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今後の日本の文化と法、聖徳太子のメッセージ、1985年

2020年04月29日 | 情報
これは、あるチャネラーに降ろされた、過去に聖徳太子と呼ばれた方の、霊界からのメッセージです。今から35年ほど前のものです。以前にシュバンツェルという方のメッセージをご紹介しましたが、その続きと言っても良いかも知れません。今後の文明の計画について語られています。カッコ内は補足、元はインタビューですが、編集してあります。

(ここから)

聖徳太子です。このような機会を頂いたことを感謝いたします。

既に、ご存知のことと思いますが、様々の霊の中には、例えば、あなた方のように、色々の国に転生輪廻を重ねて「正法」を受け継いでいる方々も居れば、あるいは、日本という国で、国創りという使命を与えられて、国造りのために奔走している霊もあります。

私も、この日本の国に降りて、国造りのために布石を敷いた人間の一人であって、その後も、この日本という国を興隆発展させるために、陰になり日向になって、あなた方、日本の国民の皆様を指導しております。これも、この日本という国に、やがては(やがてというのは、私が生まれた時からみて、やがてということですが)やがて、この国が世界の法の中心になる日が来るということを私は知っておりましたから、まず、この国を栄えさせねばならない。そのような使命のもとに、千年余に亘って活動してまいりました。

現在、天上界においては、天之御中主之神、この方は、主として日本の国の宗教的な指導を担当して居りますが、同じく八次元において、私は、この日本という国の基礎となる、政治、経済、文化の面を主として担当しております。私と天之御中主、それ以外に、あなたのご存知ない方も居られますけれども、そうした数名の方が、主に、日本という国の国造りのための柱となっておられます。

天照大神は、少し違う所に住んでおられます。この方は、女性神の領域におられるわけですが、私たちの仲間であることは変わりありません。この方も、やはり日本の国造りにお働きになられた方です。今から、およそ三千年ほど前のことになりましょうか、神のご計画のもとに、我々、諸霊が、諸神霊集まりまして、東の国、日本において、新たな神国を創らんとする計画が立てられました。その時に、最初の中心として集まったのが、私たちでありました。

(私は、日本神道の方々とは若干違った働きをしました)私は、生前、仏法の移入と申しますか、仏法を、わが国に伝えるために努力いたしました。本来、ご存知のように、仏教といい神道と言っても根は一つでありますから、例えば、私の前に、もちろん、日本の神々の信仰というのはあったのですが、大きな意味において、日本という国にどのような宗教を根づかせるか、ということ(を実行するの)が、私たちの使命だったということです。

日本の今の宗教というものをよく見れば、仏教と、神道とが混和一体となって、様々な文化が作り出されているはずです。神道だけでもありません。仏教だけでもありません。そうしたものが集合した、神社といい、仏閣といい、日本の文化というものを作り出して来たのではないでしょうか。私たちは、そのどちらもが必要なものとして思われたのです。

よくよく考えてご覧なさい、いま、日本という国は、文化的には発展しておりますが、その基礎となったのは、一体何でありましょうか。その基礎となったのは、我々の先祖を大切にするという敬畏の念、敬いの念、これを中心とする日本神道の流れと、或は、外国から、印度、中国、日本へと渡って来た、いわば先端的な学問でもあり、宗教でもある仏教という流れ、この二つが底流となって日本の文化を作っているのであって、どちらか一つでは成り立ってはいないのです。

仏教は、日本の国においては、宗教というよりも、ここ数百年、千数百年の間、主として学問という意味合いをもっていたと思われます。ですから、あなた方は、いま、ご自分たちの立場に立って、仏教も神の教えであり、神道も、また神の教えであるということをご存知ですが、主として、仏教は、日本においては一つの儀礼であると共に、学問としての流れでもあったと思うのですが、神道糸の方は、主として、先祖の霊、先祖の神々を敬うということに力を注ぎましたが、学問的な発展ということは余りなかったのです。

