豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2015年08月30日 17時37分40秒 | 日記
( Vol 1280 ) 東京オリンピックのエンブレムの作成経過説明は 論理的に矛盾している



他のデザインと似ている ということで 問題になった 東京オリンピックのエンブレム

弁明を聞くと しっくりしない


当初のデザインが 他のデザインに似ているという点で 再考され デザインの修正と変更した報告

これを聞いて 首をかしげたくなった

デザインが似ているということで 修正変更した という事実から なぜ 修正変更されたデザインについても その考え方を 踏襲しないのか

とても不思議だ


また なぜ 今になって 経過を明かしたのか


はじめから 説明すれば良かったのではないか


それにしても 幼稚な弁明である


このような経過のデザインは 取り下げて 新たにデザインすべきではないか



デザイナーの資質も疑いたくなる


もっと 日本らしい 土着性のある デザインにしてほしいものである









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豊前善三つれづれ日記

2015年08月30日 06時24分54秒 | 日記
( Vol 1279 ) 福島原発事故による 放射能被害の事実を 認める公表をするべきではないか

先日 報道によると 福島原発事故後 周辺の調査結果を公表

モミの木に異常が見られた また 子供にも甲状腺に異常が見られた

ただ このこことが 原発事故と直接的な関係にあることを 濁した


ここには 政府の原発再稼働方針の意向が 影響しているのではないか


このことは 第五福竜丸の被爆問題を思い起こす

アメリカは 第五福竜丸の被爆を 原爆の権威者の意見をもって 否定していたが

日本の研究者によって 証明し 第五福竜丸の被爆を認めさせた経緯がある


大きな力を持つものは すぐには非を認めようとしない

今回の発表も 被爆被害であると肯定をしてもよいのではないか


モミの木の異常については 厚生労働省の依頼で行った原発事故による放射能被害調査での結果報告
であったことである


ただ 報告は 原因まで 追求していない

残念である




政府を 厳しい目で見る 政府とは独立した判断が必要ではないか

原因に特定を避けた報告は なんの調査であったのか と言いたい

今回の調査は 被ばく被害がないことの証明のための調査であったのかと 疑いたくなる


原発再稼働を 推し進めるための データとして使われるのは 国民を欺いているのではないか


政府は 原発事故に対する不安を 払拭しようと 原発の安全性を アピールしようとしているのではないか


原発事故は 原爆と同じ被害をもたらす

そのことを 自覚する必要がある


政府を批判する 心をもって 報告してもらいたい


今回の 報告は 福島原発事故による被爆とした 報告とすべきではないか


責任逃れは 断固許すべきではない



この被ばく被害は 国 官僚だけに任せるのではなく 官民を含めた中で 調査し 公開した検討を図るべきではないか


日本でも 欧米で行われているパブリック ミーティングの手法を取り入れるべきではないか


原発再稼働は 政府 だけで決めるべきではない

国民全体で考え 判断すべきである


原発事故による被爆問題も 同様である








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豊前善三つれづれ日記

2015年08月29日 20時29分43秒 | 日記
( Vol 1278 ) 不登校を減らすには 小学校から 家庭における通信教育制度を導入する必要がある


日本の教育制度は 学校教育が基本

憲法では 子供に 教育を受ける権利 親に教育を受けさせる義務 を謳っている

その権利 義務の行使が 学校へ行くことで なされる仕組みになっている

そこに問題があるのではないか

外国では 家庭における教育 ということが 教育制度として認められている

なぜ 日本ではできないのか

通信教育に対する規定が 学校へ行く ということになっていることも おかしいのではないか


日本の通信教育は 高校からの制度

しかし 教育を受ける権利から考えると 小学校から家庭における通信教育の制度を設けてもいいのではないか

外国では 小学校から 家庭における通信教育制度が導入されている


日本の教育は 学校が教育の場である

とする考え方になっているところに 問題があるのではないか


教育は どんな場でも行える

それが 学校という場に行かなければ ならない

という 狭い規定は 教育を受ける権利からみて おかしいのではないか


学習状況においても 日本の教育は 学力を相対評価で見ている

それを 到達度 絶対評価で 見るようにすべきではないか


また、教育は 教員免許制度の解釈の中で 行われている

教育は さまざまな形で 行われていいのではないか

学力を どうみるか

いまの制度でみると 大学を受ける資格として 大検がある

これと同じように 学力においても 学校だけでなく 違った形で確認する 制度を設けてもいいのではないか

さまざまな形で 教育を受ける機会を設けることによって 不登校を減らすことができるのではないか


学校は 学問を教えるところ

コミュニケーション力は 学校だけでなく 家庭 社会で 経験から養われる


その点から考えるとき コミュニケーション力をつけるために 学校を重要視するということは 過大ではないか


いま 日本の学校教育は なにもかも背負いすぎている

もう少し スリムにすべきではないか


教育を受ける場を もっと増やすべきである

小学校から大学まで 家庭における通信教育制度を 導入すべきではないか






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豊前善三つれづれ日記

2015年08月14日 21時33分38秒 | 日記
( 1277 ) 原発の安全対策は まだ 不十分という 電力会社に再稼働の判断を任せる 政府の対応は問題ではないのか


