先だって、紫式部として知られる方のメッセージを、掲載させて頂きました。小桜姫の居られる領域は、紫式部の居られる所に近いようです。ここでは、霊界において、違う領域を訪ねる方法など、興味深いことも語られております。カッコ内は補注です。編集がしてあります。
5.六次元神界の風景
ここからは「六次元神界の風景」と題して、出来る限り、この六次元神界の様子を、地上界人から見て分かる様に描写したいと思います。
まず、地上の皆さんは、私達に、住むべき家があるかどうか、という事が、気になられることと思います。
そこで、まず、住居の事からお話しします。
私は、前回の浅野和三郎氏編集にかかる「小桜姫物語」の中で、地上に、小桜姫神社が出来た事、そして、私達の世界でも、小桜姫神社が出来て、私が、主として、この神社を拠点にして、色々の、地上の方々の願いを、聞き届けることを仕事にしている事を話しました。
勿論、現在でも、小桜姫神社の女主人しての仕事が、ない訳ではありませんが、今では、地上の人々の信仰心が薄く、神社に参って、心から、ご祈願される方は、数少なくなりましたので、小桜姫神社の女神様としての仕事は、少なくなりました。
そこで、現在は、仏教の勉強をしているので、それに相応しい様に、セカンド・ハウスと言いますか、自分の勉強用の小さな家を造って、一人で住んでいます。こちらの方々は、やはり、それぞれ、自分の気に入った家を造って住んでいますが、大抵は一人で住んでいます。
と言うのも、六次元神界では、やはり、精神統一というのが大きな修行ですので、何人もで住んでいると、心が散ってしまって、精神統一が、なかなか出来ないからです。しかし、時折は、同心の人と、一緒に住んで、勉強し合うこともあります。
小桜が住んでいる家は、入口が東向きで、南側に大きく縁側を取った、一階の畳の部屋が約十畳、階段があって、二階の畳の部屋が約六畳、ここには、床の間が一畳分取ってあって、「天照大神様」のかけ軸が掛けてあります。一階は、主として、お客が来た時に会う為の応接室として造ってありますので、黒ぬりの一畳分位の低い机が一つと、お客様用の座布団が幾つか、出してあります。
えっ、台所があるか、ですって?ええ、簡単な台所を、西側に造っています。と言っても、食事をすることはないので、簡単に、お茶の道具があるだけです。
こちらでも、お茶は飲むことがあります。
勿論、水分を摂る訳ではありませんが、せっかく、友人が来たのに、お茶位は出して差し上げたい、という気持ちがあるからです。小桜が、主として飲むのは「ほうじ茶」ですが、内容は地上と同じでしょうが、色の鮮やかさ、香りの素晴らしさは、こちらの方が、ぐんと上です。えっ、どこでお茶の葉を手に入れるか、ですって?それは、小桜が「お茶の葉がなくなったな」と呟くと、必ず、誰かが届けてくれるのです。
私は、最近、こちらでは、紫式部さんとお知り合いになれたので、彼女も、よく遊びに来ます。一階の客間で、よくお茶を飲んでは、彼女は、文学の話をして下さいます。庭に咲いている赤いつつじの花が自慢なのですが、彼女も、この花を、とても褒めて下さいます。
二階の六畳の一間は、私の書斎兼道場ですので、誰も入れたことはありません。ここには、檜(ひのき)で作りつけの書棚が二つあり、そこに私の大切な書物が並べてあります。こちらで出版された、道元さんの新しいご本「坐禅は愛を必要とするか」とか、「日蓮聖人説法録全十巻」とか、神界の学者が書いた「天照大神様のお心」、「精神統一の真髄」とか、地上で刊行されている霊言集のシリーズも、ちゃんと並べてあります。