ですから、日本の国を造った指導的な理念は、神道糸における「敬」、敬うという理念ですね。先祖、神々、これを敬うという「敬」の理念と、仏法によって作られた「慈悲」の理念、「敬の理念」と「慈悲の理念」、この二つの理念が綾をなして日本の国を造って来たのです。これに、近代キリスト教の「愛」の考えが流れ込んで来ております。これは、まだ日本の国においては、それ程大きな力を持っては居りませんけれども、「敬の理念」「慈悲の理念」「愛の理念」この三つの理念が一つとなって、本当の意味での「正法」というものが成り立っていくのです。

私たちは、現在までの日本を造るために、ずいぶん苦労をして来ました。様々の戦乱もありました。その間に、多くの人達の血が流れて来ました。これは私たちにとっては好ましいことではありませんでしたが、けれども、来たるべき新しい現代社会を造るためには、やむを得ない外科手術であったということです。

いま、私たちは、日本という国を、この次元にまで持ってくることが出来ました。そして、私たちが、いま考えていることは、日本は、いま、科学において、経済において、世界の一流国となりました。そして、いま、あなた方、数名、数十名、まとまって日本という国に出られて、日本という国に、新たな霊文明の夜明けと申しますか、黎明を告げんとしています。これからの日本に新たな霊文明が出来ていくでしょう。

その霊文明を基礎として、今度は、日本という国が、世界の政治、経済、文化において、この宇宙船「地球号」の舵取りをする役割を担っていくのです。霊文明が出来て、初めて、その後、世界文明の中心として舵取りをしていくのです。

そのために、私は、あなた方の後に出す人達も、いま計画しております。あなた方が霊文明を造っていきます。宗教を創っていきます。その後に、私たちの世界(霊界)から、偉大な政治的な指導者を送り込むつもりです。

政治の理念の改革ということについて、私たちの考えていることは、まず、この科学文明、物質文明の上に、あなた方の、霊文明というものを重ね合わせて、この霊文明と、科学文明との融合した一つの世界、一つの文明を作った上で、新たな指導者は、本来、私たちの世界で指導者であるべき者が、三次元世界でも指導者となるような、そういった世界を創るつもりなのです。

いま、あなた方の三次元世界での指導者といわれる人は、どうでしょうか。実在界(霊界)においても指導者といわれ(ることが出来)る方々でしょうか。断じて、そうではありません。彼らは、死後、地獄に堕ちたり、或は、幽界や、霊界に止まっている(であろうような)霊たちです。そのような者が、国というものを引っ張って行こうとしているのですから、これは、どうしても正しい方向に行くわけがありません。

ですから、そうした者たちの跳梁を許さないためにも、文化の基礎として、霊文明というものを確固たるものにしなければいけないのです。そして、霊的に優れた者が、政治的にも、経済的にも、指導者となっていけるような基礎を、私たちは造りたいと思うのです。

ですから、今後、また、神代の時代とは違った意味での、祭政一致の指導者が出てまいります。昔は、占いをしたり、或は、祈祷をするような人が、政治の中心であった時代がありました。それとは時代が変わっています。科学的霊文明の中で、最高に霊的に優れた人が、最高の政治的、経済的指導をする、というような、そういった時代が訪れます。

霊的に優れていることが指導者の条件である、というような世界が出来て来ます。そのためにも、あなた方が基礎造りをしているということ。その時に、初めて、この地上も、仏国土、ユートピアになるということです。

そうではありませんか。天上界において、人々を指導している人達が、この三次元においても人々を指導していく体制こそが、本当の意味での仏国土ではないでしょうか。

これから(1985年から)数十年かかって、新たな精神文明を造っていくのですが、その中から、政治家達が出てくるということであって、既存の宗団の中から出てくるというわけではありません。ですから、いま、あなた方は、自分たちだけの小さな仕事をしているかも知れないけれども、これだけ壮大な計画が出来上がっているということなのです。大いに勇気と自信を持って頂きたいと思います。

