今日を作り上げて来た。最初、この大和の地を平定する時にも、大変な苦労があった。時には悲しいこともあった。しかし、それを乗り越えながら、我は、その使命を果たした。そして、数千年たち、また、そなた達の使命が来た。
この、我が国土を、神の光の奔流として、神の光の、松明の国家として、世界中に神の光を発信するべきその使命をもって、この国土を光らしめるが為に、そなた達は、この地上に生を受けたのである。その使命を受けたのであるということを考え、どうか、そなた達は、この使命を果たして頂きたい。
そなた達が果たされる使命、今回の使命をもって、今回の計画が成功したかどうかの結果が出る。そなた達が失敗すれば、この計画は、この地上での計画は失敗となる。次の世代の者たちが出ていても、その者たちに松明が届かねば、そして、我らが言葉を法の神髄として地上に現せしめることが出来ないのであるならば、この計画は失敗となる。それほどの、そなたたちには大きな使命があるということ。
その為に、我らの力、そして、我らが裏神道の者達、各国の警備の者達が、魔からそなた達を護るために来ている。気づかぬであろう。そなた達がいかに護られているかということを気づかぬであろう。しかし、我らは、そなた達を日々、守護している。
守護しておっても、そなた達の心が下に向いてしまったのならば、どれだけ警告を発しても、耳を貸さないのであるのならば、そなた達を守護することはかなわぬ。それは、我々の力とかいうことではなく、それが宇宙を貫いた法、そのものの一貫である(ところの)波長同通である。違うものに心を寄せている者に、我らが言葉は通じぬ。神に向けてただひたすらに思いを通じている者だけが、我らが言葉を、我らが守護を、我らが愛を受け取ることが出来るということを、そなた達も肝に銘ぜよ。
これから先、様々な苦難混乱があるであろう。足をすくわれることがあるであろう。だが、謙虚に、ひたすら謙虚に神の前に額くことをもって、そなた方の使命と為されよ。いかなる苦難があろうとも、心を開き、互いに知恵を出し合い、一人で出来なくとも、皆が共に知恵を出し合えば、そなた達の知恵は倍増して素晴らしい叡智となろう。その指導をもって、我々は、大いなるアドバイスを、天上界から、そなた達に降ろすことが出来るのである。
何も努力しない者に神の知恵は授からぬ。何も努力をせず、自ら道を切り開こうと思わぬ者に、神の救いの手は差し伸べられぬ。そのことを思い浮かべられよ。そなた達の心の中に、少しでも迷いがあってはならぬ。(迷いがあると)そなた達の思いの中で、人々が互いに救い合う道を見い出すことは出来ぬ。だから、そなた達よ、どうか、自らの使命に、少したりとも疑いを持つことなく、この使命の中に邁進されよ。
我が言葉を、この大和の国土に伝えよ。我がこの指導が降りているということを、高天原より、数々の日本神道の神々が、今、この地上に降りて来ているということを、声を大にして伝えよ。
そして、我が国土を、もう一度、光の国土とし、神の国としての使命を果たす、そのような役割を、今日、果たす手助けをして頂きたい。その為に、我らは、長いこと、この国土を整えてきた。
全てが、全てがこの日本という、この大和の土地を通して、世界中に向けて、この地球というものを、最終的ユートピアに、最終仏国土と呼ばれているこの神の国に戻すが為の、大いなる神の計画の一貫の中の最終的なクライマックスにある今の時であるということ。その担い手であるのは、そなた達であるということを、どうか心に留め置き、最大限の力を発揮して頂きたい。
辛いことも多いかも知れない。傷つくことも多いかも知れない。経済的に大変であったり時間的にも体力的にも大変なことがあるのは分かる。然れども、そなた達の心根を見ていて、やはり、そなた達で良かったと、我は今思う。そなた達の心根を見ていて「ああ、やはり神が選ばれた方々であった」と、やはり我は思う。であるならば、ためらわず、疑わず、この神の白き道を歩まれよ。この光の道を歩まれよ。
普通の凡人には分からぬことがある。神の指し示される道の先の意味が分からぬ時もある。だが信じよ。信じて、皆んなで力を合わせ、共に手を携え合え。そして、この大いなる計画を無事に果たされよ。
