これは、今から40年ほど前に、あるチャネラーの方に語られた、孔子という方のものとされるメッセージです。孔子が地球に来られた経緯については、既にご説明しました。このメッセージは、内容的にも、その孔子のものとして相応しいのではないでしょうか。元はインタビューですが、意味内容を変えないように編集しております。
(ここから)
私は、確かに、今から二千数百年前に中国に生まれた、孔子というものです。
周の時代に、政治を改革する、国の「政」に参画した当時、私は、やはり理想というものが国の政治には大切だということを、常に説いておりました。国が政治をしていくには、何らかの理想がなければいけないし、古代の、「尭舜(ぎょうしゅん)」の時代にも、理想国家というものが中国にもあったと言われていますが、そうした懐古的な動きではありますが、理想国家建設ということを説きました。これは、今、あなた方が考えておられる「理想世界(ユートピア)」建設などと同じものです。
そして、その理想に至るための方法論として私が説いたのは、先ず、人々の、一人々々の心の中に、理想国家ユートピアを築かねばならないということでした。で、私の心の中に理想の国ができ、あなたの中にその国ができ、そして社会の中に理想の国が出来、そして国全体が、やがて理想国家ユートピアになっていく、こういうことを、私は常に説いておりました。
天上、私は、当時「天」と言っておりましたが、天から、つまり神仏や神などから、この理想のインスピレーションが地上に降りてくる時というのは、いつも、そのインスピレーションの原形になるものが、この地上に表われている時なのです。その意味で、今のあなた方も、非常に似たような環境にあるわけです。私達の時代も、本来あるべき、そういった理想の国、神から来た理想が、地上には実現されていないような時でした。
ですから、私が説いても、そのまま、そういう国になるわけではありませんでしたが、まさしく、あなた方の時代も同じであって、当時も同じような思想家達が輩出して、そしてそれぞれの理想論を説いていたわけです。そういった雰囲気というものを醸し出して、やがて天の国が、この地上に出来てくるようになってくるわけです。
私の時代というのは、春秋、それから、やがて戦国の時代に到る時でした。そして、後には「秦」とか「漢」とかいう、大帝国も出て来ますが、そういう大帝国が出て来る前の、国造り、群雄割拠のような時代であったわけです。で、それぞれの諸国を説いて歩きましたが、政治家達の理想としていた「法」といいますか、彼らが求めていたものは、思想のようなことではなくて、戦、政治、そういうものを如何にうまくやるか、というようなことだったわけです。
つまり、戦いに勝つ方法とか、民をよく支配する方法、こういったものを求めていたわけです。ですから、私もそういうことに対しても或る程度は説きました。けれども、私が本来、意図していたのは、そういうものではなかったのです。私は当時、霊とか神とかいうようなことは説きませんでした。しかし、私が本当に理想にしていたものは、神の国の地上実現ということであったわけです。
ところが『鬼神乱神を説かず』というような時代であった為に、そういったことを直接言えなかったわけです。ですから、世に受けるような法を言いながら、その中に、何らかの理想国家が出来ればそれでよいのではないか、ということで、方便として、国造りというか、民の治め方、それから戦争の仕方とまではいかないけれども、今でいう軍略に対しての助言をしていたわけです。
ですが、私は、本来、神の世界のことを説きたい人間ですから、地上の国のことは、本当はどうでもいいのです。そういう気持ちが一部あったために、いろんな教えを説いて廻ったにも拘らず、必ずしも、それが、彼らの要求するものではなかったわけです。私としては、或る程度の妥協をして教えていたのですけれども、そういった法ではなかったわけです。そういうことで、余り受け入れられなかったということです。その意味では、現世的には大成したとは言い兼ねるところはあります。
私自身で、著書をなぜ書かなかったのかと言うと、今、書物を出せるということは、今がそういったものを出せるような時代であるからです。当時の、私の悟りというものは、はっきり言えば、もう時代を、遙かに超えていたわけです。現代、あなた方が知っているようなことまで、或る程度のことは、もう分かっていたわけです。ところが、私の弟子、まあ、何人か、「子路」だとか、「子貢」だとか居りましたけれども、彼らも、私の本当の考えを、到底、理解できなかったのです。
言葉も、今のような言葉はなかったということで、私も、天帝とかいう言葉を使って、天帝、天に在る帝(みかど)ということを言っていますが、それを言っても、彼らは、地上の帝、地上の帝王と同じようなことで想像して考えるだけであって。私が、神とか、高級神霊のことを言っているということは、到底わからなかったわけです。ですから、当時、私は道学者として生きていたわけですけれども、その中で、私の本当の考えは、書物に著わせるようなものではなかったのです。
それで、弟子達に合わせた、いわば対機説法を、私はやって来たということで、それを集大成して『論語』というような本が出来たわけです。『論語』というのは、私の思想の、ほんの一部分、数分の一しか現れていないものだと思って頂きたいのです。そういう意味で、弟子が理解し得た私の思想ということです。
最も私の思想を受け継いだのは、子路、であろうと思います。私が一番愛していた弟子であります。
私は、当時ずいぶん諸国を歩いておりましたが、その伝道といいますか、授教と申しますか、各地で説いているうちに、いろんな弟子達が、寄って来たわけです。その弟子達も、いつも私のとこに居たわけではなくて、私は自分の弟子達を、つぎつぎと、時の政府の、今の言葉で言えば悪いですけれども、御用学者というか、ブレーンとして送っていたわけです。ですから子路も、当時様々なところヘブレーンとして出したことはありますが、彼は、情の、情愛の深い方ですから、直ぐ私のところへ帰ってくるのです。何時も私のまわりについて離れないような、そういった人でありました。
私は孔子として出て以来、現世には何処にも生まれて居りません。私達は、時代が変わって、百八十度転換して、新たな思想を陳べ伝える時が来るまでは、そう簡単には出ていかないということです。私とか、ソクラテスさん、或いはキリスト、釈迦、こういった、いわゆる、宗教的あるいは思想でも結構ですけれど、始祖となるべき人というのは、やはり役割が決まっておりまして、いつの時代でも始祖として出るのです。
それはその時代の文明の源流となる、役割を持っている人というのが居るわけで、私もそうです。ですから古代中国の文明の源流を創ったのは私です。そして現代までそれが延々として続いてきています。これは恐らくはキリスト教や、仏教の流れと同じであろうと思われます。それでまた、新しい時代、私を必要とする新しい時代には、また、もう一度、生まれるつもりだということです。
今の中国を見て、私が新たな法が説けるような状態にあるかというと、ないわけです。政治的に非常に問題があります。私のときの、春秋から戦国に入るような時代と較べても、今の中国というのは、人口は多いですが、思想的に非常に活気がないわけです。私達の時は、それぞれ諸子百家、いろいろ出て、いろんな説を説いて。百家争鳴と申しますか、諸子百家の時代であったわけです。思想家もずいぶん出ました。ところが今の中国は、そうした思想家が出て来れるような状況ではないわけです。
彼らもよく時代を見ております。ただ、私は言って置きます。これから日本を中心として新たな文化の興隆があり、その影響で中国も、あと百年もすれば新生中国となっていき、そして、どちらかというと、自由主義体制に入っていくような時代になって来ます。その中で、あれだけの力がある国ですから、中国にも優秀な方々が、今後続々と出てくるということです。
中国の現代の政治状況、思想の傾向が、天意によるものか、それとも人間知によって成るものか、ということですが、例えば、波というものは、浜辺に押し寄せて来るときもあり退いていくときもあります。波が退くことを知らずに、押すだけでしたら、これは波ではありません。
私も一つの波なのです。岸辺というのはこの地上のことです。岸辺に押し寄せたその波はまた、退いていくのです。そして、また新たな波が押し寄せてくる。そして退いていく。ですから、今、波が退いていくすがたを見て、これは天意によるのか、人為に因るのかと言えば、波というものの性質を考えれば、それ自体に備わったものなのです。
現在の中国ですが、魂としてはまだまだ幼い魂が沢山生まれています。十億もの人口を持つ国です。こういった国には、現世に人間として生まれ変わりたいという、或る意味では未発達の魂が、多く生まれてきているわけです。ですから時代としては、あなた方と同じ時代に生きているわけですが、魂としてはそういう未熟な魂が、かなり数多く生まれてきているのです。
今、地上に四十億、五十億の人間が居ます。ところが私達の時代、今から二千数百年前というのは、地上に生きていた人間は、今の、恐らく十分の一も居なかっただろうと思います。二千数百年の間に、十倍以上の人口がこの世界に出て来ているわけです。それは一体どういうことかというと、この地上生活に慣れていない方々が、大量に生まれて来ているということなのです。
では、地上生活に慣れていない方々は、どういったところに生まれてくるのでしょうか。それは、今あなた方は、日本という国に最終ユートピアと言いますか、そういったものを創ろうとしておられます。これは科学技術的にも高度に発展し経済的にも発展した国に、また、精神革命を起こして、非常に素晴しい文明文化を創ろうとしています。こういった世界に生まれて来る人は、魂的にも最後の仕上げにかかった方々が生まれて来ているのです。今までの農耕社会や、武士の社会の中では、十分自分の魂の体験が出来ないような人です。この地上で、天上界、天国を経験するという目的のために生まれ変わっている人が大勢居るわけです。