(最初の活動の力は小さくてもいいのです。)あなたは、歯車というものを知っているでしょう。歯車は、同じ大きさだけではありません。ここに小さな歯車があるとします。その横に、もっと大きな歯車があります。その隣に、もっともっと大きな歯車があります。その隣には、もっと大きな歯車があります。最初の歯車は小さいのです。これを廻すのは、それ程困難なことではありません。この最初の歯車が廻ると、更に、次の中くらいの歯車が廻ることになり、さらに大きな歯車が廻り、さらにもっと大きな歯車が廻る。最初の歯車を廻す力は小さくともよいのです。この力が、やがて数十倍、数百倍にと動いていくのです。

(今後、困難な混乱の時代になっていくという事についてですが)灯台というものを例えにしてみますと、灯台の灯が必要な時は、どんなときでしょうか。海が凪ぎ、景色が明るい時に、灯台の灯は必要でしょうか。必要ではないのです。灯台の灯が必要な時は、闇夜であります。悪天候の日にこそ灯台の灯は、要るのではないでしょうか。晴れてよく見晴らしのよくきくような海の凪いだ時には、それは景色の一つでしかありません。けれども、悪天候、荒天の時にこそ、浪が逆巻く時にこそ、真っ暗な時にこそ、月も出ず星も出ない時こそ、舟は、漁師たちの舟は、そして大きな船も、灯台の光を頼りにして進むのではないでしょうか。

あなた方は、その(世の中の)混乱というのが理不尽に思える時があるかも知れないけれど、大時化(おおしけ)の時こそ、灯台の光は必要である、ということを肝に銘じて頂きたいのです。

晴れた日には、灯台はいりません。平和な時が流れていくならば、あなた方の仕事もないのです。

この時期に、人類は大きな地球的規模の変動を体験する、とかいう事についてですが、どうか、もうそんなことはお考え頂かないように、お願いしたいと思うのです。そのような現象的なことばかりの恐怖心を、世の人々に伝え、あなた自身も、また、そのような恐怖心に陥るような人間であってはならないはずです。そんなことは関係ないのです!どんな条件があろうとも、灯台の灯を守るということが大事なのです!法燈の灯を絶やさないということです。大時化があったところで、地球に穴が空くわけでも、空がなくなるわけでもないのです。時化はやがて止み、海はやがては凪ぐのです。海が荒れたといっても、島が流れてしまうわけではありません。あるべきものはちゃんとあるのです。そのような弱い心でどうしますか!たとえ現象として日本の国が災害の中に入ろうとも、どんなことがあろうとも、法燈を絶やすことなく点す、ということが、あなた方の使命なのです。

起こるべきことは起こるのです。それを止めることも、どうすることも出来ません。ただ、その中で、あなた方が、どのように(人は)生きる(べき)か、という方向を、人々に示さなければいけないということなのです。凡百の予言書などを読んでいるようなつもりで、私達の説を聴いては相成りませんぞ!よろしいですか!

要するに、不動心を持つということ。正法伝道の基礎にあるべきものは「不動心」であります。鉄壁の不動心です。金剛不壊のあなた方の力というもの、存在というものを信じなさい。ささやかな現象に(心を)左右されていてはなりません。不動心をもって事に当たらないと、何事も成就いたしません。不動心を持って行きなさい。たとえ槍が降ろうとも、鉄砲の弾丸が飛ぼうとも、核ミサイルが飛び交おうとも、その中において、あえて正法を説き続けるというような、不動心を持ち続けていきなさい。この勇気、不動心こそが、後世を照らす光となるのです。己れ一人の、僅か五尺、六尺の身体を惜しいと思うな、そのような生命を守ろうと思うな!