偉大なる、偉大なるそなた達の栄誉として、そなた達の魂の中に刻まれることであろう。そなた達は素晴らしい人生を授かったのであると、今生、素晴らしい生き方をしたのであると、後々、他の人生など、消し飛んでしまうほどに、今、素晴らしい瞬間に遭っているということ。そのことを感謝し、この使命を果たし頂きたい。
我らが言葉、我らが感謝、我らの愛のありったけを、そなた達に伝えたいと思う。我が国土を光の磁場にするために、松明の国家としての使命を果たす為に、そなた達が今、神の言霊を伝えることは、非常に貴重な仕事である。
その出された、神から出された御馳走(言霊)を食う(受け入れる)、食わぬは国民一人ひとりの自由意志である。それが受け入れられぬからといって、そなたたちが悩むこともがっかりすることもないのである。神からの御馳走は、常に国民たちに与えられている。だが、これほどの大御馳走が、ふるまわれることは、今世紀をもっても、今までの世紀をもってもないのである。この大御馳走を、最高の御馳走の酒宴の席に今あずかっている、この日本の国民、いや、地球に生きている全人類の中において、そなた達は神の御馳走を料理し、用意し、差し出さねばならぬ。
それを食べようと、食べまいと、そんなことに一切、煩ってはならぬ。そのような御馳走を出す、そのような調理人達であるということ。そのようなことの中で、ひたすらに料理をされよ。それでよいのである。神の国の御馳走さえ、後に残れば、今、分からなかったとしても、しばらくたってから、多くの人々は大御馳走であったということを分かって、人類の財産として、人々は受け入れていくであろう。
その時に、そなた達が関わったということ、そのことが大いなる魂の中における賞賛となって刻印されるであろう。それで十分であろう。それ以外のものを求めてはならぬ。神の仕事とはそうしてなすもの。決して見返りや褒美を求めてはならぬ。それが足をすくわれる第一歩であるということ。(だから)そなた達は、無心に、無心にこの神の仕事をなされよ。使命を果たされよ。
そして、我も、これから先、この国土を変えて行く為に、次の時代を作らんが為に使命を持っている。
しかし、その使命に届くためには、そなた方の仕事をもってしか次の時代の者たちの仕事がないということ。ただ単に猛き者たちが出て来たといっても、神の国の言葉が、神の指針がこの地上に降りていなければ、多分、我らは羅針盤を失った、大海に臨んだ船のようになるであろう。その時に、神の国の、神の言霊の、神の御計画の、何が、今なされようとしているのかということを、我らに伝えてくれるために、そなた達の使命はある。
地球は、ターニングポイントと呼ばれる分岐点に、今、来ている。その大事な、大事な時の中に、今の、今生の生を受け、今生の命を与えられたそなた方は、最高の幸せ者であるということを思って、そなた達は自分の心に刻まれ、この地上での日々を生き抜いて行って頂きたい。そのことを思ったのであるなら、人生、互いに助け合い互いに知恵を出し合い、多くの難所に足をすくわれることなく、力を合わせて乗り越えて行って頂きたいと思う。
これから、多くの戦争とか、天変地異とか、多くの時代の入れ替えの為の、清めの儀式の為の天変地異が起きて行くけれども、清めはあくまで清めにして、清らかな波動を生み出す為の、清めの浄化の時として、そなた達は、ただ表面的なものだけで悲しみを胸に溜めるのでなく、その時を乗り越えられよ。
そのようなことをもってこそ、次の清らかなユートピアが、次の仏国土が、神の国が、この地上に映し出されるのだという、そのような嵐を越えてこそ、汚いゴミやチリが拭われるのであるということ。悪い気というものが浄化されて行くのであるのだと思い、心静かにその事象が移り行くのを眺められよ。
