棚田ぐらし

住み慣れた京都を離れ限界集落の棚田の里へ移り住みました。
日本の原風景といわれる棚田の景色を次世代に繋げて行きたい

宮津金刀比羅神社の狛猫

2014-01-13 | ちょこっとトラベル
先週出かける予定だった宮津の金刀比羅神社でしたが、外へ出たとたんの雨で揖斐川沿いに変更でしたが土曜は、スカッと晴れてリベンジと相成りました。

集落の出入り口にあるガードレールはつらら並木

湖西道路を小浜方面に抜ける途中「そうだ!メタセコイア並木を見たい」のリクエスト

少し着雪は少ないけれど、枝ぶりがクリアでこれはこれで美しいね




そんな青空も小浜から舞鶴道に入ったあたりから裏日本特有の冬空に、

連休とはいえ車がほとんどいない舞鶴道を宮津で降りて、着いたのはお昼過ぎ

みぞれまじりの境内は誰も人影が無い

丹後 峰山は、丹後ちりめん発祥の地です。今から約220年前、江戸時代享保のころ、峰山の絹屋佐平治は、ちりめん織の技法を確立しました。
藩の奨励もあって、ちりめんは丹後一円に広まり、峰山は有数の絹織物の集散地に飛躍しました。

峰山の町には、ちりめん問屋、糸屋が軒を連ね、関西方面から来る織物業者で賑わい、周辺の村々で機織りが盛んになり、農家は絹を生産するための養蚕を営みにしたのです。


神社になくてはならない、シンボル的な存在は「狛狗」ですが、金刀比羅神社内「木島社」には大変珍しい「狛猫」が存在しています。

養蚕の大敵は「ネズミ」です。ネズミは、マユや蚕などを食い荒らし、農家に大損害をもたらします。そこででネコの登場です。ネコは、蚕が飼われている部屋にいて、ネズミを追いやります。
ネコは、養蚕になくてはならない大切な存在でした。
そして、今もこの丹後峰山の地で「機織養蚕の守護神」にお仕えしているのです。

※青字は、金刀比羅神社のHPより抜粋しました。


向かって左側のネコは子ネコを抱いているので、母ネコか。頭に手をのせ、「アッ」と口を開けています。

右側のネコは「ウン」と口を閉じ、凛とした姿は父ネコか。

苔生す姿がまるで模様のようにみえます。

帰りに社務所でよく見ると唐草の地模様があるのだとか教えていただいたのですが、、、?

晩秋から冬にかけて北西または西よりの季節風、それに伴い時雨現象となり、不安定な天候となるそんなこの日の天気のことを、宮津では「うらにし」というのだということも教えてもらいました。

めづらしい狛猫の絵馬はお土産に。


たっぷり狛猫を堪能した後もう少し足を延ばすことにしました。
  


いつも応援ありがとうございます 人気ブログランキングへ ブログランキング・にほんブログ村へ


シルクフラワー アレンジフラワー 教室 
花と緑GreenSam





最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは。 (54歳)
2014-01-13 14:36:42
きれいな並木道、空気がきぃ~んってしてて
冬のこういう風景もすばらしい。

狛猫、初めて見ます。
ネズミ退治に猫を飼うのは、昔の農家ではありましたよね。
養蚕の家ではこんなにも猫が大事にされていたんですね。
昔々は私も猫といっしょの布団で寝てました。
返信する
生きた化石 (マルコ)
2014-01-13 17:48:39
こんばんは

メタコセイヤ並木でしたか、見事ですね~

こちらはドカ雪で冬眠状態でした (爆!)

干支にもれても、狛猫で活躍ですね。
返信する
たまでしたっけ? (グリーンサム)
2014-01-13 19:55:19
54歳さん、こんばんは
ここは何度か紹介した、マキノにある観光スポットです。
冬ソナが流行った頃に、湖に近い雪の並木道がキーワードになり
ヨン様ファンが追いかけたといういわくつきです。
今は中高年のカメラファンが訪れてますね。

探すと日本国中面白い狛シリーズが見つかりますね。

寒い日の猫は布団の友ですね。
返信する
寅猫年 (グリーンサム)
2014-01-13 19:59:42
マルコさん。
北大のポプラ並木にも負けないスケールでしょ?
このメタセコイアは、成長が早いので見た目ほど樹齢は古くありません。

鼠がいてネコ年が無いのは、やはりふに落ちません!
返信する
Unknown (haniwa)
2014-01-13 22:11:20
狛猫の耳 スコテッシュみたい(笑
唐草模様入りなのね、迫力出したかったのかしら。

絹織物の盛んだったところですか?
町が豊かだったところは 街並みも風情があるのでしょうね。

(等伯ってその辺の人だっけ?)
返信する
きもの文化が衰退し (グリーンサム)
2014-01-13 22:46:23
haniwaさん
耳は一部欠けてたり、みんなが触るためかずいぶん小さくなってるようでした。

この辺は、丹後ちりめんの盛んなところで、昔日本海に泳ぎに行ったころは、
街のあちらこちらから機織りの音が聞こえてきたものです。
中国の安いシルクに押されこちらもご多分にもれず寂れてしまいました。
野村監督の出身地で、田川陽介さんの実家も織物問屋さんですよ。

等伯はよく知らなかったのですが、ググってみると石川県の七尾市の出身のようです。
返信する
Unknown (haniwa)
2014-01-14 21:04:46
いやはや^^  まったく場所が違いましたね。
適当な婆で~す。

着物 いいですけどねぇ。
白生地から 染めたものでしたね 遠い目~
返信する
博識、さすがです (グリーンサム)
2014-01-15 09:15:55
haniwaさん、おはようございます。
いやぁ~、等伯をご存じなだけでも尊敬のまなざし

友人にも丹後で家が織屋さんだった子がいますがバブル以降大変だったようです。
室町辺りは、活気もなく当時を知る者にはさみしいばかりです。
着物きませんものねぇ、、来ても貸衣装
返信する

コメントを投稿