こちらの世界でも、読書と精神統一は、貴重な勉強です。なぜかって、読書による知識は理解力を増しますし、精神統一の力が強くなりますと、小桜なりの自己実現が、早くなります。つまり、精神統一とは、神の光のパワーを自分の内部に吸収する事ですから、それだけ自分の光の量が増えますし、特定の願い事を、心に描くのが上手くなると、それが実際に実現するのです。
例えば、キリスト教の勉強をしたいので、小桜の悟りに相応しい先生を欲しいと思うと、そういう人が現れて来るし、地上の、あなた方を指導したいので、もう少し、予知能力が欲しいと祈って精神統一すると、段々に、そういう力が備わって来るのです。
ああ、そうそう、どうして東とか西とかが判るのですか、というご質問もお有りでしょう。もっともな疑問だと思います。
私達が住んでいる村は、ちょうど、地上で言うと伊豆付近の感じで、海も山も浜辺もありますが、村の外れに、大きな「祈りの塔」という建物があって、この建物のある方向が、東だとされています。そして、浜辺の方向、海のある方角が、南とされています。小桜が住んでいる所は、浜辺から約二百メートル位入った所で、石段を百段位、上がった所に、見晴らしのよい丘があり、ここを住居にしているのです。
それから、太陽はあるのか、というご質問ですね。
太陽は、確かにあります。地上の太陽の様な、白い眩しい太陽ではなくて、もっと黄金色をした、上品な、優しい光を投げかける太陽です。それを見つめ続けても目が潰れるということはありません。
スウェーデンボルグさんとかいう偉い方が、太陽は、どちらを向いても正面にある、とか言っておられるそうですね。それは、ちょっと混乱もある様ですが、大体、いつも同じ辺りの高さにあるのは確かです。どこを向いても正面に太陽がある、というのは誤りですが、どこを向いても太陽が視界に入る、というのは正確です。というのも、霊天上界の太陽は、私達への、光のエネルギーを供給するものですから、全ての人が平等に光を受けられるようになっているのです。
さて、海の事も触れておきましょう、海は、地上の海と、よく似ています。しかし、違っているのは、どこまで入って行っても、溺(おぼ)れて死ぬ、ということがない、ということです。それと、少し色合いが違っている様ですね。波が押し寄せたり引いたりする時の、金波、銀波というのは、文字通り金色の波であったり、銀色の波であったりします。銀色の波が、光に当たった瞬間、砕けた波が金色の泡となって、空高く昇って行く姿は圧巻です。
浜辺には、大きな演舞台の様な所が造ってあって、月に一回は、村の人々が集まって、催し物をやります。村の人といっても、約三百人位ですから、多くはありません。
ここでは、最近、新たに悟りを開いた方の、体験発表とか、新しくこの村に入って来た人の紹介だとか、どこかを旅行して来た人の、旅行談発表などがあります。つい昨日も、初めて竜宮界に旅行して来た方の経験発表があって、盛んに質問されたり、拍手を送られたりしていました。
竜宮界は、どう行けばよいか、お知りになりたいですか。切符を買って亀の背中に乗って行くのです。これは、ほんの冗談、信じちゃいけません。村の外れに岬がありまして、そこから、海の底に入って行く海底トンネルがあるのです。一応、竜宮界というのは、意識の世界では、やはり海の底ということに、なっています。
仙人界とか天狗界に入って行くのは、やはり、村外れの山道を、どんどん登って行って、山の尾根に出て、その尾根伝いに、一週間ぐらい歩き続けねばなりません。
まあ、こちらの世界に来て間もない人は、大抵、指導役の霊人が付いて、色んな世界に案内してくれるのです。そうでないと、迷子になって帰って来られなくなるからです。
六次元神界から七次元菩薩界に旅行出来るか、ですって?