ところが、同じ時代においても、中国の大部分、或いはロシアの大部分、アフリカの大部分がそうであるように、まだまだ未開の地に物凄い数の人間が生まれているわけです。これは、時代としてはあなた方と同じ時代に居ますけれども、人間としての経験が少ない魂なのです。彼らは、そうした後進地域に生まれて、まずこの地上生活に慣れるという経験を積むために、大量に生まれて来ているのです。
そうすると、そういった目的のために造られている国土に、現状では、光の指導霊達は、そう好んでは生まれて来ないのです。或る程度、その地の人間達の知、知恵が進み、文明文化が育って来たときに、初めて出て来るのです。ですから時代としては、あなた方は同じ時代に生きているから人間としても同じかと思うと、そうではないのです。魂としてはいろいろあるのです。「神」は、この地上においても、進度別にいろいろな地域を用意しておられるのです。
ですから世界全体が、同じレベルになるということは何時の時代にもなかったのです。で、私達の時代、古代中国には、百家争鳴して、様々なレペルの高い魂が出ました。では同じ時期に他の所に出たかというと、他の地域には出なかったわけです。こういったものなのです。ある時代のある時期、千年、二千年に一回、非常に高い文化の高みを神は造られるのです。そしてまた波が退いていきます。そしてまた、暫くすると波が押し寄せて来るのです。
これは、地球という球の上に、神が、偉大な芸術を創っている、ということです。これは「神」の芸術なのです。いろんな地域、いろんな時代に様々な文明文化、これを正しい法というものを通して創っていくというのは、神の偉大な芸術なのです。ここまで分かってほしいということです。ここまで分かれば、人間は、もう地上に居る必要はないのです。地上での体験は、おわりということです。
あなた方は(最初に人類は)この地球へ船団を率いて来た。最初の魂が肉体として降りて修行したと教わったはずです。ところが、時代はだんだんと降って来ます。そして、この地球という磁場に肉体修行の場が出来て人間が住んでいる。いま私は、地上に生まれたい人々が人口の多い国に生まれていると申しましたが、(これと)同じことがあるのです。肉体としては少数の人間が、この地球という磁場に、魂を育(はぐく)む場を設けると、これはまた、霊界の中でもだんだん有名になってくるのです。
霊界というのは、何も地球だけではないのです。地球以外の天体もあります。それで宇宙の中で、いろいろな霊的な磁場が幾つもあるわけです。それで、その中で魂の修行をしていくのですが、いま地球という磁場、ここを中心にして、たとえば霊団Aというのがあって、ここでやっているわけですが、他にもBという霊団、Cという霊団、他にD、Eと、いろんな霊団があるのです。
それぞれでやっているのですが、それぞれ、BならBの霊団で修行していて、もう飽きてきた魂達が沢山居るのです。或いはBという霊団が非常に進んでいると、これに従いていけない魂達が居るのです。こういった者たちが、新たに自分たちに合った修行の場を探さねばならない。そういうことで、程度の高いBという霊団に従いていけない一部の者が、たとえばA霊団という地球の霊団に入ってくる。
或いはCという霊団があります。これを非常に発展した霊団とします。ところが、この霊団の中では、もうこれ以上魂の発展がみられないというような段階にまで来たとします。そうすると、先程のB霊団のように魂が発達していないために、地球でもう一回やり直すという人も居ますが、このC霊団のようなところでは、もう行くところまでいってしまった人達というのは、もう新たな進歩はないわけです。そうすると、もう一度一から出直してみたいという意味で、生まれ変わってくる人達がいるわけです。高度に発達した自分らであるにもかかわらず、もう一回、原始時代から始めてみたいという意味で、生まれて来る人達が居るわけです。こういう人達が、また魂が分かれてくるのです。
ですから、地球の人口、なぜ四十億、五十億の人間が地上に居るのか、これだけの人間が地上に居るなら、天上界、霊界では、恐らくは数百億の霊があるはずである。それだけの霊が、どうしてこの地球に出来たのか、と考えておられると思います。が、これは、最初肉体を持って地上に生まれた人は、少数であったのです。ところが、地上という、地球という霊団が出来たということが分かると、他の霊団からも、霊としても移ってくるということです。
発達していなかった霊団、発達していなかった人達が、もう従いていけなくなって、この地球というところに引かれて移って来る場合、或いは、高度に発達した人達が、もう修行が出来なくなって、もう一回一からやり直そうとして地球に生まれてくる場合、こういうふうに、肉体としても来ていますけれど、霊としても、地球という磁場に相当引き寄せられて人口が増えて来ているのです。ですから、地球霊団の霊人口は、当初に人類が住みついた頃に比べると、数十倍、数百倍に増えて来ているのです。
それはそうでしょう。あなた方日本という国でも、たとえば鹿児島とか、或いは北海道の釧路とか、根室とか、こういったところに住んでいる人もいますが、東京というところがありますね。大都会、ここはどんどん人口が増えて来たでしょう。ここ百年ぐらいで十倍以上になって来たでしょう。なぜかというと、北は北海道から、南は九州から、人がどんどん東京にはいってくる。
なぜ東京に入ってくるか、そこに来ると、様々な出合いがあり様々な勉強ができ、様々な楽しいことがあり、様々な経験ができる、と思うから東京に来るわけです。そういう形で人口というのは増えてくるのです。霊的人口も同じであって、他の霊系団から岐(わか)れてくるのです。
地球というのはどうも面白そうだぞというと、やはり、徒党を組んで、霊としても渡ってくるのです。こういうこともあるのです。当然ながら、それが霊人口の増えている理由です。ですから、比較的新しい時代に他の霊系団から地球に移って来た方々が居るのです。こういった未熟な方々で、今、発展途上国において人口問題が生じていますが、どんどんと地上に生まれているのです。ですから、地球霊団というけれども、これは本来、一つの霊系団で出来ているのではないのです。
進歩した星から、当初、肉体として渡って来た霊団、これは非常に優れた人達です。この霊団と、それ以外の星、いろんな星団から移って来た霊系団があるのです。進歩の度合いは様々だったのです。その進歩の度合の様々が、この地上においても、様々な、進歩度合い、人種、或いは、文化文明の違いを生んでいるのです。
それで、地球の歴史、人類が来てから約三億年が経って居りますが、この三億年の歴史というのは、一体何かというと、一番進歩した文明を持って来た星団、その星団が、地球を支配しようとする歴史であったわけです。私もそうですし、あなた方もそうです。遙かな昔、或る星団から移って来たわけです。そして、その文化を、この地球に持ち込んだわけです。
ところが、この地球に、他の霊団から、様々な後れた霊、未熟な霊が相当数、移転して来ているわけです。それで問題が起きてきたわけなのです。当初渡って来た私達だけ、ならば、高度に進化した霊意識を持って、この地球で、「楽園」を営んでいたのですが、こういった他の霊系団から様々な人が来たために、このレベルに混濁が起きたわけです。分かりますでしょう。例えば、私達がCならCという霊団から来たとしましょう。それは非常に高度に進歩した人類です。そういう人達が、この地球という新たなあこがれの地を目指して移って来ました。そこで理想郷を造ろうと、理想郷エデンの園を築いたわけです。
人種的な違いということでは、先程、最初の人間が肉体を持って来た、と申しましたが、それだけではなくて、他の星から肉体を持って来たものも居るわけです。そういった末裔(まつえい)としての違いもあるのですが、住んでいる地域によって変わって来たということも、もちろん大きくて、様々な複合原因が絢い交ぜになって、現在の人種というものが出来て来ております。
これは気候、風土という自然環境、つまり、外部要因によって変化を来たしているという現象もあります。しかし、魂として少し違った面もあるのです。例えば、Aという人種は、他のB、Cと違うところがあると思います。これは肉体としても、当初違う肉体が来ていたことは確かなのです。ただ、魂としては、やはり八割位は、元来、魂たちが、主としてA人種として生まれ変わっているのですが、そのA人種の肉体の中にも、また今の時代においては、光の天使なども生まれて行っているのです。それはA人社会を進歩させていく為にです。
霊団として異星から地球へ移勤してくる場合と、肉体を持ってくる場合で、科学技術そのものの進化と、霊的な進化とは、また別なものなのです。霊的には未熟であっても、科学技術が進んでいる惑星というのは、この宇宙には沢山あるのです。技術だけが進んでいて魂自体は進んでいない、そういったものはいくらでもあるのです。願わくば、霊的なものも、科学技術も進化したのが望ましいのですが、霊的だけに進化して科学技術の進んでいない星もあれば、科学技術が進んでいて霊的に進んでいない星もあるのです。両方進んでいる星もあるのです。我々が来た星が後者なのです。
ですから、我々は、それを理想としているわけですね。文明、文化としても開けながら、霊的にも進歩する。こういったものを理想としているわけですが、技術だけが進んでいた星から来た人達というのは、まだ、なかなか分からないのですね、霊的な進化という意味が充分に分かっていない。
