(現代訳聖書・尾山 令仁著)
第1章
1・この世界が造られる前から存在しておられた方、私たちがその言葉を聞き、実際に見、
また、いっしょに生活した方、すなわち、神のことばであるキリストについて、あなたがたに伝える。
2・このキリストは、父なる神とともにおられる永遠の神の御子であり、
人間の姿をとってこの世に来られ、あなたがた信じる人々に救いを与えてくださる方である。
3・私たちがキリストをあなたがたに伝えるのは、あなたがたが私たちと同じように
御父と御子イエス・キリストの交わりにあずかるようになるためである。
4・私たちがこの手紙をあなたがたに書き送るのは、あなたがたがその交わりにあずかることによって、
私たちの喜びが満たされるためである。
5・私たちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるメッセージはこうである。
神は光であって、少しも暗いところがない。
6・だから、神と交わりをしていると言いながら、もし暗やみの中で罪を犯しながら生活しているなら、
私たちはうそをついていて、福音の真理に生きているのではない。
7・しかし、神が光の中におられるように、私たちも光の中で生活するなら、
私たちは素晴らしい交わりを持つことができ、また、神の御子イエスの血が、
私たちをすべての罪汚れから清まてくださる。
8・もし、自分には罪がないなどと言うなら、私たちは自分をごまかしていて、
福音の真理は私たちのうちにはない。
9・しかし、もし自分の罪を、神がご覧になっておられるとおりに告白するなら、神は真実で正しい方であるから、
必ずその罪を赦し、すべての汚れから私たちを清めてくださる。
10・もし、自分が潔白だなどと言い張る人がいれば、それは、神をうそつき呼ばわりすることであって、
神のメッセージはわたしたちのうちにない。
第2章
1・私の子どものようなみなさん私がこのことを書き送るのは、
あなたがたが罪を犯さないようにしてほしいからである。
しかし、罪を犯したとしても、父なる神の御前で私たちのためにとりなしてくださる方がある。
それは、完全に正しいお方イエス・キリストである。
2・キリストは、私たちの罪のため、また、全世界の罪のために、ご自分のいのちを投げ出された方である。
3・もし私たちがキリストの戒めを行なうなら、キリストをさらによく知ることができる。
4・キリストを知っていると言いながら、その戒めに従おうとしない者は、うそつきであって、
福音の真理はその人のうちにはない。
5・しかし、キリストの戒めに従う人は、その人のうちに神の愛が成熟している。
そのことによって、私たちがクリスチャンであることがわかる。
6・自分がクリスチャンであるという人は、キリストと同じように生活をすべきである。
7・愛するみなさん。私があなたがたに書き送るのは、新しい戒めではなく、
あなたがたが初めから持っていた古い戒めである。
その古い戒めとは、あなたがたが、すでに何度も聞いているものである。
8・しかし、私はそれを新しい戒めとして書き送る。それは、キリストにとってもあなたがたにとっても真理である。
「互いに愛し合いなさい」というこの戒めを守る時、暗やみは過ぎ去り、
キリストのうちにある、ほんとうの光が輝きわたるのである。
9・「光の中にいる」と言いながら、同じクリスチャンを憎むなら、今でも暗やみの中にいるのである。
10・同じクリスチャンを愛する人は、光の中にいて、躓くことはない。
11・しかし、憎む者は、暗やみの中におり、そこで生活していて、自分がどこへ行くのかわかっていない。
暗くて見えないのである。
12・信仰に入ったばかりの人にこのことを書くのは、主によってあなたがたの罪が赦されたからである。
13・信仰の深い人たちに書くのは、あなたがたが世の初めからおられるキリストを知ったからである。
14・信仰に入ったばかりの人たちに書いてきたのは、あなたがたが天の父なる神を知ったからである。
信仰の深い人たちに書いてきたのは、あなたがたが世の初めからおられるキリストを知ったからである。
信仰に励んでいる人たちに書くのは、あなたがたが悪魔と戦ってかったからである。
信仰に励んでいる人たちに書いてきたのは、あなたがたがいのちにあふれ、
神のことばがあなたがたのうちにあり、あなたがたが悪魔と戦って勝ったからである。
15・この世とその中にあるものを愛してはいけない。もしもこの世を愛する者があれば、
父なる神の愛はその人のうちにはない。
16・すべてこの世にあるもの、つまり肉欲、貪欲、虚栄は、父なる神から出たものではなく、
