これは、あるチャネラーに降ろされた、歴史上アレクサンダー大王と呼ばれる方のメッセージです。戦争に明け暮れた人生を送られたアレクサンダー大王が、ご自分の在世時を振り返り、その真の意図について語られます。また、地上で、今後、行われていかれるべき世界統一というものが、いかにあるべきかについても、熱く語られています。適宜、編集させて頂いております。
(ここから)
アレキサンダーです。あなた方の時代の中では、アレキサンドロス大王という呼名で伝えられているかもしれないけれど、天上界において、私は、この地上計画における、神の国実現のための、戦争とか、国づくりということを中心とした、赤色光線のもとで、できる限りの使命を果たしている、そういう者であります。
あなた方の時代の中では、アレキサンドロスという名前が一般的であるように思うのですが、私は、はるかなる昔より、神の国がこの地上に実現されるとき、その神の計画に沿って、神命を帯びて地上に降り立ち、国と国を平定しながら、神理の道筋をつくるべく、人びとの平和と、神の国との調和を求めて、この地上で、あなた方から見たら、血生臭いと思われるかもしれぬが、戦というものを通して、この地上を平定してきた者なのです。
私のような者が、天上界にいるということ、そしてそれが、神のお心の中において、そのような役割を持つ者がいるということを、あなた方は不思議に思われるかもしれない。
しかし、神の国を実現するという意味においては、ときには、破壊をももたらすことが、次なる再生をもたらし、そして、数々の互いの偏狭な垣根を取り壊していくことにより、ひとつの、大いなる道筋の中で、時代を越えて流れていく、神理の叡智というものの道筋をつくるという、そのような役割があるのです。
三次元においては、この地上で、ひとつの国、組織体制というものを通して、文化は継承されていく。そのような道筋があるがゆえに、私は、(地上に)まず出て、神の国実現のために、神の真意を地上に伝えるために、神理伝道が行われる道筋に沿うて、帝国の統一ということを生涯の事業としたのです。その過程で、戦いというものを通して、数々の悲しみや苦しみがある為に「破壊神」と呼ばれていたときもあるのです。
かつて、インドに出たことがありました。インドでは、シヴァという名で呼ばれた、破壊の神と呼ばれた時代があります。仏陀より、もっと以前の時代です。その時代に、私が出たときも、やはり、インドは、数々の国が入り乱れ戦乱につぐ戦乱があって、その時に、次に出て来る、大いなる進歩を説く、仏陀の法が説かれる前に、国を平定し、慈悲というものが説かれる、ひとつの愛による道筋というものをつくるため、仏陀の法が、説かれる道筋のためにも、私は、その古代のインドに降り立ち、国を統一するために、破壊神、と呼ばれても、その国々を統一して回ったという、そのような過去があるのです。私たちのような者は、一見、その行為だけを見たのなら、神のお心からは、はるかに遠い殺戮者であり、略奪者と思われ、そう呼ばれているかもしれない。
かつて、ヘレニズム文化というのがありました。ギリシャという西洋文明、西洋の叡智がアジアの文化圏とぶつかったときに、ヘレニズム文化というものをつくった。それを目指して、私は帝国をつくっていったのです。常に、西洋と東洋を統合していく、その要に私はいたのです。
この、今日の日本を見ると、やはり、西洋文化というものと、東洋からの(文化の)源流の流れというものが行き着いた先が、どこに来たかというと、この日本という場所に行き着いたように思うのです。現代のヘレニズム文化、現代の西洋と東洋の文化圏が出会うところ、それが今日の日本であるということ。そのことをもって、世界中の過去の叡智の流れが最後にたどり着いた、その場所にこの日本があり、この日本を通して最終ユートピアの思想の流れというのが、世界中に発信されるという、神の国のご計画があった、というのが事実なのです。
この日本は、小さな、小さな島国のように思われるかもしれないけれど、これは、ちょうど地球のヘソのような場所であり、ここをもって、最終的ユートピアの、神の国の叡智、神理というものが広げられていく。そのためにつくられ、用意された国であったという、そのような使命が、この日本という地には、尊い使命があったということなのです。
私たちは、この時代に、もう、戦争というものを通さなくても、この日本の地から、文化的に神理というものを発信できる時代、そういう時代がきたということをとてもうれしく思うのです。
まだ、局部的には、いろいろなところで戦争をしております。ですが、私の時には、国を支配し、世界を自分の手もとにおきたいというような、自分の権力や支配欲のため、そういう野心のために、国を平定してきたのではないのです。