そして、その黒い厚い雲がモクモクと出て、ザーザー雨が降っても、それにより、汚いスモッグと呼ばれているようなチリやゴミが拭われた時に、その向こうには、燦々とした神の光の射し込む、素晴らしい、その神の御姿というものを映し出す、そういう国土が、この大和の地にも、地球全てに、神の愛が、どこまでも隅々までも、もう二度と、そのような汚い雲に穢されることのない、神の愛が隅々まで届くような、そのような地球が現されて来るのである。
そのことを以って次の時代の幕開けをしたいと、その様に神々は思われているのである。
であるから、一時の俄か雨のような、大いなる雲、いかなる嵐のようなものにも惑わされず、だが、嵐が来るのであるから、そなた達の使命をもって、その嵐の中を乗り越える指針と為されよ。
そして、それが晴れた時に、その国土を、全てを立て直していく。それを、これから、地球全てに、その神の言葉をもって建て替えをして行く建て替えの時がやって来る、ということ。そのことの夢を、希望を信じて、その仏国土が、ユートピアと呼ばれているものが、神の国の具現化というものが行われる、その光の時が来るのだということを信じて、そなた達は、今の使命を果たして頂きたい。
そなた達の使命をもってこそ、光の国が、光の瞬間がやって来るのだ、ということをどうか信じて、この道を歩まれることを、心よりお願い申し上げ、今日は、これにて引き揚げようと思う。
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日本武尊(ヤマトタケルノミコト)からのメッセージ
我が使命は、我が愛する、この大和の国土をまとめ上げ、この神の国、この大和の国、日本より、世界に向け、神の御意思を伝え、地球全てを神の国にすること(であり)、その為に、我が使命はあり我が日本神道の使命もある、と理解しております。
そなた達は、この大和の地に生を受け、そして、このような神々の偉大なる使命を帯びた、力ある方々と見受けられる。
この世の立て直しの時に、そなた達が、力を込めて、この今の日本を救い、この世界を救っていく。その、そなた達の使命ありてこそ、我らが使命があるということ、そのことを、つくづく心に落とされ、今の使命を果たされよ。
我が使命は、この国を魔より護り、神の御意思の法のもと、神の和する心の中で、神の御力をこの地上に具現化せしめること。時により、魔の妨害があり魔による混乱があり、常に、その中で、人間界は撹乱されて来た。
だが、我は、その魔との戦いの中で、政治的にこの国土の安全を守ることで、天照大神、天之御中主といわれる方々が預かる法というものを、この国土に具現化せしめ実現させていくこと、表現していくこと、神の光を、ただひたすらにこの地上に現しめること、それをもって我が使命となしている。
法が説かれる時、きれい事だけでは済まされぬ。常に魔よりの、我々の足をすくわんがための様々な罠が仕掛けられる。だが、その時に、そなた達は怯んではならない。我にも、かつて、そのようなことがあった。その時にこそ、国土を護り、この国土を、この大和の地を、神の法、光一元にしていく為に、光のもとに照らしめる為に、我はその使命を果たした。
きれい事ばかりではない。魔との戦いの中で、時には魔と刃を刺し違え、人々を時には打ち倒しながら進まねばならぬ時もある。常に平和の中に、人々を害することなく、と我も願うけれども、時には人々を殺め人々を倒しながら進まねばならぬこともある。そのような悲しさを胸に秘め、我はこの国土をまとめ上げて行った。その、我の悲しさ、我はその神の使命の中で果たさねばならぬ役割の中で、そなた達が今闘っている姿を見るにつけ、熱い思いで、そなた達を見ている。
きれい事ばかりでは済まされぬ。時には、我らが裏神道、我らの守護警備をする者達の力を借りてでも法を守らねばならぬ時がある。そして、神の光を、この世に具現化せしめんがために、人々には、魔との戦いによってこの道を切り開かねばならぬ時もある。その様なことを思い、そなた達は戦うことをためらうな。時には、剣を抜くことをためらうな、ということを、我が言葉として伝えたい。
人々を傷つけることを恐れるがあまり、魔の為すがままになって、神の光を伝えることを恐れてはいけない。妥協してはならぬ。神の法というものは、神の正義というものは、決して妥協の産物ではない。妥協してはならぬ。ただただ神の光を信じ、その光を現しむることに、命をかけて進んで頂きたい。