この世から出たものである。
17・この世とこの世の割宇欲望は滅び去ってしまう。しかし、神の御心を行なう人は、永遠に祝福を受ける。
18・信仰に入ったばかりの人たちに言う。今は世の終わりである。
あなたがたがすでに聞いていたとおり、キリストに反対する者たちが現れてきた。
そのことによっても、今が世の終わりであることがわかる。
19・彼らは、以前、教会に来ていたが、ほんとうの意味で、クリスチャンではなかった。
もしほんとうのクリスチャンであったら、教会に留まっていたはずだ。
しかし、教会から出て行ったのは、彼らがクリスチャンでなかった何よりの証拠である。
20・しかし、あなたがたには聖霊が与えられているので、だれでも真理を知っている。
21・私がこの手紙を書くのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、それを知っているからであり、
また、どんな偽りも、真理から出ないということを知っているからである。
22・それでは、偽り者とはだれのことか。イエスがキリストであることを否定する者ではないか。
御父と御子を否定し続ける者は、キリストに反対する者たちである。
23・御子キリストを否定し続ける者は、父なる神を信じない者であり、
御子キリストを信じる者は、父なる神を信じる者である。
24・あなたがたは初めから聞いていることを信じ続けなさい。
初めから聞いたことを信じ続けるなら、あなたがたは御子と御父の交わりの中にいることができる。
25・これが、キリストの約束されたことであって、永遠の祝福であり、救いである。
26・私は、あなたがたを惑わす者たちについて、あなたがたにこの手紙を書いている。
27・あなたがたクリスチャンにはキリストの聖霊がうちに宿っておられるので、
ほかの誰からも特に教えてもらう必要はない。聖霊はあなたがたに対して、
あらゆることについて教えてくださるからである。その教えは真理であって、偽りではないから、
聖霊の教えてくださるとおりに、キリストに堅く結びついていなければならない。
28・神の子どもたちは、キリストに堅く結びついていなさい。そうすれば、キリストが再び来られた時、
用意ができていて、あわてることはない。
29・あなたがたが、キリストが正しいお方であることを知るなら、
キリストと同じように神の御心を行う者たちが皆、
神によって生まれ変わった者たちであることを知るに違いない。
第3章
1・父なる神が、どんなに大きな愛をもって、私たちを神の子どもとしてくださったことか、良く考えてみなさい。
私たちはすでに神の子どもである。ところが、父なる神を知らないこの世の人々は、当然のことながら、
神の子どもであることがわからない。
2・愛する皆さん、私たちはすでに神の子どもである。これからどうなるのか、まだよくわからないが、
キリストが再び来られる時、私たちはキリストのようになることを知っている。
その時、キリストのほんとうの身姿を見ることができる。
3・キリストに対してこの希望を持っている者は、だれでもキリストが聖くあられるように、
自分自身を聖くしようとする。
4・だれでも罪を犯し続ける者は、神の御心に反することを行なっている。
5・あなたがたがよく知っているように、キリストは、私たちの罪を取り除くためにこの世に来られたのであり、
キリストご自身は罪を持ってはおられない。
6・だれでも、キリストと結びついている者は、罪を犯し続けることはない。
罪を犯し続ける者は、キリストを全然知らない者である。
7・神の子どもたちは、だれにも惑わされてはいけない。
神の御心を行う者たちは、キリストと同じように正しい者である。
8.罪を犯し続ける者は、悪魔の性格を受け継いでいる。悪魔は最初から神の御心に反することをしている。
9・だれでも神によって生まれ変わった者は、罪を犯し続けることはない。
神の井の位置がその人の中に宿っているからである。その人は神によって生まれ変わっているので、
罪を犯し続けることができない。
10・神の子どもと悪魔の子どもとの区別は、このことから明らかである。
だれでも神の御心を行なわない者は、神の性格を受け継いでいる者ではない。
同じクリスチャンを愛さない者も同様である。
11・私たちクリスチャンは、お互いに愛し合うべきである。
これこそ、あなたがたが最初から聞いていたメッセージである。
12・カインのようになってはいけない。カインは悪魔の性格を受け継いで、弟を殺してしまった。
どうして殺したのかと言えば、自分が悪意に満ちていたのに対して、