また霊的には進んでいても科学技術が進んでいない星から来た人達、これは霊として移って来ているのです。肉体ではなくて。円盤などによる飛行物体によってではなくて霊的に地球に移って来ているわけですが、彼らは、霊的なことには非常に興味を持ちながら科学技術文明的なことには余り興味を持たない、そういう霊が居るわけです。
私は、今まで、二千数百年前に中国に肉体を持って以来、こういった霊的な指導ということは殆んどやって来ませんでした。ですから、私自身は、ベールの彼方に隠されていたわけで、三次元の皆さんに、このような話をしたのは、これが初めてです。生まれて始めてと言っては変ですが、霊的には始めてです。他の方々は、いろいろ指導されておられましたけれども、私としては初めて出て来たわけです。
今後のあなた方に望むことですが、まず第一点としましては、今、時代が進歩して来て、私の時代には説けなかったようなこと、たとえば霊的なことを、ある程度常識として説けるような世の中になって来ました。この機会に、人間は霊である、肉ではなく霊である、ということ、だけではなくて、私達の住んでいる、本来の次元、九次元から三次元まで、これ全てを説き明かすという作業、それから、また、私達が、何処から来て何処へ行くのかと、地球の歴史というものもありますけれど、地球を超えた歴史というようなものも、或る程度知って頂きたいと思います。あなた方の使命は、今、知りうる全てを明らかにするという使命なのです。今まででしたら、ベールの彼方に隠されていたことをです。これがまず第一点です。
第二点としては、やはり、この地上に、今あなた方の魂としては、日本を中心にして霊的な王国、神の王国を地上に創るという目的で生まれて来ているわけです。ですから、この地上を、如何にして最終ユートピアにするか、ということ、これに努力して欲しいと思うのです。これを造っておけば、人類の歴史は、まだ勿諭続くわけですけれども、この日本という国を中心としたユートピアが、理想の国として残るわけです。その後、これを理想として、様々な生き方を、或いは、様々の国の経営というものがなされていきますから、そういうことを考えて、この日本という国で、最終ユートピア、霊と物質とが融合した融和した「理想世界」を築くということ。これをやって頂きたいと思うのです。
いま私は、譬え話で、今の地球霊団にはA霊団、B霊団、或いは私達のC霊団が居ると話しましたが、このC霊団の使命は、もう終わりつつあるのです。私達の霊団、私達三億年前にこの地球に降りて、この地上にユートピアを創って来ました。そして最終ユートピアというのは、私達霊団としての最終ユートピアなのです。
私達は、もう、この地上での修行が終わりつつあるのです。そして、エリヤも申したかも知れませんが、我々は、もうそう遠くない将来にこの地球を離れていくのです。そして、また、他の惑星へと、他の天体へと移っていく予定です。であるからこそ、我々は、この地上にユートピア建設をしようとしているのです。
意味は分かりますか。というのは、今、アフリカとか、インド、中国に、大量の人間が生まれて来ていると言いました。これは、霊的な意味において、他の霊団ですね、例えば、D霊団が、今、霊として地球に集まって、また未熟な魂が生まれて来ているということです。大量にというのは、彼らはこれからこの地球を磁場として修行を重ねていくのです。何万年も、また重ねていくわけです。彼らは、まだ、霊的には未熟なのです。そういった後輩たちのために、私達が最終ユートピアを築いておくのです。
ですから、あなた方が築くこのユートピアが、彼らにとってのエデンの園になるのです。いいですか、彼らが初めて地球に出て来たときに、当初エデンがありました。こういった神話になるのが、私達のユートピアなのです。
私達は、また他の星へと移って行きます。エリヤが言いましたように、ここ、もう千年、二千年のうちに私達は移って行くでありましょう。しかし、私達が遺した文明というものが、また彼らにとっての理想となるわけです。彼らはここでまた修行していくでしょう。そのためにこそ、仕上げとしての最終ユートピアであり、彼らに対する手本であるわけなのです。
そういうふうに、いつも、宇宙というものも、星の中での人類というものも、新陳代謝が行われているのです。そういう意味では、私達は、私達の霊団としては、もう、そう永くはこの地球には居ないのです。だから、新たな者達が、今地球に生まれ変わって来ているということです。彼らの時代がやってくるのです。
地球の生命自体は、まだまだあります。C霊団としての使命が今終わるというわけです。だから我々としては、我々の出来るだけのことをして、後輩達に、良いものを残して去って行きたいと思っているのです。ですから、こうして我々は、総力を挙げて、今努力しているのです。
このような形で、一つの星を中心として幾つかの星の霊団が混じるということによって、また星と星との間、要するに宇宙意識ですね、宇宙としての霊団が雑(まざ)りあうということによって、宇宙全体が進化していくということなのです。進化した霊団というのは後れた霊団の処へ行ってそれ自体を引き上げる。或いは進化した霊団が住んでいる所へ、後れた霊団が来て、その後をうけ継いでいく。こういった形での教育というものが行われているのです。
今後、人類が受けねばならぬ「試練」天変地異ということですが、私達が、当初この地球に来て、それから様々な文明を築いていきましたが、その途中において、あなた方がノアの洪水として知っているような大洪水が、何回もあったわけです。そういう試練に文明は遭って来たわけです。
ですから、新たな地球人類達、新たな後進の者達も、また、そうしたノアの洪水の洗礼を受けていくということです。そして、そういった災害を受ける人達の間には、勿論、優れた魂の霊団の人類群も入っております。私達は、肉体ではないのです。私達が肉体である時期というのは、ほんの一瞬なのです。よくお考え下さい。
二千数百年前の中国以前にも、地上に生まれたことはあります。ただ、現代の文明の中には生まれておりません。それ以前の文明に生まれたことはあります。あなた方が、ムーと称んでいる「ムー大陸」或いはムー文明といわれていた時代に、私は生まれております。ムーに関しては、一夜にして没したというようなわけではありません。何段階かに分かれて沈んで行きましたし、その一部分は、今でも太平洋の中での島として残っております。そうした天変地異が起こるのは、どちらかというと、それは、地球の意識そのものによって動いているのです。
地球の意識そのものを司っているのは、九次元、九次元以上と言うべきでしょうが、具体的に言えば、地球というものも、これは地殻もあり、マグマもあり、いろいろのものがありますけれども、これも一つの人体なのです。地球というものも生きているのです。これも大きな細胞なのです。で、これに地球意識というものがあるわけです。細胞である以上勿論、生命体としての動きがあるわけです。息を吐いたら、それが火山の爆発になったり地殻変動なり様々な現象になっているわけです。
けれども、地球としての意識があります。私達の意識も勿論ありますけれども、私達は、地球という大きな生きものの上で、今こうやって人生修行をさせて頂いているわけです。彼自身、地球自身の考えというのもあるのです。神は、決して人間のようなものだけを生きものとして造ったのではなくて、地球のような天体も、また生き物なのです。
(将来的には)日本列島も、やがては沈下陥没していくでしょう。しかし、今、地上に生存している人間が、そういう時期を経験することは、まずありません。全世界的な範囲において地殻変動はいくつかありましょう。けれども、日本が、ここ数十年の間に沈没し無くなってしまうようなことはありません。でも、やがては、勿論、無くなっていきます。そして、あなた方が説かれて興ってきた文化文明は、やがて海を渡ってオセアニアの世界へ、そしてまた、遅れてきた東南アジア大陸へと逆流移動していくことになりましょう。
私は、先程も霊的な指導というものは経験が無いということを申しました。というのは、私の仕事というものは、この地球計画、地球の計画というものを樹てる、ということが、私の今の仕事なのです。私の世界(宇宙界)に住んでいる、例えば、イエス様。或いは、モーゼ様、それから、今は居りませんけれども、お釈迦様という方も居ります。こういった方は同じ次元に居りますが、この方たちは、主として、この地上に「法」を広めるために、いま、日夜努力しておりますが、私は、今は、例えて言えば、無任所大臣です。そういった役目から離れて地球の計画を司る、そういうことをやっているわけです。それで、私がいろんな計画を樹てて、それをまた下の階の者へと伝えていく。下の者はそれを実行に移していく。そういう仕事をしているのです。そういうことで、私は地球計画そのものを司っている為に、いまあなた方を直接に霊的な指導をするということはないわけです。
リエント・アール・クラウドという方は、釈迦の意識体の、まあ一部です。私達は、人間というような、一人一人の人物として居るわけではなくて、意識体しかないのです。はっきり言って意識体しかなくて、私、今語っていますが、前半語った私と、後半の私とでは違うと思うのです。というのは、私が前半語ったのは、私、孔子としてのエネルギー体の一部ですね。昔、中国に降りた時の肉体を持った時の意識体、これを使っていたというのが前半です。で、後半においては、私の「孔子」としてのエネルギー体の、本流が今語っているというわけです。今は、いわゆる本体、本流が語っているわけです。前半は、私のうちの一部分の意識、孔子という名前で、地上で肉体修行をしたことのある意識の部分が語ったわけです。