鹿児島県 九州電力 川内原発の再稼働について 原子力委員会が認め 電力会社が 判断して稼働するもので 政府は関与しないようなことを言っていたが それは無責任ではないか

福島原発事故について 東京電力の幹部が 起訴された

まだ 原発事故問題は なんら解決していない

何をもって 安全というのか それすら示されていない


太平洋側に面しているところの土地は 地殻変動の影響を受けることが いわれている

どのくらいの 地震が来るのか どのくらいの津波がくるのか

いまのところ 正確なところはわからない

まだ 科学では 予見できていないのが 現状である


それなのに 再稼働に際して 安全である という 認定を出した


原子力委員会の出した判断は 政治的な影響を受けているのではないかと 疑いたくなる


福島原発事故から 何を学んだのかと 問いたくなる


日本経済の経済性を優先しすぎては いないだろうか

福島原発事故は 経済優先の結果 招いた事故ともいえるのではないか


自民党政権は 過去の先輩達と 同じことをやろうとしている


原発事故は 絶対起きないと 断言できるのだろうか

原発事故による被害を なくす と言えるのだろうか


原発事故が起きた時 予見不可能だったと うそぶくことは許されない

二度の過ちは 許されない


そのことを 自民党議員 電力会社は 自覚しているのだろうか


国の機関の携わる人たちは 自覚しているのだろうか

公務員は ただ言われるままに していればいいのか

それは違う 公務員は 国民の生活環境を守る 義務がある

いまの公務員は 公務員法は知っていても 運用面では無視

見ているのは 議員たちの動向

それでは 国民不在の政策になる


国民主権 ということを どう捉えているのか


いま 政治は暴走しているとしか 言いようがない


原発再稼働は 無責任 としか言いようがない


福島原発事故では 電力会社の責任者に 責任が問われているが 政府としての 責任は問われていない

どこかおかしい

原発導入設置は 政府が 推し進めたものである

その決定した 議員たち 官僚たちは 責任を問われてもおかしくない


政府の無責任な答弁には この背景があるのではないか


だとすると 政府は 原発事故の責任は 原発設置した電力会社のみにある

とする 考えをもっているのではないか

あまりにも 無責任

原発設置は 政府の方針で 行われている

その現実を 認めるべきではないか


責任は 政府 電力会社 双方が 責任を問われるものである






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豊前善三つれづれ日記

2015年08月14日 08時20分42秒 | 日記
( Vol 1277 ) 戦後70年 安保法案改正 という機会 今こそ 国家の在り方を考えるときではないか


国民一人一人が 忌憚なく意見を言う ときではないか

日本国民の多くは 過去 権力に なんどもひれ伏し 意見を言ってこなかった

言いたくても 言えなかった

今 日本は 民主主義 自由 と言っているが 現実は 権力者によって 物を言えない状況になっている

会社組織では どうだろうか 政治に対しては どうだろうか

物を言えているだろうか

残念ながら 権力者の目の色を伺いつつ 言ってはいないだろうか

寡黙になってはいないだろうか

それが 真の民主主義だろうか


企業内には 寡黙な社員と親衛隊の社員しか残らず

優秀な人材は 海外へ

そんな状況をつくりだしてはいないか


まず 自由に意見を言えることが 必要なのではないか


自民党政権は 闇の中で 権力を振りかざし 圧力をかけている

物を言わせない状況を作っている

それで 良いのだろうか


表現の自由は 保証されなければならない

いまの政府自民党のありようは 戦前の政府の権力による 統制のように映る

表現の自由を 奪っている


戦争に 一般国民 市民が 強制的に徴用された

それに対して 拒否することもできなかった

住民が住民を 監視する という 状況をつくった

そんな 歴史があったことを 忘れてはならない


政府のありようについて 国民一人一人が しっかりした考えをもって 意見を述べる 必要がある

国民が 批判できない 状況は 民主主義に反する


戦後70年を機会に 国民一人一人が 意見を述べてほしい

どんな形でもいい 表現してほしい

言わなければ 伝わらない

寡黙になっていては 権力者の思いのままになってしまう

過去 なんども 権力者によって 一般市民は 危険にさらされてきたことを言う忘れてはならない


批判の目を持って 言ってほしい

自分たちを守るためには 言論という 力で 訴える行動が必要である







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