弟の行為は高潔だったから、許しておけなかったのである。
13.信者の皆さん。神を知らないこの世の人々があなたがたを憎んでも、別に驚くことはない。
14.私たちは、神が私たちを滅びの状態から救い出してくださったので、
今、同じクリスチャンを愛することができる。愛することができない人は、まだ救われていない。
15・あなたがたが知っている通り、だれでも他の人を憎む人は人殺しであり、
人殺しのうちには永遠の祝福はない。
16・主は、私たちのためにご自分の尊い命を捨ててくださった。このことによって、
私たちは愛とは何かということがわかった。だから、
わたしたちも他の人のために喜んで自分の命をささげるべきである。
17・この世の財産を持っていながら、ほかのクリスチャンが困っているのを見て、
あわれみの心を閉ざしてしまう者に、どうして神の愛がその人の心の中に宿るだろうか。
18・神の子どもたちは、ことばや口先だけで愛するのではなく、信実な行いを持って愛し合おうではないか。
19・そのことによって、私たちが真理に属するものであることがわかる。
そして、神の御前に、何のやましさもなく立つことができる。
20・たとい私たちの心に責められることがあったとしても、神は私たちを赦してくださる寛大なお方であって、
すでにわたしたちのすべてをご存じである。
21・愛する皆さん。もし何のやましさもなければ、私たちは神の御前に大胆に出ることができる。
22・そして、私たちが神の戒めを守り、御心にかなうことを行なっているからである。
23・その戒めというのは、神の御子イエス・キリストを信じ、互いに愛し合うことである。
24・神の戒めを守る人は、キリストに結びyついており、 キリストもその人のうちにおられる。
そして、キリストが私たちのうちにおられるということは、
父なる神からいただいた神の御霊によってわかるのである。
第4章
1・愛する皆さん。人が何かを語る場合、その人の語ったことの背後に、その人の実体というべき霊がある。
その霊にはいろいろあって、神からのものもあれば、そうでないものもある。
がから、それを区別しなさい。今日、多くの偽預言者が現れてきているからである。
2・イエス・キリストが人としてこの世にこの世に来られたことを告白する霊は、すべて神からのものであり、
3・そうでない霊は、すべて神からのものではなく、反キリストの霊である。
あなたがたは反キリストの霊が出現することを聞いていたが、今それが出現した。
4・神の子どもたちであるあなたがたは、神からのものであり、彼らに打ち勝った。
それは、あなたがたのうちにおられるキリストが、この世にいるどんな者たちよりも力のある方だからである。
5・彼らはこの世のものであり、この世の支配者である悪魔から出ている。
この世の人たちも彼らの言うことを聞く。
6・しかし、私たちは神からのものである。神を知っている者は、私たちの言うことを聞き、
神からのものでない者は、私たちの言うことを聞かない。
このことによって、私たちは真理の霊と、偽りの霊との区別を知ることができる。
7・愛する皆さん。私たちは互いに愛し合おうではないか。愛は神から来る。
だれでも愛のある人は神によって生まれ変わった者であって、ますます神を知るようになる。
8・愛のない人は神がわからない。というのは、神は愛だからである。
9・神は、その一人子イエス・キリストを、人間の姿を取って、この世に来させ、
私たちの身代わりに死なせることによって、私たちを救ってくださった。
そのことによって、私たちに対する神の愛がはっきり示された。
10・私たちが神を愛する前に、神が私たちを愛してくださり、私たちの罪の身代わりに死なせるために、
御子イエス・キリストを、人間の姿をとってこの世に来させられた。ここに、ほんとうの愛がある。
11・愛する皆さん。神がこのようにわたしたちを愛してくださったのだから、
愛されている私たちも互いに愛し合うべきである。
12・いまだかって、肉眼で神を見た者は一人もいない。しかし私たちが互いに愛し合うなら、
神は私たちのうちに宿ってくださり、神の愛が私たちの内に完成されるのである。
13・神が御霊を私たちに与えてくださったことによって、
私たちが神のうちに生き、神が私たちのうちに生きておられることがわかる。
14・私たちは父なる神が御子イエス・キルストを私たちの救い主として、
この世に人間の姿をとって来させられたのを見て、今そのあかしをしている。
15・だれでも、イエスが神の子であることを告白するなら、神はその人のうちに生きておられ、
その人は神のうちに生きているのである。
