「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7,姥ごよみ ③

2025年02月28日 08時49分40秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「あんた、サナエさん
なんであんたに水子霊が、
関係ありますねん
あんた今でも生まれたままやろ」

「奥さま、
もちろんあたしは処女ですわ、
でもあたしの知らない流産死産、
中絶が家系の中にあるのやそうです
それがあたしの体にしがみつき、
からみついているのやそうです
それをお供養すると、
幸福をもたらしてくれますの
奥さまもきっと、
ご存じない水子霊があるのや、
と思います」

「あほらし、
私は中絶も流産も知りませんよ、
自分の知らんことにまで、
責任とっていられるかいな」

水子の霊が、
新聞記者にまでまちがいを書かせる、
とは驚いたものである

この世の中、
独居老人は気が弱くては、
人生はってゆけない

片や、
「ブー」と「テー」、
片や「水子霊」

わけのわからぬもので、
老人をいじめたて、
おびやかそうとする

しかし私にとっては、
黒豆をうまく煮くほうが、
いまのところ大切なんである

お煮しめのいい匂いが流れだした

私は台所をサナエに任せ、
机の前に小さい輪かざりをかけ、
床の間に花を活ける

サナエはお茶とお花の先生をして、
食べてきた女であるから、
そばへ寄ってしげしげと見、

「奥さま、
お流儀は何でしょう、これ」

「流儀いうてもねえ・・・
娘のころは池坊なろうたけど、
これは、昔、船場のうちで姑が毎年、
同じように活けていたもんやから
まあ、いうたら船場流いうのかしらん
毎年同じように活けるの
やめよう思うても、
つい活けてしまうのですよ」

床柱にむすび柳
床の間に白椿

といっても、
マンションの和室の床の間は、
ほんの飾りもの程度なので、
三宝に乗せたお鏡餅のほうが、
でんとしている

このお鏡だって、
船場では五升の鏡餅だった

あまり小さくても、
恰好悪かろうと一升にしているが、
これは飾るだけで、
小正月にお政さんに来てもらって、
引き取ってもらう

私一人では、
食べられないからである

そのお鏡の上に白昆布、
だいだい、
串柿をのせる

三宝には裏白を敷き、
掛け軸を古ぼけた鶴の絵に掛けかえると、
床の間は新春の気配になる

このマンションの主婦たちも、
さすがに大晦日は忙しいのか、
平生は聞こえない階上の足音も聞こえる

案外に暖かく、
ベランダから見る海は、
陽光に光り輝いていて、
この分では明日は、
いいお正月かもしれない

玄関の下駄箱の上にも、
松や南天、葉牡丹を活けた

これも長年のならい、
これをやらないと、
物忘れした気になっていけない

これで用意はととのった

出来上がって冷ましたお煮しめを、
私の指図のままに、
サナエは重箱に詰めてゆく

代々の塗りのいいいいものは、
戦火をまぬがれたのだが、
戦後に売って食糧に代えてしまった

そのあと買ったものは、
西宮の家に置いてきたから、
いまここにあるのは、
小ぶりな新しいもの、
しかし塗りは上等である

私は食べるものと同じく、
道具も小さくても上等なものを、
あつめるのである

あとはお雑煮の下ごしらえだけ、
私は朝な朝な、
トーストと紅茶、
目玉焼きという献立であるものの、
お正月はやっぱり、
白みそ雑煮、
といかなくては正月の気がしない

「サナエさんのおかげで、
今年は早うすんでよかった
おおきに
あんたお煮しめ出来てますのか
何やったら詰めて持って帰ったら、
どないだすねん」

「いいえ、
形ばかりしてきました
ウチはお正月来る人も少ないですし
かえって初釜の日が大騒ぎで」

サナエはまた魚屋へ走って、
にらみ鯛、と大阪でいう、
焼いた鯛の注文しておいたのを、
取りにいってくれた

「石鹸、
歯みがき、
紙、
そんなものそろっています?
お店が閉まると意外に不自由したり、
しますもの」

さすがにサナエは、
その昔、有能な事務員らしく、
よく気がついていってくれる

私は筆で、
箸紙に自分の名、
それに毎年来る人々の名を書く

「海山」と書いたのも三つ四つ、
これは重箱のお煮しめを取る箸である

昔は蔵から正月に使う、
お膳を出してくるのも大ごとだった

店の丁稚、手代、番頭、女中衆さんらは、
めいめい箱膳だが、
家族は定紋つきのお膳、
男は朱塗りで女は黒塗り
(黒塗りの内は朱塗りになっていた)