これは今のあなた方にどれだけ分かって貰えるかは難しいですが、例えば、私達の次元、九次元においては、アール・クラウドも言ったかも知れませんが、一つの意識体、でしかないわけです。この意識体は、一万にも、一億にも、幾つにでも分かれることが出来るのです。私の意識の一部分を使って肉体修行をすることも出来ます。ですから、本体分身が五人とか六人とかいうわけではなくて、もう一億にでも一千億にでも分けられるのです。このように巨大な意識体がありまして、この意識体を、その目的に合わせて、様々な作用として分光していくのです。このエネルギー体が分光していくのです。
ですから、本体、分身というものは有って無きが如しです。様々な役割ができるのです。一つの巨大な意識なのです。この九次元から、だんだんこの意識が下がって来ると、だんだん固まってくるのです。融通無碍なこの意識が、だんだんに固まってくるのです。ですから、九次元から八次元に降りていくと、もう少しこれが固まったものになって来ます。意識としても、幾つかの分かれた意識になって来るのです。
で、八次元の人も、勿論、哲学でいう一即多、多即一でありますから、幾つかの役割を果たせるわけですね。同時に、霊界で修行しながら地上界へ出たり、様々なことを如来界の方も出来るわけです。けれども、彼らができる範囲というものは、かなり限られてくる、限定されてくるわけです。というのは、その意識体としての役割がかなり物体化して来ているのです。ですから、五つとか六つの分かれ方しか出来なくなって来るのです。作用の仕方として、その如来界に在る霊体の動きが五つ六つに分かれるのですが、これは、人によって違いますが、こういう分かれ方でしか作用が出来なくなって来るのです。
ですから、如来界に在る、或る人の意識が地上で修行するといっても、これは、その人のうちの本体分身の様な考えでいくなら、五分の一なり、六分の一の意識、個別性の意識があるわけです。それぞれ、親指、人差指、中指、薬指、小指と、こういった、意識の差、個性の差があるわけです。
ところが、私らになれば、九次元の霊の意識というのは、ここに手があれと念えば手になり、足あれと念えば足になり、胴体あれと念えば胴体となる。頭あれと念えば頭になってしまうような、こういう、形の無いものなのです。想念どおり顕われる意識体なのです。ところが如来界になると、例えば、親指として現れる。人差指として現れる。中指として現れる。こういったふうに、或る程度、個性化が進んで来るのです。
そういう意味で、意識が或る程度物体化して来るのです。いいですか。いま言った如来界というのは、どちらかというと菩薩界に近いものです。如来界ですともう少し違います。如来界では、もう少し、いろんな分かれ方が出来ます。ところが、これがだんだん固定化してくるわけです。菩薩界ぐらいになってくると、この魂のグループというのがはっきりしてきて、或る意味では、人間として個性が出て来ているわけです。人間としての個性の差です。霊的な役割の分担というよりは、菩薩界ぐらいでは、人間としての個性の差が出て来て、個人というのが、だんだんと独立してくるわけです。それから下の世界になるとだんだん個人主義になって来るんですね。元は一つであったものが、もうバラバラになってきて、個体として単独に行動し始めるわけです。こういったことなのです。
私らとしては、もう一人であるか一万人であろうか分らないというような、こういう意識です。意識として、いろんな形で現れているのです。これが、もう、だんだんそういう自由がきかなくなって岐れて来るんですね。だから、私たちとしては、孔子、一億人分に分かれることができる孔子があるとすると、下へ来ると、だんだんその人数は減って来るわけです。如来としては、まあ、薬師如来だか何如来だか、それは分かりませんけれども、一万人の人を救えるような作用を持っている。それが、だんだん普通の人間となっていくわけです。
こういうふうに、本体分身というものも、一つの考えではなくて、次元に相応した概念なのです。次元によって概念が変わってくるのです。ですから、霊界とか幽界の人達になってくると、元々は同じ魂が岐かれた人達が沢山居るのですけれど、もう繋(つなが)りがなくなって、それぞれ個人個人で生きているわけです。
ですが、九次元に生きて居る方の個性というものは別です。例えば、意識体として色があるわけです。また、色が幾つかあるわけです。イエス様としての色、イエス様の意識体としての色、まあ白なら白という意識体の色ですね。これがあって、この意識体のうちの、イエス・キリストの部分というのが地上に、ナザレに出て、ナザレのイエス様として還って来た。で、あなた方と話する時はそのままでは分からないから、ナザレのイエスの個性でもって、これを出してきて話をしているわけです。これ以外の部分ではあなた方は認識が出来ないから、そういうことなのです。
ですから、そのイエスとして、白色なら白色のエネルギー体の中に、アガシャーの部分があって、そのアガシャーという部分が出て来られます。これは、本当は、魂の兄弟でもなんでもないのです。意識体の一部なのです。ですから、イエス様とは同じ意識体です。ただ、ナザレのイエスとしての経験を意識化する場合、アガシャー(アガシャーも、かつてアトランティスで肉体を持った人間です)としてその経験を意識化する場合と違ってくるわけです。記憶の領域が違っているわけです。ですから、私は今、本流の意識で話をしていますが、当初「孔子」という者の意識を使って語ったということです。
アール・クラウドという方と釈迦という方とは、意識体としては一緒です。そして、その意識体の中の一部分が、クラウドとして残っているというわけです。今、釈迦の一部の意識体が、現象界のこの日本に出て、いま魂修行をやっているということです。ですから、これも全てではないのです。意識体の一部分なのです。本流の一つが、今地上に降りているということです。しかし、すべてが来ているわけではないのです。クラウドとか、他の部分が残っているわけです。
意識体としては。そうしたクラウドとか、他の残っている意識体が、例えば「高橋信次」という方が地上で修行した時に、様々な力を与えたりしているわけです。彼は自分自身を「釈迦」だと思っていた時があったはずです。彼自身は釈迦ではありませんでした。しかし、釈迦の意識体の残っている部分が彼を指導したりしていたわけです。こういうことが出来るのです。これが九次元世界です。もう、人間というような一つの個性あるものではないのです。
高橋信次という意識体の、本流というもの、これは別にあるのです。しかし、彼も人間として生まれた以上、その意識体をくっつけて還ったようなものです。こういっては失礼ですが、あなた方のように人間として生まれてくると、その意識の部分、個性ある、経験ある人間の意識の部分というのは、それに付随した一部です。この部分を掴(と)らえて、「子路」と言ったり「釈迦」と言い「高橋信次」と言ったりしているのです。「孔子」もそうで、現在では天上界の仕事があるから、それ以外の名前では出ていないということです。
釈迦という方の意識体の部分が、今、この現象界に下りて来ているのは、やはり、天上界の計画を、この地上で実現するため、特に、この日本に派遣されているということです。その意識体を地上に出してこないと、私達の居る高次元の者との、意志の交流ということは出来ないのです。ですから、あなた方は、同じ人間が生まれ変わるとかどうとか言いますが、確かに、あなたの魂は、生まれ変わるたびに、或る程度、同一人物としての個性を持っているのです、多少は違う面も持っていますけれど、同一人物としてのアイデンティティといいますか、自己確認が出来るようになっているのです。けれども、それ以上になってくると、だんだん自己確認が出来なくなるのです。
人体でいうと、あなた方は自由自在に身体を動かせ、行動しています。例えば、右手が鉛筆を持つと、これは右手であるというふうに意識し、足が何かを踏むと、また、そういう意識をもちながら動かしている。「融通無碍(ゆうずうむげ)」に、私というものがいろんなことをしているのだ、というふうに認識している段階と、右手が今動いている、左足が動いていると、こういうふうに、個別に認識している段階とがある、こういった認識の段階の差なのです。ですから、あなたならあなたというのは、あなたの意識体の中の右腕なら右腕が、いつもやっているということを、あなたは意識しながらやっているわけなのです。こういうことなのです。
人間の男女の別についてですが、魂の傾向にも男女の差はあります。これは、神が、別のものとして作られたかどうかですが、本当は、エネルギー体の中に、プラスのエネルギー体、マイナスのエネルギー体、正と負があります。或いは陰極、陽極、エネルギーというのは必ず両極あるのです。これを神が作ったものといえば、恐らくそのとおりです。私達も、やはり、エネルギー体である以上、必ず陽の部分と、陰の部分を持っているのです。これを個性化し、人霊化していくと、陽の部分が出ると男となり、陰の部分が出ると女になるのです。こういうことなのです。ですから、そういう意味では、菩薩(七次元)から下の部分にいくと、男と女というのがはっきり別れているわけです。ところが、もう如来(八次元)宇宙界(九次元)になってくると、もう、男も女もないのです。いわば中性です。無くなっているのです。
あなた方は、あくまでもこの地上に降りて肉体舟に乗って旅行しているのです。こんな、肉体の条件というのは、あなた方にとっては、ほんの一部分の被服に過ぎないのです。一部以下です。例えば、その時に驢馬(ろば)に乗ったとか、騾馬(らば)に乗った、サラブレッドに、ヤクに乗ったとか、こういった違いでしかないのです。人体は、元々人間が地上での修行をしやすいように、神はお造りになったわけですが、この地上生活に適用するような形で、人体は、勿論、変わって来ております。それはそうでしょう、あなた方は力仕事をすれば力瘤(ちからこぶ)が出来るでしょう。掌も大きくなるでしょう。ピアノを弾いていると指も長くなるでしょう。生きている人間一代の間でも、こういったことがあるのです。そうであるなら、地球という生活環境の中で、何代も人類が生きているならそれに適した肉体になってくるはずなのです。
