私たちは、エネルギー体でいた時に(つまり霊界で)、この地上での、自分が望む体験に合わせた様々な条件を、身体の形状、能力を含めて、全て決めて来ていると言われています。例えばオリンピック優勝レベルの優れた身体能力を持つ人は、そのことを生前から決めて来ているわけです。そんな体験が必要ない人は、普通の肉体を選んで来たに過ぎません。
つまり、この地上で、何かを必死に努力したり、競い合って能力を向上させたり、それを価値あることであるとするのは、そうしたことに思い至らないゆえの、はっきりと言えば、思い過ごし(幻想)だということなんです。パニャパラミタについて繰り返してご説明しているのは、そのことについて知って頂きたいからなんです。
それでは、もし、ものごとに何の努力も必要がないとしたら、誰も努力しなくなり、私たちは全く向上も進歩もしなくなる、とお考えですか?
子供の頃、あれこれと親に質問して、うるさがられたことは有りませんか。あの執拗な、と言ってはなんですが、あの誰に強いられるわけでもない、ものごとに対する熱意を、そのまま持ち続けて行けば、その子はその子なりに相当なものになるはずなんです。
でも多くの場合、そのモティベーションはどこかでリセットされてしまい、それこそ努力の必要なものへと変質化されてしまう訳です。
その結果として、その転生では本来は意図しない目的への動機づけとしての努力、というものが強調されるわけですが、自らの心の喜ぶものに立ち返ることが出来れば、嬉々として本来の転生の目的へと向かっていけることでしょう。
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