なぜ、米国はハワイ王朝を倒して併合したか。ハワイ併合は複雑な経緯を経て、1900年に併合された。日本はこの動きを牽制するために、邦人保護を名目に東郷平八郎率いる浪速他の小艦隊をハワイに派遣したが、結局流れを止めることはできなかった。日本が明らかな牽制的行動に出たのは、ハワイがアメリカのアジア進出の中継基地となることを恐れたからである。
日露戦争の直前、既にしてアメリカはこのような行動に出ていたのである。日露戦争が終結して比較的日露の中が平穏になると同時に、ロシア海軍の脅威が皆無になると、日本海軍は官僚的発想から、予算獲得のためにアメリカを仮想敵国とした。だが実際に、米国は上述のように太平洋を越えてくることを予定していたのであるし、日露戦争後、急速に対日感情が悪化し、米海軍も日英海軍を想定して戦備していたと考えられるから、対米戦備の充実は結果的に正解であろう。
ところが理解できないのは、対米戦備といっても、日本海海戦の結果だけからフィリピン沖あるいは、小笠原沖といった近海で一回限りの艦隊決戦で雌雄を決する、という想定したことである。日露戦争の海戦は一回限りではなく、戦争自体が旅順艦隊攻撃より開始されていることすら忘れられているように思われる。
イ400型潜水艦は大西洋からパナマ運河を経由して廻航される艦艇を阻止しようというのであるから、廻航や補給の阻止という発想は存在したのである。しかし、同艦や搭載機の設計時期から見て、大東亜戦争勃発よりさほど前に構想されたのではあるまい。考えてみれば、廻航の中継地点としては、ハワイの方が遙かに近く、他に代替手段がなきに等しいという点でも、パナマ運河の方より重要である。
唯一、少ない攻撃力で機能を喪失させることができる、という点でパナマ運河の方が選択されたのであろう。また構想された時期が遅かったのも、潜水艦や搭載機の技術の発達に合わせた、というべきであろう。いずれにしても、今日残っている証言等では、ハワイの中継地点としての機能阻止、という構想はないようである。
しかし、ハワイ併合が行われた時点で、対日戦の際にハワイが太平洋艦隊の母港となることは予測されたはずである。また東海岸からの廻航基地となることも予測できたのである。まして時代が古ければ、艦艇の航続距離も短いから、なおさらハワイは重要である。それなのに、日本海軍はどちらの想定もしなかった。
従って軍艦と海軍機のスペックもそのような想定をしなかった。陸攻には、大きい航続距離が求められたが、艦隊が島嶼に近づいたら発進して攻撃する、という想定だった。陸上基地は移動できないから、大きな航続距離は必須なのである。ところが、日米交渉が怪しくなると、連合艦隊司令長官となっていた山本五十六は、突如として空母による真珠湾在泊の太平洋艦隊の撃滅を構想した。空母の実力が未知数である上に、艦艇等のスペックが真珠湾攻撃を想定していないから、軍令部がこぞって反対したのは当然であって、連合艦隊司令部内でも反対者の方が多かったと推定される。
真珠湾攻撃を強行したから、山本は一般的に航空戦力重視だと思われている。だが、彼の経歴と、その後の作戦を見る限り、陸上機、特に陸攻の艦艇攻撃力を重視したのであって、空母機動部隊を重視したのではなかった。
マレー沖海戦では英艦隊攻撃に陸攻を使用している。その後本格的に対艦船攻撃を継続した、い号作戦でも空母搭載の零戦を陸上に上げて、陸攻の援護に当たらせている。その消耗戦で高い技量を要する、ベテランの艦上機の搭乗員を多数消耗していった。
緒戦で押されていた米軍は、エンタープライズなどの空母の機動性を生かして、ゲリラ的に使用して、日本軍を悩ませた。反対に山本には空母が移動する航空基地である、という特性を効果的に使うという「空母機動部隊」の考えはなかったとしか思われない。
結果から見れば、山本も航空機を主力艦の漸減作戦に使用する、という日本海軍一般の発想しかなかったと思われる。しかもその主力はあくまでも陸攻だった。
閑話休題。小生は、日本海軍が仮想敵国を米国に設定しながら、真珠湾にいずれ来るだろう、太平洋艦隊の撃滅と廻航基地としての機能停止の手段を、永年何も検討していなかったことに疑問を呈しているのだった。このふたつのテーマは、必ずしも真珠湾を直接攻撃することが手段となるとは限らない。方法によって、そうである場合も、そうでない場合もある。
日露戦争の開戦は旅順艦隊攻撃から始まった。ひとつの例としてこれに倣うなら、日米開戦の海戦は米太平洋艦隊攻撃から始まるだろう。それに合わせて艦艇のスペックが決まる。廻航基地としての機能停止が必要だとすれば、真珠湾への攻撃は一度では済まないし、手段も同一ではなかろう。
結局小生の疑問は、早い時期から想定された、真珠湾の太平洋艦隊の根拠地化、と米本土からの回航基地化がありながら、何の検討もせず、いざ開戦となった途端に一年程度の期間で、真珠湾の太平洋艦隊を湾内で、艦上機で撃滅する、という案が突然浮上実行されたということである。
付け焼刃で、艦艇のスペック不適合による真珠湾攻撃の困難さを克服して、とにかく攻撃を成功させることにしか連合艦隊の努力は集中できない。敵基地攻撃と言うのは何らかの目的のための方法である。ところが連合艦隊は真珠湾を攻撃すること自体が目的化したのである。だから真珠湾攻撃を永年研究してきたのなら、対米戦における、メリット、デメリット、南方攻略との関係などなど研究できるのに、これらは一切顧慮されることがなかった。