豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三のつれづれ日記

2020年08月18日 15時37分32秒 | 日記
 ( Vol 2618 ) GDP年率-27.8% この数字は 新型コロナウイルスへの 安倍政権の人為的な対応によって 生じた 安倍政権は アベノミクスはなんのために行ったのか その意味を忘れてしまっている
安倍政権は このようなことを招いたことを 国民に謝罪すべきである


このようなマイナス成長を 新型コロナウイルスによるもの という原因にしてはならない

これは 安倍政権の 対策の不手際によるものである

単純に考えても 非常事態宣言による 全国一律の規制は 経済に与える影響は大であることは 明白であった

それでも 目先の批判を交わすために 非常事態宣言を発動させた

その結果が 国内の経済は 停滞

無駄な税金の拠出を生じさせた


個人消費は マイナス8.2%と過去最低を更新

輸出は マイナス18.5

これは 1970年以降の好景気以降 前代未聞の落ち込みを記録 戦後最悪のマイナスを記録した

このようなことを 招いた 安倍政権の責任は重い

国民に対する 責任の説明がないのは残念である


他国においても マイナスが記録されているが 他国も同じだから 良い ということにはならない

たまたま 他国においても 同じような対応をしてしまった

ただ すべての国が 同じような対応をしたかというと そうではない


問題は 安倍政権が 今後 どう景気対策をするかである


街中が マスクを着用する姿になっている

この一般市民の新型コロナウイルスに対する恐怖を どう解消するのか

極端に言うならば 街中にどうやって かつてのような 人の賑わいを取り戻すのか


安倍政権は 国民に対して この不手際を謝罪し 今後の対応策について 説明すべきである



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豊前善三のつれづれ日記

2020年08月17日 16時59分11秒 | 日記
 ( Vol 2617 )  お盆の時期であるので 「死」ということについて 考えてみたい


死には どんな死の迎え方があるのか

老衰 病死 自殺 他殺 事故死 戦争による犠牲死 尊厳死 医療による延命死

といろいろな形がある

人の死の理想は 命を全うして 死を迎える ことであろう

しかし 現実は みんなが みんな 命を全うできるわけではない


命の尊厳 ということを 考えても 言葉通りの人生を送れる人と そうではない人とがある

これが現実である

それぞれの死に方の現実は認めざるをえない

医療による延命なども 死のあり方1つ 自分の意識に関わらず生かされ 死にいたる

尊厳死については 自分の命を 自分で 医療的な面から 決定し 死にいたる


この中で 戦争による犠牲死 は一番 人の命の 尊厳を軽視されている

自分で 自分の命を全うすることができない こんな残念なことはない


次に 自殺について考えてみたい

自殺は なかなか できるものではない

自殺を実行するには 精神的な背中を 押す力 が必要になる

生と死の 壁を 自らの力で越える 

誰でもが 人生において 一度くらいは 死にたい と思ったことがあるだろう

しかし 多くの人が 思いとどまっている


なぜ 自殺を実行する人と 実行しない人とに どこに差があるのだろう


そこには 

精神的に追い詰められた状態にあるか ないか

の違いがあるのではないか


人生は 多くは 全うできる だろう

しかし 全うできない 人もいる

全うできないことを 批難することはできない


そこには それぞれに 理由がある


願うのは 自分の命を全うすることができる ように願うことである


「死ぬ」 生きているものは 必ず死ぬ

この流れは否定できない

いつも「死」を迎える意識を持つことによって 死という言葉を 身近に受け止めることができるのではないか


生まれ 死ぬ

この流れを受け入れて 自分の命を全うすること ということを考える 心がけが必要ではないか


どんな死に方も 死である

死には 変わりはない


死を 重く考えるのではなく 軽く考える ことではないか

そして 命が全うするまで 生きる ことではないか

どこまで 生きることができるか

常に 自分と向き合い いきることではないか

その先に 死がある


喜怒哀楽を味わいながら

死に 向かって生きる 











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豊前善三のつれづれ日記

2020年08月17日 16時56分22秒 | 日記
 ( Vol 2616 )  戦後から75年 戦争の犠牲者は 市民  この割りきれない悲惨を 考えたい



人の命とは 尊厳 されるべきである

しかし 戦争は 人の命を まるで ゴミのにように扱われる

このような行為は 許されるべきではない


戦争は 近代化と共に 無差別 大量殺戮 という手段を とるようになった

相手にダメージを 与えるためには なにをやってもいい

という 倫理観がなくなってしまっている

その結果が 広島 長崎 への 原爆投下 という 


前代未聞の殺戮が行われた

倫理観のない 戦争のはじまりである


犠牲者は 一般市民 子供 学生 大人 高齢者 の区別なく 多くの人たちが殺戮されている

軍人よりも 一般人の犠牲が多い 

戦争とは 指導者のエゴによって 行われている といっても過言ではない


戦争は なくなってほしいと 思う

しかし 戦争はなくならない

そこには 人間のもつ 優越性を求める 欲望があるからだろう

国と国の 覇権争い

人の歴史を 過去に遡ってみても 覇権争いの歴史である

今ある国家は 覇権争いの結果 出来上がっている といっても過言ではない

インターネット時代 もうそろそろ 覇権争いに 終止符をうってほしい

国連の役割は どうなっているのか

