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・正月の三が日に、
蔵を開けると宝が逃げると、
いわれている
奥では髪結いも来て、
正月の晴れ着が衣桁にかかっている
店の者に着せる新しい法被もそろい、
その襟には、
「株式会社山本勝商店」
と入っている
ふつう「山勝」といっていたもの
元旦には暖簾分けして、
別家になった人の嫁さんたちも、
たくさん挨拶に来るので、
「ご寮人さん(ごりょんさん)」や、
「お家(え)はん」、
つまり私や姑は大晦日は、
忙しかった
お煮しめでもどれほど作ることやら、
昆布巻きを作るのに、
腰がだるくなるくらい、
店の者が二十人ばかり、
女中が四人、
そのどれもが食べ盛りの若い者だから
目がまわるほど忙しいけれど、
正月はまた若いご寮人には、
楽しみなこともあった
四日の初荷のあくる日、
五日は新年会で店は休みになるので、
奥の女たちは初芝居にゆく
船場のご寮人はんたちは、
それぞれ店の中番頭や番頭、
なるべく男前の番頭を伴にして、
着飾って道頓堀へいくのである
宗右衛門町にはきれいな芸子が、
歩いていた
黒紋付の裾模様の褄を持ち、
島田に稲穂のかんざし、
私は見とれているのに、
姑はつんとして、
諸事、権高で人の欠点を見抜くのに、
素早い人だった
・・・おや、なんでこう、
そんな大昔の・・・
大正や昭和のはじめのころのことを、
鮮明に思い出すのかしら
私は昭和のはじめに、
嫁にきたのだが、
戦前の船場の店と、
戦後の会社時代、
全く二つの人生を生きた気がする
そうして船場の「ご寮人さん」時代は、
遠い遠い昔なのに、
かえって戦後よりはっきり、
思い出すことがこの頃多い
これが老化現象というのかしら
七十六で老化があらわれるようでは、
いけない
叔母など九十になっても、
宝塚歌劇の娘さんと張り合うつもりで、
いるではないか
夕方、
サナエが帰ろうとしているところへ、
長男が一人車で来た
私を誘いにきたのだ
「これから西宮へ行こか
皆待っとるねん
そんで明日の正月も、
ウチでやったらええ」
と相変わらず勝手に決めてくる
「ウチもお正月の用意、
できてますよ
こっちはこっちでお客もあるから、
家を空けられへん」
「誰が来んねん」
長男は早くも不服顔で、
舌打ちして、
「ほんまに、
おばあちゃん誘うていっぺんでも、
おおきにいうたことないな、
一人きりで紅白見ても、
おもろないやろ思て、
みな気ぃ使てやってるのに」
「そらありがたいこと
そやけどウチもお重もみな、
作ってしもた」
長男は一段ずつひろげてある、
重箱をじーっと眺め、
「なつかしなあ、これ
子供のころのままやな」
一の重にはお口取り、
蒲鉾や昆布巻、玉子巻、
高野豆腐に椎茸
二の重には、
蒟蒻に小芋、人参、棒だら
三の重には、大根、牛蒡
大根は冷えると味がしみて、
美味しくなるので、
店の若い衆が好んだもの、
子供たちも好きだったから、
私は昔から青首大根を、
ごっそりたくさん煮いたものである
与の重に数の子や酢蓮根、
鯖の生ずしといった取り合わせ
黒豆と白豆は別の鉢に盛ってある
「この黒豆、
昔のままや
美味そうやなあ」
「あんたとこ、
黒豆煮かへんのか」
「瓶詰のん買うて来よんねん
煮しめかてデパートで予約しよんねん
きれいにしたあるけどな、
魅力ないな、ワシら」
「お正月、
何食べるつもりやの?」
「ボンレスハムやらライスカレー
客が来たときは重詰めやら、
酒の肴出すけど
シチューなんか毎年煮込んどるな、
何人客が来ても融通きく、いうて」
「かんにんしてんか、
シチューで正月やて」
「そやよっておばあちゃん、
ウチへ来て煮しめ作ってくれたら、
ええやないか」
「客がなあ・・・」
「客て誰や」
「お政どんにおトキどん、
前沢はん・・・」
「何や、おまさんかいな、
それかてウチへ来たらええやないか、
ウチが本家や
仏壇もある
本家へ挨拶に来るのがスジやないか
みなウチへ来させたらよろしやん」
長男はいってるうちに、
腹が立ってきたとみえ、
「豊中かて箕面かて、
正月でもウチへ挨拶に来えへん
みな、ここに来よる
スジ違いまっしゃないか
仏壇と暖簾のあるとこへ、
挨拶に来るのがほんまと違いますか
来るのは年玉貰おう、
という子供らばっかりや
ワシ、豊中へ電話して、
正月くらい顔出さんかいいうたら、
あいつのいうことがええ、
お袋の顔は見たいけど、
兄貴の顔見てもしょうない、
とぬかす」
次男はトシに似ず、
私に頼っているから、
そうかもしれない
「箕面へも正月くらい来い、
いうてやった
ほんなら女房(よめはん)が、
電話に出てな、
『お姑さんとこと、
お義兄さんとこと、
どっちへ年賀に伺えばいいんですか、
政府が二つあるような、
いえ投票所が二か所あるようなもんで、
有権者としては去就に迷うんです』
といいよった
あしこの女房には勝てんな」
「須美子さんなら、
そうかもしれまへん」
「ワシ、恰好つけてんのやないで
正月いうても、
本家へ誰も顔出さんいうのは、
おかしやないか
大体、おばあちゃんが勝手なこと、
するさかいや
ふだんはかめへん
けど正月くらいは本家へ帰って、
正月の食いもんぐらい、
作ってくれたらええやないか」
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(次回へ)