常に、源流としての思想、神の思想、叡智というものを流していく、その道筋をつくるために、国というものを平定し統合するということが、その使命にあったがゆえに、私は、自由の神と呼ばれた。なぜ、自由の神と呼ばれるのか。それは、神理を、神理の叡智、というものを、人びとの文化圏に運んでいくことによって、人びとに真の自由をもたらす、その伝達の役割をするということなのです。
一見、(帝国の)奴隷のようになったように思うかもしれないけれども、常に、新たなる神理というのが、続々と、生み出されてくるのです。最初は、古代ギリシャのところに、そして、インドに、エジプトに、そして中国にです。また、イエス・キリストから流れたその教えの流れが、今度はヨーロッパのほうを経由し、そして、それがアメリカや世界中を巡っていった。
そのような流れの中で、人びとが神の叡智を学ぶこと、神理とともに生きること、神理を学んでいく文化圏が広がっていくということ、それが、真に、神の子、人間たちを、魂の底から自由にする、そういう意味で、我々は三次元の人びとを自由にしていく、そのために戦う神ということで、自由の神という名を、称号をいただいているのです。
けっして、破壊神であるとか、略奪の王であるとか、権力の権化であるということではないのです。私たちが、戦闘により、殺戮とか戦というものを、あえて肯定しているのも、そのような神のご意思あってこそで、神のご意思を地上に広げる、繁栄させるため、神の御国を実現するための、その道具立てとして、我らは、戦というものを通しながら、国を平定していく。
あなた方の国では、ヤマトタケルと呼ばれている方が、おられるはずなのです。あの方は日本神道の中において、やはり日本が、いずれこの神理発祥の地となるために、日本神道の方がたは、はるか昔に、この日本という地を、預かられたのです。授けられたのです。その時も、やはり数々の平定をし、この国を、神代の国と呼ばれる神の国にしていくために、あの方も、命がけになり、この大和の国を平定されたはずなのです。
それがゆえに、その後、安定した基盤の大和朝廷というものが築かれていく道筋になり、そこの中で、聖徳太子とか、そういう方がたが、神法、神の法というものを地上に降ろすことができた。安心して、そのような仏教とか、日本神道だけではなく、仏教、キリスト教を通しながら、この国に、数々の、西洋、東洋の宗教というもの、文化というものを入れながら、この国独自の磁場として、神の国の磁場というものをつくりながら、今日までの時を、力を蓄えながら持ってこられたという、そのような時代の経緯があるのです。
その時に、やはり、ヤマトタケルと呼ばれる武将の方がお出になられて、この国を平定されました。私は、それの、もうちょっと、範囲が大きい、ほかの国、ヨーロッパ圏から、アジア圏から、アフリカやインドのほうまで行きました。あの時代は、まだ地上に、この世というのが、世界地図でいうとだいたいそれぐらいのものだったのです。アメリカ大陸とか、そういうところは、まだまだ発見されておりませんし、人が、ある程度、文化の高い者たちが住んでいたのは、だいたいそのあたりでした。
ですから、だいたい世界統一をなし得たという形になっていたわけです。そして、それは私の野心により、支配したかったから統一したというのではなくて、そこを一体化させることによって、ギリシャの文明というもの、ギリシャの叡智と呼ばれているもの、それが隅々まで流れ入る道筋をつくったということなのです。
私が国を平定し、統一していくということは、神の国、神のお心という、叡智というもの神の国を実現させるという、その神の熱い血を、情熱を、神理を、その血管に流すために国というものを統一させていく。一体感をもたすことにより、その道筋をつくるという、その役割が、私にはあったということです。
ナポレオン・ボナパルトという形で出たときも同じでした。あの当時は、文化の最高峰の水準が、ギリシャから、すでに、ヨーロッパのドイツとか、フランスとか、あのあたりの国々のほうに集まっておりました。
あの時代には、もうギリシャは、力はあまりなくなっておりました。その時に、やはり、ドイツ、フランス、スペイン、そして、イギリスなどと、王家というものが、あのあたりで、盛んに戦争を起こしながら、国を平定しようとしていました。世界の文化の最高水準のものが、ちょうどヨーロッパの、あの先進国、あの時代の、先進国と呼ばれたところに集中していたからなのです。