(ここから)
私は、確かに、今から二千数百年前に中国に生まれた、孔子というものです。
周の時代に、政治を改革する、国の「政」に参画した当時、私は、やはり理想というものが国の政治には大切だということを、常に説いておりました。国が政治をしていくには、何らかの理想がなければいけないし、古代の、「尭舜(ぎょうしゅん)」の時代にも、理想国家というものが中国にもあったと言われていますが、そうした懐古的な動きではありますが、理想国家建設ということを説きました。これは、今、あなた方が考えておられる「理想世界(ユートピア)」建設などと同じものです。
そして、その理想に至るための方法論として私が説いたのは、先ず、人々の、一人々々の心の中に、理想国家ユートピアを築かねばならないということでした。で、私の心の中に理想の国ができ、あなたの中にその国ができ、そして社会の中に理想の国が出来、そして国全体が、やがて理想国家ユートピアになっていく、こういうことを、私は常に説いておりました。
天上、私は、当時「天」と言っておりましたが、天から、つまり神仏や神などから、この理想のインスピレーションが地上に降りてくる時というのは、いつも、そのインスピレーションの原形になるものが、この地上に表われている時なのです。その意味で、今のあなた方も、非常に似たような環境にあるわけです。私達の時代も、本来あるべき、そういった理想の国、神から来た理想が、地上には実現されていないような時でした。
ですから、私が説いても、そのまま、そういう国になるわけではありませんでしたが、まさしく、あなた方の時代も同じであって、当時も同じような思想家達が輩出して、そしてそれぞれの理想論を説いていたわけです。そういった雰囲気というものを醸し出して、やがて天の国が、この地上に出来てくるようになってくるわけです。
私の時代というのは、春秋、それから、やがて戦国の時代に到る時でした。そして、後には「秦」とか「漢」とかいう、大帝国も出て来ますが、そういう大帝国が出て来る前の、国造り、群雄割拠のような時代であったわけです。で、それぞれの諸国を説いて歩きましたが、政治家達の理想としていた「法」といいますか、彼らが求めていたものは、思想のようなことではなくて、戦、政治、そういうものを如何にうまくやるか、というようなことだったわけです。
つまり、戦いに勝つ方法とか、民をよく支配する方法、こういったものを求めていたわけです。ですから、私もそういうことに対しても或る程度は説きました。けれども、私が本来、意図していたのは、そういうものではなかったのです。私は当時、霊とか神とかいうようなことは説きませんでした。しかし、私が本当に理想にしていたものは、神の国の地上実現ということであったわけです。
ところが『鬼神乱神を説かず』というような時代であった為に、そういったことを直接言えなかったわけです。ですから、世に受けるような法を言いながら、その中に、何らかの理想国家が出来ればそれでよいのではないか、ということで、方便として、国造りというか、民の治め方、それから戦争の仕方とまではいかないけれども、今でいう軍略に対しての助言をしていたわけです。
ですが、私は、本来、神の世界のことを説きたい人間ですから、地上の国のことは、本当はどうでもいいのです。そういう気持ちが一部あったために、いろんな教えを説いて廻ったにも拘らず、必ずしも、それが、彼らの要求するものではなかったわけです。私としては、或る程度の妥協をして教えていたのですけれども、そういった法ではなかったわけです。そういうことで、余り受け入れられなかったということです。その意味では、現世的には大成したとは言い兼ねるところはあります。
私自身で、著書をなぜ書かなかったのかと言うと、今、書物を出せるということは、今がそういったものを出せるような時代であるからです。当時の、私の悟りというものは、はっきり言えば、もう時代を、遙かに超えていたわけです。現代、あなた方が知っているようなことまで、或る程度のことは、もう分かっていたわけです。ところが、私の弟子、まあ、何人か、「子路」だとか、「子貢」だとか居りましたけれども、彼らも、私の本当の考えを、到底、理解できなかったのです。
言葉も、今のような言葉はなかったということで、私も、天帝とかいう言葉を使って、天帝、天に在る帝(みかど)ということを言っていますが、それを言っても、彼らは、地上の帝、地上の帝王と同じようなことで想像して考えるだけであって。私が、神とか、高級神霊のことを言っているということは、到底わからなかったわけです。ですから、当時、私は道学者として生きていたわけですけれども、その中で、私の本当の考えは、書物に著わせるようなものではなかったのです。
それで、弟子達に合わせた、いわば対機説法を、私はやって来たということで、それを集大成して『論語』というような本が出来たわけです。『論語』というのは、私の思想の、ほんの一部分、数分の一しか現れていないものだと思って頂きたいのです。そういう意味で、弟子が理解し得た私の思想ということです。
最も私の思想を受け継いだのは、子路、であろうと思います。私が一番愛していた弟子であります。
私は、当時ずいぶん諸国を歩いておりましたが、その伝道といいますか、授教と申しますか、各地で説いているうちに、いろんな弟子達が、寄って来たわけです。その弟子達も、いつも私のとこに居たわけではなくて、私は自分の弟子達を、つぎつぎと、時の政府の、今の言葉で言えば悪いですけれども、御用学者というか、ブレーンとして送っていたわけです。ですから子路も、当時様々なところヘブレーンとして出したことはありますが、彼は、情の、情愛の深い方ですから、直ぐ私のところへ帰ってくるのです。何時も私のまわりについて離れないような、そういった人でありました。
私は孔子として出て以来、現世には何処にも生まれて居りません。私達は、時代が変わって、百八十度転換して、新たな思想を陳べ伝える時が来るまでは、そう簡単には出ていかないということです。私とか、ソクラテスさん、或いはキリスト、釈迦、こういった、いわゆる、宗教的あるいは思想でも結構ですけれど、始祖となるべき人というのは、やはり役割が決まっておりまして、いつの時代でも始祖として出るのです。
それはその時代の文明の源流となる、役割を持っている人というのが居るわけで、私もそうです。ですから古代中国の文明の源流を創ったのは私です。そして現代までそれが延々として続いてきています。これは恐らくはキリスト教や、仏教の流れと同じであろうと思われます。それでまた、新しい時代、私を必要とする新しい時代には、また、もう一度、生まれるつもりだということです。
今の中国を見て、私が新たな法が説けるような状態にあるかというと、ないわけです。政治的に非常に問題があります。私のときの、春秋から戦国に入るような時代と較べても、今の中国というのは、人口は多いですが、思想的に非常に活気がないわけです。私達の時は、それぞれ諸子百家、いろいろ出て、いろんな説を説いて。百家争鳴と申しますか、諸子百家の時代であったわけです。思想家もずいぶん出ました。ところが今の中国は、そうした思想家が出て来れるような状況ではないわけです。
彼らもよく時代を見ております。ただ、私は言って置きます。これから日本を中心として新たな文化の興隆があり、その影響で中国も、あと百年もすれば新生中国となっていき、そして、どちらかというと、自由主義体制に入っていくような時代になって来ます。その中で、あれだけの力がある国ですから、中国にも優秀な方々が、今後続々と出てくるということです。
中国の現代の政治状況、思想の傾向が、天意によるものか、それとも人間知によって成るものか、ということですが、例えば、波というものは、浜辺に押し寄せて来るときもあり退いていくときもあります。波が退くことを知らずに、押すだけでしたら、これは波ではありません。
私も一つの波なのです。岸辺というのはこの地上のことです。岸辺に押し寄せたその波はまた、退いていくのです。そして、また新たな波が押し寄せてくる。そして退いていく。ですから、今、波が退いていくすがたを見て、これは天意によるのか、人為に因るのかと言えば、波というものの性質を考えれば、それ自体に備わったものなのです。
現在の中国ですが、魂としてはまだまだ幼い魂が沢山生まれています。十億もの人口を持つ国です。こういった国には、現世に人間として生まれ変わりたいという、或る意味では未発達の魂が、多く生まれてきているわけです。ですから時代としては、あなた方と同じ時代に生きているわけですが、魂としてはそういう未熟な魂が、かなり数多く生まれてきているのです。
今、地上に四十億、五十億の人間が居ます。ところが私達の時代、今から二千数百年前というのは、地上に生きていた人間は、今の、恐らく十分の一も居なかっただろうと思います。二千数百年の間に、十倍以上の人口がこの世界に出て来ているわけです。それは一体どういうことかというと、この地上生活に慣れていない方々が、大量に生まれて来ているということなのです。
では、地上生活に慣れていない方々は、どういったところに生まれてくるのでしょうか。それは、今あなた方は、日本という国に最終ユートピアと言いますか、そういったものを創ろうとしておられます。これは科学技術的にも高度に発展し経済的にも発展した国に、また、精神革命を起こして、非常に素晴しい文明文化を創ろうとしています。こういった世界に生まれて来る人は、魂的にも最後の仕上げにかかった方々が生まれて来ているのです。今までの農耕社会や、武士の社会の中では、十分自分の魂の体験が出来ないような人です。この地上で、天上界、天国を経験するという目的のために生まれ変わっている人が大勢居るわけです。