ええ、これは原則としては出来ません。ただし、七次元以降の方が六次元に降りて来て下さって、その光のオーラで包んで下されば、上の世界にも旅行出来ます。しかし、その場合でも、小桜姫から見ると、上の世界は光が強過ぎて、眩しいものですから、ある程度の所までしか行けません。天照大神様のいらっしゃる様な所へは、とても光が強過ぎて、眩し過ぎて行かれません。
地上のあなた方(チャネラー)は、高級霊の方々と、何のためらいもなく話(チャネリング)して居られますが、実際は、魂の段階が違うと、そう簡単に、話は出来ないのです。あまり偉い方の前へ出ると、光の強さで、くらくらして、卒倒しそうです。小桜は二度ほど、勉強の為、菩薩界に連れて行ってもらったことが有りますが、そこは、光り輝く、黄金色の素晴らしい世界で、皆、心の広い方ばかりでした。若草色の素晴らしい芝生の広場には、色とりどりの衣装の、各国の人々が座って、話し込んでいました。
ええ、勿論、下の世界へは、何度も足を運んで居ります。下へ行くほど、人間社会に近づくみたいで、幽界などでは、家族で夕食している姿など、とても懐かしく感じられました。
地獄界は、やはり恐くて、一人では行けません。私より、もっと力の強い光の天使に付き添われてなら、何度も行ったことがあります。その世界の、かび臭いこと、うす暗いこと、じめじめしたこと、いつも、六次元に帰って来る度に、もう二度と行きたくない、と思います。本当に、吐き気がするんですから。
地上で、心清く生きている人々は、自分は損みたいな性分だ、と思って居られるかも知れませんが、やはり、死後の世界は、明るい世界に還って来ることに、越したことは、ない様ですよ。
次に、ひと言、六次元の衣服について、お話ししたいと思います。
こちらの世界は、念の世界ですから、ミシンを踏んで服を縫う訳では、ありません。やはり、着たいと思う衣装を、心に描くと、そういう衣服が出て来ます。ですから、洋服箪子(だんす)など、ありません。
小桜は、主に和服を着ていますが、小桜神社で用がある時は、神様みたいな格好、そう、神社の巫子さんを上品にした様な姿をとります。キリスト教系の方から招かれた時は、慣れないドレスを着ることもあります。色は、白が基調で、和服なら花がら、それ以外なら、紫色でアクセントを付けます。勿論、女性の嗜みですから、下着も付けていますが、男性の読者に、恋されては困るので、詳細は申しません。
小桜の村では、男性は羽織袴が多いですが、これも、儀式の時などは正装に替えます。衣服のデザインをアドバイスする専門家も、こちらに居る事を、ひと言申し添えておきます。
6.六次元から見た神
さて、いよいよ、一年あまり続いた、この小桜姫の霊界通信の最終章です。最後を締めくくる話として「六次元から見た神」という題でお話しましょう。
様々な高級霊が、私達の世界について、色々な角度から、説明をされていると思います。しかし、どんな高級霊であっても、「神」については、決して、明確な形で、描写は出来ていない筈です。小桜にしても、「神とは何か」と問われると、はっきりと答える自信はありません。しかし、少なくとも、私達の世界では「神」を、どう考えているか、というお話は、出来ると思うのです。
「神」については、古来、地上界においても、たくさんの宗教家が、一神教、多神教入り混じって、色々の説を述べています。結局、どなたも、はっきりした事は言えなかったのでしょう。
小桜のいる六次元では、現在「神」については、普通、次の様な説明が、されています。
つまり、神とは、宇宙に遍満する叡智である。神とは、宇宙の進化を司(つかさど)っている巨大な意識であり、エネルギーであり、知恵である。
なぜ、宇宙が存在するのか。それは、宇宙を現象化しようとする、神のご意志の働きなのだ、と。
神を、物体的に、人間の大きさだとか、宇宙大だとか、言うのは、間違っている。神は、物体的に見て巨大な存在なのではない。神は、次元的に見て、人類より遥かに高次元の存在なのである。しかも、最高次元の存在なのである。最高次元の存在であるから、自分より低い次元を自由自在に創造し、破壊することが出来るのである。
神は、この様に、高次の存在なのであるが、同時に、幾つかのご性質、ご性格を持って居られる。そして、人類が、或いは、宇宙に存在する物、全てが、多次元世界に住む、全ての生命体が、この、神の、ご性質・ご本質に近付いて来られることを願っておられる。
その、神の、ご本質・ご性質とは、現在までに研究された限りでは、次の様なものである。
一、愛
二、知恵
三、創造
四、法則
五、永遠
六、美
七、調和
八、発展
九、秩序
十、光
まだまだ、そのご本質の中には、無限のものを持って居られるのでしょうが、少なくとも、以上の十の項目は、神とは何かを物語るものでしょう。