ですから、その国にある者たちの意識、その国にいる人たちの思想というものが、世界をリードしていく、そのような場所に、ちょうど当たっていたということなのです。時代を経て、その思想の頂点を極めるエリア、場所というものは、スポットというものは移動していく。それは、もうとっくに、あなた方は学ばれていると思うのです。ギリシャでありインドであり、中国であり、そして、ひと時は、いわゆる中世以降のヨーロッパにあったということなのです。
あの時は、やはり、宗教改革なども通しまして、このヨーロッパが、一大文化圏を築いておりました時代です。ですから、やはりヨーロッパの意識を統一していく、そして、統一することによって、ひとつの文化が、キリスト教であるとか、そういう、いろんなものが流れていく。あの時の、中世のヨーロッパの姿、あの時のエネルギー、それが、キリスト教の教えというものを、世界中に発信し、流していった、という道筋をつくったのです。イエスの教えというものを世界中に発信していく、その原動力は、やはり、あの時の、ヨーロッパのエネルギーにあったのかもしれません。
いつでも、神の国の神理というものを伝えていくには、そのような世界計画があり、神理伝道、伝播のための計画というものが、神理が降ろされたときには、すでに道筋として、神のご計画の中にあるということ。そのご計画を、前もって伺いながら、神埋か降ろされる、ちょっと前に(地上に)出て、その世界、その文化圏を統一して、神様の神理というものを、神理を流していく。血管を配置して帰って来る。それが私の役目である、ということなのです。
ですから、戦争を、すごく、したかもしれない。それは、戦争というものを通して、自分たちが、王であり、女王であったということを通して、自分たちの野心をも満足させたように、傍らから見ると、思われるかもしれないけれども、でも、やはり戦争というものをできるだけ最小限にしながら、人びとを平和に導き、調和に導き、神のお心を伝えていくー。
ですから、私たちのような者がいるのが、高級霊界にいるのが、ひじょうに不思議に思われるかもしれない。そのように思っておられる方が多いのも事実だと思うのです。ですけど、神のご計画を実現する上においては、やはり、そのような荒々しいものも時には必要であり、ただ、その破壊を行うときに、それが神の国のご計画のための、自らは道具立てとして、その使命を果たすために、命がけで地上に出ていく、という思いがあってこそ、我々の立場、居場所というものが存在し得ている。使命のセクションというものが与えられているということです。
私の考えの中において、この大計画が実現されるということ、そのことは、今日的な意味で、私から見ると、ちょうど、私か世界統一をなしていって、その後に数々の神埋か伝播していく道筋をつくったように、今、この日本から世界に向けて、あなた方が説いていく神理というものが、アジア、オセアニアを通しながら世界中を席巻していく。その時代がくるということを申し上げたいのです。
あなた方は、神理が、いつか勝手に動く、と思っておられるかもしれない。でも、そうではありません。神理は、神理として存在します。そして、それは、おおかた、宗教関係の霊団の方がたが担当なされるのが道理であるのです。しかし、それが、常に種がまかれたとき、その種をまく道筋をつくっていったのが、我々のような者なのです。その時には、道なきところに道をつくらねばなりません。
そして、今、これからくるのは、戦争ということではなく、平和的な文化の交流という、世界的に、ある意味で、ネットワークづくりの済んだ、この地球のネットワークを通しながら、平和的に、あなた方の、神理というものを広げていくという、そういう時代がきたのです。このような時代がくるまで、私たちは、戦いを続けながら、この地球を、ひとつにするために頑張ってきたのです。
国と国の戦争というものは、愚かしい争いは、まだ、あるかもしれないのです。けれども地球という視野で、ひとつの目で、この地球を見ることができる、それだけ意識が成長した時代が、今日であるということ、現代であるということ。その時代がきたということを私は、脇で見ていて、ほんとうに、感無量の思いであります。この時代の中で、あなた方の進歩が説かれていく。神の国、ユートピアがつくられていく。
そして、これが、地球を一体化して、そのうち地球に、ひとつだけの統一政府というのがつくられることによって、ほんとうに、いつの時代か、そのうち、国境がなくなり、私がかつて夢見た、世界統一、それは、私が、世界統一という、世界を征服したいのではなく神の御言葉により、神の御国になることによって、世界というものが、神の子が、一体となる、エデンのユートピアの時代になる、ということを望んだからこそ、私は、世界統一を目指したのです。