店の表に定紋の幕が張られる
これは夏の天神祭りは、
浅葱色の幕であるが、
正月は深い紺である

門松を立て、
注連縄が張られる

玄関には緋のもうせんが敷かれ、
黒塗りの名刺受けが置かれる

そのころ店は、
大掃除の真っ最中、
大八車を曳いて帰ってくる者もある

正月四日の初荷まで、
蔵は開けない






          


(次回へ)

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7,姥ごよみ ②

2025年02月27日 07時54分53秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・この頃は、
お節料理もデパートで誂らえるらしい

私もこの年齢になり、
何から何まで作るのは億劫で、
今年こそはデパートか料理屋に、
頼もうかと思うが、
出来合いのものでは、
いかにも不味そうな気がして、
つい自分でこまごまやってしまう

それというのも、
自分一人で食べるのでなく、
正月にはそれなりに、
客が来るからである

英会話仲間の人たちや、
油絵仲間に加え、
昔の人たちが、
昔ながらに挨拶に来る

昔、船場にいたころ、
奉公していた女中衆(おなごし)の、
お政やおトキ、
二人とも上女中で七、八年ウチにおり、
姑たちが親代わりになって、
嫁入支度も作って嫁入らせた

そのころは、
お政どん、
おトキどん、
といっていた

番頭の前沢も来る

みなもういいトシになっているが、
お政どんは、
長男が幼稚園に通っていたころ、
いつもついていってくれた人である

だから頭の禿げた、
五十二の長男をつかまえて今も、

「大ぼんちゃん」

と呼び、次男は、

「中ぼんちゃん」

で、三男は、

「小ぼんちゃん」

である

中でも長男は、
とりわけ面倒を見たので、
情味は格別らしく、
長男には特に、

「ぼんぼん」

と呼んだりする

昔、船場の店にいたころ、
昭和二十年六月八日の戦災で、
店が焼けるまでいてくれた人たちが、
来るのである

中番頭の為吉っとんは、
ずっと来てくれていたが、
先年、病気して死んでしまった

あとは兵隊に取られて、
戦死したり、
田舎へ戻ったり

今、長男の会社にいる専務も常務も、
戦後の人間で、
戦前の船場の店を知らない

知らないといえば、
サナエも知らないわけである

お政やおトキ、
前沢番頭のほかは、
昔ばなしも出来なくなってしまった

そういう人たちが、
楽しみに私のところへ、
集まってくるので、
一応の正月支度はしなければいけない

今年は家政婦が、
九州の田舎へ帰るというので、

(しようがない
一人でぼつぼつやろうかしら)

と思っていた

この頃は車のついた買物籠もあるから、
ゆるゆる曳いて帰れば、
重い目もせずにすむ

マンションの一階には数段、
階段があるが、
これはモタモタしていると、
必ず誰かが持ち上げて、
エレベーターまで運んでくれる

この間など、
かかりつけのお医者、
大川橋蔵に似た若先生が通りかかり、

「あっ、おばあちゃん、
僕がしたげる」

と持ってくれた
その上、

「大変ですね、
一人で買い物して・・・」

といってくれる

お歳暮に舶来ウィスキーを、
はずんでおいてよかったこと

「はい、
もう何ですか、
外へ出るのも、
食べ物を作って一人食べるのも、
億劫になりまして、
これではいけないと思って、
気を引き立て、
一生けんめいやっていますのよ
何しろトシでございますから」