(日本国憲法についてですが)憲法は、いずれは、抜本的に改正されます。ただし、天皇に関しては、今のような象徴的な形となりましょう。日本国憲法の特殊性は何かといえば、政治の上に、象徴的な意味で宗教があるということです。神的なものがあるということです。これは、日本国憲法の中に、唯物的な志向が相当流れているにもかかわらず、折中的な形で、精神的な支柱が必要だという姿をとっているのです。ですが、起草者たちは、本来の意味で、どのような有り方が正しいかということを知らずに作っております。これは現行の憲法(についてのこと)です。けれども、やがて日本国憲法は改正されるでしょう。そして、その中に、支柱として出てくるのは、正しい「法」というもの、(そして)これを敬うような国というものを作っていく(ことになる)でしょう。

(現在問題になっているという憲法第九条ですが)そのような小さなことを私は言っているのではないのです。(敢えて言えば、現状で)第九条自体は、もう既に実質的に改変失条されております。もう(権力者は)戦争やる気でおります。(ですが)このような小さなことは、私たちの指導ではないのです。そのような浅はかな人間知によって作られたものが、どうかとか、その解釈がどうかとか、このようなことは関係ないのです。

本来、(日本国憲法のような)憲法の(概念形成の)場にあるべきものは、これは変な契約説などではないはずです。(にもかかわらず)そんなものを採って、人間知で(憲法条文を)作っているのです。人間が作った法、人間が作った最高法であります。(本来あるべき姿は)そうではないはずであります。

「法」は、もともと神から与えられるべきものであります。今の憲法は、神から与えられていますか。人聞知を寄せ集めて作ったものです。その中には、勿論よく出来ている部分もあります。けれども、根本的に、神の法ではないということであります。

「法」の源は、何でしょうか。ユダヤの、モーゼの律法が、法の源になっております。あれは神から授かった「法」であります。その後、様々な契約が出て来ました。西洋においても様々な法規範が出て来ました。それを日本でも移入して作っておりますが、日本の憲法自体は、学者が集まって、政治家が集まって、作ったようなものですし、西洋のそれも同じです。神から与えられたものは、現在、何一つ残っておりません。

私の、十七条憲法は、どうだったでありましょう。これは、私が作ったと思われますか。そうではないのです。私も、あなた方(チャネラー)と同じように霊的能力を持っており、私は、生存中に、天上界の方々の、八次元、七次元の方々と交流していたのです。そして、私の十七条憲法も、もちろん、当時の時世に合った作り方をしておりますが、けれども、これは、神仏、神から与えられた法なのです。神というよりは、神の使いですね。諸如来、諸菩薩から与えられた諸規範なのです。内容的には古くなっているかも知れませんけれども、その中に流れている精神は、現在の日本国憲法など足元にも及ばないようなものがあるはずです。それは、私の法は神から与えられたものであるからです。

現在の法律は、そうではありません。法律学者や、政治家が決めたものです。

十七条憲法は古くなりました。しかしながら、このような、正法に沿った、神法に沿った憲法というものが、やがて作られていきます。そのためには、あなた方の、霊的な文明が出来ていかなければならないということです。あなた方の文化の中に、霊的生活というものが進んでいかなければならない。霊的生活というものが浸透していかなければならないということです。そうして、初めて、素地が出来上がってくるのです。

今後出来上がる憲法は、「正法」に基づく憲法であり、神より与えられた憲法になっていくはずです。そうでなければならないでしょう。そうではありませんか。

現在の憲法は、素晴らしいことを書いているかも知れません。文章としては素晴らしいことを言っているかも知れません。ですが、心がないのです。人間は、何を守らなければならないか、それは、神より与えられた法を守らなければならない。そうですね。その、法とは何か、ということが、現世の方々には分からなくなっているのです。

私は、例えば、十七条憲法の中に『和をもって尊しとせよ』ということを言いました。これは、人間が守るべき法であります。このような条項が、日本国憲法に現在ありますか。ありません。憲法とは、本来は、そうした正しい心と行ないの法、でなければならないのです。

私は、また、言いました、『自分だけが正しいのではない。他の者の意見も正しいものである。お互いに「議論(あげつら)」っても、他人の非を「論(あげつら)」ってはならない。よくよく相談して物事を決めていきなさい』と。そういう、合議制というものを、私は述べました。

人間は、ともすれば、自分だけは正しくて他人は間違っている、ということになってしまいます。ところが、他人には、また一分の理があるのです。向こうからみれば、こちらも完全に悪いわけではなく、一分の理があるのです。同じことが相手にも言えるのです。こういう根本の法ですね。人間生活における根本の法を、私は、十七条憲法の中に盛っているのです。