例えば、神とは、まず愛です。この「愛」の中には、お互いに仲良くし合うということ、お互いに許し合うということ、お互いに慈しみ合うということ、こういった希望が、込められて居ります。
また、神とは知恵です。全てのものを、のびのびと生かしめる知恵、宇宙の、あらゆるものを理解する大智識です。
さらに、神とは創造です。この三次元宇宙を創られたのも、神の創造、勿論、四次元、五次元、六次元以降の世界もです。神は創造に創造を重ねて居ります。そして、一見破壊と見えるものも、実は新たな創造にしか過ぎないのです。
しかも、神とは法則です。この三次元宇宙、多次元世界をも含めて、一つとして、神の法則に例外はありません。神は掟(おきて)であり、ルールであります。
その上、神とは永遠です。神は最初にして最後、無始にして無終の存在です。この無始・無終の存在が、様々な生命体に、修行の機会を与える為に、時間というものをお創りになったのです。また、神とは美です。神は素晴らしい芸術家です。神は、美しさとは何かを私達に教え、美しさの定義をする人であり、美しさそのものであります。
さらに、神とは調和です。神は、神の創造された全てのものが、全ての生命が、大いなる調和の中で、一つの巨大なハーモニーとなって育まれる事を望んでいます。
しかも、神とは発展です。神は停滞を好みません。神は後退を好みません。神は永遠の進歩であり、発展そのものです。神は、伸びて行こうとする力そのものです。その伸びて行こうとする力が、宇宙を創造されたのです。
けれども、神とは、また、秩序であります。神とは、発展を、その中に秘めた秩序そのものであります。神の秩序は厳格にして、厳粛(げんしゅく)です。神とは、尺度そのものであり、何が、価値があり価値なきものであるか、を決める、偉大なる尺度であり、物差しなのです。
最後に、神は偉大なる光です。全てを、あまねく照らす光であり、全てを生かす力であり、全てを育む、偉大なる光のエネルギーそのものです。無限のエネルギー、無限の光の源(みなもと)なのです。私達、六次元神界の住人も、偉大なる神を目指して進化して行こうと、努力している者達です。そして、その努力の方向とは、いかにして神のご性質に近付いて行くかという事です。
大いなる神に栄光あれ。
神の光が、あまねく地上を照らし、地上の皆様が、大いなる叡智に目覚められんことを、心よりお祈りします。
小桜姫
5.六次元神界の風景
ここからは「六次元神界の風景」と題して、出来る限り、この六次元神界の様子を、地上界人から見て分かる様に描写したいと思います。
まず、地上の皆さんは、私達に、住むべき家があるかどうか、という事が、気になられることと思います。
そこで、まず、住居の事からお話しします。
私は、前回の浅野和三郎氏編集にかかる「小桜姫物語」の中で、地上に、小桜姫神社が出来た事、そして、私達の世界でも、小桜姫神社が出来て、私が、主として、この神社を拠点にして、色々の、地上の方々の願いを、聞き届けることを仕事にしている事を話しました。
勿論、現在でも、小桜姫神社の女主人しての仕事が、ない訳ではありませんが、今では、地上の人々の信仰心が薄く、神社に参って、心から、ご祈願される方は、数少なくなりましたので、小桜姫神社の女神様としての仕事は、少なくなりました。
そこで、現在は、仏教の勉強をしているので、それに相応しい様に、セカンド・ハウスと言いますか、自分の勉強用の小さな家を造って、一人で住んでいます。こちらの方々は、やはり、それぞれ、自分の気に入った家を造って住んでいますが、大抵は一人で住んでいます。
と言うのも、六次元神界では、やはり、精神統一というのが大きな修行ですので、何人もで住んでいると、心が散ってしまって、精神統一が、なかなか出来ないからです。しかし、時折は、同心の人と、一緒に住んで、勉強し合うこともあります。
小桜が住んでいる家は、入口が東向きで、南側に大きく縁側を取った、一階の畳の部屋が約十畳、階段があって、二階の畳の部屋が約六畳、ここには、床の間が一畳分取ってあって、「天照大神様」のかけ軸が掛けてあります。一階は、主として、お客が来た時に会う為の応接室として造ってありますので、黒ぬりの一畳分位の低い机が一つと、お客様用の座布団が幾つか、出してあります。
えっ、台所があるか、ですって?ええ、簡単な台所を、西側に造っています。と言っても、食事をすることはないので、簡単に、お茶の道具があるだけです。
こちらでも、お茶は飲むことがあります。