私は若先生に向かって、
一人暮らしの老女のいじらしさ、
哀れさをにじませつつ、
淋しく笑う

橋蔵先生は、
若々しい顔に同情の色を浮かべ、

「そら大変やろうけど、
そうやって気を引き立てて、
仕事をするのも老化を防ぐ方法です
体は遊ばさず、
ホドホドに使うたほうがよろし」

と噛んでふくめるように教え、

「ま、何かあったら、
すぐいうて来なさいよ
年末年始は休診やけど、
裏の家へいうてきてもろたらええから
おばあちゃんは別やさかいね
お正月はモチなんか、
のどへつめんように
風邪ひかんように」

「はい
ありがとうございます
よう、気ぃつけますわ
何かあったら、
よろしくお願いします」

若先生は私がエレベーターに、
乗り込むまでボタンを、
押しつづけてくれていた

誰がモチなんか、
のどにつめますかいな、
モウロクの細木老人なら、
知らんけど

私は部屋へ帰ると、
大車輪で買物をぶちまけ、
エプロンをつけ腕まくりして、

(さあ、
アホ嫁のスカタン黒豆とは、
一味も二味も違う、
正真正銘の黒豆を煮いてやろ)

と勇み立つのである

風邪なんかひいてる、
ヒマなんかあるもんか

暮れも押し迫ってから、
サナエが、

「お手伝いに上がりましょうか」

といってくれたので、
今年は自分で買物をすることは、
免れた

サナエは、
三十日に買物と掃除をしてくれ、
三十一日の朝早くから来て、
私の指図するままに、
野菜を切ったり洗ったり、
注文してあったものを取りに行ったり、
よく働いてくれる

さすがに私に比べると、
六十歳はいかにも若い

この若さを感謝すればいいのに、
サナエは例のごとく、
眉間にしわよせ、

「奥さま、
水子供養は大切なんですよ、
このマンションの裏山に、
水子地蔵がありますけど、
お正月には拝まれた方が、
ええことありませんか」

などという

竹下夫人の「天地生成会」は、
「ブー」と「テー」で、
何となく陽気であるが、
サナエのは何となく陰気である

「いえ、
陰気というのではありませんけど、
あたし、『水子霊教』の会へいって、
ちょいちょいお供養して頂いてる、
ものですから」

へんな会もあるものだ

「ブー」と「テー」も、
いいかげんなものであるが、
「水子」の話を聞きつつ作る、
お煮しめもいかがなものであろうか
お煮しめが水っぽくなるような気がする

私は話を変えようとして、

「新聞記事に、
『正月料理の野菜のうま煮を食べ』
というのがあったけど、
あれもへんな文章やったねえ
正月料理は『お節料理』というたもの、
『野菜のうま煮』は『お煮しめ』
というに決まったもの、
新聞記事を書くのも、
それを調べるのも
男やから、
そういうへんなこと書くのかしらん」

「それもきっと、
その記者についている、
供養されへん水子の霊が、
そういう間違いを書かせたのと、
ちゃいますか」

サナエは包丁をおいて、
声をひそめ、

「病気も不幸も、
水子を供養すると、
なおるんやそうですよ」

それは結構なことだ
何でもよい、
そう思っていれば救われるのだ

さしずめサナエなどは、
水子を供養して、
眉間のしわをとってもらうように、
すればいい

黒豆のしわは結構だが、
女の眉間のしわは頂けない






          


(次回へ)

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7、姥ごよみ ①

2025年02月26日 09時01分41秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・三男の強情嫁はいつだか、
私が頼んだ贈り物の送り先をまちがい、
私はえらい目にあったことがあったが、
そういうときですら、

「人間だから間違いもありますわ」

とうそぶいていた

私は黙っていられぬ

「あんた、
それはスジが違います、須美子さん、
それはこっちのいうこっちゃ、
あんたが、
すみません、ごめんなさい、
とあやまり、
あたしが、
よろし、人間やから、
間違いもありますと許して慰める、
これが会話のルールいうもんでしょ」

