自衛と言う倫理
例によって、不戦条約を根拠に日本は米国を侵略したと言うのだが、相変わらず自衛戦争の定義は自国に決める権利があると言う英米の留保条件を無視する。国際法の相互主義からはこの留保条件には日本にも有効である。そして外交交渉中に南雲艦隊が出撃したと非難する(P14)。それを言うならば、米国は大規模な日本空襲を大統領が承認し、その一環として義勇空軍と称して現役軍人と戦闘機を支那に派遣して日本機と交戦した。これは明らかに戦闘行為である。極秘に出撃して戦闘準備したのを侵略と非難するなら、現役の軍人と機材を義勇軍と偽って戦闘した米国の行為も侵略である。米国は自衛という嘘さえつけなかったから、義勇軍と誤魔化したのである。これは米軍の戦争ではない、と。
そして日本人は公的約束を守らない(P12)と言うのだが、米国人はインディアンとの数百の条約を全て破ったのは米国人が認めている。日本人は愚直であり、欧米人のような狡猾さがないのに過ぎない。欧米人は前言を翻しても堂々と偽善をいう狡猾さがあり、日本人は正直に現実対応しないから、表面的には約束を守れないように見えるのに過ぎない。中国の主権の尊重を日本が犯した、と批難されるが、それは九カ国条約の前提であることを守らず、排日などの違反行為を支那が行い、九カ国条約が空文化しているからであった。即ち条約は既に米英支により廃棄されていたのである。
そこをきちんと声を出して言わないから、上げ足を取られる。欧米だって日本の行動が正当だと分かっているが、そもそも日本を条約破りにするために排日を煽ったのであるから理解を示すはずもない。そして教育勅語は支那宗教の一種としか思われない(P38)と断ずる。氏には一生懸命西欧と伍して生きてきた日本人に対する同情と言うものがなく、高見からつき放している。ここまで読み来たって、この本を読んでも無駄と気付いた。あらゆることが根拠なしに断定されているとしか思われない。西尾幹二氏はくどいまでに実証的で読み疲れることもあるが、本来の論考というものはそういうものである。
最後にもうひとつだけコメントする。対談で加藤と言う人が、「僕は中国共産党を告発していますが、中国人を民族として敵視しているわけじゃないのです。あの国のなかで、命懸けで闘争している民主派活動家や、地下キリスト教会、あるいは法輪功などのメンバーに、理屈抜きに尊敬の念を抱いているのです。(P210)」と言う。これは、中共における民主活動家に対する欧米人と同じ誤解である。
私は民主派活動家や、地下キリスト教会、あるいは法輪功などのメンバーは西欧の観念で言う自由や民主主義、人権を尊重する人たちではないと考えている。過去の歴史は、彼らが自己のエゴの拡大や、あわよくば権力を奪取しようと言う連中に過ぎないことを教えている。例えば清朝末の義和団などと大差ないのに違いない。彼等はチベットやウイグルでの民族浄化には何の関心も同情もない。目的は漢民族と称する自分たちのためだけなのだ。彼らが政権につけば、チベットやウイグルに同じことをするだろう。反日暴動の中国人を見よ。漢民族なるものは残虐非道のエゴイストである。ろくでもないのは中共政権ばかりではない、ろくでもない政府しか作れないのは中国人自身なのである。