ところが、同じ時代においても、中国の大部分、或いはロシアの大部分、アフリカの大部分がそうであるように、まだまだ未開の地に物凄い数の人間が生まれているわけです。これは、時代としてはあなた方と同じ時代に居ますけれども、人間としての経験が少ない魂なのです。彼らは、そうした後進地域に生まれて、まずこの地上生活に慣れるという経験を積むために、大量に生まれて来ているのです。
そうすると、そういった目的のために造られている国土に、現状では、光の指導霊達は、そう好んでは生まれて来ないのです。或る程度、その地の人間達の知、知恵が進み、文明文化が育って来たときに、初めて出て来るのです。ですから時代としては、あなた方は同じ時代に生きているから人間としても同じかと思うと、そうではないのです。魂としてはいろいろあるのです。「神」は、この地上においても、進度別にいろいろな地域を用意しておられるのです。
ですから世界全体が、同じレベルになるということは何時の時代にもなかったのです。で、私達の時代、古代中国には、百家争鳴して、様々なレペルの高い魂が出ました。では同じ時期に他の所に出たかというと、他の地域には出なかったわけです。こういったものなのです。ある時代のある時期、千年、二千年に一回、非常に高い文化の高みを神は造られるのです。そしてまた波が退いていきます。そしてまた、暫くすると波が押し寄せて来るのです。
これは、地球という球の上に、神が、偉大な芸術を創っている、ということです。これは「神」の芸術なのです。いろんな地域、いろんな時代に様々な文明文化、これを正しい法というものを通して創っていくというのは、神の偉大な芸術なのです。ここまで分かってほしいということです。ここまで分かれば、人間は、もう地上に居る必要はないのです。地上での体験は、おわりということです。
あなた方は(最初に人類は)この地球へ船団を率いて来た。最初の魂が肉体として降りて修行したと教わったはずです。ところが、時代はだんだんと降って来ます。そして、この地球という磁場に肉体修行の場が出来て人間が住んでいる。いま私は、地上に生まれたい人々が人口の多い国に生まれていると申しましたが、(これと)同じことがあるのです。肉体としては少数の人間が、この地球という磁場に、魂を育(はぐく)む場を設けると、これはまた、霊界の中でもだんだん有名になってくるのです。
霊界というのは、何も地球だけではないのです。地球以外の天体もあります。それで宇宙の中で、いろいろな霊的な磁場が幾つもあるわけです。それで、その中で魂の修行をしていくのですが、いま地球という磁場、ここを中心にして、たとえば霊団Aというのがあって、ここでやっているわけですが、他にもBという霊団、Cという霊団、他にD、Eと、いろんな霊団があるのです。
それぞれでやっているのですが、それぞれ、BならBの霊団で修行していて、もう飽きてきた魂達が沢山居るのです。或いはBという霊団が非常に進んでいると、これに従いていけない魂達が居るのです。こういった者たちが、新たに自分たちに合った修行の場を探さねばならない。そういうことで、程度の高いBという霊団に従いていけない一部の者が、たとえばA霊団という地球の霊団に入ってくる。
或いはCという霊団があります。これを非常に発展した霊団とします。ところが、この霊団の中では、もうこれ以上魂の発展がみられないというような段階にまで来たとします。そうすると、先程のB霊団のように魂が発達していないために、地球でもう一回やり直すという人も居ますが、このC霊団のようなところでは、もう行くところまでいってしまった人達というのは、もう新たな進歩はないわけです。そうすると、もう一度一から出直してみたいという意味で、生まれ変わってくる人達がいるわけです。高度に発達した自分らであるにもかかわらず、もう一回、原始時代から始めてみたいという意味で、生まれて来る人達が居るわけです。こういう人達が、また魂が分かれてくるのです。
ですから、地球の人口、なぜ四十億、五十億の人間が地上に居るのか、これだけの人間が地上に居るなら、天上界、霊界では、恐らくは数百億の霊があるはずである。それだけの霊が、どうしてこの地球に出来たのか、と考えておられると思います。が、これは、最初肉体を持って地上に生まれた人は、少数であったのです。ところが、地上という、地球という霊団が出来たということが分かると、他の霊団からも、霊としても移ってくるということです。
発達していなかった霊団、発達していなかった人達が、もう従いていけなくなって、この地球というところに引かれて移って来る場合、或いは、高度に発達した人達が、もう修行が出来なくなって、もう一回一からやり直そうとして地球に生まれてくる場合、こういうふうに、肉体としても来ていますけれど、霊としても、地球という磁場に相当引き寄せられて人口が増えて来ているのです。ですから、地球霊団の霊人口は、当初に人類が住みついた頃に比べると、数十倍、数百倍に増えて来ているのです。
それはそうでしょう。あなた方日本という国でも、たとえば鹿児島とか、或いは北海道の釧路とか、根室とか、こういったところに住んでいる人もいますが、東京というところがありますね。大都会、ここはどんどん人口が増えて来たでしょう。ここ百年ぐらいで十倍以上になって来たでしょう。なぜかというと、北は北海道から、南は九州から、人がどんどん東京にはいってくる。
なぜ東京に入ってくるか、そこに来ると、様々な出合いがあり様々な勉強ができ、様々な楽しいことがあり、様々な経験ができる、と思うから東京に来るわけです。そういう形で人口というのは増えてくるのです。霊的人口も同じであって、他の霊系団から岐(わか)れてくるのです。
地球というのはどうも面白そうだぞというと、やはり、徒党を組んで、霊としても渡ってくるのです。こういうこともあるのです。当然ながら、それが霊人口の増えている理由です。ですから、比較的新しい時代に他の霊系団から地球に移って来た方々が居るのです。こういった未熟な方々で、今、発展途上国において人口問題が生じていますが、どんどんと地上に生まれているのです。ですから、地球霊団というけれども、これは本来、一つの霊系団で出来ているのではないのです。
進歩した星から、当初、肉体として渡って来た霊団、これは非常に優れた人達です。この霊団と、それ以外の星、いろんな星団から移って来た霊系団があるのです。進歩の度合いは様々だったのです。その進歩の度合の様々が、この地上においても、様々な、進歩度合い、人種、或いは、文化文明の違いを生んでいるのです。
それで、地球の歴史、人類が来てから約三億年が経って居りますが、この三億年の歴史というのは、一体何かというと、一番進歩した文明を持って来た星団、その星団が、地球を支配しようとする歴史であったわけです。私もそうですし、あなた方もそうです。遙かな昔、或る星団から移って来たわけです。そして、その文化を、この地球に持ち込んだわけです。
ところが、この地球に、他の霊団から、様々な後れた霊、未熟な霊が相当数、移転して来ているわけです。それで問題が起きてきたわけなのです。当初渡って来た私達だけ、ならば、高度に進化した霊意識を持って、この地球で、「楽園」を営んでいたのですが、こういった他の霊系団から様々な人が来たために、このレベルに混濁が起きたわけです。分かりますでしょう。例えば、私達がCならCという霊団から来たとしましょう。それは非常に高度に進歩した人類です。そういう人達が、この地球という新たなあこがれの地を目指して移って来ました。そこで理想郷を造ろうと、理想郷エデンの園を築いたわけです。
人種的な違いということでは、先程、最初の人間が肉体を持って来た、と申しましたが、それだけではなくて、他の星から肉体を持って来たものも居るわけです。そういった末裔(まつえい)としての違いもあるのですが、住んでいる地域によって変わって来たということも、もちろん大きくて、様々な複合原因が絢い交ぜになって、現在の人種というものが出来て来ております。
これは気候、風土という自然環境、つまり、外部要因によって変化を来たしているという現象もあります。しかし、魂として少し違った面もあるのです。例えば、Aという人種は、他のB、Cと違うところがあると思います。これは肉体としても、当初違う肉体が来ていたことは確かなのです。ただ、魂としては、やはり八割位は、元来、魂たちが、主としてA人種として生まれ変わっているのですが、そのA人種の肉体の中にも、また今の時代においては、光の天使なども生まれて行っているのです。それはA人社会を進歩させていく為にです。
霊団として異星から地球へ移勤してくる場合と、肉体を持ってくる場合で、科学技術そのものの進化と、霊的な進化とは、また別なものなのです。霊的には未熟であっても、科学技術が進んでいる惑星というのは、この宇宙には沢山あるのです。技術だけが進んでいて魂自体は進んでいない、そういったものはいくらでもあるのです。願わくば、霊的なものも、科学技術も進化したのが望ましいのですが、霊的だけに進化して科学技術の進んでいない星もあれば、科学技術が進んでいて霊的に進んでいない星もあるのです。両方進んでいる星もあるのです。我々が来た星が後者なのです。
ですから、我々は、それを理想としているわけですね。文明、文化としても開けながら、霊的にも進歩する。こういったものを理想としているわけですが、技術だけが進んでいた星から来た人達というのは、まだ、なかなか分からないのですね、霊的な進化という意味が充分に分かっていない。
また霊的には進んでいても科学技術が進んでいない星から来た人達、これは霊として移って来ているのです。肉体ではなくて。円盤などによる飛行物体によってではなくて霊的に地球に移って来ているわけですが、彼らは、霊的なことには非常に興味を持ちながら科学技術文明的なことには余り興味を持たない、そういう霊が居るわけです。