「だからちゃんと、
デパートで修正いたしました
すんだことをいつまでも、
お姑さんはごちゃごちゃと」

「まあ、待ちなさい、
訂正したからええというもんやない、
それとこれは別ですよ、
あんたの言い間違いを、
ただしてるのですよ」

「間違ったから、
訂正しましたっていったら!
送り先のちょっとした、
書き間違いに過ぎないのに、
デパートがちゃんと手配してくれたから、
それですむことじゃありませんか、
それをスジが違うの、
会話のルールがどうのと、
話をむずかしく、していらっしゃるのは、
お姑さんのほうですよ、
それじゃ聞きますが、
お姑さんにとって、
会話のルールとは何ですか」

このへりくつ言いめ
私は舌戦にかけては、
四十くらいの嫁に、
負けはしないのだが、
へりくつだけは嫌いである

あたまのいい人間と、
舌戦をたたかわすには、
知的リクレーションであるが、
あたまの悪い人間と、
言い合いをするのは、
エネルギーの損耗である

へりくつはあたまの悪い証拠である

この嫁も、
途中で会話をすりかえ、
あきらかに言いかぶせて、
間違いをかくそうとしている

知っていてかくそうとする狡さ、
何だかそのへんがモヤモヤしているが、
ともかく私を言い負かしたいという、
あたまの悪い勝気というところであろう

昔なら、
私がこんなことを姑に言おうものなら、

「よろし
あんたもう、
去(い)になはれ
船場の家風に適(あ)わん人や」

の一言で実家へ戻されてしまう

そういうとき、
亡夫慶太郎なら、
おろおろするばかりで、
ただの一言も取りなすとか、
まして私の味方になって、
姑に盾つくということはしないであろう

黙って座をはずし、
便所へ入って頭を抱えているのが、
オチである

尤も私も、
昔の時代であるから、
めったに姑に口答えなど、
しないのだが

今の時代であると、
三男はおおっぴらに嫁の味方につき、

「なあ、
もうええやないか、
お母ちゃんはひとこと多いから、
揉めるねん」

と私をたしなめるのだ

ま、そのほうが私も気楽、
これがお袋側について、
嫁をたしなめるような息子であれば、
私はゾッとするであろう

息子と嫁さえ仲良くしていてくれれば、
こっちは安心して、
言いたい放題いっていられるから、
嬉しい

世間には、
息子が嫁のワルクチいったり、
嫁を叱ったり、
しているのを見ると、
嬉しさに笑みまける、
という姑がいるようだが、
どういう気持ちかしら

嫁と不仲になって、
こっちへ寄りかかって、
こられでもしたら、
目もあてられない

いつまでも、

「お母ちゃん」
「お袋」
「おばあちゃん」

などと呼んで、
頼ってくる息子を持った女は、
不幸である

嫁をもらったら、
親のことをかえりみないのが、
息子のあらまほしい姿であろう

といっても、
それは程度問題である

まるきり姥捨になっても、
腹が立つであろう

ウチはおかげで、
まるきり姥捨の風情でもなく、
正月というと、
三男の嫁まで黒豆を煮いて、
持ってきてくれる

一年に何度という、
ツキアイがいちばん、
ボロが出なくていい

ところがこの黒豆、
嫁の自慢にかかわらず、
頂けない

嫁、というより、
これは嫁の母親のやりかたを、
踏襲しているのであろうけど、
ふにゃふにゃと柔らかくて、
黒豆の皮は皺ひとつなく、
たるみきり、
ふやけている

そうして、やけに甘い

私はがっかりして三男の嫁に、

「あるべき黒豆の理想像」

の心得を説いて聞かそうとしたが、
例によってまくしたてられて、

「お姑さんにとって、
黒豆とは何ですか」

とやられそうな気がして、
やめた

折よくその黒豆は、
正月に来た前沢元番頭が、

「ワタエは歯ぁが悪うおますので、
こういう柔らかい甘い豆が、
いちばんおいしゅうござりま」

といったから、
みんな持って帰らせた

黒豆というのは、
カチ栗みたいに堅くてはいけないが、