その役割は 死に体状態になっているのではないか


戦争の犠牲者は 当事者同士であってほしいが 現実は 一般人が犠牲になっている


戦争は そこに暮らしている 一般市民の生活を狂わしてしまう

それでいいのか

戦争には その責任をとる 姿勢が求められる

無責任な戦争が まかり通っている


勝者も 敗者も 市民を犠牲にしている

勝者も 敗者も 一般市民へ賠償する責任が生じる はずである のに すべてを 敗者の責任としている そこには矛盾がある

なぜ 相手を認めることができないのか

なぜ 相手を 自分と同じにしたがるのか

なぜ 支配下に納めようとするのか


世界平和とは 一人一人を認め 平等な立場で 生活できることではないか

なぜ この単純なことができないのか


世界の指導者には 考えてほしい 


戦争をすれば 一般市民が犠牲になる

これは 許されることではない

いま 対立を引き起こしている 国の指導者は 人としての原点に立ち返って 考え直してもらいたい








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2020年08月10日 21時40分21秒 | 日記
 ( Vol 2615  ) なぜ 報道は 新型コロナウイルスについて 真実を報道しようとしないのか 不思議でならない

報道は セレクトしたデータの事実だけ報道

それは 視聴率を 意識したものになっている

情動は 市民へ特定の情報だけを流して 恐怖と不安を煽っている

これは 報道として どうなのだろうか


冷静に 今までの報道を振り返ってみると

新型コロナウイルスの 脅威は インフルエンザの脅威と どう違うのかを 報道していない

ここにも 疑問を抱く

感染者数 における 無症状者 軽度症状者 重傷者 の内訳を 一貫して 報道する姿勢をとっていない

都合の良いように 内容が変わっている

これでは 情報を受けとる側に 正確な判断ができない状況を生じさせている

このような ことで良いのか

毎年 インフルエンザにおける 感染者数とはどうなのか

ウイルス感染という点で 対応の違いはどこにあるのか


インフルエンザに感染した症状があれば 隔離 そして 学級閉鎖

しかし 会社の閉鎖はない


どこが どう違うのか

その点が はっきりしない


ただ 恐怖を煽っている

冷静に 判断する という 環境を作るべきではないか


日本の人口に対しては どうなのか


インフルエンザ と 比較してみると

このような 新型コロナウイルスへの対応は 異常ということいなるおではないか


インフルエンザと新型コロナウイルスと大きな違いは ワクチンがないということである

このことが 不安に陥れている


インフルエンザの場合は ワクチンがある


インフルエンザも ワクチンがなければ 新型コロナウイルスと同じような 感染者数が出る

これは はじめてインフルエンザの感染が起きたときの 状況の資料を見れば わかる


ワクチンが開発されるまで 手の打ちようがない


インフルエンザと 同じような対応姿勢で 新型コロナウイルスにすればいい おではないか


報道関係者は 賢くなりすぎている

それは どういうことか はじめの報道から 誤った暴動をしていたということを認めたくない

今さら その誤りを認めたくない

という ずる賢い心が このような報道を引き起こしている


報道関係者は 勇気をもって 報道の姿勢の誤りを認めて 真実を報道していく市制を見せるべきである


このままでは 報道は ワイドショーと変わらなくってしまう


報道は 市民に 正しい情報を提供し 市民自ら 冷静になって判断できるようにすべきである







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豊前善三のつれづれ日記

2020年08月03日 13時14分41秒 | 日記
 ( Vol 2614 )  新型コロナウイルスの 感染者数は なにもしなくても しても  収束までの トータルをみると 差はないのではないか 過度な対応ではなく 自然と一体となった対応を考えるべきではないか


過去にあった スペイン風邪 インフルエンザと同じように ワクチンがなければ 感染は防げず 収束するまで 感染は広がる のではないか

今の段階でできることは 感染を拡散させないための 各自の行動に頼るしかない

現在 インフルエンザに感染したら どう対処しているのか

重傷者に対しては 隔離

軽症者に対しては 自宅待機

自宅待機の場合 家庭内の感染に対しては 何ら対処をしていない


インフルエンザに感染したときの リスクは 死者もでる

その点において 今回の新型コロナウイルスも 同じ


なぜ インフルエンザ と 新型コロナウイルス と 違った対応をとるのか

もし 新型コロナウイルスに対する 恐怖を抱くのであるならば

全員の抗体検査を 行うべきではないか

少しでも 抗体の疑いがあるか を調べることによって

感染拡がり具合が 分かるのではないか


感染の拡がりを 把握せずに

ただやみくもに 日々の 感染者数 死者数 を発表しても

それは 市民に 新型コロナウイルスへの 恐怖を煽る だけになる


真の対応にはならない


市民に 正確な情報を流す 発信する ということが重要である


今 政府も 自治体も 報道も 市民に恐怖をうえつけるという 扇動しかしていない


病気は 誰もが 避けたい と思うのは当然である

しかし 過度な 極端な 対応は 害があって 一理なし である


今 日本の健康に対する 医療体制は 過度な医療対応を行っている

その考え方が 

新型コロナウイルスへの 対応に現れている


もっと 自然と一体となった 対応を考えるべきである

今こそ すべてが 自然のサイクル の流れの中にあることを 意識する必要があるのではないか








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