毎日のできごとの反省

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日本画にデッサンとは

2019-11-07 19:47:38 | 女性イラスト

 東京藝術大学の美術学部には、日本画専攻と言うのがある。その入試には実技として、素描、と言う必須科目がある。素描とは単なるスケッチ、と言う意味があるが、ここではデッサンの意味である。デッサンには例外的に浮世絵からの影響を受けた、線描のものがあるそうだが、ここでは洋画のデッサンである。

 洋画のデッサンは、基本的に物の形を鉛筆等の無彩色で立体的に表現する方法である。例えば円錐形のものがあれば、陰影によって円錐形である事が分かるようにする事が基本である。その事は一見、物を見たままに正確に表現する事のようである。しかし実際は微妙に違うのである。

 飛行機で羽田に着陸する前に富士山を何回か見た事がある。富士山は周囲から際立って高く、昔東京空襲の爆撃機が、富士山を目標にして、そこから東京に向かったという意味が実感できた。ある時の富士山は、切り絵で三角に切りぬいたような形だった。富士山の形は実際には、円錐の頂点をカットしたような形である。しかしその時は立体的ではなく、三角の頂点を少しだけカットしたような台形の平面的な形に見えたのである。

 デッサンの場合には、たとえ目にはどのように見えようと、円錐形であるのが事実なら、そのように描かなければ不合格である。私は子供の頃毎日富士山を見て暮した田舎者である。正確には富士山の傾斜地の上に家が建っていたのである。だから富士山がどのように見えるかは脳裏に焼き付いている。ところがよく見る油絵の富士山の絵のほとんどには違和感がある。

 違和感があるのはデッサンの技法を基礎にして描かれた絵である。それよりは、よほど浮世絵の平面的な絵の方が違和感がない。私は何万回も富士山を見てきたが、赤富士を見たのはたった一度きりである。北斎の赤富士はその時の印象を適切に表しているように見えた。つまり古来の日本の絵画の技法は見えたように表す事を基本としているように思われる。

 絵画の技法は普段のトレーニングの影響を受ける。デッサンのトレーニングをすれば、人はその影響を受ける。伝統的な日本画は洋画のデッサンとは対極にある。例えば、もし北斎がデッサンのトレーニングを受けていれば、あのような絵は描けなかったのである。つまり昔の日本人がデッサンを必須の訓練課程としていれば、浮世絵は生まれていなかったとさえ言える。それならば日本画専攻の者にも、芸大でデッサンの技術の習得を必須としている事は、そのような可能性の芽を摘んでいるとも言えるのだ。

 私は日本画に対するデッサンの良い影響の可能性を否定するものではない。伝統的な日本画からの別な可能性の発見があるからである。しかし全員にデッサンの技術の習得を要求する事には疑問がある。デッサンの技術を習得できないが才能がある者、あるいはデッサンの技術の習得が、本来の才能をつぶす者もいるはずである。私の疑問はその事にある。

 藝術大学、と言うのは明治の西洋文明の習得の一環として設立された。その根本には科学技術は、西洋以外の文明圏にも、普遍的に適用可能なものであると言う発想が根底にある。例えば科学技術は自然現象をうまく説明し、それにより蒸気機関などの文明の利器を作る事ができる、という考えである。たしかにそれは一面の真実であろう。

 同様な発想で明治の日本では洋画を導入した。つまり技術文明の普遍性が、芸術にも適用されると考えた。遠近法も陰影のない平面的な日本の絵画は、明治の日本人には、いかにも非科学的で貧相に見えたのである。しかし日本の絵画の技法は日本の風景や人物を適切に表現するために生まれたものである。必ずしも間違っているものではない、という発想ができなかったのに違いない。民間でも洋画の技法を取り入れるのと並行して官立の美術学校が作られた。そけが芸大の前身である。

 しかし芸大は日本人のニーズから設立されたものではない。だから芸大を出ても仕事は少ない。そこで画壇なるものが構成された。つまり芸大などを出た人たちの活躍の場である。それはやがて院展などとして展覧会画壇に発展する。ここで展覧会のために存在する、という奇妙な絵画の世界が発生した。

 さて本題の女性イラストである。着彩する勇気がなかったのでスケッチ状態で放置したものである。小生のイラストにしては馬面であるが、意外にバランスがとれたというのは、自画自賛である。


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