さればとて、
ふやけたように柔らかく、
煮いてもいけない

歯ごたえがあり、
しかもちゃんと煮き上がって、
いるようでないといけない

何より大事なことは、
黒々とツヤ美しく輝き、
皮に皺が寄らなければならない

お節料理のしきたりは、
幸い、
私の実家と婚家は、
同じようであったから、
よかった

母も姑も、
黒豆は皺の入った煮き方をする

「シワは寄っても、
マメなよに」

という心で、
黒豆をお節料理に入れるのであるから、
皺ののびた、
ふやけて丸くふくらんだ黒豆では、
意味がないのである

砂糖を入れて、
照りとツヤを出し、
色どり美しく、
煮き上げないといけない

このやり方を、
息子たちの嫁はおぼえようとはしない

それぞれの母親の流儀を、
見習ってやっていくようである






          


(次回へ)

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6,姥処女 ⑥

2025年02月25日 09時02分55秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「サナエさんも踊りなさい」

私はサナエを誘った

「あたし、やったことないんです」

「やさしいことやないの、
こうやって男性が、
リードしはるねんから」

「あっ、いやらし」

サナエは肩を硬くして、

「あたし、
男の人と抱き合うなんて・・・
人前で・・・」

何もハレンチなことでは、
ないではないか

「美しき天然」という曲などは、
聞いてると自然に体が動きそうな、
曲である

「このトシで、そんな」

サナエは泰くんと踊っている、
飯塚夫人を見つめ、

「あたしはこれでも、
このトシまで、
処女を守ってきた女ですから・・・」

つまらぬものを守る女である

「せっかく今まで守ったんやから、
守り通します」

「何か間違てへんか、
ダンスぐらいでそんな、
肩肘張ることないやないの」

「だって、六十にもなって」

「六十なんて、
あんた、
ここにいてる人の最年少やないの」

「でもそんな・・・
あたし、
老人ホームの民謡踊りならともかく、
老人ダンスなんて、
初めて見たんですもの」

サナエは冷笑を浮かべ、

「まさかまさか、
こんな会とは、
思わなかったものですから」

何だかスワッピングでも、
しているように聞かれる

「そないいうことないやないの
同じ老人同士で仲良うしたら、
ええのやから」

踊っていた富田氏と飯塚夫人が、
嬉しそうな声をあげた

泰くんが、
ポラロイドカメラを持ち出して、
撮ったからである

これは泰くんが持ってきてくれたのだ

すぐ写真が出てくるものだから、
気の短い老人には、
うってつけである

富田氏も飯塚夫人も、
いそいで眼鏡をかけて写真に見入り、
嬉しそうに奪い合いする

カルメラやちょぼ焼きの話をして、
持ち寄りのご馳走を食べ、
「美しき天然」の音楽を聞いて、
ダンスを踊るなんて、
悪いけど息子の家で、
ご馳走になるよりも、
よっぽど面白い

「このごろ、
何だか変なんですよ、
奥さま」

サナエは音楽にも耳を貸さず、
ダンスをしている人たちも見ず、
私のそばへ椅子を寄せる

「どうしたの?」

「孤独の風が耳元で鳴るんです」

つまらぬものを鳴らす女である
もっといいものを鳴らせばいいのに

「だってもう六十でしょ」

こういうところが頑固だというのだ

いくらいって聞かせても、
同じことばかりいう

「あんた、ねえ、
これからが女のさかりよ
元気出しなさい
長生きしなさい
あんた、
昔はキビキビして、
よう働いて今でいう、
ええキャリアウーマンやったやないの」

「一人で働いて、
今まで来て、
六十になって還暦の声聞いたら、
ガクッとしたんです
処女を守って六十になった、
思たら・・・
あたし正しいことしてきたのに、
不幸やわ」