そういう意味において、神の子として、一体として、地球が、ひとつにまとまっていく。そういう時代が、これからくるということ。そのことを、あなた方が、希望の原理として持っていただきたい。そして、それを推進するだけの力というもの、覇気というものを持っていただきたいということを言っているのです。
神理を、常に血管の中に送り出していく、強い心臓のようなポンプがいるということ。
その熱い心臓のポンプの思いというのは、あなた方が、いかにこの地上において、自ら、神の使者として何をするべきか、何をどういうふうにやっていきたいかという、熱い思いの情熱に比例して、そのポンプの力というのは、血管を通して血液を送り出す、その力の程度が決まるのです。
私は、この地上に、国土を平定しながら、国を統合していくという、戦争というもの、戦というものを通しながら国を統一していきました。でも、今は別に国家というものを統一しなくても、思想の流れをつくるだけであるのならば、いくらでもネットワークづくりができる時代になっているのです。国を越えて、思想というものが流れていく道しるべが、ある時代になったということなのです。
ならば、それを通して、あなた方は、世界統一をしなくてはいけない。神の思想を、神の思い、神の叡智というものをこの地球すべてに流していくには、神の国としての世界統一をしていくということ。神の思いにおける意味での、この地上だけではなくて、その人々の心の中に、神の王国をつくっていくという意味においての、神の王国の世界統一をしなくてはいけない。
今、戦争によって統一することは、意味がない時代なのです。思想によって統一していく時代なのです。その思想を統一していくには、神の叡智をもう一度流す、文化的なネットワークというもの、道筋をつくるということ。それは血を流し属国となったりしていく、そのような野蛮な戦争をする時代から見たら、はるかに、新たな意味で、進歩した文化の時代になったと、私は、あなた方を見ていて思うから、そのような犠牲を伴わなくても、できる時代になったということをもって、あなた方は、あらゆる可能性を追求していただきたいと思うのです。
神の国の、神理のエキスというものだけでも、あなた方が伝えていく。そのことによって集大成というものが、していけるのです。「神理があるのだ」ということを言ってくれれば、次の世代の者たちは、それをしっかりと見極め、見分けて学んでいくことでしょう。いたずらな遠回りをしなくて済むのです。
それが伝播していったのなら、それが、ひとつの、この時代のバイブルのようになって、世界中において、新たな精神運動、革命運動、精神改革的なルネッサンス、現代のルネッサンスというものが行われていくことでしょう。そのことを通して、宇宙時代への、組織体制、政治体制、そういうもの、統一政府というものへの流れというものが、行われていく予定になっているのです。
神の神理というものは、基本的に何を学ぶか。私たちは幾転生、永遠の命を越えながら、いちばん大事な、愛というものを学ぶのです。愛というものを、学ぶために、私たちは、永遠の命を与えられてるということなのです。
さまざまな形態での愛の現れというのはあるでしょう。ですから、さまざまな形態を通しながら、幾転生を越えながら、永遠の命を生きながら、我々は愛を学ぶのです。その、愛という、光のバトンリレーが行われようとしています。
そして、すでに、そのような(愛の光を流す)血管というものは、もう、ちゃんと要所、要所に、光の天使が立っていて、流すように、もう埋め込まれているのです。もう、世界の要所、要所に、光の天使たちが待ち構えているのです。彼らの寿命があるうちに、彼らが気づけるうちに、あなた方は、この叡智を、この、日本という、光を発する灯台の国から、世界中に流していただけたらと思うのです。世界中に、光を受けて、次に流そうと待ち構えている者たちに光が届かなくては、その者たちが、次の場所に光を送ることはできないのです。その大本にいるのが、あなた方であるということ。
この光を通して、この愛のポンプを通して、神の愛の溢れる叡智を流していただきたい。それを流していただければ、もう、その者たちから、次の者たちへと、次々と、神の愛の血潮というものが伝わっていくことでしょう。そのことを通して、人びとは、神の愛というもの、自分たちの今いる位置というもの、神のご意思というもの、地球人として、どうするべきかということを学んでいくのです。
地球の体、地球という大神殿のお体に、愛の血潮を、人びとの心に届くようにもっていく。それが、あなた方の役目であるということ。