そなた達が、この大和の地に、日本人としてその生を受けたのならば、この大和の意気込み、神の光こそ全てであり、信仰こそ、全てであり、魔などというものは、光のもとには影のようなものであり、光こそ全てであり、神の法こそ全てである、という強い信念を持ち、そなた達が、この地上で、それを具現化させる為に命をかけねばならぬ。
たとえ光とて(光であったとしても)、この地上で、そなた達の活動ありてこそ我々の言葉も形をもつ。光というものは、ただ光だけで存在するものではなく、光が地上に照射され、映し出され、その映し出された形をもって、この地上に、神の御姿として人々に示される。そのことをもって、そなた達、光の使徒の仕事があるのだと思いなさい。
地上において何をなせたか。神の為に何をなせたか。この日本の地で、世界に向けて何をなせたかということ、そのことだけをもって、そなた達が、天上界に帰って来られるのだということ。そのことを、心に、肝に銘じ、そなた達は仕事をしなさい。
それ以外の仕事は、ただ地上の糧であったり、個人個人の修行の希望であったり、その職業を通してそなた達の個性を発現するものであるが、今、神々の興された計画の中における、この、神理の光を地上に映し出すという仕事以上の仕事が、今の日本の、この今の時に、あり得るであろうか。そのことを、よくよく考えなさい。個人個人の修行も大切である。おろそかにしてはならない。しかし、この地上の修行以上に、今、神の使徒として、神の手足として、神の道具として、そなた達が、今、やれることがあるのである。
我は、この地上に出て、常に、戦いながら、神の御意思というものを地上に打ち建てる為に、具現化させる為に、その使命に命をかけて生きて来たものである。今(そなた達が)そう思うのならば、そなた達は我と同じこと。命がけで、魔との戦いの中で、そなた達の仕事を、命をかけて果たされよ。その使命を果たされよ。それを神々から任されたということを、無上の幸せとして、そなた達の魂に刻まれよ。神の仕事を授かっているということ。使命の一端を担っていることが、自らの人生、自らの転生、永遠の命の中で、いかに幸せであるかということ。その感覚と、その感謝というもの、そのことをくれぐれも忘れないように。我はそなたたちに言い置いておく。
我が国土、この大和の地で、光を世界に向けて発信していくという、灯台なり、松明(たいまつ)のような国土となって来るということ。その御約束が上位の神々よりなされ、その為に、我らはこの地を預かり、和をもって、この国を神の国にする為に、長年、努力して来た。
しかし、その使命を今や果たすべき時が来た。この地で、神の言霊を、神の法の全てを、この国より、松明のごとく発信していく、そのような使命が、この大和の国、日本にはあるのだということ。その為に、そのことで、これから、日本が世界をリードしていく国土になる為に、全てが神の計画の中にあったということなのである。
あなた方が、これからどのような立場になるのか。日本が、これから世界をリードして行く為には、それは、もう単なる政治機構とか経済ということでは終わったはずであろう。経済がと言うのならば、もう十分、先進諸国の仲間入りをしたのである。(だが)経済だけで人の幸せが買えると思うな。金だけで人々の幸せが買えると思うな。そのようなものだけでは人々の幸せはない。
ただただ、幸せとは神の子であるということ。神の国土の一員として、神の子として、いかに愛深き人生を送ることが出来るか。その為に、いかに、神の為に、神の子としての使命を果たして、この国土を光の場として、光の磁場と為さんがために自らを光り輝かせ、人生を終えて行くことが出来るか。それをもって幸せという。それをもって「我が人生、幸せであり、成功した」と言えるのである。
その、神の子としての自覚、それは、決して経済や政治体制だけではない。政治体制や経済が貧困であれば、人々の幸せはないかも知れないし、抑圧されるかも知れない。だが、どんなに経済的に満たされない国に生きている者達でも、明るく天真爛漫、幸せに生きている国の者達がいるのではないであろうか。それに比べて今日の日本はどうであろうか。