「ま、ま、守るも捨てるも、
どっちでもええやないの、
そのトシになったら
それより面白いことして、
長生きしなさいよ」

「長生きなんかして、
楽しいことは、
ちっともないんですもの」

うるさい奴だ

私は半分身内と思うから、
フンフンと聞いてやっていたが、
しまいに腹が立ってくる

「あたし、
一生懸命はたらいて、
操守ってちゃんとしてきました
それなのに、
この頃すべて空しいて・・・
長生きしても、
何で楽しいのでしょう
長寿を祝うなんて、
ウソや思います」

なんにも知らんな

長生きなんて、
元々、楽しくないものだ

古馴染みの死んでいくのを、
見るのが長生きということだ

だからこそ、
「ブー」と「テー」、
なるったけ、
面白いことを「テー」して、
まわりに「ブー」する

いや、まわりから、
「テー」してもらって、
自分も「ブー」する

いや、竹下夫人の「テー」が、
たしかに私にも効いてきた


~~~


今年は、
正月のお煮しめと、
お節料理の手伝いに、
サナエが来てくれた

黒豆は私が煮き、
例年通りうまく出来上がった

黒豆だけはいくらいっても、
人に任せるとうまく出来ない

週一で来る家政婦が、
お正月の支度を手伝ってくれるが、
お煮しめはまずまずとして、
黒豆を煮かせると、
カチ栗みたいにかたい、
不味い黒豆になってしまう

いっぺん三男の嫁が、

「あたし、黒豆が得意なんです」

というので、

「おや、それはたすかった
それならウチのも煮いてもらおうかしら
一人で食べるのに、
わざわざ作るのも面倒でねえ」

と私は頼んだ

嫁は大得意で、
自身、車を運転して持ってきてくれた

車といえば、
三人の嫁の中で、
この人だけが運転できる

私もも少し若ければ、
習うのだが・・・

ほかの二人の嫁、
それぞれ家に車はあるくせに、
習おうともしない

まだ四十代なのに、
なんという欲のなさであろう

三男の嫁は、
大学出のヘリクツ言いで、
カチンとくることを時々、
ぬかす奴であるが、
さすがにそれだけあって、
手もすばしこいようで、
車もちゃんと運転する

私もいつか乗せてもらったことが、
あったが、
発進や停止のとき、
「カクン」と揺さぶられるものの、
まずまず、というところの運転である

「これからの女は、
車の運転や英語ぐらい出来な、
あきませんな
あんた、
それだけでも取得や」

と私がほめたら、

「それしか取得がなくて、
悪うございましたね
お姑さんも習っとかれたら、
よろしかったのにっ!」

とむくれ、
むくれたあまり逆上したのか、
赤信号なのに突っ走って、
周囲の車からブーブー、
クラクションを鳴らされていた

そうして交差点のど真ん中で気づいて、
急停車、私はカクンと前へつんのめり、

「やれ、怖や、怖や
しっかり頼みまっせ」

といったら、

「そういう時のために、
シートベルトというものが、
あるんですっ!」

と嫁は言い返し、
「ゴメンナサイ」という言葉は、
どこを押しても、
出て来ぬ女である

この強情嫁め






          


(了)

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6,姥処女 ⑤

2025年02月24日 08時36分44秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・富田氏はビールが入ると、
声が高くなる

「あれ、
何百メートルあるやろ、
平野町から八百屋町筋、
堺筋、難波橋筋・・・」

「中橋筋、三休橋筋、丼池筋、
心斎橋筋、淀屋橋筋、御霊筋・・・」

とやっぱり船場住まいの長かった、
私がいちばんおぼえていた

「荒物や漢方薬も売ってました」

と飯塚夫人がいう

「スーパーなんてない時代やもの・・・
化粧品も小間物も、
何でも売ってて、
奉公人の楽しみは夜店でしたわ
子供の楽しみは何というても食べ物
カルメラ、ちょぼ焼き」

「十銭もろたら、
子供は散財できました」

「演歌師がおりましたで」