それを自覚していただきたいということを、私は今日、伝えに来たのです。
(ここから)
アレキサンダーです。あなた方の時代の中では、アレキサンドロス大王という呼名で伝えられているかもしれないけれど、天上界において、私は、この地上計画における、神の国実現のための、戦争とか、国づくりということを中心とした、赤色光線のもとで、できる限りの使命を果たしている、そういう者であります。
あなた方の時代の中では、アレキサンドロスという名前が一般的であるように思うのですが、私は、はるかなる昔より、神の国がこの地上に実現されるとき、その神の計画に沿って、神命を帯びて地上に降り立ち、国と国を平定しながら、神理の道筋をつくるべく、人びとの平和と、神の国との調和を求めて、この地上で、あなた方から見たら、血生臭いと思われるかもしれぬが、戦というものを通して、この地上を平定してきた者なのです。
私のような者が、天上界にいるということ、そしてそれが、神のお心の中において、そのような役割を持つ者がいるということを、あなた方は不思議に思われるかもしれない。
しかし、神の国を実現するという意味においては、ときには、破壊をももたらすことが、次なる再生をもたらし、そして、数々の互いの偏狭な垣根を取り壊していくことにより、ひとつの、大いなる道筋の中で、時代を越えて流れていく、神理の叡智というものの道筋をつくるという、そのような役割があるのです。
三次元においては、この地上で、ひとつの国、組織体制というものを通して、文化は継承されていく。そのような道筋があるがゆえに、私は、(地上に)まず出て、神の国実現のために、神の真意を地上に伝えるために、神理伝道が行われる道筋に沿うて、帝国の統一ということを生涯の事業としたのです。その過程で、戦いというものを通して、数々の悲しみや苦しみがある為に「破壊神」と呼ばれていたときもあるのです。
かつて、インドに出たことがありました。インドでは、シヴァという名で呼ばれた、破壊の神と呼ばれた時代があります。仏陀より、もっと以前の時代です。その時代に、私が出たときも、やはり、インドは、数々の国が入り乱れ戦乱につぐ戦乱があって、その時に、次に出て来る、大いなる進歩を説く、仏陀の法が説かれる前に、国を平定し、慈悲というものが説かれる、ひとつの愛による道筋というものをつくるため、仏陀の法が、説かれる道筋のためにも、私は、その古代のインドに降り立ち、国を統一するために、破壊神、と呼ばれても、その国々を統一して回ったという、そのような過去があるのです。私たちのような者は、一見、その行為だけを見たのなら、神のお心からは、はるかに遠い殺戮者であり、略奪者と思われ、そう呼ばれているかもしれない。
かつて、ヘレニズム文化というのがありました。ギリシャという西洋文明、西洋の叡智がアジアの文化圏とぶつかったときに、ヘレニズム文化というものをつくった。それを目指して、私は帝国をつくっていったのです。常に、西洋と東洋を統合していく、その要に私はいたのです。
この、今日の日本を見ると、やはり、西洋文化というものと、東洋からの(文化の)源流の流れというものが行き着いた先が、どこに来たかというと、この日本という場所に行き着いたように思うのです。現代のヘレニズム文化、現代の西洋と東洋の文化圏が出会うところ、それが今日の日本であるということ。そのことをもって、世界中の過去の叡智の流れが最後にたどり着いた、その場所にこの日本があり、この日本を通して最終ユートピアの思想の流れというのが、世界中に発信されるという、神の国のご計画があった、というのが事実なのです。
この日本は、小さな、小さな島国のように思われるかもしれないけれど、これは、ちょうど地球のヘソのような場所であり、ここをもって、最終的ユートピアの、神の国の叡智、神理というものが広げられていく。そのためにつくられ、用意された国であったという、そのような使命が、この日本という地には、尊い使命があったということなのです。
私たちは、この時代に、もう、戦争というものを通さなくても、この日本の地から、文化的に神理というものを発信できる時代、そういう時代がきたということをとてもうれしく思うのです。
まだ、局部的には、いろいろなところで戦争をしております。ですが、私の時には、国を支配し、世界を自分の手もとにおきたいというような、自分の権力や支配欲のため、そういう野心のために、国を平定してきたのではないのです。