私は、今まで、二千数百年前に中国に肉体を持って以来、こういった霊的な指導ということは殆んどやって来ませんでした。ですから、私自身は、ベールの彼方に隠されていたわけで、三次元の皆さんに、このような話をしたのは、これが初めてです。生まれて始めてと言っては変ですが、霊的には始めてです。他の方々は、いろいろ指導されておられましたけれども、私としては初めて出て来たわけです。
今後のあなた方に望むことですが、まず第一点としましては、今、時代が進歩して来て、私の時代には説けなかったようなこと、たとえば霊的なことを、ある程度常識として説けるような世の中になって来ました。この機会に、人間は霊である、肉ではなく霊である、ということ、だけではなくて、私達の住んでいる、本来の次元、九次元から三次元まで、これ全てを説き明かすという作業、それから、また、私達が、何処から来て何処へ行くのかと、地球の歴史というものもありますけれど、地球を超えた歴史というようなものも、或る程度知って頂きたいと思います。あなた方の使命は、今、知りうる全てを明らかにするという使命なのです。今まででしたら、ベールの彼方に隠されていたことをです。これがまず第一点です。
第二点としては、やはり、この地上に、今あなた方の魂としては、日本を中心にして霊的な王国、神の王国を地上に創るという目的で生まれて来ているわけです。ですから、この地上を、如何にして最終ユートピアにするか、ということ、これに努力して欲しいと思うのです。これを造っておけば、人類の歴史は、まだ勿諭続くわけですけれども、この日本という国を中心としたユートピアが、理想の国として残るわけです。その後、これを理想として、様々な生き方を、或いは、様々の国の経営というものがなされていきますから、そういうことを考えて、この日本という国で、最終ユートピア、霊と物質とが融合した融和した「理想世界」を築くということ。これをやって頂きたいと思うのです。
いま私は、譬え話で、今の地球霊団にはA霊団、B霊団、或いは私達のC霊団が居ると話しましたが、このC霊団の使命は、もう終わりつつあるのです。私達の霊団、私達三億年前にこの地球に降りて、この地上にユートピアを創って来ました。そして最終ユートピアというのは、私達霊団としての最終ユートピアなのです。
私達は、もう、この地上での修行が終わりつつあるのです。そして、エリヤも申したかも知れませんが、我々は、もうそう遠くない将来にこの地球を離れていくのです。そして、また、他の惑星へと、他の天体へと移っていく予定です。であるからこそ、我々は、この地上にユートピア建設をしようとしているのです。
意味は分かりますか。というのは、今、アフリカとか、インド、中国に、大量の人間が生まれて来ていると言いました。これは、霊的な意味において、他の霊団ですね、例えば、D霊団が、今、霊として地球に集まって、また未熟な魂が生まれて来ているということです。大量にというのは、彼らはこれからこの地球を磁場として修行を重ねていくのです。何万年も、また重ねていくわけです。彼らは、まだ、霊的には未熟なのです。そういった後輩たちのために、私達が最終ユートピアを築いておくのです。
ですから、あなた方が築くこのユートピアが、彼らにとってのエデンの園になるのです。いいですか、彼らが初めて地球に出て来たときに、当初エデンがありました。こういった神話になるのが、私達のユートピアなのです。
私達は、また他の星へと移って行きます。エリヤが言いましたように、ここ、もう千年、二千年のうちに私達は移って行くでありましょう。しかし、私達が遺した文明というものが、また彼らにとっての理想となるわけです。彼らはここでまた修行していくでしょう。そのためにこそ、仕上げとしての最終ユートピアであり、彼らに対する手本であるわけなのです。
そういうふうに、いつも、宇宙というものも、星の中での人類というものも、新陳代謝が行われているのです。そういう意味では、私達は、私達の霊団としては、もう、そう永くはこの地球には居ないのです。だから、新たな者達が、今地球に生まれ変わって来ているということです。彼らの時代がやってくるのです。
地球の生命自体は、まだまだあります。C霊団としての使命が今終わるというわけです。だから我々としては、我々の出来るだけのことをして、後輩達に、良いものを残して去って行きたいと思っているのです。ですから、こうして我々は、総力を挙げて、今努力しているのです。
このような形で、一つの星を中心として幾つかの星の霊団が混じるということによって、また星と星との間、要するに宇宙意識ですね、宇宙としての霊団が雑(まざ)りあうということによって、宇宙全体が進化していくということなのです。進化した霊団というのは後れた霊団の処へ行ってそれ自体を引き上げる。或いは進化した霊団が住んでいる所へ、後れた霊団が来て、その後をうけ継いでいく。こういった形での教育というものが行われているのです。
今後、人類が受けねばならぬ「試練」天変地異ということですが、私達が、当初この地球に来て、それから様々な文明を築いていきましたが、その途中において、あなた方がノアの洪水として知っているような大洪水が、何回もあったわけです。そういう試練に文明は遭って来たわけです。
ですから、新たな地球人類達、新たな後進の者達も、また、そうしたノアの洪水の洗礼を受けていくということです。そして、そういった災害を受ける人達の間には、勿論、優れた魂の霊団の人類群も入っております。私達は、肉体ではないのです。私達が肉体である時期というのは、ほんの一瞬なのです。よくお考え下さい。
二千数百年前の中国以前にも、地上に生まれたことはあります。ただ、現代の文明の中には生まれておりません。それ以前の文明に生まれたことはあります。あなた方が、ムーと称んでいる「ムー大陸」或いはムー文明といわれていた時代に、私は生まれております。ムーに関しては、一夜にして没したというようなわけではありません。何段階かに分かれて沈んで行きましたし、その一部分は、今でも太平洋の中での島として残っております。そうした天変地異が起こるのは、どちらかというと、それは、地球の意識そのものによって動いているのです。
地球の意識そのものを司っているのは、九次元、九次元以上と言うべきでしょうが、具体的に言えば、地球というものも、これは地殻もあり、マグマもあり、いろいろのものがありますけれども、これも一つの人体なのです。地球というものも生きているのです。これも大きな細胞なのです。で、これに地球意識というものがあるわけです。細胞である以上勿論、生命体としての動きがあるわけです。息を吐いたら、それが火山の爆発になったり地殻変動なり様々な現象になっているわけです。
けれども、地球としての意識があります。私達の意識も勿論ありますけれども、私達は、地球という大きな生きものの上で、今こうやって人生修行をさせて頂いているわけです。彼自身、地球自身の考えというのもあるのです。神は、決して人間のようなものだけを生きものとして造ったのではなくて、地球のような天体も、また生き物なのです。
(将来的には)日本列島も、やがては沈下陥没していくでしょう。しかし、今、地上に生存している人間が、そういう時期を経験することは、まずありません。全世界的な範囲において地殻変動はいくつかありましょう。けれども、日本が、ここ数十年の間に沈没し無くなってしまうようなことはありません。でも、やがては、勿論、無くなっていきます。そして、あなた方が説かれて興ってきた文化文明は、やがて海を渡ってオセアニアの世界へ、そしてまた、遅れてきた東南アジア大陸へと逆流移動していくことになりましょう。
私は、先程も霊的な指導というものは経験が無いということを申しました。というのは、私の仕事というものは、この地球計画、地球の計画というものを樹てる、ということが、私の今の仕事なのです。私の世界(宇宙界)に住んでいる、例えば、イエス様。或いは、モーゼ様、それから、今は居りませんけれども、お釈迦様という方も居ります。こういった方は同じ次元に居りますが、この方たちは、主として、この地上に「法」を広めるために、いま、日夜努力しておりますが、私は、今は、例えて言えば、無任所大臣です。そういった役目から離れて地球の計画を司る、そういうことをやっているわけです。それで、私がいろんな計画を樹てて、それをまた下の階の者へと伝えていく。下の者はそれを実行に移していく。そういう仕事をしているのです。そういうことで、私は地球計画そのものを司っている為に、いまあなた方を直接に霊的な指導をするということはないわけです。
リエント・アール・クラウドという方は、釈迦の意識体の、まあ一部です。私達は、人間というような、一人一人の人物として居るわけではなくて、意識体しかないのです。はっきり言って意識体しかなくて、私、今語っていますが、前半語った私と、後半の私とでは違うと思うのです。というのは、私が前半語ったのは、私、孔子としてのエネルギー体の一部ですね。昔、中国に降りた時の肉体を持った時の意識体、これを使っていたというのが前半です。で、後半においては、私の「孔子」としてのエネルギー体の、本流が今語っているというわけです。今は、いわゆる本体、本流が語っているわけです。前半は、私のうちの一部分の意識、孔子という名前で、地上で肉体修行をしたことのある意識の部分が語ったわけです。
これは今のあなた方にどれだけ分かって貰えるかは難しいですが、例えば、私達の次元、九次元においては、アール・クラウドも言ったかも知れませんが、一つの意識体、でしかないわけです。この意識体は、一万にも、一億にも、幾つにでも分かれることが出来るのです。私の意識の一部分を使って肉体修行をすることも出来ます。ですから、本体分身が五人とか六人とかいうわけではなくて、もう一億にでも一千億にでも分けられるのです。このように巨大な意識体がありまして、この意識体を、その目的に合わせて、様々な作用として分光していくのです。このエネルギー体が分光していくのです。