「バイオリン弾いてなあ」

「それ、いつごろのことですか?」

「明治大正、ずーっとですなあ」

「昭和もおましたけど、
戦争でさびれてしもて」

「いや、
御堂筋がついたからですわ
家はようけ(沢山)立ち退きになるし」

「地下鉄工事もわるかった
あれは昭和はじめから、
十年かかりました
あれであんばい、
町の情緒が白けてしもた」

「でも夜店は、
大阪の町じゅうにありましたのよ」

と魚谷夫人が、
豆腐の田楽をおいしそうに食べつつ、

「あたしはミナミの生まれやけど、
うちの近くの通りに出ました
うちは五の日でしたよ
何を食べたやら、
関東煮(かんとだき)、
いかせんべい、
夏はところてん、
洋食焼き・・・」

「そうそう、洋食焼きがありました」

「いまのお好み焼きです」

と富田氏は泰くんに教え、

「あてもんがよろし
あれは楽しみやった」

「紙をめくったら、
たいていスカで、
中々当たらへんかった」

「あっ、それは僕もずっと前、
子供のころ駄菓子屋でやった」

と泰くんはいい、
みんなにビールをつぐ

「カルメラ焼いてんのや、
綿菓子作ってるのを、
見るのも楽しかった」

「大人は植木を値切ったり」

こういう昔話というのは、
私には面白いのである

自分の苦労話や、
自慢話の昔話は困るのだ

面白いのか、
泰くんも熱心に聞いている

「活動写真館へ、
よう行きました
若うてきれいな田中絹代、
見ましたで
弁士が三人ぐらい出てました」

「男の声で女の声色使うて」

「目玉の松ちゃん見てますか」

と私が聞いたら、
それはおぼえていないと、
飯塚夫人も富田氏もいった

私ははっさい娘だったから、
それに父が好きだったから、
よく見に連れていってもらったのだった

「『籠の鳥』はもっとあとかしら」

魚谷さんがいう

「それは大正でしょう、『枯すすき』」

と富田氏がいい、

「私、大正琴弾いてました」

と魚谷さんは自慢げにいった

それを皮切りに、
そのころのわらべうたの話に、
なったりして飯塚夫人は、
手毬唄を唄ってみせた

「川の真中で糸くず拾て
京で染めよか
大阪で染めよか
キョンキョン京橋
はし詰めの
紅屋のおかっちゃんの染めもんは
立っても坐ってもよう染まる」

「ひゃあ、
ようおぼえてはる
ほんまにそんな唄、ありました
さすがやわ」

と私は感心した

「まあ、どうしたんやろ、
いつもは思い出しもせえへんのですよ
ウチの孫にも歌うたことないのに、
急に口から出てきましたわ」

飯塚夫人は満足そうだった

泰くんがテープをまわしはじめた

この前、
英語クラブでかけられた音楽は、
「ダニューブ川のさざ波」だったので、
私は泰くんにたのんで、
レコードを買ってもらおうとしたが、

「そんなん、
売ってませんでしたよ」

というので、
テープにとってもらったのだった

ステレオはそんなに上等でもないが、
私は時おり、
ハヤリ唄のレコードを買うから、
備えているのだ

「なつかしいなあ
青春の音楽ですわ
キッキッ・・・」

と富田氏は笑い、
みんな応接間へ行く

少しオーバーに、
富田氏は魚谷夫人を導いて、
踊るものだから、
泰くんも冗談らしく、
私の手を取った

私は三年くらい前に、
社交ダンスを習ったけれど、
泰くんはめちゃめちゃである

曲が終わると、
次はこれも英語クラブでやった曲、
「美しき天然」であって、
私はこのほうが踊りやすい

泰くんは、

「お経みたいな曲やな」

といいながら、
面白がってこんどは、
飯塚夫人と踊った

夫人は団栗を転がすようであるが、
無邪気にはしゃいで踊る

魚谷夫人は、

「あんまり面白くて、
血圧が上がりますのよ」

と休んでいるので、
私は富田氏と踊った

「いや、ほんま、
これこそお祭りですわ
『敬老の日』はこういうことこそ、
せな、あきません
今日はほんまに有難う」

と氏は私に礼をいった






          


(次回へ)

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