常に、源流としての思想、神の思想、叡智というものを流していく、その道筋をつくるために、国というものを平定し統合するということが、その使命にあったがゆえに、私は、自由の神と呼ばれた。なぜ、自由の神と呼ばれるのか。それは、神理を、神理の叡智、というものを、人びとの文化圏に運んでいくことによって、人びとに真の自由をもたらす、その伝達の役割をするということなのです。
一見、(帝国の)奴隷のようになったように思うかもしれないけれども、常に、新たなる神理というのが、続々と、生み出されてくるのです。最初は、古代ギリシャのところに、そして、インドに、エジプトに、そして中国にです。また、イエス・キリストから流れたその教えの流れが、今度はヨーロッパのほうを経由し、そして、それがアメリカや世界中を巡っていった。
そのような流れの中で、人びとが神の叡智を学ぶこと、神理とともに生きること、神理を学んでいく文化圏が広がっていくということ、それが、真に、神の子、人間たちを、魂の底から自由にする、そういう意味で、我々は三次元の人びとを自由にしていく、そのために戦う神ということで、自由の神という名を、称号をいただいているのです。
けっして、破壊神であるとか、略奪の王であるとか、権力の権化であるということではないのです。私たちが、戦闘により、殺戮とか戦というものを、あえて肯定しているのも、そのような神のご意思あってこそで、神のご意思を地上に広げる、繁栄させるため、神の御国を実現するための、その道具立てとして、我らは、戦というものを通しながら、国を平定していく。
あなた方の国では、ヤマトタケルと呼ばれている方が、おられるはずなのです。あの方は日本神道の中において、やはり日本が、いずれこの神理発祥の地となるために、日本神道の方がたは、はるか昔に、この日本という地を、預かられたのです。授けられたのです。その時も、やはり数々の平定をし、この国を、神代の国と呼ばれる神の国にしていくために、あの方も、命がけになり、この大和の国を平定されたはずなのです。
それがゆえに、その後、安定した基盤の大和朝廷というものが築かれていく道筋になり、そこの中で、聖徳太子とか、そういう方がたが、神法、神の法というものを地上に降ろすことができた。安心して、そのような仏教とか、日本神道だけではなく、仏教、キリスト教を通しながら、この国に、数々の、西洋、東洋の宗教というもの、文化というものを入れながら、この国独自の磁場として、神の国の磁場というものをつくりながら、今日までの時を、力を蓄えながら持ってこられたという、そのような時代の経緯があるのです。
その時に、やはり、ヤマトタケルと呼ばれる武将の方がお出になられて、この国を平定されました。私は、それの、もうちょっと、範囲が大きい、ほかの国、ヨーロッパ圏から、アジア圏から、アフリカやインドのほうまで行きました。あの時代は、まだ地上に、この世というのが、世界地図でいうとだいたいそれぐらいのものだったのです。アメリカ大陸とか、そういうところは、まだまだ発見されておりませんし、人が、ある程度、文化の高い者たちが住んでいたのは、だいたいそのあたりでした。
ですから、だいたい世界統一をなし得たという形になっていたわけです。そして、それは私の野心により、支配したかったから統一したというのではなくて、そこを一体化させることによって、ギリシャの文明というもの、ギリシャの叡智と呼ばれているもの、それが隅々まで流れ入る道筋をつくったということなのです。
私が国を平定し、統一していくということは、神の国、神のお心という、叡智というもの神の国を実現させるという、その神の熱い血を、情熱を、神理を、その血管に流すために国というものを統一させていく。一体感をもたすことにより、その道筋をつくるという、その役割が、私にはあったということです。
ナポレオン・ボナパルトという形で出たときも同じでした。あの当時は、文化の最高峰の水準が、ギリシャから、すでに、ヨーロッパのドイツとか、フランスとか、あのあたりの国々のほうに集まっておりました。
あの時代には、もうギリシャは、力はあまりなくなっておりました。その時に、やはり、ドイツ、フランス、スペイン、そして、イギリスなどと、王家というものが、あのあたりで、盛んに戦争を起こしながら、国を平定しようとしていました。世界の文化の最高水準のものが、ちょうどヨーロッパの、あの先進国、あの時代の、先進国と呼ばれたところに集中していたからなのです。
ですから、その国にある者たちの意識、その国にいる人たちの思想というものが、世界をリードしていく、そのような場所に、ちょうど当たっていたということなのです。時代を経て、その思想の頂点を極めるエリア、場所というものは、スポットというものは移動していく。それは、もうとっくに、あなた方は学ばれていると思うのです。ギリシャでありインドであり、中国であり、そして、ひと時は、いわゆる中世以降のヨーロッパにあったということなのです。
