毎日のできごとの反省

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日本の日露戦争継戦不能はばれていた

2015-04-14 11:55:00 | 日露戦争

  福富健一郎氏の「重光葵」によれば、五高時代のドイツ語教師のハーン博士(ラフカディオ・ハーンではない)の家に書生として住み込んでいた。当時、日露戦争で日本が勝ったのに、賠償も取れず、小村寿太郎を非難する声があふれていて、重光自身もハーンに「小村全権は、なぜ賠償金もとらずに条約に調印したのですか・・・」と聞いた。

彼は「日本は、確かに勝利しました。しかし、ロシアは国内で共産革命が激化し、日本との戦争を早期に終結したかった。それで講和が成立したのです。日本の弾薬は底をつき、戦争の継続は不可能だった。ウィッテは、さらなる戦争の継続も辞さない態度で小村を責めたのです。」と答えて欧米の新聞を差し出した。

それで重光は「日本に、これ以上戦う力がなかったのですね。」と納得した。そして「重光に日本のマスコミ報道と国際世論の落差を知らせた。」(P51)というのだ。これは意外なことではなかろうか。日本の講和交渉については、一般に小村らの日本側交渉団は弾薬が尽きかけて継戦不能に近いことを隠し通して交渉した、ということになっている。

だが、知らなかったのは日本の大衆だけで、欧米ではマスコミに広く知られていたのである。何せ遠く日本にいる外人の語学教師すら新聞で読んで知っていたのである。つまり小村を誉めるべきは、事実を隠し続けて粘り強く交渉したことではなく、相手に弱みを知られながら、賠償がとれずとも、ともかくも日本が勝利した体裁で講和をまとめたことであろう。


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