先進諸国の仲間入りをし、世界をリードする国の仲間入りをし、経済的にも物質的にも恵まれ高等教育を受けたにも関わらず、人々の間には、多くの不幸な出来事が、多々、発生しているのではないだろうか。そのことを思った時に、人々よ、幸せは何であるかということの原点を考えねばならぬ。
人間というものは、神の子であるということ。永遠の転生の中に、命を持っているということ。そして、神の子である、神に近き愛深き者こそ、真に素晴らしい人生を全う出来る真の価値観を持った者であるということに、もう気づかねばならぬ。
神の子とは、この地球を彩る、全ての自然界、動物界、植物界、一切のものをいう。
(人々が)その者たちと相和し、人々のそれぞれが、尊重し合い、自らの人生を、神に造られたという感謝の念を持ち、自らの命を光らしめた時に、人々の幸せを祈った時に、自らの人生は、自らの光は最大限に光を発し、人々を幸せにしながら、お互いに喜び合いながら、この地球を光の根源とし、渦とし、(神は)この地球を愛の星として、光の中に包みたもう。
そのことをもって、我らが、光一元という神の、愛の星として、我らが神の子としてあるのならば、全て一切のものが神の子であるのならば、光しかないであろう。闇などは、悪などは、光に対抗するものではないのである。ただ、道を行こうとする時に足を引っかけ邪魔をする輩に過ぎぬということ。その者達ですら神の子であるということ。
そのことを思うのならば、人々が、本来、神の子であるということに立ち返って行くことをもって、この地球を、この大和の地を、光の磁場とし、光の星として行くことが、叶って来るのである。
あなた達にも伝えておく。どうか、この、今、天上界から降りている神々の言葉を、光の言葉を、多くの人々に伝えてあげてほしい。
いかに、経済的な機構、憲法や、多くのシステムを変えてみたところで、他の霊人方もおっしゃられているであろうが、自らが神の子であるということ、愛の化身であるということを理解しなくては、いかなる体制を持っても、いかなる富を持って来ても、いかなる権力を持って来ても、人は幸せにはなれぬ。
幸せになってこそ、人々は真の価値観を見い出し、そして、互いに自らを認め合い、自らの神性を悟り、そして、互いに愛し合う原点に立ち返るのである。その時にこそ、本当の相和するという和というものが生まれ、人々が平和に仲良く暮らして行ける、そういう国が誕生するのである。
我らは、それを願い、光の国になる為に、この国を神の国とする為に、長いこと指導して来た。そのことをもって、天照大神も天之御中主之大神も、皆んな、日本神道の者達は、そのもとに一致団結し、今日を作り上げて来た。最初、この大和の地を平定する時にも、大変な苦労があった。時には悲しいこともあった。しかし、それを乗り越えながら、我は、その使命を果たした。そして、数千年たち、また、そなた達の使命が来た。
この、我が国土を、神の光の奔流として、神の光の、松明の国家として、世界中に神の光を発信するべきその使命をもって、この国土を光らしめるが為に、そなた達は、この地上に生を受けたのである。その使命を受けたのであるということを考え、どうか、そなた達は、この使命を果たして頂きたい。
そなた達が果たされる使命、今回の使命をもって、今回の計画が成功したかどうかの結果が出る。そなた達が失敗すれば、この計画は、この地上での計画は失敗となる。次の世代の者たちが出ていても、その者たちに松明が届かねば、そして、我らが言葉を法の神髄として地上に現せしめることが出来ないのであるならば、この計画は失敗となる。それほどの、そなたたちには大きな使命があるということ。
その為に、我らの力、そして、我らが裏神道の者達、各国の警備の者達が、魔からそなた達を護るために来ている。気づかぬであろう。そなた達がいかに護られているかということを気づかぬであろう。しかし、我らは、そなた達を日々、守護している。