あの時は、やはり、宗教改革なども通しまして、このヨーロッパが、一大文化圏を築いておりました時代です。ですから、やはりヨーロッパの意識を統一していく、そして、統一することによって、ひとつの文化が、キリスト教であるとか、そういう、いろんなものが流れていく。あの時の、中世のヨーロッパの姿、あの時のエネルギー、それが、キリスト教の教えというものを、世界中に発信し、流していった、という道筋をつくったのです。イエスの教えというものを世界中に発信していく、その原動力は、やはり、あの時の、ヨーロッパのエネルギーにあったのかもしれません。
いつでも、神の国の神理というものを伝えていくには、そのような世界計画があり、神理伝道、伝播のための計画というものが、神理が降ろされたときには、すでに道筋として、神のご計画の中にあるということ。そのご計画を、前もって伺いながら、神埋か降ろされる、ちょっと前に(地上に)出て、その世界、その文化圏を統一して、神様の神理というものを、神理を流していく。血管を配置して帰って来る。それが私の役目である、ということなのです。
ですから、戦争を、すごく、したかもしれない。それは、戦争というものを通して、自分たちが、王であり、女王であったということを通して、自分たちの野心をも満足させたように、傍らから見ると、思われるかもしれないけれども、でも、やはり戦争というものをできるだけ最小限にしながら、人びとを平和に導き、調和に導き、神のお心を伝えていくー。
ですから、私たちのような者がいるのが、高級霊界にいるのが、ひじょうに不思議に思われるかもしれない。そのように思っておられる方が多いのも事実だと思うのです。ですけど、神のご計画を実現する上においては、やはり、そのような荒々しいものも時には必要であり、ただ、その破壊を行うときに、それが神の国のご計画のための、自らは道具立てとして、その使命を果たすために、命がけで地上に出ていく、という思いがあってこそ、我々の立場、居場所というものが存在し得ている。使命のセクションというものが与えられているということです。
私の考えの中において、この大計画が実現されるということ、そのことは、今日的な意味で、私から見ると、ちょうど、私か世界統一をなしていって、その後に数々の神埋か伝播していく道筋をつくったように、今、この日本から世界に向けて、あなた方が説いていく神理というものが、アジア、オセアニアを通しながら世界中を席巻していく。その時代がくるということを申し上げたいのです。
あなた方は、神理が、いつか勝手に動く、と思っておられるかもしれない。でも、そうではありません。神理は、神理として存在します。そして、それは、おおかた、宗教関係の霊団の方がたが担当なされるのが道理であるのです。しかし、それが、常に種がまかれたとき、その種をまく道筋をつくっていったのが、我々のような者なのです。その時には、道なきところに道をつくらねばなりません。
そして、今、これからくるのは、戦争ということではなく、平和的な文化の交流という、世界的に、ある意味で、ネットワークづくりの済んだ、この地球のネットワークを通しながら、平和的に、あなた方の、神理というものを広げていくという、そういう時代がきたのです。このような時代がくるまで、私たちは、戦いを続けながら、この地球を、ひとつにするために頑張ってきたのです。
国と国の戦争というものは、愚かしい争いは、まだ、あるかもしれないのです。けれども地球という視野で、ひとつの目で、この地球を見ることができる、それだけ意識が成長した時代が、今日であるということ、現代であるということ。その時代がきたということを私は、脇で見ていて、ほんとうに、感無量の思いであります。この時代の中で、あなた方の進歩が説かれていく。神の国、ユートピアがつくられていく。
そして、これが、地球を一体化して、そのうち地球に、ひとつだけの統一政府というのがつくられることによって、ほんとうに、いつの時代か、そのうち、国境がなくなり、私がかつて夢見た、世界統一、それは、私が、世界統一という、世界を征服したいのではなく神の御言葉により、神の御国になることによって、世界というものが、神の子が、一体となる、エデンのユートピアの時代になる、ということを望んだからこそ、私は、世界統一を目指したのです。