勿論、水分を摂る訳ではありませんが、せっかく、友人が来たのに、お茶位は出して差し上げたい、という気持ちがあるからです。小桜が、主として飲むのは「ほうじ茶」ですが、内容は地上と同じでしょうが、色の鮮やかさ、香りの素晴らしさは、こちらの方が、ぐんと上です。えっ、どこでお茶の葉を手に入れるか、ですって?それは、小桜が「お茶の葉がなくなったな」と呟くと、必ず、誰かが届けてくれるのです。
私は、最近、こちらでは、紫式部さんとお知り合いになれたので、彼女も、よく遊びに来ます。一階の客間で、よくお茶を飲んでは、彼女は、文学の話をして下さいます。庭に咲いている赤いつつじの花が自慢なのですが、彼女も、この花を、とても褒めて下さいます。
二階の六畳の一間は、私の書斎兼道場ですので、誰も入れたことはありません。ここには、檜(ひのき)で作りつけの書棚が二つあり、そこに私の大切な書物が並べてあります。こちらで出版された、道元さんの新しいご本「坐禅は愛を必要とするか」とか、「日蓮聖人説法録全十巻」とか、神界の学者が書いた「天照大神様のお心」、「精神統一の真髄」とか、地上で刊行されている霊言集のシリーズも、ちゃんと並べてあります。
こちらの世界でも、読書と精神統一は、貴重な勉強です。なぜかって、読書による知識は理解力を増しますし、精神統一の力が強くなりますと、小桜なりの自己実現が、早くなります。つまり、精神統一とは、神の光のパワーを自分の内部に吸収する事ですから、それだけ自分の光の量が増えますし、特定の願い事を、心に描くのが上手くなると、それが実際に実現するのです。
例えば、キリスト教の勉強をしたいので、小桜の悟りに相応しい先生を欲しいと思うと、そういう人が現れて来るし、地上の、あなた方を指導したいので、もう少し、予知能力が欲しいと祈って精神統一すると、段々に、そういう力が備わって来るのです。
ああ、そうそう、どうして東とか西とかが判るのですか、というご質問もお有りでしょう。もっともな疑問だと思います。
私達が住んでいる村は、ちょうど、地上で言うと伊豆付近の感じで、海も山も浜辺もありますが、村の外れに、大きな「祈りの塔」という建物があって、この建物のある方向が、東だとされています。そして、浜辺の方向、海のある方角が、南とされています。小桜が住んでいる所は、浜辺から約二百メートル位入った所で、石段を百段位、上がった所に、見晴らしのよい丘があり、ここを住居にしているのです。
それから、太陽はあるのか、というご質問ですね。
太陽は、確かにあります。地上の太陽の様な、白い眩しい太陽ではなくて、もっと黄金色をした、上品な、優しい光を投げかける太陽です。それを見つめ続けても目が潰れるということはありません。
スウェーデンボルグさんとかいう偉い方が、太陽は、どちらを向いても正面にある、とか言っておられるそうですね。それは、ちょっと混乱もある様ですが、大体、いつも同じ辺りの高さにあるのは確かです。どこを向いても正面に太陽がある、というのは誤りですが、どこを向いても太陽が視界に入る、というのは正確です。というのも、霊天上界の太陽は、私達への、光のエネルギーを供給するものですから、全ての人が平等に光を受けられるようになっているのです。
さて、海の事も触れておきましょう、海は、地上の海と、よく似ています。しかし、違っているのは、どこまで入って行っても、溺(おぼ)れて死ぬ、ということがない、ということです。それと、少し色合いが違っている様ですね。波が押し寄せたり引いたりする時の、金波、銀波というのは、文字通り金色の波であったり、銀色の波であったりします。銀色の波が、光に当たった瞬間、砕けた波が金色の泡となって、空高く昇って行く姿は圧巻です。
浜辺には、大きな演舞台の様な所が造ってあって、月に一回は、村の人々が集まって、催し物をやります。村の人といっても、約三百人位ですから、多くはありません。
ここでは、最近、新たに悟りを開いた方の、体験発表とか、新しくこの村に入って来た人の紹介だとか、どこかを旅行して来た人の、旅行談発表などがあります。つい昨日も、初めて竜宮界に旅行して来た方の経験発表があって、盛んに質問されたり、拍手を送られたりしていました。
竜宮界は、どう行けばよいか、お知りになりたいですか。切符を買って亀の背中に乗って行くのです。これは、ほんの冗談、信じちゃいけません。村の外れに岬がありまして、そこから、海の底に入って行く海底トンネルがあるのです。一応、竜宮界というのは、意識の世界では、やはり海の底ということに、なっています。
仙人界とか天狗界に入って行くのは、やはり、村外れの山道を、どんどん登って行って、山の尾根に出て、その尾根伝いに、一週間ぐらい歩き続けねばなりません。
まあ、こちらの世界に来て間もない人は、大抵、指導役の霊人が付いて、色んな世界に案内してくれるのです。そうでないと、迷子になって帰って来られなくなるからです。
六次元神界から七次元菩薩界に旅行出来るか、ですって?