しかしながら、私の、十七条憲法そのものは、その成立後、千数百年に亘って、正しく理解されたことがありません。なぜならば、それを研究している人達が、宗教家ではないからです。歴史学者が、いくら私の十七条憲法を説明したところで、理解しようとしたところで、分かるわけはないのです。その十七条憲法の裏にあるのは、神の法であり、これは、本来の意味における宗教家でなければ、この意味が、分からないのであります。

ですから、今後、日本の国の憲法というものも、正しい神の法を具現したものとなっていかねばなりません。そのために、私は、最初に申しあげたはずです。あなた方の霊的指導、活動、行動、宗教的な物事、これの成就した後に、政治的な、経済的なリーダーを、私たちの世界から送り込むつもりであると、私は申しあげました。

やがて、宗教をも体験し、政治をも体験したような人が出て来るでありましょう。本来ならば、一国の大臣となり、首相となるような人達は、政治的にも才覚が優れていることは勿諭でありますし、知識も秀れていることは勿諭でありますが、人間として人々の範となるような人でなければならないはずです。

ところが、日本の、今の政界を見てどうでしょう。あなた方、政治家の何方(どなた)をみて、人間の範として足る人が居るでしょうか。

彼らは、大きな力を持っています。器もあるかも知れません。行動力も、あるかも知れません。発言力も、あるかも知れません。しかし、一歩ひき退って、人間としての「器」を眺めたならば、彼らのうちの、どこに、人間として手本とすべき範が、ありましょうか。今後期待される政治家、政治に関与する人達は、人間として生きても超一流であって、あなた方が範としたいような人達であります。そうした人達が「政(まつりごと)」をやって、初めて、国は治まるのです。

本来、上位にあるべきものが下位にあり、下位にあるべきものが頂点に立って支配しようとするからこそ、経済も、政治も、国も、乱れるのです。本来、上に行くべき人達、霊的にも優れた人達が範となって、模範となって政治をする時代が来るのです。来なければいけません。けれども、その前の段階に、宗教的な大革新をやっておかなければ、今のような政治の状態では、徳ある人が居ても、政治家となって一国の長となっていくことは非常に困難です。

経済界には、進んだ考えを持っておられる方が出ております。かなりの数の方が出ております。

今後も、天来の指導者が出てまいります。いわば「哲人政治家」のような方が、出て来るということです。人々から、国民から尊敬を受けるような、神仏の法を知り、この世の事も知った、偉大な人が、やがて出て来るでしょう。あなた方は、その前段階として、主として宗教的な面を整備するために出ている霊です。

私たちの目的は、この日本という国を、最高の仏国土、ユートピアにするということです。

そして、私たちの計画も、いま最終段階に近付いているということです。

私は、二千有余年前から、この日本という国を見て来ました。そして、自らも、この間に、肉体を持って生まれたこともあります。その後も、日本を指導しておりました。そうして、二千年の歴史をふり返ってみる時に、どうやら、日本という国も、最終段階の完成期に近づいているということです。

過去の歴史がそうであったように、日本が成熟し「正法」が、そこで栄えた後は、また、正法は、他の地域へと移っていくのです。それはやむを得ないことです。そして、あなた方も、また、他の地域へと転生していくのです。

そうではないですか。その方が楽しいでしょう。その方が素晴らしくはありませんか。日本という国に降りて、日本という国に正法を栄えさせ、神の国を造り、そして成功した。また「正法」が他の国に流れて行く。そこへ、また生まれて行って新たな仏国土をそこに造っていく。これは素晴らしいことではないですか。同じ日本という国に、五回も十回も生まれて、やったところで、あなた方の魂の進化もないし、民族集団としての進化もありません。ですから、少なくとも、この日本という国は、いま最終段階に入りつつあるということです。