そういう意味において、神の子として、一体として、地球が、ひとつにまとまっていく。そういう時代が、これからくるということ。そのことを、あなた方が、希望の原理として持っていただきたい。そして、それを推進するだけの力というもの、覇気というものを持っていただきたいということを言っているのです。
神理を、常に血管の中に送り出していく、強い心臓のようなポンプがいるということ。
その熱い心臓のポンプの思いというのは、あなた方が、いかにこの地上において、自ら、神の使者として何をするべきか、何をどういうふうにやっていきたいかという、熱い思いの情熱に比例して、そのポンプの力というのは、血管を通して血液を送り出す、その力の程度が決まるのです。
私は、この地上に、国土を平定しながら、国を統合していくという、戦争というもの、戦というものを通しながら国を統一していきました。でも、今は別に国家というものを統一しなくても、思想の流れをつくるだけであるのならば、いくらでもネットワークづくりができる時代になっているのです。国を越えて、思想というものが流れていく道しるべが、ある時代になったということなのです。
ならば、それを通して、あなた方は、世界統一をしなくてはいけない。神の思想を、神の思い、神の叡智というものをこの地球すべてに流していくには、神の国としての世界統一をしていくということ。神の思いにおける意味での、この地上だけではなくて、その人々の心の中に、神の王国をつくっていくという意味においての、神の王国の世界統一をしなくてはいけない。
今、戦争によって統一することは、意味がない時代なのです。思想によって統一していく時代なのです。その思想を統一していくには、神の叡智をもう一度流す、文化的なネットワークというもの、道筋をつくるということ。それは血を流し属国となったりしていく、そのような野蛮な戦争をする時代から見たら、はるかに、新たな意味で、進歩した文化の時代になったと、私は、あなた方を見ていて思うから、そのような犠牲を伴わなくても、できる時代になったということをもって、あなた方は、あらゆる可能性を追求していただきたいと思うのです。
神の国の、神理のエキスというものだけでも、あなた方が伝えていく。そのことによって集大成というものが、していけるのです。「神理があるのだ」ということを言ってくれれば、次の世代の者たちは、それをしっかりと見極め、見分けて学んでいくことでしょう。いたずらな遠回りをしなくて済むのです。
それが伝播していったのなら、それが、ひとつの、この時代のバイブルのようになって、世界中において、新たな精神運動、革命運動、精神改革的なルネッサンス、現代のルネッサンスというものが行われていくことでしょう。そのことを通して、宇宙時代への、組織体制、政治体制、そういうもの、統一政府というものへの流れというものが、行われていく予定になっているのです。
神の神理というものは、基本的に何を学ぶか。私たちは幾転生、永遠の命を越えながら、いちばん大事な、愛というものを学ぶのです。愛というものを、学ぶために、私たちは、永遠の命を与えられてるということなのです。
さまざまな形態での愛の現れというのはあるでしょう。ですから、さまざまな形態を通しながら、幾転生を越えながら、永遠の命を生きながら、我々は愛を学ぶのです。その、愛という、光のバトンリレーが行われようとしています。
そして、すでに、そのような(愛の光を流す)血管というものは、もう、ちゃんと要所、要所に、光の天使が立っていて、流すように、もう埋め込まれているのです。もう、世界の要所、要所に、光の天使たちが待ち構えているのです。彼らの寿命があるうちに、彼らが気づけるうちに、あなた方は、この叡智を、この、日本という、光を発する灯台の国から、世界中に流していただけたらと思うのです。世界中に、光を受けて、次に流そうと待ち構えている者たちに光が届かなくては、その者たちが、次の場所に光を送ることはできないのです。その大本にいるのが、あなた方であるということ。
この光を通して、この愛のポンプを通して、神の愛の溢れる叡智を流していただきたい。それを流していただければ、もう、その者たちから、次の者たちへと、次々と、神の愛の血潮というものが伝わっていくことでしょう。そのことを通して、人びとは、神の愛というもの、自分たちの今いる位置というもの、神のご意思というもの、地球人として、どうするべきかということを学んでいくのです。
地球の体、地球という大神殿のお体に、愛の血潮を、人びとの心に届くようにもっていく。それが、あなた方の役目であるということ。
それを自覚していただきたいということを、私は今日、伝えに来たのです。
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