ええ、これは原則としては出来ません。ただし、七次元以降の方が六次元に降りて来て下さって、その光のオーラで包んで下されば、上の世界にも旅行出来ます。しかし、その場合でも、小桜姫から見ると、上の世界は光が強過ぎて、眩しいものですから、ある程度の所までしか行けません。天照大神様のいらっしゃる様な所へは、とても光が強過ぎて、眩し過ぎて行かれません。
地上のあなた方(チャネラー)は、高級霊の方々と、何のためらいもなく話(チャネリング)して居られますが、実際は、魂の段階が違うと、そう簡単に、話は出来ないのです。あまり偉い方の前へ出ると、光の強さで、くらくらして、卒倒しそうです。小桜は二度ほど、勉強の為、菩薩界に連れて行ってもらったことが有りますが、そこは、光り輝く、黄金色の素晴らしい世界で、皆、心の広い方ばかりでした。若草色の素晴らしい芝生の広場には、色とりどりの衣装の、各国の人々が座って、話し込んでいました。
ええ、勿論、下の世界へは、何度も足を運んで居ります。下へ行くほど、人間社会に近づくみたいで、幽界などでは、家族で夕食している姿など、とても懐かしく感じられました。
地獄界は、やはり恐くて、一人では行けません。私より、もっと力の強い光の天使に付き添われてなら、何度も行ったことがあります。その世界の、かび臭いこと、うす暗いこと、じめじめしたこと、いつも、六次元に帰って来る度に、もう二度と行きたくない、と思います。本当に、吐き気がするんですから。
地上で、心清く生きている人々は、自分は損みたいな性分だ、と思って居られるかも知れませんが、やはり、死後の世界は、明るい世界に還って来ることに、越したことは、ない様ですよ。
次に、ひと言、六次元の衣服について、お話ししたいと思います。
こちらの世界は、念の世界ですから、ミシンを踏んで服を縫う訳では、ありません。やはり、着たいと思う衣装を、心に描くと、そういう衣服が出て来ます。ですから、洋服箪子(だんす)など、ありません。
小桜は、主に和服を着ていますが、小桜神社で用がある時は、神様みたいな格好、そう、神社の巫子さんを上品にした様な姿をとります。キリスト教系の方から招かれた時は、慣れないドレスを着ることもあります。色は、白が基調で、和服なら花がら、それ以外なら、紫色でアクセントを付けます。勿論、女性の嗜みですから、下着も付けていますが、男性の読者に、恋されては困るので、詳細は申しません。
小桜の村では、男性は羽織袴が多いですが、これも、儀式の時などは正装に替えます。衣服のデザインをアドバイスする専門家も、こちらに居る事を、ひと言申し添えておきます。
6.六次元から見た神
さて、いよいよ、一年あまり続いた、この小桜姫の霊界通信の最終章です。最後を締めくくる話として「六次元から見た神」という題でお話しましょう。
様々な高級霊が、私達の世界について、色々な角度から、説明をされていると思います。しかし、どんな高級霊であっても、「神」については、決して、明確な形で、描写は出来ていない筈です。小桜にしても、「神とは何か」と問われると、はっきりと答える自信はありません。しかし、少なくとも、私達の世界では「神」を、どう考えているか、というお話は、出来ると思うのです。
「神」については、古来、地上界においても、たくさんの宗教家が、一神教、多神教入り混じって、色々の説を述べています。結局、どなたも、はっきりした事は言えなかったのでしょう。
小桜のいる六次元では、現在「神」については、普通、次の様な説明が、されています。
つまり、神とは、宇宙に遍満する叡智である。神とは、宇宙の進化を司(つかさど)っている巨大な意識であり、エネルギーであり、知恵である。
