○猿の惑星
テレビの洋画劇場で、猿の惑星のシリーズが再放送されることがある。私には猿の惑星という映画を日本人が喜んで見る理由が分からなくなってきた。初回の作品では気付かなかった。だが皆様、変に思わないだろうか。日本人を西洋人は何と蔑称するか考えたことがあるだろうか。
そう。イエローモンキーである。猿が西洋人より武力を持って支配する。それでも文明は西洋人から借りたものなのだ。短い期間だがそんなことが現実に起きた。第二次大の初期に西洋人は日本人に負けて捕虜になった。
それでひらめいたのである。そう、猿の惑星で白人に野蛮な支配をする猿とは日本人である。文明人たる西洋人が武力だけに優れた野蛮な猿に捕まる。
それは第二次大戦初頭、日本軍に負けた西洋人の姿そのものである。このことに気付いたのは三作目あたりだった。原作者ピエール・ブール。彼は東南アジアの植民地にいて日本軍の捕虜となったフランス人である。かの「戦場にかける橋」の原作者でもある。
「戦場にかける橋】は戦時中、泰緬鉄道でクワイ川にかける橋の工事を連合国の捕虜を使って架橋する、という物語である。この映画で描かれる、日本軍の捕虜虐待はブール自身の経験である、とされる。
彼は文明人たる自分がが未開の猿たる日本人につかまった屈辱を小説にしたのである。中には良心的な猿もいる。そう。日本人だって少しは西洋人らしい良心を持ったものもいるといいたいのだ。だが大多数は野蛮な猿だ。日本人たる猿が文明人の兵器を持ったときの恐怖。それがテーマである。
猿の惑星とは西洋人の人種偏見の産物である。後で聞くと、上映前、猿の惑星は日本ではごうごうたる非難の声が上がるのではないかと心配したという。心配は杞憂に終わるほど日本人は愚かであった。
やはりピエール・ブールは正しい。日本人は自分たちを世界に向けて侮辱されても気付かないほどおろかな猿だった。
象徴的なのはエピローグである。猿は核兵器を唯一神として扱うおろかな生物であった。それゆえ賢明な白人は核兵器の信管をたたいて炸裂させ、世界は終える。日本人に核兵器を持たせると世界の破滅になるというメッセージである。
日本人は強くて、文明の利器を持たせるとコントロールできず、何をするか分からない野蛮人だという意識がそこにある。そのメッセージに気付かない日本人はやはり猿である。
中国人も黒人も、インカ帝国も、インドもことごとく白人に従った。日本人だけが、白人の発明した兵器を活用して、白人の支配に抵抗した。一時的であれ白人に勝利し、結果的に、ことごとく植民地をなくしてしまった日本人は、白人の憎悪の対象である。
日本人と同じように白人ともなかよくしようと思っているのは思い込みである。白人の憎悪に気付かぬおろかな日本人。
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