とりあえず、現在やることは、日本の国において、新しい建設をやるということです。ただ、この正法の運動も、四十年、五十年、六十年と続いていきます。後半においては、政財界の立て直しのために活動する人たちも加わってまいります。ですから、当初においては、もちろん宗教的な運動です。けれども、後半には、政財界の浄化、革新のようなことも、その中に入ってくるでありましょう。

ですが、物事には順序があり、あなた方の学習にも進度があります。ただ、私は、外部から一言申し上げておきますが、あなた方は、あなた方の守護指導霊の方々に対する感謝の念が足りないように思います。彼らの苦労を、もっともっと、よく考えなさい。あなたが彼らの立場に立ったなら、彼らと同じだけの指導が出来るかどうかを、よく考えてみなさい。どれだけの苦労をしておられるか、あなた方は、肉体を持っているというハンデは承知の上ですが、それにしても、あなた方の不甲斐なさ、学習の遅れ、これは非常なものであります。彼らは、大変苦労をしております。

少なくとも、私が、彼らの言葉を代弁するならば、守護指導霊は(実際には、そんな事は)言わないでしょうが、私が代弁するならば、彼らは、こう思っているのです。彼らが、どれだけいい教えを、あなた方に説いて、それを他の人達に伝えようとしても、あなた方が救われていなければ、一体どれだけの力がありましょう。何年にも渡って、あなた方に教えを説いて、それを他の人に伝播しようと思っても、あなた方が素直に受け入れなければ、どうしようもありません。

守護、指尊霊達の苦しみ、悲しみが、どれだけのものかということを、よく考え、反省してみなさい。少なくとも、毎日一度は、感謝の念を持ちなさい。少なくとも、日一日と進歩するあなた方でありなさい。少なくとも、年毎に進歩するあなた方でありなさい。今年のあなたは、去年のあなたより進歩したあなたでありなさい。今日のあなたは、昨日のあなたより、今月のあなたは、先月のあなたより進歩しているあなたでありなさい。

もちろん、事業という面において、着実に成果を収めていくことも大事でありますが、あなた方ご自身の、心の状態、精神の状態が、一歩々々前進する状態でありなさい。

あなた方の歩むべき道は、神への道であり、目標は、はっきりしているのです。その階梯(きざはし)を、一歩々々確実に登って行きなさい。ですから、心の中に、悪い心や、迷いや戸惑いが出た時には、今のあなたは、昨日のあなたに比べて進歩しているか、一年前のあなたに比べて進歩しているかどうか、立ち止まって、よく反省をしなさい。

明治維新の時にも、また、私たちは、毎日忙しい日日を送りました。私たちの世界から、多数、何十人もの光の天使達を、この地上、日本の国に送り込みました。そして、いろんな計画を立て、いろんな事業を成して来ました。それもまた、主として、私が中心でやったことです。あなた方の知っている人では、例えば、勝海舟という人がおります。坂本竜馬という人がおります。或は、岩倉具視という人がおります。木戸孝允という方もそうです。その他、様々な人々がおります。いずれも、私達の世界から派遣していった人達です。経済界にも、基礎を作るために、大いなる人々を送り込んでおります。明治天皇は、少し違いますが、彼も彼なりの使命を果たしました。ただ、私達の次元の方ではありません。

ですから、私達の計画を、よく見て頂きたいのです。千八百年代、中頃から後半にかけて、開港という状況を踏まえて、まず、政治的な運動が起きました。その次に、経済的な交流ということが起きて来ました。その次に、今度は、宗教というか、精神的交流が、いま、あなた方の時代ですよ。第三段階ですよ。

近代における、政治における解放、次は、経済における解放、最後は、精神における解放、精神の段階に、いま来ているわけです。

その後に、政、財、宗教、文化、全てが統合した世界が出来上がっていくわけです。この様な大きな計画があるわけです。ですから、まず宗教者たちを出す前に、明治維新の頃に、改革家達を次々と日本の国に送り込んで行ったのです。これから、あなた方の事業がはじまり、その後は、先に申し上げた通りの展開で、時代が発展して行くのです。

それでは、私の出番は、これで終わりのようですから、私は、これで還らせて頂きます。

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