なぜ、宇宙が存在するのか。それは、宇宙を現象化しようとする、神のご意志の働きなのだ、と。
神を、物体的に、人間の大きさだとか、宇宙大だとか、言うのは、間違っている。神は、物体的に見て巨大な存在なのではない。神は、次元的に見て、人類より遥かに高次元の存在なのである。しかも、最高次元の存在なのである。最高次元の存在であるから、自分より低い次元を自由自在に創造し、破壊することが出来るのである。
神は、この様に、高次の存在なのであるが、同時に、幾つかのご性質、ご性格を持って居られる。そして、人類が、或いは、宇宙に存在する物、全てが、多次元世界に住む、全ての生命体が、この、神の、ご性質・ご本質に近付いて来られることを願っておられる。
その、神の、ご本質・ご性質とは、現在までに研究された限りでは、次の様なものである。
一、愛
二、知恵
三、創造
四、法則
五、永遠
六、美
七、調和
八、発展
九、秩序
十、光
まだまだ、そのご本質の中には、無限のものを持って居られるのでしょうが、少なくとも、以上の十の項目は、神とは何かを物語るものでしょう。
例えば、神とは、まず愛です。この「愛」の中には、お互いに仲良くし合うということ、お互いに許し合うということ、お互いに慈しみ合うということ、こういった希望が、込められて居ります。
また、神とは知恵です。全てのものを、のびのびと生かしめる知恵、宇宙の、あらゆるものを理解する大智識です。
さらに、神とは創造です。この三次元宇宙を創られたのも、神の創造、勿論、四次元、五次元、六次元以降の世界もです。神は創造に創造を重ねて居ります。そして、一見破壊と見えるものも、実は新たな創造にしか過ぎないのです。
しかも、神とは法則です。この三次元宇宙、多次元世界をも含めて、一つとして、神の法則に例外はありません。神は掟(おきて)であり、ルールであります。
その上、神とは永遠です。神は最初にして最後、無始にして無終の存在です。この無始・無終の存在が、様々な生命体に、修行の機会を与える為に、時間というものをお創りになったのです。また、神とは美です。神は素晴らしい芸術家です。神は、美しさとは何かを私達に教え、美しさの定義をする人であり、美しさそのものであります。
さらに、神とは調和です。神は、神の創造された全てのものが、全ての生命が、大いなる調和の中で、一つの巨大なハーモニーとなって育まれる事を望んでいます。
しかも、神とは発展です。神は停滞を好みません。神は後退を好みません。神は永遠の進歩であり、発展そのものです。神は、伸びて行こうとする力そのものです。その伸びて行こうとする力が、宇宙を創造されたのです。
けれども、神とは、また、秩序であります。神とは、発展を、その中に秘めた秩序そのものであります。神の秩序は厳格にして、厳粛(げんしゅく)です。神とは、尺度そのものであり、何が、価値があり価値なきものであるか、を決める、偉大なる尺度であり、物差しなのです。
最後に、神は偉大なる光です。全てを、あまねく照らす光であり、全てを生かす力であり、全てを育む、偉大なる光のエネルギーそのものです。無限のエネルギー、無限の光の源(みなもと)なのです。私達、六次元神界の住人も、偉大なる神を目指して進化して行こうと、努力している者達です。そして、その努力の方向とは、いかにして神のご性質に近付いて行くかという事です。
大いなる神に栄光あれ。
神の光が、あまねく地上を照らし、地上の皆様が、大いなる叡智に目覚められんことを、心よりお祈りします。
小桜姫
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