毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
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芸術の価値

2020-10-17 16:46:35 | 女性イラスト


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 皆様は不思議に思わないのだろうか。例えばレンブラントの時代にはそうそうたる才能がある画家がいて、それこそ命を削って絵を描いていた人たちが大勢いて、素晴らしい作品を残していた。日本でも狩野派や浮世絵があった。ところが現代はそうではない。人知れず絵画に打ち込んでいる人は稀にはいるだろう。だがそういう人物は少数かつ世に永遠に出ないのである。芸術は普遍の価値を持つというのなら、そのように時代の変遷に流されようはずはないのである。



 だが現実はそうではない。時代に流されているのである。確かに日本でも日展など各種の展覧会でしのぎを削っている人はいる。しかしこれらの公募展は選定委員を頂点としたサロンと化している。日展入選何回、というのがステータスになる仲間内のサロンである。レンブラントがコンテストのためにだけ絵を描く、そんな時代は絵画の全盛期には無かったのである。なぜそんな事になったのか。それは絵の価値が無くなったのである。こう言うと腹を立てる人が多かろう。だがそれは事実である。あるものの価値が普遍的に続く、と言う事はない、と言うのは自明の真理である。それを絵画にだけは適用できないと思う事こそが不自然である。

 例えば日本刀である。武士の世には侍の魂、と言われるだけの価値があった。事実在ったのである。最高の武器としての刀である。戦う事を仕事とする侍にとって、刀は最高の価値があるのは当然であった。火縄銃が導入された時代にあっても、取り扱いが不便なばかりに刀は携帯して容易に使用できるというメリットから銃が刀に完全に置き換わる事は無かった。それが雷管や薬莢を使用して、雨天でも容易に使用できる小銃や携帯できる拳銃が発明されると刀はとってかわられた。それでも銃剣が使用されたように、第二次大戦でも刀は使用された。

 しかし最新の武器の地位を追われた刀は、日本刀のような高度な技術を要するものは、作られ使用される事は無くなったのである。つまりものごとに普遍的に価値が続く、と言う事は無いという事の見本である。しかしかつて作られた日本刀には優れたものが残っている。現代に存在価値がなくなっても、存在が輝いていた時代に作られた作品は、実用される事はなくても、現代にも存在感はある。ダビンチの絵画が現代に存在価値はないとしても、存在価値がある時代に作られたからこそ、現代にも輝いて見えるのである。しかし存在価値のない現代に作られた絵画は輝く事は無い。いや、正確にはわずなかな分野で絵画は存在価値があり、わずかに存在を誇示しているのも事実である事を付言する。しかしそれはわずかな量や特殊な分野しかないのも悲しい事実である。展覧会というものは現代に存在意義のない絵画と言うものに存在する場所を無理やり与えるものである。

 それでは何故絵画が駆逐されたのか。馬鹿馬鹿しいと言うなかれ。絵画を駆逐したのは何を隠そう写真である。単純に考えてみるがよい、写真がない時代には肖像画のニーズが多かった。しかし現代に肖像画を描いてもらうというのはよほどのもの好きどあり、そもそも写真で間に合うのである。写真の初期は単にあるがままに物を写すだけ、と言うより、ようやく物の形らしく写るだけ、というしろものだった。それを克服しても色の問題が残った。カラーは珍しいだけでリアルではなかった。それすら現代では克服された。ニューヨークのメトロポリタン美術館のレンブラントの自画像を見た。まるで皮膚の下に血が流れているかのようであった。現代のような写真技術がない時代にあっては、この技術は唯一無二の価値があった。他にとって代わるものはあり得ないのであった。そこに1つの絵画の価値はあった。

 しかしどうだろう。あけすけに言えば、そのような写真は現代のプロの写真家には容易に撮れるのだ。一部の人は写真は誰でも同じように撮れると思っているのかも知れない。しかしプロの写真と素人写真を比べればすぐ分かるように、写真は明らかに撮影者の技量を反映する。つまり単に同じに写るのではなく、撮影者の意図を反映することができる。種類は違うが絵画が筆者の技量を反映するのと相似性がある。写真技術の進歩は筆で自在に描くように、カメラで自在に撮影する事を可能としたのである。こうして写真は絵画を駆逐した。絵画が価値のあった時代に作られたもののうち、優れたものは永遠に人々を引きつけるのだろう。しかし絵画の制作という行為は自体は永遠の価値を持つものではない。



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2 コメント

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情報を残す (rakitarou)
2020-10-19 07:12:18
普遍の価値というのは深い題材です。

数百年、数千年後に情報を残すとすれば石像や彫り物によるしかなく、デジタル化されたものは心もとないような気もします。数千年前に優れた文明があった可能性もあるけど現在ピラミッドの様な形でしか伝わっておらず、しかも我々もその意味のすべてを理解できている訳でない事からも言えますね。
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コメントありがとうございます。 (猫の誠)
2020-10-19 16:19:24
普遍の価値というのは大上段にかまえ過ぎたかも知れません。浮世絵やレンブラントなどは、欧米と日本など主な人種には価値があると認められるかもしれませんが、全員ではないかもしれません。そもそも人間にしか理解の可能性はないのですから、真の普遍性ではありません。万有引力の法則ですら、地球上だけですから、科学すらあらゆる条件での普遍性はありません。本記事はそのような相対性を前提したものに過ぎないことを付記します。
 漱石は個性の発現だから、作品を本当に理解できるのは、作者本人だけだと申しました。極論ですが、含蓄のある言葉と思います。
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