16・私たちは、神が私たちを愛しておられることを知り、また信じている。神は愛である。
愛のうちに生きている者は、神のうちに生きているのであり、神もその人のうちに生きておられる。
17・私たちもこの世において、キリストのように生きているので、最初のさばきの時に少しも恐れることがなく、
神の御前に立つことができる。このことによって、神の愛が私たちのうちに完成されている。
18・愛のあるところに、恐れはない。完全な愛は恐れを取り除く。恐れには刑罰という観念が伴うからである。
また、恐れを持っている者には、愛が完成されていない。
19・私たちが互いに愛し合うのは、神がまず私たちを愛してくださったことによる。
20・「神を愛している」と口では言いながら、同じクリスチャンを憎んでいるなら、その人はうそつきである。
現に目の前にいる人を愛することができない人が、どうして見たこともない神を愛することができるだろうか。
21・神を愛すると言うなら、まず他のクリスチャンを愛しなさい。
私たちは、子の戒めを、神から与えられている。
第5章
1・だれでも、イエスがキリストであることを信じる人は、神によって生まれ変わった者である。
生みの親である神を愛する人は、神によって生まれ変わらせていただいた人をも愛することができる。
2・神を愛して、子の戒めを行なうなら、そのことによって、
私たちは神の子どもたちであるほかのクリスチャンを愛していることがわかる。
3・神を愛するとは、神の戒めを守ることにほかならない。その戒めは決して難しいものではない。
4・というのは、だれでも神によって生まれ変わった人は、世に勝つものである。
そして、私たちの信仰は、実に世に勝つ勝利の力である。
5・世に勝つ者は、いったい誰なのか。イエスを神の御子と信じる者たちではないか。
6・このイエス・キリストは、バプテスマを受けられることによって宣教を開始され、
十字架上で血を流されることによって、救いの御業を完成された。
真理そのものであられる御霊の神が、そのことをあかしされておられる。
7・あかしをするものが三つある。
8・御霊に神とバプテスマと十字架上の死という事実である。
9・私たちは人間のあかしでも、あかしというものは受け入れなければならないが、
神のあかしなら、なおさらである。それは、御子イエス・キリストについてのあかしである。
10・神の御子イエス・キリストを信じる人は、自分の中にこの神のあかしを持っている。
神を信じない者は神をうそつきとする。それは、神の御子イエス・キリストについてなされたあかしを、
信じないからである。
11・そのあかしとは、神が私たちにほんとうのいのちを与えてくださり、
そのいのちが御子のうちにあるということである。
12・神の御子を心の中に信じている人は、ほんとうのいのちを持ち、
神の御子を心の中に信じない者は、ほんとうのいのちを持っていない。
13・これらのことをあなたがたに書いてきたのは、神の御子イエス・キリストを信じるあなたがたが、
ほんとうのいのちを持ち、救いにあずかっているということを、知るためである。
14・私たちが神に対して抱いている確信は、こうである。
私たちがどんなことでも、神の御心に従って願い求めるなら、神はそれを聞き入れてくださるということである。
15・そして、私たちが願い求めることを何でも聞き入れてくださるということがわかれば、
神に願い求めたことは、すでにかなえられていることを知るのである。
16・だれでも、ほかのクリスチャンが魂の死に至ることのない罪を犯しているのを見たなら、
神に願い求めなさい。そうすれば、神は魂の死に至ることのない罪を犯している人々には、
ほんとうのいのちを与えられる。
魂の死に至る罪がある。これは、決して悔い改めようとしない、犯し続ける罪である。
これについては、祈り求めよとは言わない。
17・神に反逆することは罪である。しかし、その罪を犯し続けなければ、それは魂に死に至る罪とは言えない。
18・だれでも、神によって生まれ変わった人は、罪を犯し続けないことを、私たちは知っている。
神の御子キリストが守ってくださるので、悪魔がこれに手を触れることができない。
19・また、私たちは神の子どもであり、この世界は悪魔の支配下にあることを知っている。
20・しかし、神の御子キリストがこの世に来られて、
真実な方を知ることができる力を与えてくださったことを知っている。
そして、私たちは真実な方、御子イエス・キリストを信じている。
この方こそ真実な神であり、ほんとうのいのちである。
21・神の子どもは、偶像を避け、それから自分の身を守りなさい。