ですから、本体、分身というものは有って無きが如しです。様々な役割ができるのです。一つの巨大な意識なのです。この九次元から、だんだんこの意識が下がって来ると、だんだん固まってくるのです。融通無碍なこの意識が、だんだんに固まってくるのです。ですから、九次元から八次元に降りていくと、もう少しこれが固まったものになって来ます。意識としても、幾つかの分かれた意識になって来るのです。
で、八次元の人も、勿論、哲学でいう一即多、多即一でありますから、幾つかの役割を果たせるわけですね。同時に、霊界で修行しながら地上界へ出たり、様々なことを如来界の方も出来るわけです。けれども、彼らができる範囲というものは、かなり限られてくる、限定されてくるわけです。というのは、その意識体としての役割がかなり物体化して来ているのです。ですから、五つとか六つの分かれ方しか出来なくなって来るのです。作用の仕方として、その如来界に在る霊体の動きが五つ六つに分かれるのですが、これは、人によって違いますが、こういう分かれ方でしか作用が出来なくなって来るのです。
ですから、如来界に在る、或る人の意識が地上で修行するといっても、これは、その人のうちの本体分身の様な考えでいくなら、五分の一なり、六分の一の意識、個別性の意識があるわけです。それぞれ、親指、人差指、中指、薬指、小指と、こういった、意識の差、個性の差があるわけです。
ところが、私らになれば、九次元の霊の意識というのは、ここに手があれと念えば手になり、足あれと念えば足になり、胴体あれと念えば胴体となる。頭あれと念えば頭になってしまうような、こういう、形の無いものなのです。想念どおり顕われる意識体なのです。ところが如来界になると、例えば、親指として現れる。人差指として現れる。中指として現れる。こういったふうに、或る程度、個性化が進んで来るのです。
そういう意味で、意識が或る程度物体化して来るのです。いいですか。いま言った如来界というのは、どちらかというと菩薩界に近いものです。如来界ですともう少し違います。如来界では、もう少し、いろんな分かれ方が出来ます。ところが、これがだんだん固定化してくるわけです。菩薩界ぐらいになってくると、この魂のグループというのがはっきりしてきて、或る意味では、人間として個性が出て来ているわけです。人間としての個性の差です。霊的な役割の分担というよりは、菩薩界ぐらいでは、人間としての個性の差が出て来て、個人というのが、だんだんと独立してくるわけです。それから下の世界になるとだんだん個人主義になって来るんですね。元は一つであったものが、もうバラバラになってきて、個体として単独に行動し始めるわけです。こういったことなのです。
私らとしては、もう一人であるか一万人であろうか分らないというような、こういう意識です。意識として、いろんな形で現れているのです。これが、もう、だんだんそういう自由がきかなくなって岐れて来るんですね。だから、私たちとしては、孔子、一億人分に分かれることができる孔子があるとすると、下へ来ると、だんだんその人数は減って来るわけです。如来としては、まあ、薬師如来だか何如来だか、それは分かりませんけれども、一万人の人を救えるような作用を持っている。それが、だんだん普通の人間となっていくわけです。
こういうふうに、本体分身というものも、一つの考えではなくて、次元に相応した概念なのです。次元によって概念が変わってくるのです。ですから、霊界とか幽界の人達になってくると、元々は同じ魂が岐かれた人達が沢山居るのですけれど、もう繋(つなが)りがなくなって、それぞれ個人個人で生きているわけです。
ですが、九次元に生きて居る方の個性というものは別です。例えば、意識体として色があるわけです。また、色が幾つかあるわけです。イエス様としての色、イエス様の意識体としての色、まあ白なら白という意識体の色ですね。これがあって、この意識体のうちの、イエス・キリストの部分というのが地上に、ナザレに出て、ナザレのイエス様として還って来た。で、あなた方と話する時はそのままでは分からないから、ナザレのイエスの個性でもって、これを出してきて話をしているわけです。これ以外の部分ではあなた方は認識が出来ないから、そういうことなのです。
ですから、そのイエスとして、白色なら白色のエネルギー体の中に、アガシャーの部分があって、そのアガシャーという部分が出て来られます。これは、本当は、魂の兄弟でもなんでもないのです。意識体の一部なのです。ですから、イエス様とは同じ意識体です。ただ、ナザレのイエスとしての経験を意識化する場合、アガシャー(アガシャーも、かつてアトランティスで肉体を持った人間です)としてその経験を意識化する場合と違ってくるわけです。記憶の領域が違っているわけです。ですから、私は今、本流の意識で話をしていますが、当初「孔子」という者の意識を使って語ったということです。
アール・クラウドという方と釈迦という方とは、意識体としては一緒です。そして、その意識体の中の一部分が、クラウドとして残っているというわけです。今、釈迦の一部の意識体が、現象界のこの日本に出て、いま魂修行をやっているということです。ですから、これも全てではないのです。意識体の一部分なのです。本流の一つが、今地上に降りているということです。しかし、すべてが来ているわけではないのです。クラウドとか、他の部分が残っているわけです。
意識体としては。そうしたクラウドとか、他の残っている意識体が、例えば「高橋信次」という方が地上で修行した時に、様々な力を与えたりしているわけです。彼は自分自身を「釈迦」だと思っていた時があったはずです。彼自身は釈迦ではありませんでした。しかし、釈迦の意識体の残っている部分が彼を指導したりしていたわけです。こういうことが出来るのです。これが九次元世界です。もう、人間というような一つの個性あるものではないのです。
高橋信次という意識体の、本流というもの、これは別にあるのです。しかし、彼も人間として生まれた以上、その意識体をくっつけて還ったようなものです。こういっては失礼ですが、あなた方のように人間として生まれてくると、その意識の部分、個性ある、経験ある人間の意識の部分というのは、それに付随した一部です。この部分を掴(と)らえて、「子路」と言ったり「釈迦」と言い「高橋信次」と言ったりしているのです。「孔子」もそうで、現在では天上界の仕事があるから、それ以外の名前では出ていないということです。
釈迦という方の意識体の部分が、今、この現象界に下りて来ているのは、やはり、天上界の計画を、この地上で実現するため、特に、この日本に派遣されているということです。その意識体を地上に出してこないと、私達の居る高次元の者との、意志の交流ということは出来ないのです。ですから、あなた方は、同じ人間が生まれ変わるとかどうとか言いますが、確かに、あなたの魂は、生まれ変わるたびに、或る程度、同一人物としての個性を持っているのです、多少は違う面も持っていますけれど、同一人物としてのアイデンティティといいますか、自己確認が出来るようになっているのです。けれども、それ以上になってくると、だんだん自己確認が出来なくなるのです。
人体でいうと、あなた方は自由自在に身体を動かせ、行動しています。例えば、右手が鉛筆を持つと、これは右手であるというふうに意識し、足が何かを踏むと、また、そういう意識をもちながら動かしている。「融通無碍(ゆうずうむげ)」に、私というものがいろんなことをしているのだ、というふうに認識している段階と、右手が今動いている、左足が動いていると、こういうふうに、個別に認識している段階とがある、こういった認識の段階の差なのです。ですから、あなたならあなたというのは、あなたの意識体の中の右腕なら右腕が、いつもやっているということを、あなたは意識しながらやっているわけなのです。こういうことなのです。
人間の男女の別についてですが、魂の傾向にも男女の差はあります。これは、神が、別のものとして作られたかどうかですが、本当は、エネルギー体の中に、プラスのエネルギー体、マイナスのエネルギー体、正と負があります。或いは陰極、陽極、エネルギーというのは必ず両極あるのです。これを神が作ったものといえば、恐らくそのとおりです。私達も、やはり、エネルギー体である以上、必ず陽の部分と、陰の部分を持っているのです。これを個性化し、人霊化していくと、陽の部分が出ると男となり、陰の部分が出ると女になるのです。こういうことなのです。ですから、そういう意味では、菩薩(七次元)から下の部分にいくと、男と女というのがはっきり別れているわけです。ところが、もう如来(八次元)宇宙界(九次元)になってくると、もう、男も女もないのです。いわば中性です。無くなっているのです。
あなた方は、あくまでもこの地上に降りて肉体舟に乗って旅行しているのです。こんな、肉体の条件というのは、あなた方にとっては、ほんの一部分の被服に過ぎないのです。一部以下です。例えば、その時に驢馬(ろば)に乗ったとか、騾馬(らば)に乗った、サラブレッドに、ヤクに乗ったとか、こういった違いでしかないのです。人体は、元々人間が地上での修行をしやすいように、神はお造りになったわけですが、この地上生活に適用するような形で、人体は、勿論、変わって来ております。それはそうでしょう、あなた方は力仕事をすれば力瘤(ちからこぶ)が出来るでしょう。掌も大きくなるでしょう。ピアノを弾いていると指も長くなるでしょう。生きている人間一代の間でも、こういったことがあるのです。そうであるなら、地球という生活環境の中で、何代も人類が生きているならそれに適した肉体になってくるはずなのです。
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