守護しておっても、そなた達の心が下に向いてしまったのならば、どれだけ警告を発しても、耳を貸さないのであるのならば、そなた達を守護することはかなわぬ。それは、我々の力とかいうことではなく、それが宇宙を貫いた法、そのものの一貫である(ところの)波長同通である。違うものに心を寄せている者に、我らが言葉は通じぬ。神に向けてただひたすらに思いを通じている者だけが、我らが言葉を、我らが守護を、我らが愛を受け取ることが出来るということを、そなた達も肝に銘ぜよ。
これから先、様々な苦難混乱があるであろう。足をすくわれることがあるであろう。だが、謙虚に、ひたすら謙虚に神の前に額くことをもって、そなた方の使命と為されよ。いかなる苦難があろうとも、心を開き、互いに知恵を出し合い、一人で出来なくとも、皆が共に知恵を出し合えば、そなた達の知恵は倍増して素晴らしい叡智となろう。その指導をもって、我々は、大いなるアドバイスを、天上界から、そなた達に降ろすことが出来るのである。
何も努力しない者に神の知恵は授からぬ。何も努力をせず、自ら道を切り開こうと思わぬ者に、神の救いの手は差し伸べられぬ。そのことを思い浮かべられよ。そなた達の心の中に、少しでも迷いがあってはならぬ。(迷いがあると)そなた達の思いの中で、人々が互いに救い合う道を見い出すことは出来ぬ。だから、そなた達よ、どうか、自らの使命に、少したりとも疑いを持つことなく、この使命の中に邁進されよ。
我が言葉を、この大和の国土に伝えよ。我がこの指導が降りているということを、高天原より、数々の日本神道の神々が、今、この地上に降りて来ているということを、声を大にして伝えよ。
そして、我が国土を、もう一度、光の国土とし、神の国としての使命を果たす、そのような役割を、今日、果たす手助けをして頂きたい。その為に、我らは、長いこと、この国土を整えてきた。
全てが、全てがこの日本という、この大和の土地を通して、世界中に向けて、この地球というものを、最終的ユートピアに、最終仏国土と呼ばれているこの神の国に戻すが為の、大いなる神の計画の一貫の中の最終的なクライマックスにある今の時であるということ。その担い手であるのは、そなた達であるということを、どうか心に留め置き、最大限の力を発揮して頂きたい。
辛いことも多いかも知れない。傷つくことも多いかも知れない。経済的に大変であったり時間的にも体力的にも大変なことがあるのは分かる。然れども、そなた達の心根を見ていて、やはり、そなた達で良かったと、我は今思う。そなた達の心根を見ていて「ああ、やはり神が選ばれた方々であった」と、やはり我は思う。であるならば、ためらわず、疑わず、この神の白き道を歩まれよ。この光の道を歩まれよ。
普通の凡人には分からぬことがある。神の指し示される道の先の意味が分からぬ時もある。だが信じよ。信じて、皆んなで力を合わせ、共に手を携え合え。そして、この大いなる計画を無事に果たされよ。
偉大なる、偉大なるそなた達の栄誉として、そなた達の魂の中に刻まれることであろう。そなた達は素晴らしい人生を授かったのであると、今生、素晴らしい生き方をしたのであると、後々、他の人生など、消し飛んでしまうほどに、今、素晴らしい瞬間に遭っているということ。そのことを感謝し、この使命を果たし頂きたい。
我らが言葉、我らが感謝、我らの愛のありったけを、そなた達に伝えたいと思う。我が国土を光の磁場にするために、松明の国家としての使命を果たす為に、そなた達が今、神の言霊を伝えることは、非常に貴重な仕事である。
その出された、神から出された御馳走(言霊)を食う(受け入れる)、食わぬは国民一人ひとりの自由意志である。それが受け入れられぬからといって、そなたたちが悩むこともがっかりすることもないのである。神からの御馳走は、常に国民たちに与えられている。だが、これほどの大御馳走が、ふるまわれることは、今世紀をもっても、今までの世紀をもってもないのである。この大御馳走を、最高の御馳走の酒宴の席に今あずかっている、この日本の国民、いや、地球に生きている全人類の中において、そなた達は神の御馳走を料理し、用意し、差し出さねばならぬ。
それを食べようと、食べまいと、そんなことに一切、煩ってはならぬ。そのような御馳走を出す、そのような調理人達であるということ。そのようなことの中で、ひたすらに料理をされよ。それでよいのである。神の国の御馳走さえ、後に残れば、今、分からなかったとしても、しばらくたってから、多くの人々は大御馳走であったということを分かって、人類の財産として、人々は受け入れていくであろう。
その時に、そなた達が関わったということ、そのことが大いなる魂の中における賞賛となって刻印されるであろう。それで十分であろう。それ以外のものを求めてはならぬ。神の仕事とはそうしてなすもの。決して見返りや褒美を求めてはならぬ。それが足をすくわれる第一歩であるということ。(だから)そなた達は、無心に、無心にこの神の仕事をなされよ。使命を果たされよ。
そして、我も、これから先、この国土を変えて行く為に、次の時代を作らんが為に使命を持っている。
しかし、その使命に届くためには、そなた方の仕事をもってしか次の時代の者たちの仕事がないということ。ただ単に猛き者たちが出て来たといっても、神の国の言葉が、神の指針がこの地上に降りていなければ、多分、我らは羅針盤を失った、大海に臨んだ船のようになるであろう。その時に、神の国の、神の言霊の、神の御計画の、何が、今なされようとしているのかということを、我らに伝えてくれるために、そなた達の使命はある。
地球は、ターニングポイントと呼ばれる分岐点に、今、来ている。その大事な、大事な時の中に、今の、今生の生を受け、今生の命を与えられたそなた方は、最高の幸せ者であるということを思って、そなた達は自分の心に刻まれ、この地上での日々を生き抜いて行って頂きたい。そのことを思ったのであるなら、人生、互いに助け合い互いに知恵を出し合い、多くの難所に足をすくわれることなく、力を合わせて乗り越えて行って頂きたいと思う。
これから、多くの戦争とか、天変地異とか、多くの時代の入れ替えの為の、清めの儀式の為の天変地異が起きて行くけれども、清めはあくまで清めにして、清らかな波動を生み出す為の、清めの浄化の時として、そなた達は、ただ表面的なものだけで悲しみを胸に溜めるのでなく、その時を乗り越えられよ。
そのようなことをもってこそ、次の清らかなユートピアが、次の仏国土が、神の国が、この地上に映し出されるのだという、そのような嵐を越えてこそ、汚いゴミやチリが拭われるのであるということ。悪い気というものが浄化されて行くのであるのだと思い、心静かにその事象が移り行くのを眺められよ。
そして、その黒い厚い雲がモクモクと出て、ザーザー雨が降っても、それにより、汚いスモッグと呼ばれているようなチリやゴミが拭われた時に、その向こうには、燦々とした神の光の射し込む、素晴らしい、その神の御姿というものを映し出す、そういう国土が、この大和の地にも、地球全てに、神の愛が、どこまでも隅々までも、もう二度と、そのような汚い雲に穢されることのない、神の愛が隅々まで届くような、そのような地球が現されて来るのである。
そのことを以って次の時代の幕開けをしたいと、その様に神々は思われているのである。
であるから、一時の俄か雨のような、大いなる雲、いかなる嵐のようなものにも惑わされず、だが、嵐が来るのであるから、そなた達の使命をもって、その嵐の中を乗り越える指針と為されよ。
そして、それが晴れた時に、その国土を、全てを立て直していく。それを、これから、地球全てに、その神の言葉をもって建て替えをして行く建て替えの時がやって来る、ということ。そのことの夢を、希望を信じて、その仏国土が、ユートピアと呼ばれているものが、神の国の具現化というものが行われる、その光の時が来るのだということを信じて、そなた達は、今の使命を果たして頂きたい。
そなた達の使命をもってこそ、光の国が、光の瞬間がやって来るのだ、ということをどうか信じて、この道を歩まれることを、心よりお願い申し上げ、今日は、これにて引き揚げようと思う。
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